8 首無し怪事件
王都防衛騎士団からエリスとフレドリック。魔術協会からレイ・アルトイェット。日頃いがみ合っている両組織はエトッフからの奇縁か、この日この場においても共同戦線を張るに相成った。形式上、レイの協力はラルフからの要請という形になる訳だが、実態としては両者合意の上である。そもそも、レイがこうしてラルフを訪ねに来たのは魔術協会の意思――言い換えれば、彼女の上役に当たるルーカス・エルドレッドの指示であり、その指示には騎士団との協力の旨も含まれていたからだ。それを彼女は「協力を願うなら向こうから頭を下げるべきだろう」との考えから半ば意図して口にしなかっただけであり、文書の内容から汲み取ったラルフが協力を要請したに過ぎない。
詰まる所、この共同戦線は出来るべくして出来た物と言える。だが、それは同時に相対する両組織が抵抗無く助力を求める、危機的状況だからこその産物とも言えるのだ。騎士団側はその使命が為に。魔術協会は主催者としての責任が故に。双方、この「魔術学会」の無事な成功を目指している点のみにおいては相違無いのだ。だからこその共同戦線――だからこその魔獣捜索網。その先兵として白羽の矢が立ったエリス達は、まず原点こそを出発点とする事にした。つまり、実際に魔獣によるものと思しき怪事件が発生した地点に向かおうと決めたのだ。
魔獣によると思しき怪事件。それらは便宜上、「首無し怪事件」と称されている。
「これは……」
首無し怪事件――なるほど、現場を目の当たりにすれば怪事件と称されているのも頷ける奇妙な惨状だった。裏路地に打ち捨てられた猫の死骸。そこにはある筈の頭が無く、首から下は不気味な程に小綺麗なまま残っていた。首の断面は荒々しく、波打った断面の中に肉と神経、そして骨が覗いている。こんな死骸が今の王都には百以上も存在しているのだから不気味に過ぎる。死骸として見つかっているのは犬に猫、鼠に狸――裏路地や排水溝等の人の目が行きにくい場所で逞しく生きていた、野生の動物達である。そして、どの死骸にも共通しているのが、首が無いという一点。
「報告書を読んでた時から思ってたけど、実物を見て確信した。これはただの動物の仕業じゃないね」
フレドリックが物言わぬ――言う為の口すら失った猫の死骸へ憐憫の目を向けながら言う。首から上が何処にも無く、逆に首から下は全くの手付かず。それは確かに、通常の動物が捕食行為の一環として行う狩りから逸脱している。狩りとして行ったならば、首から下を食べていない意図が分からない。飢えを満たすならば首より下も食べる筈だからだ。
猫が動く物に興味が向き、つい追い掛けてしまう様に、狩猟本能が刺激されただけという線もある。狩りの一段落、つまり相手を殺す過程として分かりやすく頭を喰らっただけというならば納得してしまいそうになる。だが、この怪事件で発見された死骸は一つや二つではない。百をも超える大量の首無し死骸が発見されているのだ。狩猟本能を満たすには過ぎた数であり、一夜にして百を超えて、しかも比較的逃げるのが得意な獲物相手に狩りを成し遂げる動物など聞いた事も無い。更に、大きさのバラつきも気になる。最大では子供にも匹敵する大きさの犬から、最小では拳程度の大きさである鼠まで。余りにも見境が無い。犬を捕食出来る存在が、わざわざ鼠をも狙う。動物として生命の根幹に根付いている、野生故の効率化が見えない。つまり、無駄が多い。狩猟本能、飢餓感――どちらにしても、どちらかに違和感が残る。ならばこれは、本能に身を任せている動物の仕業で無いと考えるのが自然だ。
「愉快犯や、猟奇的な趣味嗜好の人間……」
「と、考えるのが普通だけど。今回に限ってはもう一つ可能性があるって話よね」
一夜にして百を超えて命を絶ち、その命を愚弄するかの様に首だけを奪い去る偏執な趣向。常ならば、この事件の犯人像は愉快犯や猟奇的な趣味趣向を持つ人間と断定されていただろう。だがここに今し方齎された情報を加えれば、悪辣な存在の予想にもう一つ枠が設けられる。
人にとっての災厄の権化とされる、正しい生命の循環から外れた生物――魔獣ならば、この怪事件の実行犯に当て嵌まる可能性が十分にある。
