エピローグ
「セーシーリーアー、もうそろそろ許してよ。お願いだからさぁ」
「ふんっ! ミーナなんか大っ嫌い」
時は夕食時。
食堂には夕食を食べに、わらわらと人が集まっている。日中の訓練の疲れからか、皆が皆、器まで齧りつかんばかりだ。
とは言え、一日も終わりに近づき、まともに顔を合わせるのが殆ど最後とだけあって、食堂には騎士達のざわめきが満ちている。ざわめきは本当にどうでもいい話から国際情勢の話まで、各々が興味のある話をしているだけ、という感じだ。
そんな中、一際大きい声があると視線を向けると、そこに居たのはミーナとセシリアである。ミーナは食事そっちのけでセシリアに謝り倒しており、セシリアはミーナとは対照的に、ミーナの方を一切向かずに黙々と食事を口に運んでいる。普段ならあり得ないミーナの低姿勢に、見た者は皆、一瞬の間動きを止め、すぐさま視線を逸らす。
――見てはいけない物を見てしまった。
それが、その光景を見た者が抱く、共通の思考だ。
「ねぇ、セシリ――」
「ごちそうさま!」
食事を終えた挨拶をミーナの台詞に割り込ませ、そのまま食器の乗ったお盆を手に、セシリアはミーナの下から離れてしまった。後に残るのは何とも言えない表情で、謝罪の体勢のまま固まったミーナだけである。そこへ、
「……まだ許して貰って無いんですか?」
入れ違いでエリスがやって来た。エリスは長机にお盆を置いて、それからミーナの隣に座った。お盆には中身の入った食器がある。どうやら、今から食事であるらしい。
「遅い食事ね、また厨房の手伝い?」
「はい、忙しそうだったので」
正式に騎士見習いの肩書きとなってエリスは、以前まであった様々な雑務から解放されている。本来なら厨房を手伝う必要など無いのだ。しかし、厨房のおばちゃんにえらく気に入られている事、そしてエリス自身が炊事を嫌いで無い事が合わさり、時折忙しそうなのを見ては手を貸している事がある。今日もそういった、お節介焼きの後であった。
「それより、さっきも言いましたけど。まだ許して貰って無いんですか」
折角変えられた話を戻され、ミーナの表情に些かの不服さが差す。エリスはそれに苦笑いを浮かべつつ、スープを口に運んだ。
――ブレポスでの一件。それはエリスに多大な影響と変化を与えたが、何もそうであったのはエリスだけでは無い。
事件の中心から最後の最後に除け者にされたセシリアは、有り体に言って拗ねた。帰りの道中も、王都に戻ってからも、常に「拗ねてます」と顔に張り付けていた。ブレポスの事件から既に一週間が経っている。それはつまり、ミーナは一週間以上もセシリアに許して貰っていない、という事だ。
「あ゛ー。何だよ、何だよぉ……。あいつらは許してもらったのにさぁ」
机に突っ伏して、頭を両手で掻きながら、ミーナは愚痴を零す。ミーナの愚痴に、やはりエリスは苦笑いを浮かべる以外無い。ミーナの隣に座らなきゃ良かった――そんな気持ちが俄かに湧き上がる。
セシリアが拗ねている、というのはエリス以外を指しての事であり、つまりエリス以外の第三班の面々に程々の憤りを抱えていたという事である。もっとも、今現在。第三班の面々でセシリアから許されていないのはミーナだけである。
エディは王都に着くや否や、セシリアを食事に連れて行く事で。
イライアスはエディの翌日に、流行りの首飾りをあげる事で。
フレドリックはつい二日前に、花をあしらったお手製の小物ポーチをあげる事で。
各々がセシリアの機嫌を窺いつつ、巧妙にして姑息に許しを得た。機微を察した迅速な対応が功を奏した、とも言えるだろうか。
「まぁ、セシリアも多分、もうそこまで怒ってませんよ。引っ込みが付かないだけじゃないですか?」
いつまでも隣で唸られていては食べ辛い。エリスは堪らず、ミーナに助け舟を出した。
「引っ込みがつかないだけ、ねぇ……」
頭をちょっとだけ上げて、ミーナは視線だけエリスの方に向けて来た。エリスはその目から逃げる様に視線を逸らしつつ、ふと、抱いていた疑問を投げかけた。
「そう言えば、ミーナさん。実は聞きたい事があるんですけど」
「そう、私は言いたい事無いですケド」
ミーナはそれだけ言って再度突っ伏した。これではミーナもセシリアと同じみたいな物だ。エリスは溜息を吐いて、それからミーナに代替条件を差し出す。
「――セシリアとの間、仲立ちしましょうか?」
