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エリスが居る場所  作者: 改革開花
4章 学会
106/117

2 薪

  小さな影と、それを追って屋根から屋根に飛び移るエリスの姿が王都のとある場所にあった。騒がしい音に道行く人は視線を上げ、遠くへと移動する二つの影を見て、視界から消えると歩みを再開する。そんな光景が、およそ十分前から続いていた。

 目の前の逃走者を視界の中心に捉え、エリスは全身を働かせる。

 屋根の勾配、着地先の状況、進行方向――それら全ては跳躍の度に変化する。勾配のついていた屋根の次が平屋根な事もある。平屋根には洗濯物が干されている事もあれば、積まれていた木箱が相手によってばら撒かれている事もあった。エリスから逃げている以上、相手が不意を突いて方向転換するのもしょっちゅうだ。屋根から屋根への跳躍、障害物を乗り越え全力疾走。

 曲芸染みた追走は、遂に終わる。

 小さな影とエリスとの距離が詰まってきた。逃げ惑う影は焦る。障害物を設け、不意の方向転換を繰り返しても後ろの追っ手を振り切れない。既に全身はじんわりと痺れ、緊張状態にありながらも気怠さを感じ始めていた。逃走者は何とか振り切ろうと足に一層の力を込めて――無駄に力んだ足が、屋根を蹴り損ねた。次の屋根にこそ辿り着いたものの、勢いが足りず、転がり込むようにして何とか屋根に身体を置く。着地、というよりかは墜落の衝撃で数瞬の間前後不覚に陥り、自らの置かれた状況を思い出して立ち上がろうとするも既に遅かった。

 エリスが着地した音が、彼のすぐ後ろで聞こえた。


「くっ、来るなぁあああ!」


 苦し紛れの抵抗。近くにあった物干し竿を掴み、逃走者はそれを振り向き様に薙いだ。素人の暴力であれどそのタイミングは不意打ちとしては完璧に近く、物干し竿とは言えその間合いは逃走者までの距離を遠いものとし、その威力は人を昏倒させて余りある。その様な企みは無かったとは言え、凡そこの状況における逃走者側の最善手。遠くから見上げていた通行人達の息を呑む音が幾重奏に聞こえる。

 次の刹那、物干し竿が宙を舞った。ぽかんと、逃走者は自らの手首に奔る痺れと、宙を舞う起死回生の一手だったモノの末路に呆気に取られる。そんな彼の視界に黒い刃が割り込んで来た。鼻先に突き付けられた黒刃。つんと鼻先を突かれる。小さな痛みと共に、逃走者は目の前の脅威をようやく理解した。


「さて、もう逃げないで下さい」


 静かに告げられるエリスの声に逃走者――まだ幼さ抜け切れていない童顔の少年は、ぶんぶんと首を縦に振って降伏を示す。遅れて、階下から歓声が沸き起こった。




 

「お疲れ様。無事に捕まえた様で何より」 


 騎士団の宿舎に戻ると、エリスの所属する第三班が班長であるミーナが待っていた。黒く長い髪を靡かせ壁にもたれて佇むその姿は、格好良さと美しさが同居しており見る者の心に不思議な動揺を生じさせる。最も、既に見慣れているエリスはそんな動揺とは無縁であり、そもそも今の(・・)精神状態のエリスは、そんな極個人としての動揺など滅多な事では覚えないのだが。

 

「はい。子供の割にはすばしっこくて。思ったより時間が掛かってしまいました」

「いや、十分。元々はフレドリックにやらせようと思っていた案件(やつ)だったし」


 エリスに本日割り当てられていた任務は、王都内にて出没している少年泥棒の捕縛だった。本来なら窃盗及び強盗の事件である以上警察隊の仕事なのだが、被害数こそ多いものの被害額が数程高額では無かった事。子供特有の身のこなしの軽さに奇想天外な逃走手段、突発的にして不規則に発生する傾向から追走が困難である事。更には、現在諸事情により、警察隊の方に余力が無かった事から後回しにされていた。そこで、お鉢が回ってきたのが王都防衛騎士団である。体の良い雑用として扱われている王都防衛騎士団は警察隊や官僚、果てには他の騎士団から様々な任務を押し付けられる事が多々ある。一応は外部協力や依頼としての文言で体裁を整えているが、実質的な地位は言わぬが花だろうか。少なくともエリス個人の感情として、大半の依頼人がこちらを見る目は余り気持ちの良いモノでないのは確かである。成果の大半が向こうに取られるのも、気分の悪化に拍車を掛けていよう。今回の件にしてもエリスに許されていたのは拘束までであり、逮捕権は存在しない。故に、最終的には警察隊の手柄として計上されるのだ。