魔獣は、人にとっての災厄の権化と定義されている。それ以外の定義と言えば、魔素に引き寄せられる性質を保有しているか否か位であり、それ以外の定義は無い。否、定義出来ない。何せ、魔獣の種類は多岐に渡る。エリスが経験しただけでも、人狼病の感染者や魔蝿、どちらも人を侵し、歪め、貪る存在でこそあったが、その在り方は大きく異なるのだ。人狼病は飽くまで感染病だ。体液を媒介に感染し、感染者から人としての尊厳と理性を奪い去る。対して、魔蝿は生物だ。幼体が人に寄生し、人から知識を盗み取る。人の尊厳と理性が失われるのは同じだが、そこには人とは異なるものの、人の名残を感じさせる高度な技術が残される。どちらも恐ろしく、どちらも悍ましい。人ならば誰でも平等に、人にとって誰にも理不尽に。種としてのヒトが地上から消え去る事すら予見させる危険因子。それが、魔獣だ。
だが、魔獣の定義とは別に、魔獣を更に細分化する考えがある。大きく分けて、二種類――性質や能力が人にとって恐ろしいのか、その生態が人にとって恐ろしいのかである。例えば、上記の二種は性質や能力故の魔獣――性能型に分類される。確かに、相対した人間にとっては恐怖の対象でしかないが、その恐怖の本質は性質や能力に由来しているからだ。人狼病に感染力が無ければ、魔蝿に人への寄生の適正が無ければ。人にとっては少し脅威なだけの生物に過ぎない。人だけを狙い澄まして襲い掛かる脅威だからこそ、あれらは魔獣とされている。
では生態故の魔獣――生態型とは何か。端的に言うならば、通常の生物としての営みから外れたが為に魔獣とされている存在である。
通常、生物の至上命題とは生存と繁殖である。つまり、後世に自らの種を残す事。これこそが、生物の基盤に刻まれた使命だ。狩りは食事の為であり、捕食は生命の糧とする為。番を探すのは繁殖する為であり、子を育てるのは自らが残した後進を殺されない様にする為である。これは絶対の定義だ。だが、魔獣の中にはその絶対を踏み越えたモノが幾つもいるのだ。
例えば、生まれてから死ぬまで、ひたすらに自分以外の生物を殺し続ける生物。飢えも渇きも関係無く、視界に入りさえすればそれを追い続ける。絶対に諦めない。自らが死に絶えるその時まで、一度獲物と認めたモノを追い続ける。それは生命の打算が無い事を意味する。痩せ細った狩猟本能だけが形となった生物、これも魔獣である。
例えば、生まれて最初に食べたモノだけを生涯食べ続ける魔獣もいる。仮にそれが人の肉を最初に食べでもすれば、それが狙うのは人だけとなる。人だけを狙い、人だけを狩り、人だけを喰らう。人にとっての――人にとってのみの脅威の完成だ。
これら生態型に共通するのは、生物としては余りに非効率的な、偏った営みを送る点にある。消化器官も免疫機構も他の食物を食べられるにも関わらず、決まった縛りの中で生きる生物群。彼らがそれでも生きていけているのは、それが可能な程に優れているから――つまり、強いからだ。在るだけで脅威なのが性能型とするならば、生きている――否、生きていくだけで脅威なのが生態型と言えるだろう。
「問題はどっちか、ですね」
「うん、エリス。その通りだ」
では、今回の「首無し怪事件」の実行犯はどちらに分類されるのか。どちらでも良い、とはならない。何故ならどちらかで追い方が変わるからだ。
前者、性能型の魔獣ならば、その被害は基本的に連鎖して広がる。分かりやすいのは人狼病の様な感染型だ。感染者から健常者へ感染し、また新たに感染を広げる。被害状況は刻一刻と増え、仮に被害を水際で止めようとも大本の原因を取り除かなくては何時まで経っても解決とならない。
後者、生態型の魔獣ならば、その被害は時系列順に並べた時に線、または帯状に増えていく形となる――個体であれば線、群れであれば帯だ。何故なら、生態型の被害は、その魔獣本体の直接的加害に依るものだから。魔獣が動かなければ被害は拡大しないし、個にしろ群れにしろ、動く存在が確かにあるならば被害を辿る事で何時かは追い付ける。また、生態故の魔獣であり、獲物にも偏りがあるならば、次の獲物を予測しやすいという点も大きい。
「今回の場合だと、最大の特徴はやっぱり狩られた獲物が『首無し』である点だね。そこから考えると恐らく生態型だと思うんだけど……」
「へぇ、騎士様も頭が回るようで。……そうよ、被害分布は円状。そっちから考えるなら、こいつは性能型になる」
