6 愛し子
断続的に続く甲高い音が、エリスの耳に戻って来る。現実逃避の旅を終えたエリスの目の前には、旅依然と同じ光景が広がっていた。
エリスが選んだ二つの素材は今、シャーロットの手によって何らかの加工が為されている最中である。二つの素材の内の一つ、特に特徴らしい特徴も無かった金属の板は、炉で熱せられ、シャーロットの手により形を変え、その身体を真っ赤にしながら流線型のフォルムを手に入れつつある。
では残りの一つ、これまた目立つ点の無かった楕円の種は何処へ言ったかと言えば、熱に燃える金属の中である。どろりと柔らかく、そして何より炎の様に熱くなった金属に、シャーロットは土に埋めるかのように種を植え込んだのだった。
つまり、二つの素材は今一つになり、シャーロットの手によって何らかの完成形に向かっていると言える。その完成形を知らないエリスには作業の進捗は分からないが、しかし既に丸一日以上の時間が経過しているのは確か――出来ればもうそろそろ完成して欲しいとエリスが願うのも無理は無い。
エリスがそんな弱気にも似た感慨を抱いた、その時だった。エリスの身体を自分以外の心臓の鼓動が広がる様な、そんな奇妙な衝撃に晒されたのは。
「な、んだろ、これ」
鼓動は始めこそ弱弱しく、しかしどんどん力強くなっていく。自分以外の心臓の鼓動――その正体を求め、エリスは自分の身体をまさぐり、辺りを見渡して、その果てにエリスは本能的な部分で気が付いた。何て事は無い。鼓動の主は目の前に居たのだ。
鼓動の主、それはシャーロットの手によって新たな生命を得ようとしている、目の前の武器――否、「赤ん坊」だ。「赤ん坊」は産声を上げる前段階とばかりに、生命を得る大前提とばかりに、幻想の心臓を跳ねさせていたのだ。
驚愕と納得が不思議と同居する感覚にエリスが気付かされた、次の瞬間。エリスが認識するのを待っていたかの様なそのタイミングで、「赤ん坊」から緑色の光が溢れ出た。光は室内を塗り潰す様に照らし、視界全てを奪い去っていく。エリスも思わず目を閉じる。
目を閉じて。
次に目を開ければ。
煌々と輝く炉の炎に照らされ、床に悠然と突き刺さる一振りの武器があった――生まれていた。
際立って長く無く、かと言って短くも無い。持ち手と刃が二対三位の割合で構成された、一本の刃物だ。
刃は両刃で、気持ち良い位に真っ直ぐ伸びている。。持ち手は黄土色をした木製。刃と持ち手の接合部分に木の根の様な物が纏わり付き、強く接合されているのが見ただけで分かった。
影に溶け込む色をした刃部が、炎の光を受けて鈍く反射している。その揺らぎの姿はまるで、影が誘っている様だ。
――エリスの足は無意識のうちに踏み出されていた。一歩目が出れば、自然と二歩目も出る。そうなればエリスの意思は半ば無視され、自身の両足は機械的にエリスを前に運んでいく。その傍ら、エリスは「自分の足は動けたのか」などと言う、どうにも奇妙な感想に支配されていた。
傍から見れば、その足取りは夢遊病者かの様に見えただろう。それ程までにエリスの足取りは怪しかった。
考えれば当然で、エリスは丸一日以上も立ち続けていたのだ。
ただ、立ち続ける。それだけの消極的な行動。しかし自重を支えるだけであっても存外、身体は予想外に疲労するのだ。それが一日以上――エリスの足は限界と言っても過言ではない。
それでもエリスの歩みが止まらなかったのは、エリスが目の前の物に魅入られているからと言えるだろう。魅入られ、見入っているからこそ、エリスは自分の疲れすら認識の外に追いやっていた。
怪しい足取りでも、遅い歩みでも。歩き続ければ、いつかは目的地に辿り着く。エリスは平時であれば数秒の道のりを数分掛け、やっとの事地面に刺さる刃物の前まで辿り着いた。
「エリス、抜くんだ。――迎えておやり」
長時間の作業の疲れを感じる、しかしそれを越えた慈愛に満ちたシャーロットの声に従い、エリスは持ち手に両の手を添えた。柄に触れている部分から、温かい物が流れ込んで来る。それはぬるま湯の様な感触をした、形も色も姿も無い、生命の波動その物とでも呼ぶべき物だった。
「はっ!」
短く息を吐き、渾身の力で引き抜くと、呆気ない軽さで刀身は床から離れる。勢い余って思わず崩れそうになった体勢を維持しながら、エリスは自分の手にある一体感と違和感に困惑していた。
手に良く馴染む、自分の身体の延長線上の様な一体感。
にも関わらず、自分とは異なる存在に覚える違和感。
全く同じ絵なのに違う絵に見える様な、全く違う絵なのに同じ絵に見える様な――ちぐはぐな体感。
相反する感覚が同時にエリスの内側を駆け巡り、理性を飽和状態に追い込む。一方で、本能はそんな感覚をいとも容易く受け入れてしまうのだから、ここでも矛盾している感覚に苦しむ事になる。
「どうだい、気分は?」
それでも、悪い気はしなかったから。
エリスはシャーロットの問いに満面の笑みを向けた。