19 ヴァレニウスの暗雲
「まさかエディに妹が居るなんて……驚き」
「しかもライツ家だなんて、とんだ名門だよね」
ミーナとフレドリックが思い思いの声を口にする。
アウレニアによる、エディとの血縁関係――しかも兄妹であるとの宣言の衝撃もそこそこに、各人は室内にある大きめの机を取り囲んで座っている。大きめの机とは言ったものの、現在室内に居るのは第三班の六人とアウレニアの計七人。一つの机を囲むには少しばかり人数が多く、その為、エリスとフレドリック、それからイライアスは女性陣に席を譲る形で立っている。もっとも、アウレニアの隣に強制的に座らされた――セシリアの強行だった――エディは普段見た事も無い、複雑な表情で席に着いているのだが。
苦虫を噛んだ様とは、あの表情の事を言うのだろう。
「家や妹の事は今回の件に関係無い。俺は飽くまで王都防衛騎士団第三班の一員としてここに居るし、コイツ――アウレニア・ライツもヴァレニウス家の一侍女としてここに居るって事を、話を始める前に肝に銘じてくれ」
意外な事にと言うべきか、順当と言うべきか。この場で最初に口火を切ったのはエディからだった。その内容は家族に対して余りに冷たい、冷酷漢の様な発言だったが、その声色に身内に晒された照れと騎士としての矜持が垣間見える。公私が望まぬ形でごちゃ混ぜになってしまい、それでも強く自分の立ち位置を自覚して律する姿がそこにはあった。
――見習うべきだと、その在り方にエリスは強い尊敬を抱く。
「ま、そうね。少しばかり驚いたけど、今は関係無い。本題に入りましょう、アウレニア――で良い?」
「はい、そう呼んで頂けると幸いです」
「それじゃあ……アウレニア。あなたの要件は? あなたは何故私達に会い、何を私達に求めるつもり?」
「私が求める物は誰に対しても、何時でも変わりません。『ヴァレニウスの盾』になったあの日から、私が求める物はミカエラ様だけですから――」
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ミカエラ・ヴァレニウス。
七年前に起きたハキーム戦争――ブルシャ王国、クルム帝国、マサハ共和国、そして発端であり中心であり、しかし翻弄され尽くし終には滅びたハキーム自治領が引き起こしたかの大戦において女傑として名を馳せた彼女が病に倒れたのは、ハキーム戦争が終わってから五年後、戦後の領地復興に尽力していた父が急死した僅か半年後であった。
始めは日中にふらつくと言った具合で、医者にも心身共の過労であると診断されていたらしい。当時のミカエラは、父の急死から間断無くヴァレニウス家の家督を継ぎ、慣れない領地運用や、前よりも遥かに責が重く、頻度の多くなった貴族同士の交流などに苦労していた頃合いだった。過労の診断は当然で、誰もがその診断を――アウレニアもまた、その診断を疑わなかった。
雲行きが怪しくなって来たのはミカエラの体調が崩れ始めてから一カ月辺り――ミカエラが度々意識を失うようになった。本人に意識を失う寸前の記憶は無く、ばっさりと糸を切られた人形の様に崩れ落ちて気絶するその様は明らかに異常であり、事ここに至って近隣の医者に総当たり――事実はミカエラから医者へ出向くのでは無く、逆に医者を屋敷へと呼び付けていたようで、そこら辺は流石に貴族である――で原因を探り始めた。
しかし、今に至るまでミカエラの病、その正体は分かっておらず、故に治療法も分からぬまま、ミカエラは床に伏している。今では十数日に一回、しかも数時間目覚める程度で、このままでは目覚め無くなってしまうのでは無いのかと、医学知識に明るく無いアウレニアでも危惧していた。
事態に変化が訪れたのは半月程前の事らしい。
アウレニアが庭の掃除をしていると、とある男が屋敷に訪れた。男は良質な布が使われた、しかし裾がえらく解れた外套を身に纏っていて、頭からずっぽりとフードで覆い隠していた。男はフードの中からぎょろりと目を向けて、こう言った。
「私は王国東部防衛騎士団の皆様方に依頼されてこちらへ来ました。『王宮医術師』のホメロスと申します」
