9 顔合わせ
朝日が天井近くの格子から優しく差し込んでいる。
整然と敷かれた木板や、打ち込みに使われるであろう人に見立てた木柱が光を気持ち良さそうに浴びていた。使い込まれたそれらに付いた傷は、寧ろ勲章の様に輝いている。
「掃除目的と訓練目的じゃあ、見え方が違うや」
朝一番に稽古場を訪れたエリスは何とも言えない感慨に包まれていた。普段は鬱陶しいと思っていた中々落ちない汚れも、こうして見ると一つの歴史に感じるから不思議だ。まだ何一つしていないのにやり遂げた様な達成感に満ちてしまう。
「早いね、エリス」
稽古場の入口で呆けていたエリスの肩が、後ろから軽くぽんと叩かれる。予想だにしなかった衝撃にびくりと肩を震わして振り向くと、そこにはしてやったりと笑みを浮かべたミーナが居た。
「おはよう、エリス」
「……おはようございます、ミーナさん」
精一杯の気持ちを込めて、恨めしそうにミーナを睨む。ミーナはそんなエリスの姿は一向に介さず、淀み無い足取りで稽古場の一角に向かった。行き着いたのは稽古場の奥の方にある、木剣を立て掛けている壁だ。ミーナはそれらから無造作に一つを掴むと近くにあった打ち込み用の丸太に近づく。そして無言のままに丸太へと木剣を振るい始める。稽古場の静けさを破って、断続的な打撃音が響き始めた。
「稽古前に稽古ですか?」
「ん、癖みたいな物かな」
エリスの方を向かず、ミーナは短く返す。その間も丸太への打ち込みは止まらない。緩急に強弱を交えたミーナの剣さばきは、相手が止まっている的でありながら実戦さながらだ。傍から見ているエリスにすら、丸太が無防備に打ちつけられる人間に見えてくる。
エリスは近くの壁にもたれかかって座り込んだ。何となく、落ち着ける体勢でミーナの稽古を見たくなったのだ。
高らかに響く稽古の音。それが途絶えるのは稽古場に全員が集まった、実に三十分後の事である。
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「既に顔を見た事はあると思うけど、改めて。今日から私達第三班に入る新入りを紹介します。エリス、前に来て」
「はい」
言われるがままにエリスは前へと出た。
横から降り注ぐミーナの視線。
目の前で横一列に並んだ班員から向けられる視線。
それに混じってにまにまと見つめるセシリアの視線。
九の瞳に映る自分の姿。
それらに気恥かしさとこそばゆさを感じつつ、エリスは渇いた喉に唾を飲み下してから口を開いた。
「――今日から第三班に本格的に合流する事になった、エリスと言います。今までも雑用をしていたので知っている方が居るかもしれません。まだまだ分からない事だらけですので、どうか教えて頂けると幸いです。よろしくお願いします」
挨拶の締めに一礼を。遅れて拍手がやって来る。エリスは恥じらいの籠った、はにかんだ笑みでそれを受け止めた。
まばらになり始めた拍手の締めとしてミーナがぱんと手を打った。拍手が静まり、皆の視線がミーナの方へ向く。ミーナはそれを感じ取ると一つの提案を行った。
「さて、エリスがこうして我らが第三班に入った訳だけど。エリスからすれば皆は殆ど初対面。そこで、皆にも軽い自己紹介をして貰おうと思う」
エリスはミーナの方を向きながら内心では安心していた。初対面と言うのは何にも増して緊張する物であり、対人経験を喪失しているエリスにしてみれば尚更だ。今ここに居る面々では隣に居るミーナと――
「……?」
エリスの視線を感じてきょとんとしているセシリア位しか知らない。事前に相手を知る事が出来る機会は是非にも欲しかった。
「とりあえず、列の端に立ってるし、年長だしって事でエディから。後はそこから順番で」
「了解、俺からね」
