~序章~
この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには、一切関係ありません。
~序章~
「水幸神、私は、貴方を愛していますよ」
そう言って、光り輝かんばかりの姿をした青年は、まだ五つにも満たない幼い少女の額に口付けを落とした。無邪気な少女は嬉しそうにそれを受ける。
「豊世神様」
愛も知らず、闇も知らない少女はただ、思うがままに青年に抱きつく。
そのときは、その青年ですら予想をしていなかった。母親に、生まれて初めて会う少女を見送った後、その少女には会えなくなることを。
~第一章~
「翡翠、そろそろ時間よ」
「はい、お母さん」
私の名前は翡翠。普通の家庭に生まれ、勉強は割りと出来た。でも、生まれつき体が弱いせいで運動は全面的にドクターストップがかかった。普通に生活する分には何の支障もないんだけど、それでも週に一回は病院に通っている。これからその病院の時間。
「行って来ます、お父さん」
「あぁ、行ってらっしゃい」
家族は四人。お父さん、お母さん、そして妹の牡丹。みんな普通に黒髪に黒目。なのに私だけは何故か、黒髪に翡翠色の眼をしていた。だから翡翠っていう名前にしたんだって。
私は今中学三年生。牡丹は中学二年生で、同じ学校に通っているんだけど、牡丹は体が丈夫だから、学校の寮で暮らしている。家から学校までは遠いし、寮の方が便利ではあるんだけど、それだと病院にいくのが難しくなってしまう。お母さんは仕事をやめて、アルバイトを何個も入れてまで私を病院に通わせてくれてるから、それを蔑ろにしたくはない。それに、自分の体のことだし。
「いつもありがとう」
「いいのよ。それより、どこかしんどいところとかない?」
「うん。今日はあまりそういうところはないわ」
「そう」
そこでいつも会話が途切れる。何故かは分からない。私は家族と会話が続いたことがない。いや、家族だけではない。学校に行ってもどこにいても、私は人と会話が続かない。そして、お約束のようにそんなことを思うたび、何かが自分の中で欠けているような喪失感に襲われる。そこからだ。欠けている何かを探そうとすると一気に吐き気がこみ上げてくる。思い出そうとしているものを拒絶している訳ではない。自分が吸い込んでいる空気、自分を包んでいる空気。その全てを自分の体が急に拒絶し始めるのだ。
「翡翠!?」
車の中で自分の口を押さえてかがむ。自分の顔から血の気が引いているのを感じる。
怖い。
気持ち悪い。
助けて。
死にたくない。
誰か。
助けて。
必死に願う。
でも、誰にも聞こえない。
それなのに、いつも頭の中に響いてくる。
「豊世神」
その名が。
頭の中を駆け巡る。
頭の中をかき乱す。
「翡翠!」
誰かが読んでいる。でも…
貴方じゃないわ。
「翡翠!!」
違うわ。そんな名前じゃないわ。私の名は―――
「翡翠!!!」
三度目の甲高い叫びに目を覚ます。焦点が合わない。視界がぼやける。
誰?
私の偽の名を呼んでいたのは。
「翡翠さん?」
視界に何か、顔のようなものが入ってくる。
「せん…せい……?」
「はい」
「お、かあ…さん?」
「えぇ、翡翠、分かる?」
病院の先生と、お母さん。
あぁ、もう大丈夫だ。
いつもと同じ。
早く、私を助けて。
ここは、苦しいから。