男の声は随分嗄れていて、応対したアウレニアには聞き取りづらかったのだが、しかし男がそう言ったのは確かだ。なにせ、男は証拠とばかりに外套の下から一枚の紙を取り出したのだから。その紙は、先程男が名乗った役職の証明を記した書類だった。
元より藁にも縋る現状。男の雰囲気は怪しいものだったが、東部と王国のお墨付きとあれば疑う余地もあるまい。アウレニアは男をミカエラの下に通した。
「ミカエラ様の病を、私は知っております。一時期、とある土地で流行った悪病に良く似ている。大方、晩餐会などで罹ったのでしょう。しかしご安心を。治療法はございます。ただ、この病は感染力こそ弱いのですが、人に移ると厄介だ。どうか、この部屋に屋敷の人間を入れませんよう。また、私は今日よりミカエラ様の治療に入ります故、この部屋に滞在させて頂きます」
そうしてミカエラの部屋は使用人達の立ち入りを禁じる事となった。程無くして東部の人達が屋敷に色々な物を持って来るようになった。「王宮医術師に持って来る様に命じられた」物の数々は、今日もまた屋敷に届けられている――。
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「これが今のヴァレニウスの実情でございます」
「――それで? 私達とどう関係があるって訳?」
アウレニアによる話を聞き終えて、ミーナは短く冷たく、突き放す様にアウレニアに言い放った。その言葉に含められた意味は、彼女の立場に同情こそ示せど、しかし自分達は無関係であるといった決別の宣言だ。――エリス達第三班がセルディールに居るのは、飽くまで東部の副団長であるエルヴェからの依頼に依る物なのだから。
だが、決別を受けた筈のアウレニアの顔色は飄々とした物だった。言った本人であるミーナこそが、怪訝な顔色へと移り変わる。
「でもね、ミーナ。話はそれで終わりじゃない。今のはただの導入であって、彼女の話は寧ろ僕達の本筋とほぼ同一なんだ」
「どういう意味?」
イライアスの言葉にミーナは顔をそちらに向けず、声だけで問い質した。それを皮きりにまず、フレドリックが口を開く。
「一つ目、王国には『王宮医術師』なる役職は存在しない。あるのは『王城医薬術師』。王国では『王』の冠を許可なく用いるのは王国・王家への不敬として重罪だ。よって、その男の肩書きは詐称となるね」
次にイライアスが続く。
「二つ目。酒場で商人達に、街中でご婦人達に聞いた所、近頃東部の人間が何やら買い漁っているらしい。種類はバラバラで、しかも後払いを強制して来るから性質が悪いと愚痴愚痴とぼやいていたネ。後、買い漁るにしてもえらく執心な店が五軒程あるらしい」
五軒――それは丁度セシリアが挙げた怪しいと言った店の数だ。エリスがセシリアの方へ視線を向けると、彼女もまた同じ考えだったようで、無言の趣向が帰って来る。
その二人を余所に、最後にエディが報告を告げる。
「で、三つ目だ。店の中に綺麗な緑色の宝石で作られた彫像がある店があったんだ。手の平サイズで随分出来が良くてな。でも、他に売ってる様子は無いし、そもそも、その店が取り扱ってる売り物とは少し趣が違う。で、聞いてみたら、『東部の騎士が試験的に渡して来た、防犯用の結界を張る魔道具』だと。その周辺の店にはそんなもん無かったのに、そこだけってのが少し怪しいよなァ」
各々の報告を聞き終えて、ミーナは腕を組んで沈思黙考の姿勢に入る。一方でミーナとは違う意味で、エリスはただ沈黙に落ちていた。
フレドリックは持ち前の知識の幅広さで。
イライアスは相手の口を軽くする事で。
エディは経験から来る独自の着眼点で。
そして、セシリアは彼女独自の魔術の知識で。
エリスには出来なかった情報収集を容易く行う。実際にはエリスが想像するよりも彼らは苦戦した末に情報を集めたし、自分の持つ情報が無益なゴミで無いと分かったのはアウレニアと合流し、彼女の話を幾許か聞いてからだった。
――現時点では点と点だが、この点は必ず繋がる点だ。
エリスが驚き、習得すべきはこの直感に至らしめた彼らの蓄えた経験にこそであり、彼らの情報収集能力自体を盲目的に尊敬するのは些か的外れである。そもそも、それを言うなら彼らの本来の役目は情報収集では無いのだ。「王国の雑用」として日々、色々な事をさせられる内に身に付いた悲しい能力であり、本来なら余り騎士には必要無い能力だ――それでもある事に越した事は無いし、そう考えるのが王都防衛騎士団の面々なのだが。
