さよなら現世(じごく)
もし自分が死んだら、自分のいなくなったこの世界はどうなるのだろうーーー。
何の変化も無い、何の面白みもない退屈地獄な日々を送るだけの自分の死でも、何かしらの変化は起きるのだろうか。
答えは簡単だ、何も変わらない。たかが人が一人死んだくらいではこの社会は動かない。それが大企業の社長だとか、芸能人著名人だったならば話は別となるが、ただの一高校生、それも自分のような人間の死など、モンスタボールを投げた時にAボタンとBボタンを交互に連打するくらいに影響の無いことだ。
「なら、いなくても良いよな。」
数匹の猫に孤独の言い訳をする高校二年生の男子がいた。
名は威縫軽太。
紺のような黒のような色の寝ぐせのはねた頭髪と、長めの前髪に隠れる光の無い黒く鋭い瞳を持っている。
彼の目は死んだ魚の目というよりも、焦げた焼き魚の目に近い。
顔面偏差値はそう低くないはずと自負こそしているが、あくまでカルタ個人の主張である。
彼が昼休みのこの時間に校舎の屋上で猫に餌をやっている理由は察してやってほしいものだ。
新学期早々のこの時期の昼休みと言えば、新たなクラスメイトと同じ席を囲んで昼食を食べつつ談笑し、親睦を深め合うのがセオリーなのだが、彼がこうして猫に語りかけている状況については、やはり察してやってほしいものだ。
コミュニケーション能力はさほど低くないはずと自負こそしているが、これもあくまでカルタ個人の主張である。
この学校には野良の猫が多く、(友人のいない)彼にとって唯一の語り相手となっており、去年から毎昼餌をやり続けていた。
自身の昼食も済ませ、余令の鳴る前に教室へ戻ろうとしたその時であった。
カルタの視界に、ある一匹の子猫が写った。
どうしてかその子猫はフェンスの向こう側にいた。
4階建てのこの校舎から落ちればどうなるかは子猫にも想像がつくようで、助けを求めか細い声で鳴いていた。
ーーー「じっとしてろよ…!」
人助けなど普段はあまりしないカルタであったが、猫助けとあらば話は別だ。
軽々と3m程のフェンスを登り越え、子猫の下へ参上した。
そのまま子猫を抱き抱え、片手でフェンスをよじ登ろうとした。
例え片手が塞がっていてもこの程度のフェンスくらいなら乗り越えられると計算した上でのカルタの行動は、途中までは計算通りに運んだ。
が、自身のその日の運勢までは計算の範囲外だった。
ーーーえ?
右手をかけていたフェンスが千切れた、それを理解するまでに時間はかからなかった。
カルタは子猫を抱えたまま、宙へと投げ出された。
ーーーなるほどな…
これから自分に降りかかる死を理解するのはさらに早かった。
それは死んで後悔する何かや、死を受け入れ難い理由が彼に無かったからである。
強いてあげるならば、この子猫のことくらいだ。
頭を下に落下したカルタは、子猫を優しく抱え、自分をクッションにして子猫の命を守れるように姿勢をとった。
一連の流れが行われるまでに、カルタはまだ半分も落ちていなかった。
ーーー死の直前、時間がスローに感じられるというアレか…
スローの空間でふと下を見下げると丁度カルタの真下を一人の女子生徒がスタスタと歩いていた。
蒼いセミロングの艶やかな髪に長いまつ毛とくっきりとした瞳、美しい純白でキメの細かい肌、どこをとっても100点満点のその容姿の持ち主は…
ーーーハジキだ。
千早葉色…成績優秀、頭脳明晰、スタイルは抜群で魑魅魍魎も恥じらうほどの美貌を持った完璧超人。人当たりも良く学校のアイドル的存在である。
ついでに言うとカルタのクラスメイトで幼少時代からの幼馴染みである。
カルタの人生で唯一幸運だったことは彼女と幼馴染みであったことくらいだろう。
ーーーあいつとはずっと同じ学校同じクラスなのに何年も口を聞いてないな…まさか最後に見る人がハジキになるとは…
落下の最中、何故か年長の頃彼女と最初に喋った話題が猫についてであったことを思い出した。
ーーーー気がつくとカルタの視界は暗闇に染まった。
威縫軽太は死んだのだ。
4階建ての校舎から落下し頭を打ったのだ、即死で当然である。
厳密に言うとただそれだけの死では無かったのだが、その話はまた先でするとしよう。