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エリスが居る場所  作者: 改革開花
4章 学会
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7 英雄の卵と観測者、もしくは狂人と狂人

 王都に魔獣が出現した。その緊急極まる報せに、エリスは驚愕のままに取り乱す――などと言った醜態は見せず、レイの要望通りにラルフの下へと彼女を案内した。ラルフは第一会議室には居なかったが、彼の席には不在の証と団長室に居るとの旨の書き置きが代わりにあった。無駄足だとぼやく声を背に、エリスとレイは団長室へ向かう。団長室まで数分程度。道中、その殆どが無言だったが、団長室まであと少しという所でレイは唐突にエリスに話し掛けた。


「あぁ、そう言えば」

「? 何でしょう?」

「あんた、あの後大丈夫だったのかしら」


 はて、とエリスは首を捻る。具体的な部分が抜け落ちた彼女の物言いでは、何に対しての心配であり問い掛けなのか理解出来ない。数秒、気まずい沈黙が満ち、先に痺れを切らしたレイが前言に補足を加えた。


「あれよ、魔蝿の。あんた、魔蝿に寄生されてたんでしょ?」

「あぁ、別に。大丈夫でしたよ」


 レイの言葉を理解したエリスは、思っている通りの感情を答えとして返す。そう、「別に」、というのが偽らざるエリスの本音だ。何せ、エリスにはエトッフでの大半の記憶が失われ(・・・)ている(・・・)。事実として認識はしているが、それは情報であり記録だ。生々しい感情や五感を伴う記憶では無い。故に、エリスにしてみれば厄介な寄生虫に寄生されていただとか、面倒な病に罹っていた程度の認識でしかない。周りが幾度も幾度も重ねて心配をする所為で、その手の問い掛けへ煩わしさを覚えているのも魔蝿の軽視を助長させている。――最も大きい理由は他にあるのだが、エリスには分からない。それは彼が失っており、今も失い続けているモノであるが故に。

 そんなエリスの心の機微を知らぬレイは、彼女なりの手段で言葉の裏を取らんとする。歩く仕草に紛れて数瞬蠢く右手、身体の一部で輝く肉体に刻んだ魔術式。彼女自身が編み出した彼女だけの魔術であり技術、「良く働くサボり魔(ショートコード)」と「天才の走り書き(メモリアルアーツ)」の発動である。彼女の観測技能を最大限に引き出し、言語の様に具体化せず感情の様に抽象化しないで瞬間の閃きを引き延ばす、思考領域の拡大化と高速演算を目的とする「良く働くサボり魔(ショートコード)」。肉体に予め印字(・・)しておいた魔術式を発動する、固定であり限定的ながら一定の効果を瞬時に必ず獲得する「天才の走り書き(メモリアルアーツ)」。この二つを用いて、レイはエリスの肉体を観測(・・)した。エトッフからどう変わったのか。皮膚、筋肉、神経、骨組織。代謝に免疫、脳の活動率から内臓の動きまで。その全てを十歩も歩かぬ間に知り尽くした。その上で結論を出す。――エトッフで観測した時と比べて、この少年は著しく損耗し(・・・)ている(・・・)。それも恐らく、魔蝿の後遺症とは関係無くである。たったこれだけの期間で、何をどうしたらこれ程までにボロボロになるのか。人としてまだ若き少年に憂慮を抱く――同時にロクデナシの魔術師としての性から、憂慮を上回る好奇心が顔を出した。


「……?」


 熱くゾッとする視線を感じ取り、エリスはレイの方を振り向く。レイはどこ吹く風と澄まし顔だ。内心では自らの心が見透かされた様で、焦りと動揺が入り混じっているのだが。――それから数度、エリスに好奇心溢れる視線を向けては、それに気付いたエリスが振り返るのを繰り返しながら、彼ら二人はラルフの居るであろう団長室に着いた。


「失礼します」


 数度ノックし、中に入室の是非を伺う。程無くして入って良しとの返答があり、エリスはレイを先に入れる形で入室する。


「おぉ、珍しいお客さんだな」

「はいはい、お久しぶりお久しぶりぃ。失礼するわぁっと」


 事務机に向き合い、腕を組む形でラルフはレイを迎え入れた。レイはそれに対し特に不満を見せる事も無く、応対用の椅子に深く座り、懐から書類を取り出した。ひらひらと、書類を振る。蟻の足跡が如き細かい文字の羅列がちらりと見えた。


