第二章-3
さっさとおわれ。
愛真高校南校舎の裏で、大栗純はそう思っていた。
彼の目の前には、女が立っていた。知らない女だが、校章からいっておなじ一年生のようだ。彼女は両手を胸の前で組み、はずかしそうにもじもじと内股をすりあわせている。
数分前、純は廊下を歩いていた。そしたら彼女によびとめられ、この人気のない場所に連れてこられたのである。
「大栗くん。わたしね、あの、わたし」
緊張しているのか、彼女は言葉につまる。
よびとめられた時点で、純は彼女がなにを言いたいのか、さっしていた。すでに答えも決まっていて、いますぐ答えを言ってこの場から去ることもできた。
しかし、まっすぐな気持ちをむけてきている相手を無下にすることは気がひけた。
だから待つけど、でも早くしてほしい。
遠くのほうから、昼休みを満喫している生徒たちのざわめきが聞こえてくる。
純はもじもじしている彼女から視線をはずし、横手の南校舎一階の窓を見る。
黒の毛先に多少のうねりが加えられた無造作ヘアー。ねむそうにたれさがっている目じりが特徴の二枚目顔。赤ん坊みたいと言われる肌は、きょうもうるおっている。
窓にうつる自分の顔を一秒ほど見たが、つまらないので視線を女にもどした。
そのときだった。
「わたし、大栗くんのことが好きです! つ、つきあってください!」
誠意のこもった声で、彼女は言った。
「ごめん」
一方の純は淡々と返した。
「ど、どうして? わ、わたしじゃつりあわないから?」
自分がフラれた理由を知りたがる彼女に、純は正直な気持ちを伝えることにした。
「めんどうだから」
「へっ?」
きょとんとする彼女に背をむけ、純はダルそうに歩いてその場を去る。南校舎の裏側から北校舎の靴箱に行き、スニーカーから上履きにはきかえていると、
「あんたが大栗?」
と、横柄な声によばれた。
顔をあげてふりむくと、三人の女子に囲まれていた。こんどは校章の色から言って、二年生のようだ。そして声をかけてきたのは、純の正面に立っている巻き髪女のようだ。
「そうですけど」
気だるげに答えると、巻き髪がこちらに顔を近づけてきた。
「ふーん。かっこいいじゃん」
「はあ」
「メアド交換しようよ」
巻き髪は自信にみちあふれた態度で、スマートフォンをとりだした。
「いやいいっす」
だが純はそんな自信を、そっけない一言で打ち砕いた。
巻き髪が眉をひそめ、とりまきの二人が気まずそうに顔をみあわす。
「は? なんで?」
巻き髪がイラだった口調で言った。
「メールめんどいんで」
これまたそっけない返事だった。
巻き髪がこちらにつめよってくる。かたくなにひかないのは、とりまきにかっこわるい姿を見られたのがはずかしくて、あとにひけなくなっているからだろう。だったら最初から連れてくるなと言いたい。どうせ自分がメアドを交換している様を見せつけて優越感にひたりたかったか、もしくは群れないとなにもできないような類か。
だから女というのは――めんどくさい。
「なに。あんた彼女いんの?」
「いないっす。つくり気もないっす」
「はあ? もしかしてホモ?」
あざわらうように巻き髪は言った。その程度の低さに純はため息をつき、階段のほうにむかった。これ以上しゃべると、脳がくさりそうだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
うしろから必死に声をかけてくるが、純はあくびをしてその声を無視した。
「……めんどくさい」
※
「どう平孫ちゃん。わかった? ジュンジュンのすごさが」
「ほんとすごいな、あの低血圧男」
廊下を歩く大栗純のあとを、平孫と文香は一定の距離をおいてつけていた。
このストーキング行為は、朝からいままでずっと行われていた。そのおかげでわかったことは――大栗純はとんでもなく女に好かれているということだ。先ほどの二人を抜かしても、朝からいままでに五人の女から告白やメアド交換などをもとめられている。
しかも文香いわく、これがほぼ毎日だという。
そんな化け物級のモテ男だが、一つ気になる点があった。
「しかしあいつ、女に興味ないのか?」
彼はすべての女の子に対してそっけなかった。どんなに迫られても、ねむそうな顔をしてことわるだけなのだ。
「聞いた話では、女の子とつきあうのがめんどうだからとか。ま、そういうつれないところがまた人気らしいけどね。クールじゃんつって」
「俺もあんな風にふるまえば、羊坂さんも好きになってくれるかな?」
「顔の差で無理」
「……ぐっ」
真実を前に、無力な平孫は悔しさを胸に拳をにぎることしかできなかった。
「そろそろもうわかったでしょ? ジュンジュンのすごさ。だからたのみにいきなよ」
「そうだな。よし行ってくる」
平孫は覚悟を決めて、大栗のところにむかった。
※
「大栗」
教室に入る直前にまた声をかけられて、純は足をとめた。
ふりむくと、予想外の人物が立っていて、純はたれた目をすこし見開く。
「……不動」
不動平孫。クラスメートの不良だ。昨日から髪型と服装を変えたようだが、はたしてどういう心境の変化なのか。更生でもするつもりなのだろうか。それよりも、ろくにしゃべったことのないこの男が、いったいなんの用があってしゃべりかけてきたのか。
――めんどうなことじゃなかったらいいんだけど。
「なに?」