エリスの指示に従って、列の端に立っていた男が後頭部を掻きながら応える。
「あぁ……エディだ。こん中では年長だな。ちなみに独身。趣味は山登り。お前には、そうだなぁ……。今度からでいいから、食事当番になった時はもう少し多く注いで貰いたいかな。少ねえんだ、お前が注ぐ時。……まあ、とりあえず、よろしく」
エディの自己紹介を聞きながらエリスはエディの外面も観察する。
背はエリスより随分高く、体格もそれ相応にがっしりとしている。右目に眼帯が付けられており、それの所為なのか表情が読み辛い。決して無愛想だとか鉄仮面だとかでは無いのだが、相手を真剣に見ていない様な、どこか別の場所を見ているかの様な意識の希薄さを思わせる。年の差や身長差もあるのだろうが、言葉の端々にある刺々しさも相まって責められている様な圧迫感を感じる。
総評として、エリスはエディという男を何だか苦手そうな人だと捉えていた。
「次は僕だね。僕はイライアス。イライアスと言うよ。歳は二十八だね。日々を楽しく、美しく生きんとする事に誇りを持つ、馬鹿な男さ。趣味はミーナの観察かな。エリス君には僕とミーナの邪魔をしない程度によろしくしたいね」
イライアスの演説にも似た言い振りは悶絶物だが、そのくねくねとした身体の動きも合わさってしまえば、気持ち悪いと言うに躊躇も無い。エリスは露骨に拒否反応ばりばりの表情でイライアスを白眼視していた。当のイライアスはもはや自己紹介では無く自分とミーナについて語り出しており、エリスの視線に気付いていない。もっと言うと、ミーナの視線にも気付いていない。
イライアスはすらっと伸びた体躯、さらりと風と踊る蒼い髪に端整な顔立ちと、黙っていれば美男子に違いない見た目をしている。ただ、いちいち言葉の度にくねくねと動くその光景は美男子の長所を打ち消して余りある。この早朝から第一練武場に集まっている面々の中でも、世界観が一人だけ違った。
「イライアス。そこら辺でそろそろ。ミーナを困らせたく無いでしょ?」
「おっと、そうだね。それではこの続きは昼食の時にでも」
絶対にイライアスとは食事の時間をずらそう。
そんな決心を抱くエリスを余所に、イライアスの暴走を止めた救世主の自己紹介が始まる。
「僕の名前はフレドリック。皆は縮めてフレドって呼んでたりするかな。歳は二十四歳。趣味は裁縫だよ。分からない事があったら気軽に何でも質問して欲しいかな。これから、よろしくね」
フレドリックの年齢を聞いてエリスは目を剥いて驚く。何せフレドリックの身長はエリスよりも低く、その隣で欠伸をしているセシリアよりも尚低い。中性的な童顔なのも相まって、男と言うよりは男の子と言った感じの見た目だ。フレドリックはエリスのそんな様子にくすりと笑った。口の前に手を当て上品に笑う様は貴婦人のそれに似てすらいる。性別不詳? の人畜無害の体現者、それがエリスによるフレドリックの人評だ。
「さて……私とセシリアはエリスと既に顔合わせ済みって事で自己紹介を省くとして。エリス含めた以上六名。これが今日からの第三班のフルメンバーね。皆、仲良くいきましょう」
ミーナが一通りの自己紹介が終わった所でまとめた。それに対する反応は十人十色だ。
「はい!」
エリスは緊張した面持ちで声を張り上げ、
「うぃ」
エディは気だるそうに答え、
「はは、勿論。特にミーナが望むなら何に置いてもさ」
イライアスはウザい感じで、
「うん、頑張ろう」
フレドリックは微笑の元に友好を示し、
「エリス、よろしくね!」
セシリアだけがエリスの名を呼んでいた。
何はともあれ、新生第三班。その旗揚げは朝の陽気の中、静かに取り行われた。
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