11 セルディール内部
「でも、不思議ですよね。たかだか町に入るのに申請を一々出すなんて」
セルディールに入った後、目的地までの移動は馬車を入口近くの厩舎に駐めての、徒歩での移動となった。一行はミーナを先頭にして、セルディールの街並みに入りこんで行く。
エリス達が今歩いているのは、セルディールただ一つの入口――入口とは言え普段は壁と一体化している、細工と厚みのある鉄で外界と遮断している代物だ――から伸びる、セルディールで最も大きい中央通りである。
セルディールの町並みは余り多様性の無い、似た雰囲気の建築物が続く。建築物は石造りで、直方体が綿々と並んでいる。石は青みがかった白色で、それが一層無機質な冷たさを演出している。一階部分が往来へ開かれた作りの物も見られ、そう言った場所は商店として開かれているようだ。
商店には客が殺到している訳ではないが、客が居ない訳でも無い。ただ、その客の様子も一般大衆という感じでは無く、業者同士の買い付けと言った感じだ。
「うーん、セルディールは少し特殊だからね」
「特殊ですか?」
自分から疑問を持ちかけておいて、他に意識が向いていたのを慌てて戻す。そうして視線をやると、フレドリックはどう言った物かと思案している所だった。
「エリスは、王国と帝国、それに共和国の三国が、互いに互いの国交を『あえて』断絶させているのを知ってる?」
「はい、ハキーム条約ですよね。大戦後、自国を極度の衰退から持ち直す為に設けられた条約で、互いの文化、物流を敢えて断つ事で、自国能力の向上を図るっていう」
「四十点かな」
「あれ?」
渾身の解答が空振りに終わり、エリスは肩透かしの思いを味わう。毎夜の読書の成果をそのまま持ち出したのだが、フレドリックはお気に召さ無かったらしい。
「そもそも、国土回復を謳うなら、それこそ国交は終戦後、即刻回復させるべきなんだよ。例えば帝国では金属加工を、王国では魔道具などを、共和国では作物をって感じで、互いに補って行けば、回復は早まるからね」
「でも……」
「そうはならなかった、しなかった。当時の情勢がそれを許さ無かったんだ。当時の三国は本当に疲弊しきっていた――中でも軍事力の低下は著しかった。仮に他国が侵攻してきたら、抵抗など毛程も出来ないと思える位に。だから、ハキーム条約は『不可侵条約』ってのが本質で、エリスが言ったのは国として国民に流した、意図的にイメージを植え付ける為の話だね」
フレドリックの言葉に多少の驚きと、本だけの知識では、実態との擦り合わせが上手くいっていない事があるのだと痛感する。確かにエリス自身、ハキーム条約については違和感があった。ただ、本に書いてあるからと、半ば盲目的に信じ切っていた側面はあったように思う。
知識が単独でしか存在していないからこそ陥る短絡的な勘違い。本来なら既知の情報と照らし合わせる事で、新規の情報と既知の情報、どちらが正しいかを人は考える。ただし、その既知の情報が圧倒的に不足しているエリスでは、照らし合わせ自体が行えず、結果、情報をただ飲み込むだけになってしまう傾向にあるのだ。
自分は人より不足しているからこそ深く考えなくてはならないのだと、エリスは強く自分に言い聞かせ――
「国が意図的にそう言った話持って行ったのは、やはり当時の世論的に問題があったって事ですか?」
早速思考の果ての結論をフレドリックに伝える。フレドリックは満足げに笑顔を浮かべ、今度は合格点を貰えたのだとエリスは内心喜んだ。
「そうだね。当時の国民としては、辛く長い戦争がやっと終わったって時だった。だから国民は『終戦』って言葉を求めていたんだ。だから、『不可侵条約』って言葉はあえて使わず、『ハキーム条約』って言葉で取り繕ったって感じかな」
「でも、不可侵条約でも意味的には同じじゃあ……」
「意味的には、ね。でも分かりにくい。国民は分かりやすい言葉が欲しいんだよ。『不可侵』って響きだと、入って来ないってだけで、戦争が終わったってイメージに欠けるでしょ? 」
フレドリックの言い分に理解と不服が半々の割合で胸中を駆け巡るが、エリスは何とかそれを呑み込む。フレドリックの言葉自体が分からない訳ではない。ただ、同じ意味を別に置き換える必要性、置き換えた所で本質的な変化は無いではないかという疑問、それらが合わさった故に起きただけの不服――フレドリックに由来しない感情である以上、フレドリックにぶつけるのはお門違いに過ぎるというのが、エリスの考えであった。
――そう言った他人に対して一歩引いた思考こそ、ミーナの言う「年少組」二人の集団で生きる上での課題とも言える悪癖なのだが、セシリアに自覚が無い様にエリスにもまた、その自覚は無い。
「で、話を戻すと。セルディールはそんな国交断絶関係にある帝国との仲にあって、唯一帝国人の入国が認められている土地なんだよね。厳しい入砦申請は中に入った人間の動向を完全に把握する為。密入国防止って事だね」
「密入国……」