いつまでも不仲だと、正直言って周りも迷惑なのだ。訓練中や日常の一コマ、どれを取っても常に視界に不機嫌な顔があっては、気分も悪くなる。
「ふん、一丁前に交換条件って訳。……まぁ、良いでしょう、何が聞きたいの」
ミーナは少し考える素振りを見せてから、エリスの要求を呑んだ。
「ブレポスの事件についてです。ミーナさん達は何故、村長――元村長、ジーアが犯人側の人間だと分かったんですか」
セシリア同様、事件の中心から最後の最後で外されたエリスは、結果こそ知れど、細かい経緯を知らない。ジーアが犯人側の人間であった事は「事実」として知っているが、何故、そうなったのかが分からないのだ。
「うーん……。期待されている所悪いけど、大半は直感だよ。誰かの手の上で踊らされている、そんな気持ち悪さがあった。だから、色々な違和感と、直感ありきの判断だったって訳。でも、根拠らしい根拠を強いて挙げるなら、ジーアとブレポスの村民、彼らのブレポスを荒らした犯人に対する人数のズレ、だね」
「人数の、ズレ?」
「ブレポスの村民が言った目撃情報は、一貫して『ディック』を指した物だった。口を噤んでいる人も、見たのがディックだから口を噤んでいた訳だろうから、ブレポスの村民は人狼病感染者をディック一人しか見ていない事になる。でも、ジーアは私達が最初に挨拶に行った際、小麦畑を荒らしたの犯人を『そいつら』だの『奴ら』だの、つまり複数居ると断定した言い方で言っていたでしょ? 根拠らしい根拠と言えば、これになるのかな」
一人を見たと、複数見た。相手を指す表現のズレ。それが、ミーナがジーアを怪しいと思った根拠であったらしい。言うなれば、既に情報を知っていたからこそ生じたズレであり、そこを見逃さなかったミーアの観察力は正しいのだが、しかし、それだけで相手の隠された真実を見抜いたのかと、エリスは息を呑んで驚いた。本人曰く直感が大半だと言っていたが、それもあながち嘘で無いのだろう。直感前提の推察、と言った所か。
「……驚いてくれている所悪いけど、さっきも言った様に殆ど直感だったからね。あの時の最優先事項としては、ブレポスの村民の安全確保。次点で人狼病感染者の掃討。最後に犯人の確保。分かる? あそこでジーアが犯人側で無かったとしても、どの道、私はジーアを訊ねていたよ。村人を一ヶ所に集める為にね。結果としてあいつが犯人側の人間で、尚且つあいつの口から人狼病感染者の大体の規模が分かった。それだけ。多少の偶然が上手く働いただけ」
ミーナの言い分は騎士団の在り方を表している。
騎士団は飽くまで国内外問わず、王国の敵から、王国を守る為にある。それはエリス達の所属する王都防衛騎士団でもそうだし、他の騎士団でも共通の理念である。言うなれば、守る事が最優先であり、敵を捕まえる事は最優先で無い。無論、捕まえられるなら捕まえるべきだし、故に臨時の拘束権においては騎士団にも認められている。しかし、否、だからこそ、逮捕権は認められていない、という事になる。
「……ジーアはどうなるんですかね」
「さぁ? 私達には関係ないからね。まぁ、人狼病感染者――つまりは魔獣の悪用、村民の安全保護の義務放棄、被害者支援法の虚偽申告。罪状を挙げればキリは無いでしょうし、死刑、無いし永久投獄って所じゃない?」
「……なんか、後味悪いですね」
暗い話にエリスの頭が気持ち、項垂れて下がる。ミーアはそちらにちらりと視線を向けると、溜息を吐いてから早口に捲くし立てた。
「そんな物だよ、騎士団の仕事なんて。……ラルフの言葉を借りるなら、『傘は濡れる運命にある。何故なら使用者を雨から守る為だ』って所だね。私達は王国を守る盾であり、砦。私達は必然、王国の汚い物を被る運命にある。それが辛いと思うなら、誰かをその汚い物から守ったって思えば良いんじゃない?」
それだけ言うと、ミーナは席を立った。良く見ると耳が真っ赤で、自分でもらしくない事をした、と思ったのだろう。気恥かしさからか、せかせかと食堂を出て行く。
「そう、ですね」
エリスは既に見えなくなったミーナに、小さく答えて、食べるのを忘れていた夕食を再開した。既に幾分と冷えていた筈だが、何だか、随分と温かい気がする夕食だった。
これにて一章完結です。
ここまで(もしくはこの回だけでも)読んで下さってありがとうございます。