16 怪しいお店
「ほらあそこ。厳ついおじさんが立ってる店。見える?」
数分も歩かずしてセシリアは立ち止まった。彼女が指差す先を見る。そこにあるのは特段、周囲と違い無い建物だ。灰色の石材で作られた直方体の建築物。二階構造で、一階が商店用の空間になっている。看板を見た所取り扱っているのは、滋養効果の高い代物一般――鹿の角や薬草などらしい。ちらりと中を覗き見ると、棚に如何にも身体に良さそうな物が並べられているのが見える。
「見えるけど、それが? 特に怪しい物を売ってる様に見えないけど」
エリスからすればそれが全てで、件の店に怪しさを見出す事は出来ない。確かに取り扱っている売り物は、普段の生活で余り見ない類の物ではある。だが、それがすぐさま怪しさに繋がるとは到底思えない。
店から自然に遠ざかり、遠くに店の形が見える位置にまで離れる。十分に店から距離を取り、相手からこちらが見えない事を確認すると、セシリアは声を忍ばせてエリスへと疑念を打ち明けた。
「違うの、エリス。私が気になってるのは立地と配置。これを見て」
そう言って、セシリアは一枚の地図を取り出す。紙に描かれていたのはセルディールの街並みだ。詳細に建物一つ一つが記され、商店の名も漏らさず記載されている辺り、恐らくは大衆に向けての物では無く、東部の騎士達が使っている地図だろう。その地図に何やら緑色の丸が点在している。
「この緑色の丸がある所、これが私が怪しいなぁって思ってる所なの。この緑色の丸がある所は全部商店なんだけど、そのどれもに結界が張られてたんだよね」
「結界?」
「そう、結界。って言っても強いやつじゃ無くて、多分、許可していない相手が侵入したら術者に伝わるって位の、防犯レベルの結界だと思う」
結界とは外と内を隔てる魔術の総称だ。セシリアの言う様にちょっと便利な侵入感知程度から、対象を未来永劫捕える隔絶の結界まで、その効果と種類は千差万別、らしい。らしいと言うのは、エリスにとってその手の知識は本で読んだだけに過ぎず、実体験も伴っていない又聞きに劣る知識だからである。エリスが日々、就寝前に行っている読書は確かにエリスに知識を齎しているが、その知識が聞きかじりの域を出ていない事もまた確かなのだ。
故に、目の前にいる専門家に話を窺う――もとい、話を続けて貰う。
「でも、商店なんだから盗難も強盗もあり得ると思うんだけど。だったらその結界があっても別に良いんじゃ……」
「ん、そこがおかしいんだよエリス。盗難、強盗対策に結界を張るってのは分かるけど、それだったら感知じゃ無くて警報にしてると思うの」
「警報? 感知?」
「警報は侵入したら音だったりで周囲に知らしめる結界。感知は術者が侵入を知るだけの結界。盗難や強盗対策ならどう考えても警報一択だと思うの。見た所商店の結界は魔道具で展開してた。魔道具の相場を考えても警報で良い筈なのに。なんで感知なんだろ?」
確かに不自然だ。
防犯の観点から考えて結界を張るまでは分かる。商人にとって売り物とは、血肉に勝る人生の欠片だ。セルディールには東部の連中が常駐しているとは言え、自分で出来る対策は自分でしようという考え方は大いに賛同出来る。故に結界自体の正当性はある。
だがしかし、ならばセシリアの言う通り警報にすべきだろう。警報の結界が実際にどんな効果なのかは実体験を持たないエリスにはイマイチ掴みかねるが、恐らく鳴子の強化版の様な物だろう。誰かが侵入すればそれを周囲に知らせる――役割から考えてそう遠くない筈だ。侵入者の存在を周囲に伝えられるなら近隣の人間が駆け付けるだろうし、他でも無い東部の騎士もやって来る。そうなれば防犯としては十二分な役割だ。
しかし現実は十二分どころか不十分。感知では侵入者の存在を知り得るのは結界の術者――商人一人のみ。商人一人が侵入者を捕まえに行って返り討ちにあっては話にならないし、侵入者を感知してから東部の騎士に知らせるなら端から警報にすれば良い。
つまり、商人達がこぞって感知の結界を張っている事には、些かの不合理が見え隠れしている。
「私が気になってるのはそれだけじゃないの。この緑色の丸――つまり結界を張ってる商店は全部、セルディールの地脈が集まっている場所なの」
「地脈?」
「セルディールが元々、帝国軍を魔術で迎撃する為の砦だったのは覚えてる?」
セルディールに入る前、入町申請の合間にエディとセシリアから受けた解説だ。確か銃なる武器を用いて攻めて来た帝国軍に対し、銃の利点を打ち消すと共に、魔術での殲滅を目論んで造られた砦だと聞いた。
「セルディールは魔術の使用を前提に作られた砦――だから、セルディールは魔術的に好ましい立地に建てられたの。魔術的に好ましい土地って言うのは何の魔術を主に使うかとかで違うんだけど、当時の王国は地脈の密集度を重要視したみたい。えーと、地脈ってのは世界に流れる魔力の流れみたいな物ね」
「世界にも魔力って流れてるの? いや、そもそも魔力についてあんまり知らないんだけどさ」
「魔力は、人の生命力に指向性と志向性を与えた力かな。世界に流れてる魔力には志向性は無いけど、無の指向性が与えられてるの。だから、世界の魔力は自分の生命力を消費せずに調達出来る、大きな魔力源って扱い。まぁ、世界の魔力は手軽に扱うには大き過ぎるし、一箇所に集まらないから実用性は低いんだけどね。ただ、逆に言えば一箇所に集まって、そもそもに必要な魔力量が多い魔術を使うなら最高のエネルギー源になるんだけど」
「噛み砕いて言うと?」
「すっごい大きな魔力が集まる土地にセルディールは建てられてて、王国は帝国の撃退にそれを使ったって話」
エリスの理解力ではギリギリだったが、何とかセシリアの話を頭に叩き込む。詰まる所、王国は帝国の撃退に際し、魔術の迎撃を強化する為に、魔術的に都合の良い土地にセルディールを建てた、という話だ。
その話自体はセルディールの解説の延長線上みたいな物だが、果たしてそれが現在の懸念にどう繋がるのか。
エリスの視線を感じたのだろう。セシリアはうんと頷くと話を続ける。
「で、地脈が集まっているセルディールだけど、中でも一層地脈が集まってる地点もある訳。地脈の偏りって言うか、そんな感じ。その集まっている地点の上に建っている商店が――」
「この緑色で丸されている所って事か……」
「そう、セルディールにある地脈の集まった地点五つ。その全ての上に商店が建ってあって、その商店だけが結界を張ってるの」
やっとセシリアの抱く疑念に追い付く。
防犯にしては不十分な結界。
地脈の集合地点の上に建つ商店。
確かに二つの符号が一緒にとなると看過出来まい。一つ一つの違和感ならまだしも、それを全て統合するとどうにもキナ臭い。周囲の商店との差異が尚更、件の商店五軒の怪しさを際立たせる。
「怪しくない?」
「怪しいね」
魔術の知識を持ち合わせ無いエリスですら、そう思う。セシリアはエリスよりも怪しいと思っているだろう。
結界を張っている五軒の商店。
その存在を、二人は地図越しにじっと見つめた。