 さて、少年泥棒を捕まえたエリスだったが、ミーナが想定していたよりも早く捕縛した事で些か時間を持て余していた。取り合えずは「拠点にて待機」との指示をミーナから受けたエリスは、短時間ながらに激しいものだった少年泥棒との追走劇の疲労を癒すべく自室に戻る事にした。

 宿舎の端、見慣れた自室の扉をくぐる――不意に目の前の景色が歪み、堪らずエリスは床に膝を突いた。


「分かってたけど、やっぱりか」


 特に焦ることもなく、酩酊感にも似た浮遊感と不快感をやり過ごす。落ち着いた事を確認してからゆっくりと立ち上がると、エリスは椅子を傍に引き寄せて深く座り込んだ。天井を見上げ呼吸を一つ、深く吸い、深く吐く。自らの胸に渦巻いていた気持ち悪さが僅かに和らぐ。気持ちばかりの回復を確認すると、エリスは自らの手に視線を落とし――自分を切り替える。幾度も繰り返して手に入れたイメージとしては、自己の内の内、自己強化の際同様に自らの姿を思い浮かべ、それに火を灯す情景だ。火は広がり、暗闇を照らし尽くすと自分が大きく変化(・・)する。

 途端、身体の感覚が激変した。腕を手を指を動かすだけの動作に、全てが全て見えない何かの補助を感じ取る。手の開閉だけでは見かけには分からないが、普段の自分以上に滑らかな動作である様な気がした――用済みとばかりに想起した世界ごと火を消し去る。普段通りの感覚が帰って来て、ついでに僅かな倦怠感と不快感もやって来た。呼吸一つでそれらを抑え込み、幾度も考えて来た結論を口に出す。


「長時間、自動反応を使うのは無理か……」


 エリスは自動反応が何時、何をきっかけに自らの制御下に入ったのかこそ知らないが、自動反応を制御する方法を知ったのは、英雄の夢を見始めて数日経った頃である。ある日、誰か知らない英雄の夢から目覚めたエリスは、その数日前から溜まり続けていた鬱憤やもどかしさ、非力感に劣等感等の諸々の苦悩を打ち払うべく稽古場を訪れた。とりあえず、最初こそ木柱相手に木剣を振り回していたが、夢の彼らの姿とどうしても比べてしまい、苦悩は消える所か溜まるばかり。そこで心機一転、あえて苦悩と向き合うかと夢の中の英雄の技を真似てみる事にした。最初こそ凡人の見るに堪えないごっこ遊び以下の代物だった。だが、エリスはそこで何か違和感を覚えた。まるで、両足があるのに片足しか使わないで移動しておいて、「疲れた疲れた」とボヤいているような、そんな違和感。その違和感の正体を探し当てるべく、エリスは一心不乱に模倣に取り組み――その果てに、自動反応の行使に気付いた。

 飽くまで気付いた、である。出来るようになったでは無い。自分が忘れていた事を思い出した、自分が無くしていたモノを見つけた――そんな心地だった。とにかく、エリスはその日を境に自動反応を半ば任意に、自らの意思の下扱えるようになり、英雄の模倣を日課とすると同じく、自動反応の特徴を日々の任務で探るようになったのである。

 そうして分かったのは、自動反応が最大限にその効果を発揮するのは飽くまで戦闘及びそれに関する行為である事。そして、自動反応を自らの意思の下に扱うには、莫大な精神力を要するという事である。――約三十分。その時の精神状態や疲労度によって変動するが、この数字はエリスがこの二月で経験を積み重ねて模索し結論付けた、今の自分の限界である。それを超えるとまともに動けなくなり、それ以内で抑えたとしても集中を切らした瞬間に反動とでも言うべき不調を抱える。


「それでも、これは僕の『力』だ」


 他の騎士に比べると随分と欠点の目立つ力だ。時間制限有り、反動有り、由来や原因は分からず安全性不明。それでも力は力である。エリスが渇望し、手を伸ばし続けていた力である。

 これがあれば、窮地にある誰かを守れる。

 これがあれば、倒すべき敵を倒せる。

 これがあれば、これがあれば――。

 拒絶なんて論外、寧ろ歓迎すらしている。薄々、この力が自分を蝕む毒であると分かっていながら、エリスはやっと手に入れた力に酔っていた。



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