13 語るは語る閉じた口
「いやぁ、こりゃ美味い。何も付けていないのにこうも甘みがありますか」
エディのわざとらしい賛辞に二の句は継がないが、エリスも内心では同じ事を思っていた。
外はパリッ、中はふわっを体現したこのパン。ジャムや砂糖を付けていないにも関わらず、小麦粉特有の甘味だけで口が一杯になる。香りも良い。パンを口に頬張る度に、鼻先をくすぐる様に匂いが立ち昇る。黄金の穂波を想起させる、大地の匂いだ。
「はふ、はふぅ」
セシリアなんか、誰よりもパンにかじり付いている。
熱々のパンをお手玉の様に手で転がして、それでも口に運ぶのを止めない。口をパクパクさせて外気を取り込み、口の中を必死に冷ましているその光景は、普通ならまぬけな様に見えるだろうが、この美味しさを知っていては微笑ましい一光景に過ぎない。
「ははは。そこまで喜んでくれるとパン職人冥利に尽きますよ」
照れ臭そうで、でも誇らしい笑みを浮かべながら奥から出て来たのはこのパンの作り手のダニエルだ。彼は小麦粉で白くなったエプロンを脱ぎながら、エリス達の方へやって来る。
「このパンは、この村の小麦を?」
「ええ、そうですね。ブレポスの小麦粉は甘味と粘りが強いですから。パンの皮のハリと甘味の為には欠かせません」
「ははぁ……なるほど。となると、今回の事件は大層大打撃ですな」
エディの視線が鋭くなる。大人達が何やら話をしている間でもパンを無邪気に頬張っていた子供達も、空気が変わったのを密かに感じた。
「お話、とはそれですか?」
「ええ。単刀直入に聞きましょうか。小麦畑を荒らした者に関して、何か知っている事はありませんか?」
「……私は何も見ていませんよ」
ダニエルの笑みに影が差し、唇は強張って声の温度も下がる。明らかに本心を隠した方便であった。
「知らないでは無く、見ていないですか」
「私のパンを美味しいと言って下さる方々を前に、嘘は吐きたくありません。子供の前となれば尚更です。……お引き取り下さい」
ダニエルの伏せた目には、悲痛な覚悟が窺えた。これ以上は到底聞き出せないと判断したのだろう。ラルフは頭を掻きながらエリスとセシリアを呼び付ける。
「エリス、セシリア! そろそろ行くぞ」
「分かりました」
「ちょっと待って! 残ったの袋に入れるから!」
店頭に置かれていた紙袋に、食べ掛けのパンを慌てて突っ込むセシリアを待って三人は店を出た。
「――また、お越し下さいませ」
申し訳なさそうなダニエルの別れの言葉が、エリスの耳にどうにも残った。
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「――とまぁ、そんな具合だ」
時刻は夜。
ブレポスの農産物をふんだんに使われた夕食を平らげた一行は、今は男性陣の部屋に集まっている。昼間に集めた情報を整理する、二回目の会議である。
ミーナ達の報告の後にエディの報告も終えた所で、各員の情報は出揃う。第三班が集めた情報は、概ね当初の予想通りの物であった。
大概の証言は「怪しい人影を見た」などだった。物証も壊れた柵などがあったそうなのだが、既にそれも修繕済みだった為、得る物が殆ど無かった。詰まる所、大した成果は無かったという事だ。ただ――、
「その『消極的な証言』ってのは気になる、か」
顎に手を添え、ふむとミーナは考え込む。
ミーナが言う消極的な証言とは、パン屋のダニエルの様な発言だ。「何も見ていない」、「言いたくない」など、『人以外の犯行』には触れず、かと言って『人の犯行』を裏付ける類の物でも無い。わざとらしいまでに『人の犯行』を主張する村人が多数居る中、否定よりの中立に立つ村人の存在は浮いている。
「考えられるのは嘘を吐くのを罪悪感とかで躊躇ったって線だが。村に刃向うのをビビってるとするなら、最初からこんな言い方はしねぇだろうにな」
村の方針は言うまでも無く『人の犯行』で決まっている筈だ。これは真相が『人の犯行』であっても、『人以外の犯行』であっても変わらない。ならば本来、証言は『人の犯行』を証明する物で固まる筈だ。だが現実にはここで『消極的な証言』なる物が出て来た。
村に背く意思が無い事は彼らの言い振りから明らかだ。だからこそ不可解なのだ。村の意思に従わず、しかし、村に刃向う意思を持ってはいない。エディの言う様に、嘘を吐く罪悪感に刈られての発言とも考えられるが、そうだったとしても発言が奇妙だ。罪悪感があるなら、こっそり密告する者がいても可笑しくないだろう。それにそもそも、「私は真意を隠しています」みたいな言い方をする必要は無い。村と敵対せず偽りの発言をしたくないならば、第三班員の調査から逃げるなり、証言拒否を貫くなりの手段がある筈だ。しかし、彼らは見え透いた発言で何かを匂わした。
部屋の中は考え込む余り、無言になっていく。
考えても答えの出ない類の思考なのだが、不可解さが際立ち過ぎて気になってしまう。
「考えても仕方無いか。じゃあとりあえず、数は少ないけど物証の方を――」
「ギャァァァァアアア!!!」
ミーナが話の流れを新たに作ろうとした、その瞬間。開け放っていた窓から悲鳴が飛び込んで来た。村全体に優に響き渡ったであろう悲鳴に、灯りの落ち始めていた村が騒がしくなる。
「フレド! 方角は!?」
「東……そこそこ遠かったから村の端の家だと思う!」
ミーナの叫ぶ問い掛けにフレドリックが端的に、それでいて恐るべき正確さで答える。エリスがフレドリックの超人的聴力に舌を巻く中、ふと横を見るとセシリアが顔を青くしていた。
「どうしたの?」
「東で村の端って、あのパン屋さんじゃ……」
「っ!」
エリスも遅れてセシリアの考えに追い付く。日中歩きまわっていた村の記憶を掘り返すと、確かに件のパン屋は村の中では東の端に位置していた。
「――まだ分からん。とにかく行くぞ」
エリスとセシリアの肩を後ろから乱暴に叩いて、エディが部屋の外へと駆け出す。見るとエリスとセシリア以外の三人も走りだしており、椅子に座っているのは思考が停止していた二人だけだった。
「――行かなきゃ!」
「う、うん」
遅れて二人も駆け出す。
ブレポスの夜に、不穏なざわめきが奔る。