22 あなたを助ける為に
「記憶喪失? セシリアが?」
「うん。私が記憶を失ったのは七年前。私は七年前にそれまでの記憶を全部失った。何も分からない、何も知らない、何も無い世界に、私は突如生まれた」
エリスは思わず息を呑んだ。確かにエリスの抱く苦悩において、「記憶喪失」という要素の比率は大きい。もう一つの苦悩、「自分の過去が背負う業への恐怖」を除けば、最も大きい物になる。
しかし、エリスは自分の苦しみが誰にも理解されない物だと思っていた。思い込んでいた。だが、目の前の少女は、自分と同じ苦しみを胸に抱いていたのだ。怒りのままに当たった自分の矮小さに、エリスは自責の念に駆られてしまう。
「もう一回言うね。エリスの苦しみは幾らか分かるつもり――だからこそ。エリスが昔の私と同じ様に苦しんでいるなら一層の事、私はエリスを助けたい。でも、私は相手の事を知らないで助けられる超人でも、相手の事を知らないで信用出来る聖人でも無い。だからね、エリスが何か辛い事を抱えているとしたら、それを一番に私に教えて欲しい。その上でエリスの力になりたいって、私は思ってる」
真っ直ぐな視線がエリスに注がれる。セシリアの言葉は実に献身的だ。しかし、それは一方的な奉仕も、無責任な甘言も意味しない。相互扶助こそがセシリアの言葉の核にある。相手を一方的に助けるのではなく、相手が差し出して来た手を目一杯引っ張り上げる。それがセシリアの望む、エリスへの助け方だ。
後はエリスが手をセシリアへと伸ばすかどうかだけだ。躊躇っているエリスへと、セシリアが後押し、もしくは追い打ちをかける。
「ちなみにね。私が記憶喪失って知ってるのはラルフだけ――今はエリスとラルフの二人になったけど」
「え? 他の皆は?」
「騎士団の人達も、第三班の皆も、私の記憶喪失の事は知らない。家を飛び出た子供って事になってるから。……まぁ? そんな大事な秘密をエリスには明かした訳だし? 少しはそこら辺を汲み取って欲しいかなぁと思ったり?」
意地悪な笑みを浮かべて、セシリアはエリスに何とも居心地悪い毒を吐く。先に言うだけ言って、暗にお前も言えと訴えかけてくる。素直に詰問されるよりも尚、一等性質の悪い手法だ。エリスは観念した様に両手を挙げて、溜息を吐いた。
「降参、降参。セシリアって案外良い性格してるよね、本当に」
「ありがと、そんなに褒められると照れちゃう」
セシリアの笑みに、エリスも弱った様に笑って、それから真剣な目へとなった。唾を飲み込んで喉を潤し、息を吸い込んで心を決める。今までの優柔不断な自分、判断を先送りにしていた臆病な自分、それらへの決別の意味を込めた懺悔への覚悟を。
「――僕も話すよ。怯えて抱えて毎日を過ごすのも、そろそろ限界だったんだと思う。だから、セシリア。僕は話すよ。僕が秘めていた苦悩の全てを。――僕は精一杯、セシリアを頼りたいと思う。手を伸ばしたいと思う」
「うん、私はその手を全力で引き上げる。ラルフも言ってたでしょ? 『俺達を信じろ。信じたらその分お前を守る』って。『それでいつか、お前が俺達を助けてくれたらいい』って。今は私がエリスを助ける番。だから、思う存分手を伸ばしてね」
――エリスは話した。
自分の身体が戦いに際して勝手に身を守る様に動く事。それに気付けば、自分の過去が闘争の中に居た証拠とも言うべき事が幾らか浮かぶ事。それによって生じた、自分の知らぬ過去の自分への恐怖に震えていた事。それ故に、騎士団の中で自分の居場所を欲するにも関わらず、どこか及び腰になっていた事。
セシリアは相槌こそ打つものの、黙って聞き続けてくれる。エリスはそれに感謝して独白を続けた。一度口火を切れば後は勢い良く出る物で、今まで溜め込んでいた物が止め処なく溢れ出る。
そして――独白は森の中での話に進む。