「アウレニア、覚えてる限りで良い。東部の奴らが持って来た物を紙に書いて。イライアス、エディ。さっき話に上がった店の確認をしたい」
「かしこまりました」
「勿論だとも」
「おうとも」
思考を終えたのか、ミーナは今度は一転して捲くし立てる様に言葉を飛ばし、各人に指示を出す。その姿を見て、エリスもまた自分のやるべき事を再確認する。
出来ない、は既に知っている。
やれるを探すのがエリスのすべき事だ。
「まぁ、やっぱりって感じだよね」
イライアスの呟きに、室内の全員が同調する。
机の上にはセシリアが緑色の丸を付けた地図が広げられており、その地図に向けてエディとイライアスは指を差し示していた。その位置がそのまま、緑色の丸の位置だったのだ。
「で、気になってたんだけど。この丸って何?」
「――それも踏まえて、今判明した事をまとめましょう。現状、この五軒の店の商品が東部の手でヴァレニウス家に滞在中の『王宮医術師』とやらの元へ送られている。この五軒には東部から結界の魔道具が渡されている。この結界は感知程度で、防犯って名目にしては不自然な上、この五軒だけに渡しているのは明らかに作為的。東部の連中はこの五軒を筆頭にセルディールの商品を買い漁っていて、後払いを強制されている商人たちが絶えない……こんな所?」
確かに点と点が繋がり、線となった。ただ、その線が織り成す画がまだ見えない。線の数が足りないのか、見方が悪いのか。どちらにせよ、これだけでは謎の行動を東部が取っているという話で終わってしまう。それでは――、
「……」
アウレニアの表情に陰りが差す。
彼女の焦燥は理解出来る。彼女の優先事項はエリス達とは違う。エリス達が「闇商」を追うのに対し、彼女が求めるのは「ミカエラ」だ。件の医者を捉えるだけなら容易いだろう。
だが、謎の行動を取る東部の真意や、「王宮医術師」が行う治療と称しての何か。それらが分からない事には怪しい人間を捕まえただけに終わる算段が高い。件の医者が何を行っているのか――それを詳らかにしない事には、ミカエラの安全は揺れ動いてしまう。逆に言うなら、件の医者が如何に悪人であろうと、ヤブと頭に付こうと、究極的にはミカエラを治せるならそれも有りだ――そんな風にアウレニアは考えているのかもしれない。
アウレニアの陰りに考えを巡らせ、同情と思考を脳で同時に奔らせていると、エリスは不意に一つの疑問にぶつかった。
「――東部の副団長はこの話を知ってるんでしょうか?」
「……どういう意味?」
ミーナがエリスに聞き返す。エリスは自分の疑問を形にしながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「えーと、僕が、その、牢に居る時に。副団長との話し合いがあったらしいじゃないですか。その時のあらましは既に聞きましたけど、その時の会話の一部が気になって。『副団長、エルヴェの命令を聞く者は、東部の二割程度だ』――こんな感じで合ってますか?」
エリスの考え。その発端を為したのはヴァレニウス家を取り巻く、件の医者と東部の関係性だ。
「王宮医術師」と「王国東部防衛騎士団」が何らかの繋がりがあるのは確かだ。だが、彼らの関係は傍から見る分には随分と不透明だ。
「二割程度って言うか、二割居るかどうかって言ってたけどね。……それが?」
「命令を聞くのが二割なら、命令を聞かないのが八割ですよね。でも命令を聞かないってのはどのレベルなんでしょう?」
例えば、治療の話はどちらから持ち出したのか。「王宮医術師」が自らを売り込んで来たのか、東部が見つけて来たのか。
本当に治療しているのか――東部の行いは献身なのか騙されているだけなのか。
考えても分からないが、それ故に幾らでも考えさせられる。
果たして東部と言っているが、それはどこまでを言うのだろうと。
「東部の、ヴァレニウス家に滞在する医者への支援体制。これって『八割』の独断って事はありませんか?」