そう、ここにも相反する問題点があったのだ。「首無し怪事件」の被害は王都北東部、その区画で凡そ円状に展開されている。所々歪な場所もあるものの、それは人の流れや建造物故に生じているものだろう。生態型ならばこうはなりにくい――ならないとも言い切れないのだが。エリスは恐らく二人の中で既に検証済みであろうと踏まえながら、状況の整理を兼ねてその言い切れない可能性を呈した。
「生態型が群れで侵入、もしくは巣を作っているって可能性は無いですか」
「無い、とは言い切らないわ」
意外にも殊勝な態度を見せたレイは、すっと指を二つ伸ばしてエリスの前に出した。
「でも、あるとも思えないわね。その根拠はそれぞれ一つずつある」
「根拠ですか」
「まず一つ。説明しやすい巣の否定から。これは簡単よ。あんたの頭にも渡した通り、魔術協会が魔獣の存在を感知したのが今日の明け方だったから。巣があるなら、そこには魔獣もいる。なら、もっと前から感知していないとおかしい」
それもそうかと、エリスはレイの説明に大きく頷く。明け方に魔獣の存在が感知された以上、それ以前から存在する筈の巣の存在は考え辛い。また、仮に巣を拵えていたのならば、今まで被害が出ていなかったのもおかしな話になる。魔術協会の信憑性が高かろうと低かろうと、今までの安寧の時が魔獣の存在を否定している。
「二つ目。死骸に取り合った跡が無い」
「取り合った跡?」
「そ。あんたが考える群れってのは、多分この被害分布の何処かにあるであろう地点から複数体、王都に侵入してきた場合の事でしょ? そこから魔獣は散らばって、各地で狩りを始めた。無い話じゃない。……無い話じゃないけど、にしては狩りが綺麗過ぎるとは思わない?」
エリスは首を捻った。
確かにレイの言う通り、エリスの想定した群れとはある地点から入り込んで来た後、各方向に散らばって無作為に狩りを始めた群れを想像してのものである。それならば性能型でなくとも被害分布が円状になり得るからだ。時系列で追おうにも各地で一斉に、似通った時間で被害が拡大していく以上、被害分布においては性能型と非常に似通る。判別は困難だ。
しかし、その予想に対する否定の根拠が「死骸が綺麗だから」とは意味が分からなかった。そんな、疑問符を相貌に張り付けたエリスを見かねたのか、フレドリックが助け舟を出す。
「エリス、ここに来る前に言ったけど、今王都中にこんな死骸があるんだ」
「えぇ、百体を超えてるんですよね」
「そう。首より上が無くて、下は小綺麗な死体が、ね」
続けられたレイの意味深な物言いに、エリスは理解を得た。仮にこの怪事件の実行犯が生態型の魔獣、その群れだったとする。巣の可能性はレイの前言通りなら有り得ず、自ずと魔獣の到来はどこからかの侵入となる。魔獣は王都に侵入すると各地に散らばった。それは良い。だが、散らばる前、散らばり切る前はどうだろうか。侵入した地点、もしくはその近くに獲物が居たならば、仲間と取り合いになったのではなかろうか。また、取り合いにならない程に高度な社会性を築いている群れならば、集団行動を選択する可能性が高い。ならば、被害は帯状になる。
消去法で、生態型の魔獣の群れである可能性は低い、という訳だ。
「勿論、自分達が補足されるのを警戒して散らばっている、滅茶苦茶頭が良い魔獣の群れの可能性もあるけど、そんなの考え始めたらキリがありゃしない。なら、考えるだけ無駄ってね」
あっけらかんとした態度のレイに、エリスは神妙に尋ねる。
「で? 結論としては?」
「探せば見つかる」
思わず、エリスは口をあんぐりと開けて、失望の視線をレイに浴びせた。フレドリックにしても、そこまで露骨では無いとは言え同じ気持ちである。何が――自称――天才魔術師か。ただの脳無しではないか。脳内で罵倒するエリスを他所に、レイは己が考えを続ける。
「けど時間が掛かる。なら、話は簡単でしょ」
「簡単、とは?」
「探すんじゃなくて、出て来て貰う」
エリスと、珍しい事にフレドリックも、レイの発言に首を傾げた。それを見て、満足そうに、または馬鹿にした様にレイが笑う。麦藁帽の鍔を人差し指で押し上げて、そのぎらぎらとした瞳を晒しながら彼女は言った。
「ま、見てなさい。天才の天才振りをご覧あれってね」
自称天才が裏路地で吠える。