29 外道魔術師の終わり
「な、これは……!」
余裕綽々だと椅子に座っていた男は、セシリアの魔術の発動と共に椅子から飛び上がる――魔窟は塗り替えられた。瘴気は吹き飛び、室内を充満しているのは光だ。見る間に色を変え、決して同じ色に留まらない靄の様な光が、この部屋を満たしている。
「空間を飽和するこの魔力量……。小娘、一体何をした!?」
男の言葉使いが荒くなる。表情からは人を見下していた様な笑みが消え、吐き捨てるように言葉を放つ。それこそが男の本性だと、この場に居る誰もが感じ取った。
本性を露わにする男にセシリアは手の平を向けると、
「ここは私の箱庭。あなたみたいな奴が出る幕なんて――無い!」
セシリアの怒号に感化された様に空間が輝き、輝きの間から水の縄が飛び出した。どこから生まれたのか、それは分からない。気付けばそこにあって、ずっとそこにあったような気がする――その水の縄について、エリスは何と無くそんな風に感じた。水の縄は全身をぐんとしならせ、男の方へと迫る。男は身を守る為か、水の縄へと手を向けて――驚愕に目を見開いた。
「な、何故だ! 魔術が、私の魔術が発動しない……!」
男が驚き、立ち竦んでいるその隙を突いて、水の縄は男の身体を締め上げた。足に手に纏わり付き全身へと絡み付いて縛るその様子は、縄というよりは蛇と言うべきかもしれない。見た目が生物らしく無いだけで、拘束の手法自体は蛇のそれだった。
「くっ、何故だ……。この部屋に仕込んでいた全ての魔術式が、私から体外に出力される全ての魔力が失われている。小娘め、一体何をしたのだ!?」
「ここは私の箱庭。あなたみたいな輩の自由は、認めない」
セシリアは水の縄に囚われ、立ったまま悶えている男へと顔を向ける。その顔に飾られている二つの翠の宝石は、普段の彼女の目からは想像出来ない程に冷えた色をしていた。男は思わず、自分が捕えられているのも忘れて後退りしようとして、体勢を崩して床へと倒れた。セシリアの視線が必然、見下ろすものとなる。
「ミ、ミカエラァア! 私を、守れぇええ!」
男は怯えた声で、自身の傀儡へと命令を下す。その言葉にハッとして、エリスとアウレニアは先程まで対峙していた相手を見るが、そこには無表情で直立する、不動の人形があっただけだった。
男の目に、絶望が灯る。
「まさか……。主従権を、血の契約を書き変えたのか? そんな馬鹿な! 魂に刻む血の契約の改定、しかも術者の意思に反した強制の改定など、出来て堪るものか。そんなのは我が帝国、否、王国や共和国を含めた三国の魔術師の誰でも不可能な筈だ! それをこうも容易く……貴様、一体何者なのだ」
男の問いに、セシリアはただ静かに答えた。
「ただの騎士だよ。あなたみたいな外道が許せない」
その言葉を合図に、世界が激しく明滅する。室内を満たしていた光は変化のサイクルを早め、最早光の嵐と化している。数秒前よりも今が、そして数秒後には更に。光の明滅は眩く、激しい物となっていく。それに伴い、男の全身を縛っていた水の縄が男の身体に食い込んで行く。みちみちと肉を圧縮する音を響かせながら、ゆっくりと、しかし確かに男の身体を押し潰さんとしていた。手足は既に関節で折られ、内臓を抱える胴体は強烈な圧迫に次々と破裂していく。断続的に血を噴き出しながら男は何故か、恍惚と絶望をない交ぜにした様な眼で、セシリアの事をずっと見ていた。びくんびくんと身体を痙攣させ、目と鼻と口から血を流し、顔色が赤を通り過ぎて青くなってもずっと見ていた。
「気持ち悪い」
男の熱視線にセシリアは明確な拒絶を吐いた。それを聞いたが最後に、男はぴくりとも動かなくなった。
「ほんと、魔術師ってみんなそう」
力尽きた男を見下ろしながら、セシリアは呟く。その呟きが、エリスには遠く聞こえた。