15 八方塞がり、降り注ぐ光明
「クソッ、てんで駄目だ!」
荒い口調でミーナが毒づく。それを見る第三班の面々も、勿論エリスも、内心では全くもって同じ気持ちだった。
――ダニエルの完全な治療には人狼病発症者の血液が必要である。
その為、ダニエル宅で家主の治療に臨むセシリアを除く第三班が始めに行ったのは、人狼病発症者の行方を捜索する事であった。
何せ、ブレポスは周囲を小麦畑や山々に囲まれた田舎の農村である。隠れる場所、逃げる場所は幾らでもある訳で、行方の当てを絞る為には目撃情報が非常に有効かつ重要な要素だったのだ。にも関わらず、村人に聞き込みを始めて早一時間。目ぼしい情報は何一つ無い。
第三班には立ち止まる時間など無い。何故ならダニエルの患う人狼病は初期症状の内にしか完治が出来ず、その時間がたったの半日程しか無いからだ。
血液を半日掛けて手に入れたのでも話にならない。そこからセシリアの元に届け、治療を行う時間があるからだ。現実的には半日よりも短いのは当然で、セシリアの治療の時間やその他諸々を考慮すると、長く見積もって十時間が関の山だろうか。期待に塗れた計算ですら十時間である。その内の一時間を既に浪費してしまったのだ。
「こうなったら手分けして、村の外へと繰り出した方が良いかもしれませんね」
フレドリックが尻すぼみに、誰と無く呟く。フレドリックの提案はこの現状では致し方無いが、しかし最終手段としておきたい類の物だ。何せこの提案の実態は効果も効率も低く、それに何より、交戦能力と安全性の低下を孕んでいる。
人狼病発症者は全身の筋肉、中でも四肢が異常に発達する。謂わば人の域を出た化物だ。事実分類上、人狼病発症者は「人に仇なす災禍の権化」とされる「魔獣」の分類となっている。それだけで無い。人狼病発症者は体液から他者を感染させる事を忘れてはならない。体液とは今求めている血液であったり、唾液であったりする。つまり、人狼病発症者に噛まれただけでも感染するのだ。
もし仮に。誰かが一人探索中に人狼病発症者を見つけて交戦になり、その結果、感染した上に深手を負ったならば。その誰かは深手の為に村に戻る事も助けを求める事も出来ず、そのまま新たな人狼病発症者となってしまうかもしれない。仮にとは言えこの可能性、またはそれに近い可能性は高く、危険な作戦になるのは見え透いている。
勿論、第三班、詰まる所王都防衛騎士団の面々である彼らは日々の訓練に裏打ちされた、常人ならざる戦闘力の持ち主である。如何に相手が化物であろうと遅れは取るつもりは無い。ただ、看過出来ない危険が孕んでいる以上、妙案とはならないのだ。付け加えて言うならば、第三班にはエリスの存在がある。エリスは防御こそ優秀だが、攻撃はてんで駄目だ。つまり、戦いは出来ない。エリスの存在もまた、この提案を遠ざける要因の一つなのだ。
もっとも、飽くまでエリスは要因の一つであり、他にも大きな問題が一つある。ズバリ、探索範囲の広さだ。ブレポスは控えめに言っても自然豊かな村で、身も蓋も無く言うなら小麦畑以外は野山ばかりのど田舎な農村だ。そんな中をセシリア除く第三班の面々――たったの五人で探すのは土台無理な話だろう。先程の戦闘の危険性も加味すれば、単独行動を許したとしてもエリスは誰かとセットで無くてはならず、実際は四人の様な物だ。ただでさえ低い発見率が下がる。
フレドリックが尻すぼみに言ったのもそれらが分かっていたからだろう。だが、フレドリックの提案が苦肉の策であれど、唯一の方策になりつつあるのも事実。第三班は選択を迫られていた。
「どうする……」
ミーナの独り言が静寂のブレポスに響く。最終的な選択は班長であるミーナが下さなくてはならない。如何に八方塞がりでも、絶望的状況でも、リーダーは決断を迫られる。
理想は理想、現実は現実。
人手は十二分どころか、圧倒的に不足している。
目標の在り処は全く分からず、包囲網は愚か、逆に奇襲されかねない。
時間は有限。悩む時間も、無い。
そしてそのプレッシャーを理解していても、エリス達はミーナの選択を待つしかないのだ。それが班員である。
「――騎士団の皆様、でしょうか?」
ふと、呼び掛けられた声に一同が振り向くと、そこには数人の村人の集団があった。彼らは悲壮な決意に満ちた顔をしており、内心また何ぞ起こったかと心構えをしていると、
「お話があります。内密に、決して口外しないとの条件で、お話があります」
集団の一番前に立っていた老人が静かに言った。エリスは老人の顔に何やら見覚えがある様な気がして、記憶に思考を走らせる。すると、ささやかな疑問の正体はすぐに明らかになり、遅れて後ろの村人の集団にも共通点を見つけた。
彼らは日中の調査の際、エリス達のグループの聞き込みに対して『消極的な証言』を行っていた――ダニエルの様な人達だ。しかし何故か、彼らは昼間のスタンスを覆してエリス達の前に立っている。
「我々は今急ぎでしてねぇ。ご存知でしょうが、ダニエルさんを襲った『暴漢』の件です。心苦しいですが、些末に関わっている暇はありません。それでどうでしょう。『お話』とやらは人命に関わるレベルの物ですかね」
随分と嫌味に嫌味、恨み言に恨み言を含んだ言葉でエディは毒づく。
――ちなみに、ダニエルを襲ったのは人狼病感染者では無く、ただの暴漢という事にしている。人狼病は市井での認知度が程ほどに高い疫病である。人狼病感染者が村に襲来した、という事実を公開してしまえば瞬く間に大狂乱だ。
「それでも話さなくてはならないのです。お時間を無駄にはしません。是非、お願いします」
村人の集団は申し訳無さそうに視線を逸らすが、それも一瞬。すぐに元の、断固たる意思を持った面持ちに戻ってエディの顔を見据えると、静かに村人達が頭を下げた。
「顔を上げて下さい。そして、そのお話を聞かせて下さい」
その光景を見て、ミーナは一人何かを決め込んで頷くと、老人達の方に向かって背中を叩いた。ミーナの言葉に、老人はもはや泣き出さんばかりの表情で面を上げ、涙潤む両目を堪えつつ指を差した。
「あちらの小麦畑なら今は誰も居ないでしょう。そこでお話させて頂きます。――皆はさっき話した通り、家に帰っておいてくれ」
それだけ言うと、村人達は先頭に立っていた老人を残し、各々散り散りに消えた。
話し手の老人以外は家に帰ったのだ。集団で居るのを見つかるだけでも不味いらしい。まだ聞いていないにも関わらず、予感させる話の重さにエリスは思わず喉を鳴らす。
「行きましょう。鬼が出るか、蛇が出るか。狼が既に出ている訳だし、これ以上は勘弁して欲しいけど、ね」
ミーナの独り言が、嫌に重く響いた。