4 無礼な狂人
「ほーん。で、そいつがこの前言ってた新入りってワケ?」
「おう、エリスだ」
エリスとラルフ、そしてシャーロットの三人は今、シャーロット工房内に申し訳程度に設けられていた、応接用の空間で向かい合っていた。「応接間」では無く「応接用の空間」と称したのは、そこと作業用の空間の間が壁で隔たれておらず、机一つと椅子が四つしかない、気休め程度の安らぎ空間だったからである。
机の脇にはエリスがセシリアと買い出した荷物の数々が、山の様に積まれている。
「ふーん、そいつが。……で、『型破り』はどうするのさ?」
「置いて行くから、勝手に手入れしておいてくれ」
エリスには何が何だか分からない道具達が、暖炉の様な物を中心に所狭しと散乱している。暖炉の様な物は、恐らく火を起こし、金属を溶かしたりする設備なのだろうが、未使用の今は薄らと灰を積もらしている。いつも元気な人間の溜息を見てしまった瞬間、それに近い感情をエリスは抱いていた。窓から差し込む光で、室内の光景が茜色に染まっているのも、エリスに哀愁の念を抱かせた原因かもしれない。
「ったく、手入れ位自分でしろってぇの」
「はいはい、面目ございませーん」
ラルフは耳を塞ぎ、ふざけた調子で言い放ちながら席を立った。そして、エリスの肩を軽く叩いて、耳元に口を寄せる。
「それじゃあな。ちなみに、シャーロットの言う事は、よっぽどの事が無い限り全て従え。そうじゃないと、あいつに一生武器を作って貰えなくなる。じゃ、頑張れ」
それだけ言うと、ラルフは机に大剣を立て掛けて、えらく広くなった出入り口から帰って行く。今まで蚊帳の外(だと決め込んでいた)エリスは、唐突にシャーロットと二人っきりにされた事、ラルフの言葉に只ならぬ嫌な予感を感じながら、とりあえずとしてシャーロットの方を向いた。
果たして視線の先では、エリスに鋭い視線を向けるシャーロットの姿があった。何も言わず、ただ、エリスをじっと見つめる――と言うよりは睨んで来る。
「あ、あの……」
「黙って」
「……はい」
蛇に睨まれた蛙よろしく、無力なエリスには何も出来ない。強いて出来る事と言えば、こちらに視線を向けて来るシャーロットを、エリスもまた見返すだけである。
シャーロットは紅い、紅い髪をした女性だ。炎の様な髪を頭で一つに結っている。それでも尚腰辺りまで届く長さなのだから、髪を下ろせば随分な長さになりそうだ。
造形は整っている――と言うよりは、端的に言って美形の部類だ。所々にある火傷跡と厳つい目付きを除くなら、特に彼女の容姿に欠点らしき欠点は無い。火傷跡は仕事柄、目付きは性格故と考えるなら、生まれ持った容姿は不平等なまでに完璧だと言えよう。そんな女性が武器工なんてやっているのだから、世の中は分からないものだ。
「……」
「――」
視線の交差は続く。そろそろ息苦しさも頂点を極め、事実、エリスの呼吸はおろそかになり始めていた。息の詰まるでは無く、現実に息を詰めていた。
視界がぼやける。白み始めた視界の中で、シャーロットの紅が夕焼けの赤に溶けて行く。
溶けて、溶けて――不意に紅が笑った。
「良いねェ」
「え?」
久方ぶりに出した疑問の声に、エリスの忘れ去られた呼吸が連鎖反応で思い出される。突如湧いて出た心肺の苦しさに眉を顰めつつ、エリスはシャーロットの次なる言葉を待った。
「良いね、実に良い。自分の無力を恥じ、狭量を恥じている。醜悪な感情を自覚し、一方でそれを自分にすらひた隠しにしている。そんな目を、してる」
「な、何を――」
咄嗟に否定の言葉を紡ごうとして、しかしシャーロットの目を見てしまうと、それ以上言えなくなった。
この世で一番欲しかった物を見つけ、自分だけがどうとでも出来る――純粋な好奇心と人の心を覗く快感。その二つが同居した目を見てしまえば、エリスは指の一つすら動かせなくなった。
「自分が嫌いだ。周りの皆と比べる度に、自分の弱さを痛感させられる。でも、周りの皆は良い人ばかりだから、彼らを憎む事も呪う事も出来ない。そして、他人を比較対象に持って来る自分と、勝手に比較しておいて他人に悪感情を抱こうとする自分が許せない。そんな、『色』をしてる」
否定の言葉なら幾らでもあった。
何せ初対面の相手だ。出会ってから数時間が経過しているとは言え、何時間は気絶していたし、残りの大半もラルフと喧嘩していた彼女だ。ロクに会話を交わしていない彼女に、不躾にそんな事を言われる筋合いは無い。ラルフから彼女に従う様に命じられているとは言え、反論する選択肢もあった筈だった。
しかし、エリスの口はぱくぱくと開閉を繰り返すばかりで何一つ、言葉どころか声の一つすら出せない。それは心のどこかでシャーロットの言葉を認め、あまつさえ、自分すら否認していた本心を明かしてくれた救世主に、奥底に沈んでいた悪感情が歓喜の声を挙げていたからだ。
今何か一言でも言葉を出そうものなら、それは感謝の言葉になってしまいかねない。
そう自覚しているからこそ、そしてそれを認める訳にはいかないからこそ、エリスは黙る事しか出来ないでいた。
そんなエリスとは対照的に、シャーロットの舌は元気に動く。
「他人を見れば、自分の嫌な所をも見てしまう。だったら他人を見なければ良いのに、それもしない。何故なら、最も恐れているのが孤独だから。孤独を味わう位なら、自分を嫌いになる。そうやって、自分で自分を痛めつける。そんな匂いがする」
シャーロットの口が歓喜に割れる。髪の色よりも更に紅い、血の色の舌が表に現れる。
「だから、良い。自分の中の柱が無くなりつつある人間に、私の『子供』を捻じ込む事で変異させる。そいつの存在を私の『子供』に捧げさせる。これ以上の快楽がこの世にある訳が無い! ラルフはいつも良い仕事をする。駄目人間を連れて来る事に関して、あいつ以上の腕を私は知らないねェ!」
夕焼けに染まる室内に、人外染みた笑い声が反響する。普通なら耳を塞ぎたくなる、不快な笑い声。しかし今のエリスには、そんな笑い声が安らぎの音色に聞こえた。
自覚はある。おかしい、狂っている。
それが分かっていながらも、優しく甘い彼女の辛辣な言葉は、エリスの中心から喜びの感情を無理矢理に引きずり出す。
「エリス、エリス! お前に私の『子供』をやろう! お前だけの武器を与えてやろう! 今までのお前はここで死ぬ。私の手で! お前を! 生まれ変わらせてやろう!」
どこまでもエリスを乏しめ蔑み、ずけずけと心に踏み込んで来たシャーロットの放った誘い。
理性が、常識が、倫理観が警鐘を鳴らす。
それでももう、エリスに「本心」を止める事は不可能だった。動かなかった筈の口を動かして、エリスはその言葉を吐き出した。
――彼女と同じく、真っ赤な舌を覗かせて。
「是非とも」
窓の外はいつしか、真っ暗になっていた。