34 魔戦◯
エリスの内側に、何かが居た。黒い画用紙に白い絵の具を塗りたくった様な、白色でしかない白色がそこに居る。
「本当に、君には支払えるものが無いかな?」
白色は嗤う。そこに悪意は無い。あるのは好奇、もしくは嗜虐の心か。重ねて言う。そこに悪意は無い。あるのは真っ白なままに他人の懐を弄り暴く、不躾に過ぎる善意の声だけだった。
「あるじゃないか。君が君であるという、掛け替えの無い宝物が」
――それは、エリスにとって唯一の物。少年を無名の少年からエリスにする、命より大事な楔。払える訳が「じゃあ、目の前の少女を見殺しにする事だ」。
「君がここで君自身を払えないなら、君に目の前の化け物は倒せない。そして当然、少女も助からない。君は生き残る可能性が僅かだがあるけれど、まず間違いなく少女は死ぬ。……君が、見殺しにする」
答えに窮する。少年には決断出来ない。自分を自分として守る為に少女を助けるのに、その少女の為に自分を捨てるのでは本末転倒に「考えるまでも無い事だろう?」
「君が君を犠牲にするなら、少女は助かる芽が出る。君が我が身可愛さに自分の切り売りを渋れば、少女は死に、君が君と定義する自分も死ぬ。天秤だよ。この世は常に選択の連続だ。そして、選択する時のコツは、分かり易い損得害益の比較だ」
「分かるだろう? 一人が死ぬのと、二人が死ぬのと。もっと言おうか? あの化け物をこの場で殺せれば、死ぬのは間違いなく君だけだが、この場であの化け物が生き延びれば、確実に二人が死に、更に他の人間も死ぬかもしれない。十人か、百人か、もしかしたら千人、という事もあるかもしれない。何せ魔蝿は静かな分布拡大を得意とする、厄介な魔獣だ。ここから生き延び、繁殖し続ける未来も十二分にあり得る」
「仮に千人が犠牲となったとすれば、比率は一対千だ。天秤は見るからに千に傾く。そちらの方が価値が高く、重いという訳だ。子供でも分かる計算のお話だよ」
「さぁ、選びたまえ。自らを捧げ英雄と――否、『騎士』となるか。自分を惜しんで大虐殺の引き金となるか」
「選びたまえ」
「選びたまえ」「選びたまえ」
「選びたまえ」「選びたまえ」「選べ」「選びたまえ」
「選びたまえ」「選びたまえ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」
「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」
「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」「選べ」
「選べ」
差し出された白い手を、少年は静かに取った。