2 嫉妬
ミーナに対して弁解する事およそ一時間。随分と遅れて、エリスとセシリアの二人は王都の街並みの中に居た。
石畳の大通りを所狭しと人々が行き交っている。人でごった返す状況に翻弄され、エリスはセシリアとはぐれまいの一心を胸に、人混みをすり抜ける様に歩くセシリアを追う。
エリスとセシリアの歩く速度は目に見えて差があった。それも無理からぬ事だ。まず、エリスは王都にまだ慣れていない。かれこれ、ラルフに拾われてから二カ月と少し経つとは言え、日頃騎士団の訓練などがある事を考えると、エリスはそれほど王都を歩いていない。土地勘は元より、ただ人波を抜ける事も満足に出来ないというのが現状だ。
更に言うなら――と言うよりこれが最大の原因だが、エリスの両手には大小様々な袋が吊り下げられている。それはどれもがミーナから渡された「買い物メモ」に書いてあった物々で、詰まる所、荷物持ちとされているエリスと、身軽なセシリアでは移動速度に差が出るのは必然と言えた。
「次は、ここだね」
セシリアはそう呟くと、看板が良い味を出している店に入って行った。エリスが何とか店の前まで追いつくと、買い物を終えたセシリアが中から袋を抱えて出て来る。
「はい、エリス」
気軽な一言と共に、更なる枷がエリスに与えられる。エリスはそろそろ埋まりつつある両手に四苦八苦しつつ、何とか荷物を抱え上げる。この調子で行けば、後二つも店を回れば、エリスの両手は完全に埋まってしまいそうだ。たまらず、エリスはセシリアに進言する。これで後、二軒より回る店が多いと言われたなら、何としても宿舎への一時帰還を認めて貰う他無い。
「セシリア、一旦荷物を置きに帰らない?」
「えー、後二軒位回れば終わりなのに?」
計った様に、謀られた様に、買い物メモが示す項目は、二軒程で収まりが付く物であった。なまじ自分で基準を立ててしまった後、エリスは苦々しい笑顔で、セシリアに着いて行くしか無かった。
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「よし、後は帰るだけだね」
メモに何度か目を通し、漏れが無い事を確認すると、セシリアはうんと頷いて後ろを振り返った。そこには両腕を円にし、高く袋を積み上げたエリスの姿があった。
「もう終わり? よし帰ろう、すぐ帰ろう。いつまでも人混みに居ても仕方が無いしね、ほら、なんの益も無いしさ。ほら、ラルフ達が待ってるよ。帰ろう、帰ろうよ」
もう、相当に限界なのだ。高く積み上がった袋の塔は、頂点が不規則に小さく揺れている。腕、と言うよりは体幹が限界を迎えつつある。早々にこの荷物を下ろさない事には、大惨事が起こってしまう事間違い無しだ。
「そ、そうだね。帰ろっか」
鬼気迫る声色で、しかし表情は無と言う、明らかに異様なエリスに内心たじろぎつつ、セシリアは引きつった笑顔で応えた。
普段の訓練ですら弱音を吐かない。自分の領域内ならば、全て自分なりにこなそうと試みる――それがセシリアから見る、エリスへの心評である。そんな彼の衰弱ぶりに、セシリアは悪い事をしたかな? と内省。先が見辛いであろうエリスを先導する形で、セシリアは雑踏への先陣を切った。
街行く人々も、あえてエリス達に近付こうとはしない。ちょっとでもぶつかる事は、そのまま道に荷物を散乱させる事に繋がるからだ。セシリアの先導、通行人の配慮もあって、エリスは自分の腕の中だけに集中する。
――それが不味かった。
大人達が避けて通っている。それはつまり人々で密集している通りにあって、そこだけが開けている事を意味する。無論、その用意された空間はエリスとセシリアが通る為の物だが、しかし、狭い世界に夢中な子供にはそれを察する事が出来なかった。
一人の少年が走って来た。片手には木の棒きれを握っていて、少年の後ろ、少し遠くでは少年を追い掛ける少年と同年代の子供が数人見える。それだけを見れば微笑ましい、子供達の日常だが、少年が後ろを振り返っていて、尚且つ都合良く見つけた雑踏の空白に身を躍らせ、更にセシリアの視界外から不意に飛び出して来たのが不運だった。
「あ」
セシリアが遅れて少年を認識して、次に起こる惨状への思いを込めて短い声を上げた。何事かと、エリスはセシリアの方へ意識を向けるも、前方の視界は荷物で埋まっている。エリスは見えぬ視界に見切りを付け、セシリアに何があったか聞こうとして、――膝の辺りに衝撃を受けた。
