表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エリスが居る場所  作者: 改革開花
一章 目覚め
16/117

14 人狼病

 エリス達が辿り着いた時、とある一軒の家屋を中心に人だかりが出来ていた。

 ざわざわと騒ぐ野次馬を押し退けすり抜け、エリス達は騒ぎの中心に這入った。


「酷い……」


 家の中の惨状にエリスの喉は干上がった。壁や床、その他例漏れず、見渡す限りが破壊し尽くされていたのだ。

 焼き立てのパンを並べていた棚は無残に叩き割られ、笑顔を携えて客を迎えていたカウンターは切り傷でずたずたにされている。そして、惨状の中でも一際際立っているのは前衛的な芸術かの様に壁に描かれた血の模様だ。ペンキでも引っ繰り返した様に、あちらこちらに飛び散った赤色。現実逃避しようにも、部屋に満ちた生と死の匂いがそうさせない。日中に訊ねた時の部屋の風景も、笑顔も、小麦の温かい匂いも。何もかも一夜の惨劇に塗り潰されていた。


「ぅぅぅ……」


 聞き逃してしまいそうな、小さな小さな呻き声がエリス達の元へ届いた。惨劇に声を失くしていたのが幸いだった。誰かが何かを話していれば、何か物音を立てていれば。その小さな、救いを求める声は聞こえなかっただろう。


「――っ」


 意外にも、最初に駈け出したのはセシリアだった。誰よりも早く、誰よりも速く。身に沁みた反射とばかりに救いを求める者へと向かう。


「これは……」


 エリス達が遅れてセシリアに追い付くと、奥の居住空間とパン屋を区切っている扉に、もたれ掛かる形でぐったりとしているダニエルが居た。ずたぼろで血塗れの姿。目に力も無く息も絶え絶え――惨劇から逃れようとして奥に逃げ込もうとしたのだろうが、途中で力尽きてしまったのだろう。

 

「あ、ぐぁ……」

「大丈夫、大丈夫だから。まず横になって」


 ダニエルの身体を支えて、セシリアが彼の身体をゆっくりと横向きに寝させる。ダニエルの身体はぶるぶると痙攣しており、異常なまでに発汗している。時折、口からびちゃりと音を立てて吐血をしており、彼の状態が如何に悪いかを言葉よりも雄弁に語っていた。――だが誰よりも、彼の容態の緊急性をこの場で理解しているのはセシリアだ。セシリアはダニエルの様子から目を離さずに、後ろで何も出来ないでいた面々に、滅多に出さない荒げた声で叫んだ。


「――ミーナ、エリス! 厨房に行って薄い塩水。後、桶を幾つか持って来て! イライアスとエディは宿に行って私の荷物から袋を取って来て、赤い刺繍が入ってる奴! フレドはこの人をベッドまで運ぶから手伝って!」


 セシリアの叫び。普段見ないその姿は、エリスにとって過剰なまでの情報量だ。エリスの脳は情報で氾濫し、身体は思考と共に停止した。周りが必死に動いている中、一人だけ取り残されたみたいに――。


「エリス、ぼうっとしない! あんたも来て!」


 エリスへの呼び掛けと共に、ミーナは思いっきり肩を叩いて発破を掛けた。

 エリスは衝撃に対応出来ず、無様に顔面から床に倒れ込んだ。全身の痛みに呻きながら、のそりと身体を起こす。その最中、眼前にダニエルの姿を見た。血に埋もれ、顔を青くし、死に怯える声で喘ぐ彼の姿を見た。

 ――助けなくてはならない。

 エリスの心に仄かな火が灯る。凍てついて固まっていた身体は溶き解れ、全身に倒れた時の痛みと共に熱が戻って来た。エリスは床にだん、と強く手を付くと、既に厨房へと向かっているミーナの後を追った。



