17 囮作戦
「確かにそれは気になるね。他の人を見た時には逃げたのに、ダニエルさんには襲いかかった理由かぁ」
第三班の面々は早速件の木の場所に向かう――事は無く、一旦ダニエル宅、セシリアの元へと戻った。ダニエルとセシリアの居る部屋に入ると、中では絶賛、セシリアがダニエルに治療の魔術を掛けている最中であった。青白いのに温かさを感じる光がセシリアの手から迸り、部屋全体を包んでいる。
セシリアの邪魔にならない様に気を付けながら、別れてからの事のあらまし、そしてついでにエリス自身が抱いていた違和感を説明すると、セシリアにもエリスの違和感はちゃんと伝わった様で、不思議そうに首を捻った。
「へぇ……。エリス、そんな事考えていたんだ」
エリスの発見に驚いたのか、ミーナは目を丸くしている。ミーナ以外も少なからず感心している様子で、幾らかエリスを見る目が変わった様に思える。一方、ミーナはと言うとぶつぶつと何かを呪詛の様に呟いていた。
「うーん……どうしてダニエルさんだけ襲われたんだろ? どこに差があるんだろ? 人狼病、魔獣、魔力、魔素――魔素? ……それかも!」
セシリアが唐突に、声を大にして跳ね上がった。晴れ晴れとした表情は、何か方策を閃いたからか。その声の大きさは叫びに近い物で、治療魔術の光の中で眠りに就いていたダニエルもうっすらと目を開けた。
「う、うん……?」
「あ、ごめんなさい。でも丁度良いや! ダニエルさんってパンを作る時に『スウェル』使うよね!」
「え? ああ、勿論。スウェルが無いとパンが膨らまないからね」
「そっかぁ。それで」
セシリアは独り満足そうにうんうんと頷くと、ダニエルに寝る様に促してからエリス達の方へと勢い良く振り向いた。
「分かったよ。ダニエルさんが、ダニエルさんだけが襲われた原因。スウェルが原因だったみたい」
「「「「スウェル?」」」」
ミーナ、エディ、イライアス、フレドリックが揃えて疑問符を浮かべる。エリスだけが食堂での仕事の際に使った事があり、スウェルが何かを知っている為に最初こそ疑問符を浮かべていなかったが、それが何故ダニエルだけが襲われた原因に繋がるか分からずに、結局は疑問符を浮かべた。
とりあえず確認の為に、エリスは自分が知るスウェルと同じか意思疎通を図る事にした。
「スウェルって、パンを膨らますのに使う粉?」
「うん、その粉だよ」
「それがどうして、ダニエルさんだけが襲われた原因に?」
パンを膨らますだけの粉が、何故惨劇を招く鍵になったのか。日常に親しみある一道具に物騒なイメージは皆無だ。
エリスと疑問を共有したミーナ達は、やっぱり疑問符を浮かべざるを得ない。その回答を持っているのはセシリアだけだ。更にセシリアに訊ねる形になるのは必然だ。
とりあえず話の流れを踏襲して、エリスがセシリアに続きを促す。
「で、スウェルが何で原因になったの?」
「スウェルってそもそもパンをより膨らみやすい様に改良した魔道具――つまり魔法で練成した物になるんだよね。ほら、ルシオルみたいな。で、魔道具はその過程の上で魔素っていう成分を多量に含む事になるの。でも、この魔素っていうのが曲者で、実は厄介な効果を一つ持っているの。それがズバリ、魔獣を引き付けるって効果。人狼病感染者は一応『魔獣』。で、パン作りをしているダニエルさんの身体にはスウェルがたくさん付いていた筈だから、ダニエルさんを襲った人狼病感染者はそれに釣られて来たのかも」
魔素とはそもそも、魔術を行使する際に用いる魔力等に含まれる元素を指す。既存の物質に魔術を用いて新たな性質の変化を加える魔道具にも当然、魔素は含まれる。ルシオルにもスウェルにも当然魔素は含まれている。
