勇者編第二話『異世界は複雑』
前回の続き。
俺の目の前には、恰幅のいい男と美しい少女が椅子に座りこちらを見ていた。
「よくぞ来てくれた。勇者よ」
厳格な表情で俺を見下ろす男は、先程から『陛下』と呼ばれ、隣に座る少女は『姫様』と呼ばれていた。
まるでゲームのRPGのようなシチュエーション。もしも俺の服装が学生服ではなく、それこそゲームの勇者みたいなものだったのなら俺はこれを夢だと断じただろう。
なんなのこれ。なんなの?
立て続けに起こる意味の分からない現象に俺の頭はパンク寸前だった。
「な、なんで俺が勇者なんですか?」
おそるおそるそう問いかけると、王様はなぜ俺がそんなことを聞いてくるのか不思議でたまらないといった表情をしていた。
「お主が、あの魔方陣から現れたからだが?」
いやいやいやいや。だからっていきなり勇者はおかしいいでしょう。そんな言葉を飲み込む。これ以上問いかけても無駄なことは、彼らのその態度から察することができたからだ。
「お主に頼みたいのはほかでもない。魔族の討伐じゃ」
「え?」
魔族。いや、異世界なんだからいてもおかしくないけど。討伐だって?
「む、無理でしょう?」
「何を言って居る。お主は勇者。できないわけがないだろう」
ああ、これ何言ってもダメなやつだ。冷や汗が流れるのを感じながら俺はそう思った。
それと同時に、王様がどうして俺の話を全く無視しているのかが分かった。さっきから、俺の様子が勇者からは程遠いものだというのに、彼が俺の話を聞かない理由。それはそもそも王様にとって、俺の感情だとか、状況だとかいったものは何一つ大切ではないということだ。
王様は俺の話など聞く気はなく、ただ俺が勇者であるということだけが大切なのだ。
すべてを丸投げできる人物がいる。ただそれだけが、王様にとって重要なのだということに俺は気付いてしまった。何を言っても無駄。そのことが分かれば、俺はただ黙ることしかできなかった。
「お主の仕事は、今この王国近くまで来ている魔王軍を駆逐すること。何、心配しなくても、軍と我が娘フェオーリアを貸してやる。フェオーリアは優秀な魔術師だ。何か役に立つだろう」
そういって、王様は隣に座っていた少女に視線を向けた。金髪碧眼の美しい少女はその視線を受け、憂鬱そうに睫毛を伏せた。
「では、勇者よ。期待しているぞ」
王様がそう話を締めくくると、俺はまるで謁見の間から追い出されるかのように魔王討伐のために集められたという軍の前へ連れていかれることになった。
「なんで今頃になって魔族が攻め込んでくるんだ!」
「そんなこと知るかよ!」
「今まで仲間割れしてたくせにいきなりどうしてまとまりだしたんだ?」
「やばい。やばいよ。よりによってこんなときに……!」
兵士たちはなぜか焦った様子で、どこかまとまりがない。装備もバラバラで、本当にこれが軍隊なのか疑わしいほどだった。これじゃあ、まるで。
「寄せ集めじゃないか」
気付けば俺は口に出してしまっていた。それぐらいに目の前の光景は信じられないものだった。
「ええ。そうなのです」
静かな口調で、王の隣に座っていた少女、フェオーリアが俺に話しかけた。
「対する魔王軍はこの三倍の戦力だそうです」
フェオーリアは卑屈な笑みでそう言った。
「どうして、国軍がこんな有様なのか不思議なのでしょう?実際、つい最近まではもっとまともな軍がありました。でも、やられてしまったんです。魔族に」
フェオーリアがその白くて細い指を握りこむ。
彼女は語る。勇者という肩書を着せられたただの高校生の俺なんかにこの王国の今の状況を。この世界の事を。
この世界には、多くの神がおり、神々はそれぞれの眷属を持っている。そしてその眷属を大きく分けると、人族と魔族の二つになるらしい。
人族の眷属は国ごとにまとまりがあり、平穏な生活を送る。
その一方放任主義な魔族の神はくくりを作らず魔族を放っておいたため魔族はいつも内乱が絶えなかった。そこで、魔族の神の一柱が魔王を立て、統治させることにした。
魔王を立てるという考えは初めこそうまくいっていたものの支配されることを嫌う魔族は徐々に魔王に対して反感を持つようになり、魔族は魔王を討つようになった。
神はたまに魔王を立てたが、今まではすぐに人族が討つまでもなく勝手に崩御していった。しかし今回ばかりはなぜかそうはいかず、魔族たちは魔王に従うようになった。
自滅寸前だった魔族に追い打ちをかけ、侵略しようと画策していた人間側はそれを逆手に取られ、敵の陣地に誘い込まれ撃破されていった。
それが一週間前の出来事。魔族の追撃はまだ続いており、人間側は追い返すのが精いっぱいで日々疲弊する一方だった。
「やられました。新しい魔王がまさかこんなにも早く崩壊寸前だったあの魔族をまとめ上げることができるなんて」
フェオーリアは悔しそうに唇を噛んでいた。
「父は、おそらくあなたにすべての責任を押し付けるつもりです。魔族に攻め入られたのは、勇者が失態を犯したせいだと。……体面なんか気にしてる場合じゃないのに!」
フェオーリアから語られた今の状況はあまりにも絶望的だった。どう考えても俺たちに勝機はない。
「どうして、それを俺に?」
こんな絶望的な状況を聞かされれば、逃げてしまうのではないかと考えなかったのだろうか。
しかしフェオーリアはさきほどまでの険しい顔から一転して、気高く俺に微笑みかけてみせた。
「あなたには、関係のない事ですから」
俺の心臓ははまるで図星をつかれたかのように跳ね上がった。事実、俺はちょっとだけ逃げてしまうことも考えていたのだ。
ああ、みっともない。俺と同い年ぐらいの女の子がここに残ることを決意していながらも、俺に逃げ道を与えてくれるほど覚悟を決めているというのに。俺というやつは。自己嫌悪に苛まれながら、俺の気持ちは固まっていた。
俺は逃げない。ここで、彼女とともに魔王軍を打ち破る。
何か考えがあったわけではない。しかし俺はただそう心に決めた。
俺は勇者なのだそうだから。きっとなにかあるはずだ。なくても作り出せばいい。
今まで後ろ向きに生きていたのに、なぜかこの時はそんなふうに思えたのだった。
姫様の名前、間違えそう。多分、そのうち間違える。