15 辛苦
「悪いね、聞くなら他を当たってくれ。……はい、お待たせしました。それで今回のご用件は――」
「そう、ですか。ありがとうございました」
肩を落として店を出る。往来の人々は気持ち早足で行き交っていた。取引、商売の地であるセルディール――そこに来る人も居る人も、基本的には商人だ。
時は金なり。拙速を尊ぶ商人達は足を止める事をせず、余計な些事に時間を取られるのを嫌う。無駄話に現を抜かしている間に、商談を一つ逃すかも知れない。そう考えたなら人生に、それも日も高い日中に立ち止まる時間など在りはしない。
現に後ろを振り返れば、出て来た店の中では店主と取引相手が握手を結んでいた。どうやら商談成立らしい。おめでとう、と素直に思えない。
それも当たり前で――
「もう十は越えたかな、断られたの……」
エリスによる調査は一切の進捗無く行き詰っていた。
往来の人々に溶け込みながらエリスはこれまでの結果を振り返る。
まず始めに宿を出て、エリスは聞き込みの指針として、聞き込みの対象をセルディールに店を設けている商人とした。
今回の任務は東部の副団長、エルヴェの覚えた違和感に端を為している。それは確証が無いに留まらず、実際の被害や影響が出ていない――少なくとも表だって現れていない事に繋がる。セルディールに常に居る、しかも管轄権利者の東部の人間ですらこれなのだ。聞き込みをするにしても、無暗な聞き込みでは大した情報も得られまい。そうとくれば、少しでも情報量の多い人間へ聞くに限る。
そこで、セルディールに居を構えている商人に目を付けた。セルディールは商売の為だけに作られた、言わば飛び地の市場である。その性質上、人の出入り行き交いの頻度は他所に比べて圧倒的に多い――裏返せば、セルディールに留まる商人が少ない筈。即ち、道行く商人に声を掛けたとしても、彼らはセルディールにおいては新参者に等しく、内部事情に詳しい訳が無いのだ。仮に定期的にセルディールへ取引に来る商人を捕まえられたなら、それはそれで有益な情報が期待出来るだろうが、しかし何処に居るとも分からない彼を捕まえる位なら、端からこの地に腰を下ろして居を構えている商人へ出向く方が易い。
そう考えた末での、セルディールに店を持つ商人への聞き込みだった。
だが結果は十を超えての拒否。商人という、もはや一種族とでも捉えるべき彼らの生態への理解不足が祟った。
やり方を変えなくてはならない。
そう考えるも妙案は一片たりとも生まれず、時間を浪費してやっている事はセルディールの巡回――という体のただの散歩だ。エリス程度の警戒では誰が怪しいかなど殆ど分からず、逆にエリスが分かる程度なら早々に東部の人間が見つけている。つまり、情報収集に駆り出るしか手が無いエリスが巡回に興じている時点で、それは体面の良いサボタージュにしか過ぎないのだ。
「こんな筈じゃあなかったのに……ぐぬぬ」
一人悔しさに呻きを漏らす。
こんな筈では無かった。己の内に燃える情熱、それを抱いて飛び出し、颯爽と役目を果たす――今回だと有益な情報を持って第三班と合流を果たす。それがエリスの描いたあるべき未来図だった。それがどうだ。有益な情報どころか無益な情報すら有りはしない。精々が「セルディールの商人は不親切だ」なんて、個人の偏見に塗れた感想程度。とんだ無能じゃないかと、思わず自嘲気味に変な笑みが零れる。
周囲の商人が気味悪がって遠ざかるのが視界の端に映った。
――あんた達が素直に話してくれたら良いだけなのに。
周りへの無差別な陰鬱の感情が湧き起こる。と、そこへ。
「エリス? 調子どう?」
「――ん? え、あぁ。セ、セシリア、久しぶり」
「? 久しぶり」
目の前に現れたセシリア。彼女の登場に先までの悪感情は霧散し、動揺にしどろもどろとなる。同時に頭がすっと冷え、先までの悪感情に恥じ入る。商人達の拒否は彼らにとって当然の物。それを恨めしく思い、あまつさえ怒るなどあってはならない。
自身の感情を自身で持って悔い省み、一旦の区切りの後にセシリアへと意識を向ける。そこにはエリスを訝しげに見る顔があった。目の前で不審な対応をしたと思えば、突如の沈黙からの百面相。怪しむなという方が難しい。
「セシリアの方はどんな調子?」
気持ち声を張ってセシリアに訊ねる。セシリアの懐疑の視線を変えるには話題の提供が一番だ。それも食い付きが良く、話を繋げやすい物が良い。そうなると現状を踏まえるにこれが最良だ。
最良の筈、だ。
ごくりと喉が鳴る。
「……うーん。私はあんまりかな。ちょっと気になる所はあったけど。エリスは?」
「いや、僕の方は全然。気になる所すら無かったよ。で、セシリアの言う気になる所って?」
「何て言ったら良いのかな……。やけに都合が良い立地って言うか。仕組まれた配置って言うか」
「都合が良い? 仕組まれた? それって誰が?」
「分からない。分からないけど、人為的な物だとしたら魔術師の仕業に違いないよ」
何とか会話を繋げる事には成功した物の、セシリアの言葉から不穏な影が滲み出る。ただ、元より魔術の知識に乏しいエリスには彼女の言わんとしている事も、危惧している事も分からない。それでも彼女が何かに警戒心を抱いている事は確かだ。
――セシリアはエリスとは違い、この雑踏の中で怪しい物を怪しいと思える存在だった。
つまらない思考だと重々承知だが、しかしこんな所でもエリスとそれ以外の面々の格差は存在している。追い付き、その存在こそを守れるまでになると決めたからこそ、無力の自覚は欠かせない。だが、如何に強く意思を固めようとも、自分の無力を見せられるのは辛い。
意思の強さも決意の固さも関係無い。辛い物は辛い。
だから――、
「セシリア、それについて教えて貰っても良い? セシリアの考えてる事は多分分からないだろうけど、でも知っておきたい。何も知らないよりは知っておきたいから」
「うん、良いよ。後で皆と合流した時にも話すつもりだけど、先にエリスに教えとこっか。……話しだけじゃ伝わり辛いだろうから、巡回を兼ねて現場を見ながら話すね」
辛さをぐっと堪えて、今出来る事をするしかない。辛い、苦しい――それを喚き散らすだけなら誰でも出来る。その辛苦を堪えて、誰よりも苦難に立ち向かう道にこそ、エリスの目指す皆の背中はきっとある。
エリスはそう信じて止まない。
故に、ここで今。出来る事をするのみだ。とは言え、その出来る事が「セシリアに説明を乞う」事なのだから情けない事この上無いのだが。
「その情けなさも、堪えるだけだ」
エリスの呟きは、雑踏の足音に消えた。