スウェルはパンを作る上で欠かせない材料の一つだ。これが無くてはパンは膨らまず、もちもち感もふわふわ感も生まれない。となれば、パン屋を営むダニエルはスウェルをその身に多量に付着させる事になる。それが今回の悲劇を招いたのだ。
ダニエルだけが人狼病感染者に襲われた原因は分かった。後はこれからどうするか、だ。
「でもそれが分かったからって何か変わる訳じゃ――」
「いえ、大きく変わると思います」
ミーナが違和感の解消に満足しつつも、現状の膠着に不満足を顕わにしている所へ、エリスが口を挟んだ。エリスの顔にはいつもとは少し違う、何か企んだ悪戯小僧の様な笑みがある。
「スウェルを使うんです。スウェルには人狼病感染者を引き寄せる性質がある。なら、これを使って人狼病感染者を釣って、そこに奇襲を掛けて捕まえるんです。これなら捜す時間も大幅に削減出来て、数的有利を確実に出来るかもしれません」
「なるほど、ね」
ミーナは神妙にエリスの提案に頷く。エリスの提案はスウェルの性質を、魔素の性質を逆手に取った物だ。魔素が魔獣を呼び寄せるならば、呼び寄せてしまえばいい。その上で有利な側に立てば良いというだけだ。
ただ、問題となるのはスウェルの使い方になる。有効に使うにはどうすればいいか。エリスの頭にはその方策が既にあったが、それをミーナに言うのは少し憚られる。何故なら反対されると分かり切っているからだ。それでも、エリスは意を決して言葉を繰り出した。
「ミーナさん。スウェルの使い方ですけど」
「うん」
「僕の身体に浴びせましょう。つまりは囮です」
エリスの提案はダニエルの状況を意図的に再現しようという物だ。ダニエルの代わりにエリスがスウェルを身体に付着させ、生餌とばかりに目標を誘う。目標がエリスに釣られれば、そこを残りの第三班の面々が奇襲する形で挑めば、比較的低リスクで目的を達成出来るに違いない。
エリスが囮を志願したのは単純な理由だ。
奇襲の攻撃力を最大限に活かす為に志願した――のでは無い。エリスが囮を志願したのは自己満足の為だ。セシリアはダニエルの治療を行い、ミーナ達には戦う力がある。エリス以外は全員、やるべき事を出来る力がある。
ただ、エリスだけが。
何かをしようと思っても、何も出来ない。
――疎外感や無力感に近い感情。エリスはそんな重く湿っぽい心で、ずっといた。
「あんた、何言ってるか分かってる?」
「分かってます」
ミーナの鋭い視線がエリスに刺さる。今まで――訓練の時でも見た事が無い鋭さだ。思わず臆してしまいそうになるが、エリスは歯を食い縛って耐え忍んだ。
「団長は言いました。騎士は弱き者を守る存在だと。僕だって『騎士』です。僕は強くは無いですけど、それでも僕も誰かを守りたいんです」
「本気?」
「本気です」
ミーナの視線とエリスの視線が真っ向からぶつかる。もはや睨み合っている、とすら言える様相だ。ミーナとエリス、互いの瞳の中に互いの瞳が映り合う。視界の端ではセシリアの心配そうな顔が見えた気がしたが、エリスの意識に入り込む隙は無い。ただ、エリスは全身全霊を視線に込めて、ミーナの視線に負けじとするので精一杯だ。
どれ程の時間が経っただろう。
数分か、十分以上か。ともすれば数十分――という事は無いだろうが、エリスにして見ればそれ位に思える時の長さだった。
不意にミーナの視線が横に逸れ、間髪置かず、溜息混じりに諦めを匂わせながら口を開いた。
「……認める、認めましょう。でも最後に。エリス、囮となる事がどういう事か、考えた上での言葉なんだね?」
「はい」
「なら良いでしょう――エリス、あなたの意思を尊重する」
ミーナの言葉を持ってして、エリスを囮とした「人狼病感染者捕獲作戦」が決定となった。