****************************************



 エリスとミーナがセシリアに言われた物を揃えて、仕切りの扉から更に奥にあった寝室に着いたのと時同じく、エディとイライアスも戻って来た。

 セシリアはエディ達から荷袋を受け取ると、中身を床にぶちまける。中から出て来たのは色で仕分けられた容器と、長さ様々な針と用途の分からない器具達だ。セシリアはぶちまけた物々の中から幾つかの容器を掴み取り、内の一つを開ける。中にあったのは黒茶色の丸薬だ。そこから三粒程取り出すと、ダニエルに飲み込む様に促す。エリス達が作って来た塩水で丸薬をなんとか飲み下すと、ダニエルの身体の痙攣が幾分治まった。


「エリス、桶を一つこっちに」

「う、うん」


 言われるままに持って来た桶を渡すと、セシリアはその中に幾つもの瓶の中身を出して混ぜ合わせていく。出来あがったのはどろりとした、濃い緑色の液体だ。セシリアは次に床にぶちまけた物から針を手に取る。針は端の方に小さな穴が開いており、どうやら管の様になっているらしい。セシリアは針を持った手を桶の上に持って行くと、すっとその手を開いた。どぼんと音が鳴って針は桶の底に沈む。程無くして、ぽこぽこと泡が昇り始めた。

 泡が途絶えると、セシリアはこれ頃合いと液の中に手を突っ込んで針を取り出した。緑色の液体滴る針がその姿を現す。セシリアは液に塗れたままの針を握り締め、ダニエルの腕へとずぶりと突き刺した。


「え!?」

「エリス、黙ってて」


 いつになく真剣で、冷めた声にエリスは絶句する。エリスは足手まとい、邪魔者だと言外に言われたのだ。

 場に似つかわしく無く、しょんぼりとしているエリスを余所に、ダニエルの状況はまたも変化する。ダニエルは突如息を詰まらせたかと思うと、ぶるぶると震えた後に大量の血を吐き付けた。


「ご、ごばぁっ!」

「大丈夫、これに全部吐いて」


 セシリアは予め手に持っていた桶をダニエルの口の前に差し伸べ、背中を擦りながら優しく声を掛ける。何度もえずきながらの吐血を繰り返すと、見た目の印象とは裏腹にダニエルの顔に血色が戻って来た。


「もう、大丈夫……」


 少し弱弱しいが、しかしはっきりとした声でダニエルが言った。セシリアはダニエルの顔を覗き込んでやせ我慢していないかを見取ると、そっとダニエルから離れた。

 

「ふぅ……」


 セシリアの勧めるままに塩水で口を漱ぐと、ダニエルはやっとの事でほっと一息を吐いた。身体の調子も発見当初に比べると随分改善されたのか、ダニエルの身体に力があるのが分かる。


「――それで。ダニエルさんで良いでしょうか」

「ええ」

「あなたに何があったか、教えて頂けませんか?」


 セシリアがダニエルの腰元に枕を挟んで、半身を起こしやすいようにしている傍ら、ミーナは惨劇についてダニエルに訊ね始めた。

 ダニエルは目を瞑る。意思を固めているのか、記憶を思い返しているのか。どちらにせよ、気分の良い物では無い様で、折角良くなった顔色がまたも悪くなり始めた。


「あれは店じまいをしている時でした。表の看板を中に仕舞おうとしていた時です。村の外、恐らく森の方でしょうか。木々の間から何やら視線を感じたのです。はてと思ってそちらを向くと……」


 その時を鮮明に思い出したのだろう。ぶるりと身体を強張らせ、口をわなわなと震えさせる。怯えに満ちた目でミーナ達を見渡し、それでもダニエルは絞り出す様にその時を語る。


「最初は人だと思いました。ぼろぼろの衣服を纏った、浮浪者みたいな見た目でした。そうでは無いと気付いたのは、そいつがこちらに近づき、店の明かりに照らされてからです。四肢が異様に膨らみ、身体中にある傷口がぐじゅぐじゅと蠢き、だらしなく開かれた口は涎でぬるぬると鈍く光っていて、そんな中に口に到底収まらない犬歯があるのです。紅く光る両目が、私を見ていました。私はここに至って、『これは魔獣の類だ』と思い、急いで店の中へ逃げ込みました。――そこからはあまり覚えていません。覚えているのは奥へ奥へ逃げようとした事位で、次の瞬間には皆様に介抱されていました」