「それは?」

「王都での魔獣反応の観測結果の報告書。今日の明け方、そして今現在も進行形で。王都で魔獣の反応が観測されたの。……あんたらの仕事・領分でしょ、コレ?」


 魔獣。それはただの獣では無い。人にとっての災厄の権化とされるのが魔獣であり、その生態、性質は人を滅ぼし得る可能性を秘めた物となっている。エリスが経験した所で言えば、ブレポスでの人狼病感染者や、エトッフでの魔蝿等がこの枠組みに含まれる。前者は魔獣由来の感染症を発症した者を指すという変則であり、後者は人の手によって魔獣を改造した後に更に凶悪な魔獣へと変貌を遂げている。双方共に通常の魔獣とは異なる些か特殊な毛色はしているものの、その脅威は何ら通常の魔獣と変わらない。

 エリスが今までの経験から得た、ただの獣と魔獣の相違点は、互いの全滅が先にあるか否かである。獣は人にとって狩り狩られるものであり、飽くまで種の全体を滅ぼそうとは互いに考えない。結果として滅びたとしても、それは飽くまで無数の一が集まった結果に過ぎないのだ。反面、魔獣は違う。魔獣の性質は人を滅ぼしかねないものであり、それを恐れる人は魔獣の根絶を第一とする。分かりやすい克服、勝利の形として相手の絶滅を成し遂げようとするのだ。それは生命の循環から逸脱した尋常ならざる殺意。魔獣とは人にとっての災厄の権化であり、それが絶対の定義なのである。

 ふと、魔獣から見た人はどう見えるのかと考える。今の思考では、魔獣は人を滅ぼしかねない生態や性質を有するだけであり、その意思は分からない。魔獣に意思があるかは分からないが、何かを考えている可能性は十分にある。何を考えて人を滅ぼし、何を考えて人に滅せられるのか。唐突に、エリスの脳内にそんな疑問が湧いた。

 脱線していたエリスの思考を現実に戻したのはここ最近ではあまり珍しくも無くなって来た、真剣味溢れるラルフの声だった。


「王都の中に魔獣がいる、と」

「ん。魔獣の体内にある不活性魔素。それが標準値を大きく超えて王都の大気中を漂ってる。年中無休で稼働させてる大気分析器からの分析結果よ」

「それの信憑性は。故障とか、人の手による手違いとか。学会での発表しているもんの影響とかは無いのか」

「そんなの真っ先に考えて、検証してるに決まってるでしょ。答えは全部白。分析結果は十中八九間違い無し。間違ってたら謝るわ。」


 淡々と、希望的観測が生まれたそばから潰されていく。レイが書類をラルフに投げ渡し、それを読んだラルフの眉間に皺が走った。魔術が門外漢とは言え、組織の上に立っていればそれ相応の知識の量は兼ね備えている。豊富とは言えずとも十二分な知識量を持ち合わせていたラルフには、嫌でも手元の書類の正しさが分かる――分かってしまう。この厳戒態勢下での魔獣の侵入。全てが終わった後に待っているであろう「上」からの圧力と小言を想像し、ラルフは陰鬱な溜息を溢した。


「……うしっ、やる事はやらねえとな。小言も何も全部終わったら、の話だ――エリス!」

「はい」


 しかし、それだけで暗い未来予想を振り切ったラルフは、道案内を終えて手持ち無沙汰になっていたエリスを呼び掛けた。エリスはそれに短く応え、次の指示を待つ。


「お前はフレドリックと、そこの……ああ、『彼女』と一緒に。魔獣の捜索に当たれ。……良いかな? レイさんよぉ」


 ラルフが問うと、レイはやるせない笑みを浮かべるだけで答えとした。是も非も口にせず。ならば、その返答は是と受け取って構わないという意味だ。ラルフはその対応を良しとし、エリスにこの後の動きを命令する。


「他の奴らも追加で回していくが、お前らが主要(メイン)だ。他の依頼・任務の優先順位は一時的に下位に落とす。魔獣の捜索が最優先だ。まずはフレドリックと合流。それから具体的な対応は考えるように。以上だ。……エリス、悪いが頼んだ」


 最後に付け足された短い言葉。それがエリスの胸を打ち、熱を猛らせる。頼まれたからには、何が何でも解決してやる。そんな意気込みが、考えるまでも無く湧いて出る。

 熱意に燃える少年を見て、レイはぼそりと呟いた。


「うわー燃えてるわねぇ。……ま、『良い機会』かな?」


 その目の輝きは、夜の色に似ていた。



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