幕間 狂乱の舞台裏
魔蝿による一連の騒動。
政治的圧力、対立組織である騎士団との駆け引きに連携、被害状況、そして後始末。決して上々とは言えず、王都に戻れば改革派の官僚からは文句が呪詛の様に垂れ流されるのだろう。そんな未来が、先程彼の部下が届けた報告書越しに見える。
それでも尚、彼はこの結果を及第点とした。
要らぬ手間があった。予想外の事態が頻発した。だから、なんだ。こちらは――否、彼は幾つもの有用な情報を、材料を、手札を手に入れた。それに比べればこの程度、破格と言ってしまって構わないだろう。
「――そうは思いませんか?」
入口の幕をくぐり、テントの中に入って来る女に彼は声を掛ける。女性は訝し気な、もっと言えば変人の奇行を見たような眼を向けながら、入口に置いてあった魔道具を操作する。淡い光がテントを包み、程無くして消えた。「認識誤換」の結界魔術――これで、騎士団の面々に話が漏れる事は無い。開けた部分がテントの入り口に向いたコの字で配置されている机と椅子の中で、一番奥の中央に座していた男は隣の席を手で指し示す。女はそれをしっかりと見た上で、椅子を移動させ、入り口を塞ぐようにして座った。何だか、面接か詰問でも始まりそうな光景である。
「で、何が「そうは思いませんか?」なのよ」
女は男の視線にたじろがずに自然体のまま、懐から飴玉を取り出してそれを口に放り込んだ。飴玉を舐めながらの言葉は些か間抜けな響きだったが、これは彼女が男を前に気取る必要を感じていないからだろう――無駄だからか、それこそ舐めているからか。どちらにせよ、目上の相手に対して失礼千万の行為だが、男は特に気にする様子も無く話を続ける。
「いや、いやいや。今回の『戦利品』についてですよ。得難い物を沢山手に入れる事が出来たとほくそ笑んでいたのです。予定外の出来事は多々ありましたが、計画通りではありますからね。軌道修正の必要はありません。全体との進行速度の調整はまぁ、必須ですが」
「確かにね――騎士団との接触も許容範囲の出来だし、魔蝿も予定通り討伐成功。協会員の間引きも上手くいったし、実験も……。そう、実験よ。実験はどうだったのよ。結局、ちゃんとした結果は聞けてないんだけど」
「実験は予定通り、予想通りでした。大した変化も無く、正常に機能不全を起こしていました。ただ――」
「ただ?」
男の口が閉じた。
口数が多く、人を嘲り揶揄う事を生き甲斐にしていると言われても十人中十人が納得する男が、珍しくその働き者の口を閉ざした。女はそれを珍しく思いながらも、余り好ましくなさそうな情報の続きを促す。
「『あれ』が死んだ後、何かが変わりました。えぇ、えぇえぇ。そうです。何かは分かりませんが、何かが変わっています。増えたのか、減ったのか。足されたのか、削れたのか。何にせよ、不明な数値が入り込んでいます。死んだ事も致命的な予定外の出来事でしたが、生き返ったことも予想外です。何より、その後の変化など――あなたは何か分かりましたか?」
「そうね。私が分かっているのは、『あれ』の肉体が前までのモノと限りなく近い、しかし決定的に違う別物という事かしら。私の『観測』でも理解の及ばない、何か良く分からないモノが『あれ』の肉体を侵食していたわ。その後『あれ』を追って採掘場に入って、途中で見失って、魔蝿との戦闘の最後にはギリギリ間に合ったんだけど……」
女は言葉を尻すぼみに途絶えさせて、ただ無言で右手を前に出した。そこには、中指と人差し指に包帯が巻かれているのが見える。男はそれを見て、静かに目を細めた。
「撃ったんですね。という事は」
「えぇ。予定外に、そして『あの人』の予想通りって訳。『あれ』が更に良く分からないモノに変わって、魔蝿を倒して、それから一人になるまで様子を見て……で、撃って終わり。ねぇ、あんたは知ってるの?」
何を指しての言葉か。明言せずとも両人の間には共通の認識があった。だから、男はただ短く答える。
「知ってはいますが、分かりませんね。現象や物の名前を知っていても、それの仕組みも意図も分かりません。何せ、『あの方』は『超越者』ですから」
数秒の間、空間に静寂が満ちる。先に口を開いたのは女の方だった。
「……そ。まぁ、信じてあげるわ。今のところは」
「おや、おやおや。手厳しい。もう少し、上司には信頼を見せるべきでは?」
「じゃあ、信じられる態度を取りなさいな。おすすめは寝転がって腹を見せる降伏のポーズね。腹に抱えてるものを見れるし、私は気分が良い。一石二鳥の名案じゃない?」
女は口の端をにやりと吊り上げながら席を立ち上がり、テントから出ようとする。男はそれを特に止めようとはしない。話すべき事は全て話した――否、まだ一つだけ残っている。
「あぁ、そうそう。彼は無事でしたか? 今回の騒動は彼が死んでいても可笑しくないですからね」
「……えぇ、無事よ。無事も無事。いつも通り、能天気に思い悩んでる」
「それは、それはそれは。実に重畳。こんな所で死なれては、あなたを縛る鎖が一つ減りますから。私としても喜ばしい限りです」
男の、悪意を隠さない言葉。嘲笑の滲み出るそれを聞いた女は、刹那の間に濃密な殺気を身に纏った。
それは女の弱味。彼女らしからぬ弱点。
良い様に利用されている憤り、それを覆せぬ自身の力量――「観測の天才」と持て囃されていても、その実態はただの都合の良い手駒だ。持ち主が目の前の男か、「超越者」か、はたまた別の誰かか――女には真実の一欠けらすら分からない。
女はしばし沈黙のままに立ち止まった後、舌打ちを一つ残してテントを出た。
これにて三章終了です。
魔蝿を敵の主軸に据えたお話でしたが、如何でしたでしょうか。
エリスがどうなっていくのか。それは4章で……と言いたいですが、次の4章の主役はセシリアです。
はてさて、どうなっていく事やらですね。作者が一番聞きたいです。