「わあぁっ!」
何とか保っていた、不安定の中の安定である。視界零の環境がもたらした完全な不意打ち。少年の衝突は決定的な崩壊をもたらした。
エリスに姿勢を保つ事など出来やしない。衝撃に身体が弾かれ、少年とエリスは互いに尻餅を着いた。痛みと予想外の事象に思考を奪われたその一瞬、頭上では天高く解き放たれた荷物達が空中での停滞を終え、今にも降り注がんと落下体勢に入っていた。その数十数、一つ一つは大した重さで無いが、しかしその数、加えて落下となれば、エリスは度外視しても、少年の怪我は必至である。
目に見える惨状の未来。彼らの周囲を歩いていた人々からも、息を呑む音が聞こえた。その時――
「大地よ」
セシリアの呟きに彼女の身体が赤褐色の光を帯びる。それと同時に、彼女の声に呼び起こされた大地がぶるりと震え、石畳を引っ繰り返しながらそれは現れた。その様はまるで土の噴水。不規則な地点から土の奔流が噴き出すと、それらは空に根を張る様に広がった。網目状に伸びた土の奔流は次第にスカスカだった隙間を埋め尽くし、瞬く間にエリスと少年を半球状に取り囲む土のドームを形成する。
それは同時に、エリスと少年の視界を暗闇に落とし込む事を意味した。眼前の理解の外の現象に、ただでさえ脳の処理速度が追い付いていなかったエリス――と少年――は、遂に状況から完全に置いて行かれる。
「腕よ」
そんな彼らを余所に、セシリアがまたも世界に命じる。すると、今度は土のドームがぶるりと震え、ドームを構成している土を分かち、幾数かの土の腕をドームから生える様に作り出した。完全な無生物、無機物から生える、嫌に生々しい幾本の腕。その光景は非現実的であれど、粘土人形が打ち捨てられたアトリエの一角と言えば少なからず伝わるかもしれない。
その土の腕達は、空中での最高到達点を過ぎ、自由落下を控えるのみとなった荷物達に伸びて行く。一つ一つの荷物を余す事無く掴み、拾い上げ、最後にセシリアの脇に積み上げる。
エリスがドーム外の音に困惑が限界に達しかけた頃には、全ての荷物はセシリアの下に集まっていた。無論、荷物もエリス達にも何一つ被害は出ていない。唯一の被害と言えば捲れ上がった石畳だが、それは団長がどうかしてくれるだろうと、セシリアは随分都合の良い脳内結論を出した所で、
「大地よ、元の居場所に戻れ」
働き者の土にお暇を出す。その途端に土の腕はドームに吸収され、土のドーム自体も全体を蠢かせながら、石畳の隙間から元あった居場所に戻って行った。お尻からへたり込んだ上に狼狽していたエリスと少年の姿が、白日の下に晒される。
「二人共、大丈夫?」
身体に残滓の様に浮かんでいた赤褐色の光を払い、呆けている二人の元へセシリアが駆け寄って来る。まずは少年へ、次いでエリスへ。二人が無傷である事を確認すると、セシリアはほっと安堵の息を吐いてから、少年の前にしゃがみこんだ。
「ちょっとたくさん荷物を持ってて、君達を避けられなかったの。ごめんね。でも、君達も前を見て動くんだよ?」
最初に謝罪、最後にささやかな忠告。それに柔らかな笑顔のおまけとくれば、少年に文句を言う心が残る筈も無く。少年は「僕達もごめん」と素直に謝り、そのまま仲間達の元へ帰って行った。事の顛末を心配そうに見つめていた周囲の人々も、一通りの安心を見取った事で、つい先ほどまでの人行き交う雑踏へと戻った。
「エリス、大丈夫?」
ただ、エリスだけは。簡単に戻れてなどいなかった。
身近で起きただけの超常現象であった彼らとは違い、エリスにとってはセシリアの新たな一面を見た出来事だったからだ。
いや、この言い方も正しくない。セシリアが魔術を使える事自体はエリスも既知の事柄なのだから。故に正しくは、「セシリアの魔術への認識不足、それに対しての困惑が未だ抜けきっていない」となる。良く知っている、そう思っているからこそ、新たな一面を見た時の衝撃は大きい。
「いや、大丈夫だよ。ごめん、さっさと宿舎に戻ろうか」
エリスは困惑を押し殺して、心配そうに見つめるセシリアに笑顔を向けた。上手く笑えているか自信は無かったが、どうにかセシリアは騙されてくれたようだ。セシリアはエリスに笑顔を返すと、さりげなく幾つかの荷物を拾い上げ、エリスへの負担を軽減させた上で帰りの先導を再開した。
そんなセシリアに自身の知る彼女を見てどこか安心感を抱きつつ、同時に、エリスは心の奥で何かが痛むのを感じていた。