25 死から遠く、生から更に遠く
――不老不死。
生に付き纏う死の概念を克服する試みは、大凡生物が死を自覚した頃からあるだろう。想いの行き先、深さはどうであれ、死を恐れる以上は誰でも不老不死にある種の憧れを抱き、夢想して来た。そして、当時の技術を駆使して不老不死の実現に挑むのである。
ハキーム戦争時の帝国もまた、ある種の不老不死に挑戦していた。帝国が目指したのは死者の蘇生――死んだ兵を甦らせ従える事で、恒久的な人的資源を確保しようとしたのだ。
帝国が不老不死の達成、死者の蘇生を目指したのは訳があった。帝国にとって目下難敵なのはブルシャ王国とマサハ共和国であり、三国はそれぞれ違う特長を持っていた。
王国は魔術に。
帝国は金属加工技術に。
共和国は多種族混合の大規模軍隊に。
それぞれ長け、各国はその特長を活かす事でハキーム戦争を戦い抜いたのだ。
重ねてになるが、この三国は互いに互いの得意とする分野が綺麗に異なっていた。故に戦争は泥沼化した。ある一定まで攻め切っても、敵国が対抗策を講じて来たり、自国に不利な状況になったりで攻めあぐねる。その間にもう一つの国が戦況に変化を与え、攻勢は白紙に戻る――これの繰り返しだった。
そこで帝国が考えたのは人的資源の確保だった。帝国は共和国には勿論、王国にも兵員数で負けていた。帝国には他国に負けない金属加工の技術があり、銃は戦場における長距離での争いを完全に制圧している。だが、否、だからこそ、その銃を十全に運用する為に兵員の確保――それも爆発的な増員が必要だと、当時の帝国は結論付けた。
そうして不老不死の実験が行われた。不老不死は無論、人智を超えた奇跡の領域――人類がそこに至るには魔術しか無い。不老不死の実験は、主に魔術的視点からのアプローチで行われた。
――ここで不老不死に成功すれば王国の魔術への矜持をへし折り、敵の軍勢の士気を下げる事が出来るかもしれない。そんな打算もあったと言われているが、それはさておき。
帝国は実験に失敗した。
完膚なきまでに、完全に失敗した。
何せ実験から生まれたのは、死者を生き返らせて従順な兵とするのではなく、生者を生ける屍へと貶める薬だったのだから。
もしくは毒と言うべきか。
実験の目標にあった従属化こそあったものの、その成果は全くの逆方向である。これでは人的資源を寧ろ食い潰すと、その実験の記録と薬の製法は抹消された。
闇に消えた薬の名を――。
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「ゾンビパウダー。多分、『王宮医術師』がミカエラに投与しようとしてるのはこれだと思う」
ヴァレニウス邸に向かう道中、セシリアは静かにそう言った。
車中は静寂に包まれている。その静寂は音こそ無いが、そこに含み渦巻く物は様々だ。困惑、動揺、義憤、激憤――静寂だからこそ、息遣いや気配が肌に刺さる。
その中、エリスが抱いていたのは信じ難いの一言だった。セシリアの言葉にでは無い――それは今までの信頼から、信用に足り得ると判断している。故に、信じ難いのはそれ以外だ。
戦争中とは言え、そんな唾棄すべき薬が生まれてしまった事実。
それを今、病に伏す相手に使おうという「王宮医術師」の精神。
エリスにとってこの二つはあって欲しくないとすら思えてしまう程、恐ろしく、気持ち悪いモノに感じた。それは偏に人間の根底を揺るがすからだ。
ゾンビパウダー。それが貶めるのは生などという、項目を確認する事で判断出来る様な単純な反応では無い。彼の薬が貶めるのは人としての尊厳だ。生者の生を一方的に奪い、あまつさえ隷従を強いる。そこに人の尊厳は無い。あるのは奴隷――否、奴隷未満の在り方だけだ。
「それは……ゾンビパウダーがミカエラ様に使われているというのは、確定なのでしょうか?」
「勿論、ゾンビパウダーじゃない可能性もあるけど、それは低いと思う。それに、ゾンビパウダーなら時間が無いから」
――時間が無い。その一言に、車中の人間は同じ言葉を一様に思い出す。
『今日、この夜に。遂にミカエラ様が戻って来られるのだから』
団長室にやって来た東部の騎士は、確かにそう言った。その言葉の意味は瞭然――ゾンビパウダーが効果を成し、ミカエラが生ける屍として甦るのが今夜という宣告に他ならない。ここに至ってエリス達はセシリアの焦燥に追い付く。
「ゾンビパウダーの材料は蛙の足、猿の脳髄、鷹の眼球、鴉の羽、沙蚕の干物、河豚の毒血、勾玉の木の葉――それから術者と対象の血液。血液と材料を馴染ませて、それから薬に練成するのに約七日。投与から効果が出るまでが更に三日――合計で約十日。『王宮医術師』がヴァレニウスの家に来てから作業に入ったとしたら、材料を集めたり準備したりの時間を省いても、今夜全ての作業が終わるのは十分にあり得るの。ゾンビパウダーは一度対象に完全に定着すると、二度と完全に解毒出来ない――ミカエラが生ける屍になっちゃったら……人には戻せない」
セシリアの言葉は、車中のただでさえ重かった空気を更に重くした。事態は緊迫している。それも想像の遥か上にだ。
みちみちと、肉が圧迫される音がする。音の発生元は女性の手――アウレニアが強く握りしめた拳にあった。爪が食い込み、真っ赤な血液が細い筋を作って床に落ちる。それでも尚、彼女の拳は固いままだ。
「……ゾンビパウダーが完全に定着する前ならば、セシリア様なら解毒出来るのですね」
「うん、絶対解毒しきって見せる」
拳に詰まった怒りは一切顔に出さず、眉一つ動かさない冷えた面で、アウレニアはセシリアに確認を取る。そして、その答えにそれで十分だと頷き、無言のまま目を伏せた。
彼女の伏せられた瞳。そこに宿る炎の激しさは分からない。ただ、それが明らかになるのはそう遠く無い。そしてその場でこそ、彼女が自ら抑えつけている怒りの拳は、ただ主の為に振るわれるのだろう。
エリス達の乗る馬車が山を抜け、街道の一つに出た。ヴァレニウス邸へと、刻一刻と近付いている。