フレドリックの言葉を反芻しながら、エリスは改めて往来の人々を見渡す。言われてから意識すると、何だか日々見ている王国の人々とは少し違う雰囲気の人が混じっている気がする。具体的にどこが違うかと問われれば、エリスの拙い人間観察能力では明言出来ないのだが。
ただ、エリスの拙い人間観察でも見つけられる事もある。例えば、ここに居る人間の種類だ。人種や国籍では無く、もっと大雑把な括り――ここに居る人間の殆どは、何らかの「取引」を目的としている。
「ここは貿易拠点って事ですか」
「うん、そうなるね。ハキーム戦争後、三国は国交を断絶させた。それは偏に自国を守る為だったけど、それは同時に他国の技能からも遠ざかってしまった。国交は回復するには早い。でも、他国の技能は欲しい。そう願った結果が、この局地的、そして閉鎖的に設けられた貿易拠点って話だね」
「良い所取りを目指した結果って言う風に聞こえますね」
「まぁ、実際そうだからねぇ」
エリスの言葉にフレドリックが苦笑いを浮かべるのと、先頭を歩いていたミーナが足を止めたのは同時だった。不意に止まった歩みに、エリスは視線を前へ向ける。
そこにあったのはセルディール内に君臨する、もう一つの「砦」だ。壁は無い、無論覗き穴も無い。建築物としての装いはセルディール内では平々凡々で、精々周辺の建物より少しばかり高い程度だ。ただ、その中に詰めている人間こそが何よりの「壁」なのだ。
物理的な壁の代わりに、研ぎ澄まされた戦闘力が。
覗き穴の代わりに、街並みの塵芥にまで目を光らせる歴戦の瞳が。
何よりも強固な監視役となって、セルディールを内より見張る。
その建物に居る者たちこそ、「王国東部防衛騎士団」の騎士達だ。
「これは……」
エリスは無意識であったが、他の騎士団が自分達の騎士団に向けるのと同じように、他の騎士団をある種見下していた節があった。それは低俗とも卑賤とも思える彼らの視線が根底の原因にあり、能力的な観点では無く、人間としての物であったが、見下していた事に間違いは無い。
そして見下しは、見縊りにも密かに繋がっていた。
それが今、眼前の衝撃に崩壊する。
あの目を、あの手を、あの立ち振舞いを見て、それでも彼らを見縊るなど、エリスには到底出来ない。彼らの身を包むのは確固たる自信と、それを裏付ける強さだ。
エリスには無い、強さだ。
「呑まれない」
フレドリックの声が耳元でくすぐる様に過ぎ去りその感覚に身体を震わすと、エリスは自分以外の面々が、既に目の前の建物へ入らんとしている事に気付いた。同時に、自分が入口に立っていた見張りの騎士の圧力に圧倒され、その場で木が如く立ち竦んでいたのだと気付く。フレドリックの言葉が無ければ、きっと明日の朝日をこの場で見ていただろう。
それ程までの、彼我の格差だった。
「何用か、ここは王国東部防衛騎士団、セルディール支部である」
見張りの騎士が声を重厚な声を挙げ、ミーナへと訊ねる。手は腰の剣に伸び、不届き者ならばすぐさま斬り捨てると、言外の忠告があった。当事者で無いエリスですら息を呑む、剣気。日頃悩ませる「自動防御」が不意に飛び出そうなまでの、肌に突き刺さる剣気だ。
しかし、ミーナはその尋常ならざる剣気を羽虫程度にあしらい、見張りの騎士に一枚の紙を突き付ける。
「あんたらの所から出された依頼書。私達は、依頼主であるあんたらの副団長に会いに来ただけ。通して」
ぶっきらぼうな物言いに、低く冷たい声。剣気に堪えず、敵意か判断に迷う悪意を浴びせられ、騎士の剣気が一層膨れ上がる。険呑な場面に、エリスはフレドリックによって解放された硬直へと再度舞い戻ろうとしていた。
そんな時――、不意に見張りの騎士が笑った。その笑みをエリスは良く知っている。記憶が「始まり」、ラルフに拾われ、そこからずっと見て来た奴らの顔に、ずっと張り付けられていた表情――人を見下し、見縊り、小馬鹿にし、侮蔑する。
「知らんなァ? 貴様ら何処の馬の骨だ?」
その笑みの名を、「嘲笑」と言う。
エリスの精神は怒りに染まり、自分の奥底で何かが切り替わったのを感じた。
「――っ」
途端、全身の筋肉が爆発したかの様に駆動する。足は大地を蹴り抜き、腰は敵へ振り抜く攻撃に向けて回り、手は勢い良く抜いた武器を握り締め、腕は躊躇無く敵へと振り抜かれた。
手中にあるはシャーロット作の業物、「自己満足」。
柄が刀身を侵食している異様な見た目のその武器は、エリスの意思を如実に反映し、今は手足の延長線上として働いている。大事な仲間を愚弄した、罪人を切り裂く為の力として。
セシリアはおろか、イライアスやエディ、フレドリックですら反応出来ない速度での一撃。完全に意識の狭間を突いた、不意に不意を重ねた奇襲。防ぐのは愚か、反応すら許さない刹那の中で――、
「――ばか」
小さく、擦れる様な、でも少し嬉しそうな声を聞いた。視界の端で何かが煌めく。一条の光は視界を瞬く間に過ぎ去り――。
エリスの視界は闇に落ちた。