 ダニエルは何とか最後まで話し終えると、自分の身体を抱いて俯いた。恐怖に押し潰されそうになっている姿に、セシリアは堪らず頭を撫でた。


「……もう、大丈夫。大丈夫だから。今はゆっくりと休も?」


 母性思わせる優しい声。その安らぎにダニエルの目はとろんとまどろみ、程無くして夢の世界へと誘われた。眠りに就いてもしばらく頭を撫でていたセシリアだったが、いつまでもそうはしていられない。すっとダニエルの頭から手を離すと、ミーナ達の方へと振り向いた。その目は、先程までの優しい目で無く、寧ろ怒りと決意に満ちた目だ。


「セシリア、彼の容態は」

「かなり不味いよ。傷は練薬で抑えているけど、これから治療魔術を掛けないと駄目かな。私は多分付きっきりになるね。それに何らかの病を貰っているみたい。症状と話を聞いた限りじゃ多分、人狼病だと思うけど」

「人狼病、か。それは厄介だな」


 『人狼病』の言葉を聞いて、エリスを除く面々の顔が陰る。エリスは『人狼病』の事を知らないか記憶に検索を掛けるも、今まで読んだ本にその情報は無かったらしく、全く思い至らなかった。仕方が無く、一番詳しそうなセシリアに聞く事にした。


「セシリア、人狼病って?」

「人狼病は、魔獣が原因で発生した疫病の一つだね。初期症状は身体中の悪寒、発汗、痙攣。症状が進むと身体中の筋肉、特に四肢が爆発的に発達、同時に思考能力の低下、眼球の色素変化、そして何より、体液から他者を感染させるようになっちゃうの。感染からおよそ半日の間の初期症状。その内に適切な処置が出来れば治療出来るんだけど、それには『人狼病を完全に発症している人の血液』が必要なんだよね……」

「血液?」


 体液から他者に感染する。つまり、血液も感染源になり得るという事だ。となると、感染源である血液が治療に必要だと言うのは、何だかちぐはぐな感じだ。そんなエリスの疑問に、会話の間にもダニエルの様子を気にしながらも、セシリアは「うん」と頷いて答える。


「『聖別』っていうのがあるの。混ざった液体や物体を選別して仕分ける魔術で、純粋な液体や物体を作る時に使う方法なんだよね。でも、これには残したい、または取り除きたい(サンプル)が無くちゃ出来ないんだ。この場合だとダニエルさんの血液から人狼病の病魔を取り除くから、人狼病に掛かっている血液って事」


 なるほど、と頷くと同時に、エリスは先程から感じていた疑問が更に大きく膨らんだのを感じていた。つまり、「セシリアはどうして、こんなにも詳しいのか」である。だが、エリスはそれを聞けないでいた。先の質問は今後の方針に関わる、全体に関する質問であったが、セシリアについての質問は飽くまでエリスの個人的疑問に過ぎない。現に他の第三班員はセシリアの動きを当然として受け入れている。エリス自身の問題である以上、エリスは個人的疑問を引っ込めざるを得ない。

 個人的疑問は後で聞くべきだ。


「よし、それじゃあダニエルさんを襲った人狼病発症者を探すとしましょう」


 一人内心で悶々としているエリスを余所に、ミーナが今後の方針を固めた。第三班の面々もミーナの提案に異論は無く、セシリアにダニエルの治療の続きを任せて部屋を出た。扉が閉まるまでの隙間から覗けば、セシリアが何かを唱えつつ青白い光を宿らせていた。恐らくはセシリアの言っていた治療の魔術なのだろう。

 エリスは一人別の戦いに赴くセシリアに激励を込めつつ、静かに扉を閉めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