「話があるから、ちょっと屋上まできてくれ」
「話だったらここで聞くけど」
「あんまり人のいるところで話したくねえんだ」
そう言われて、純はさっした。この手のよびだしは中学時代にもあった。おそらくは、そういうことなのだろう。拒否してもいいが、したらしたで、またつっかかられるかもしれない。めんどうごとは、さっさとおわらせるべきだ。
「……わかった」
純はダルさ全開で答えた。
歩きだした不動平孫についていき、屋上に出た。
純と平孫は屋上の中心あたりでむかいあう。フェンスで囲まれているせいか、まるでいまから金網デスマッチでもはじまりそうな構図だった。
純は自分より頭一つ分高い位置にある、平孫の強面の顔を見あげる。
「なぐるんだったらさっさとしてくれ」
「は?」
「ヤキを入れるんでしょ。僕が気に食わないとかなんとか、そんな理由つけて」
純が投げやり気味に言うと、平孫は眉を八の字にしてほほを指でかく。
「……なあ。俺ってやっぱりそういう風に見えちゃうのか?」
予想とちがう反応をしてきたので、純はやや警戒しながら問う。
「そういう風ってなに」
「ヤキ入れるとか、そういう感じに」
「まあ」
正直に答えると、平孫は深いため息をついて、ふらふらとフェンスによりかかる。
これまた予想外の反応に、純は調子を狂わせてしまう。
「お、おい。どうした」
「……わるかった。ちょっといやなこと思いだしてな、うん。もう大丈夫だ」
言葉通りしっかりとした足取りで、平孫は純の前にもどってきた。
――なんなんだ、こいつ。
相手のことをさぐろうと、純の目つきが鋭くなる。
そして、平孫が言った。
「かんちがいしないでほしいんだけどな、俺はもう不良をやめたし、ヤキは入れない。というか不良やってたときから、ヤキなんていちども入れたことねえんだよ。マジで」
「あっそう……。じゃあなに?」
「俺のコーチになってくれないか」
意味がわからずに純が眉をひそめると、
「俺な、いまイメチェンしようと思って色々やってんだけど、なにやってもうまくいかなくてな。だからおまえにイメチェンのコーチをやってもらいてえんだわ」
「なんで僕にたのむ?」
「だっておまえ、すごくモテてるだろ? 俺、女ウケがいい感じにイメチェンしたくてよ」
「やだ」
純がにべもなくことわると、
「え?」
と、平孫がマヌケ面をさらした。とっさのことで、反応しきれなかったのだろう。
純はたたみかける。
「キミさ、羊坂を泣かしていたよな」
「ど、どうして羊坂さんが出てくるんだよ、そこで」
動揺した声をだす平孫を、
「女を泣かすような奴に、女から好かれる方法をおしえたくない」
純は鋭い言葉で切りつけた。
別に羊坂やよいが好きというわけではなかったが、女を泣かすような真似をしておきながら反省した様子もなく、モテたいとほざく平孫の態度が気に入らなかったのだ。
そして言いおえた純は背をむけて、
「あと、めんどくさい」
と、最後にそうつけ加えて屋上とびらのほうにむかった。
だが五歩ほど進んだところで、平孫が前にまわりこんできた。
そして至近距離から、虎のような力のある目で、純をにらみつけてきた。
だがこの手の視線になれている純は、一歩もひかずに強気ににらみかえす。
「なんだ? やっぱりなぐるのか。自分が思い通りにできなくなったらそうやって――」
「羊坂さんを泣かしたのは事実だ」
平孫は淡々と言った。しかし感情がこもっていないというわけではなく、むしろあふれだしそうなそれをおさえてしゃべっている、という風に純は感じた。
「あれは彼女の気持ちを考えなかった俺がわるい。言い訳はしねえ」
それは、コーチをしてもらいたくて言っているでまかせなのか、はたまた本心なのか。
真実を見抜くべく、うねる髪をかきながら純は問いかけた。
「なんで羊坂を泣かしたの?」
「それは……」
平孫は急にだまりこみ、しばらくの間をおいてから、
「…………絶対にだれにも言うなよ?」
聞き耳を立てている人などいないのに声をひそめて、純に耳打ちしてきた。
「告白しようとしたら恐がられて、泣かれちまった。告白する前にフラれたんだよ」
本日三度目の予想外に、さすがの純もきょとんとした顔になった。
「マジ?」
「マジ」
「なんか、ひどいことをしようとしたとか」
平孫が首を振って否定する。
「彼女にひどいことをしたことも、しようと思ったこともない。これから先も絶対にそんなことはない。ただ、見た目が恐かったのと、あと誤解されたせいで泣かれたみたいなんだよな。さっきのおまえみたいな感じで」
「…………ヤキ入れる、云々の話?」
平孫がうなずいた。
あのときの変な行動はそのときのことを思いだしたせいか、と純は納得し、すこし同情した。好きな相手に泣くほど拒絶されるなんて、想像しただけで気が滅入る。
そして純は、一つの事実にたどりついた。
「不動がイメチェンしたいのって、羊坂に好かれたいから?」
「おう。見た目とか中身とか大幅に変えたら、きっと恐がれないだろうと思ってな」
「まだ……好きなの?」
「あ、当たり前だろ! じゃなきゃおまえにコーチなんかたのまねえよ! 言わせんなバカヤロウ!」
思春期全開の態度で、平孫はぷいっと顔をそらした。
なんだか小学生を相手にしているような気分だ。この不動平孫という男は、純が思っているほどわるい男ではないようで、意外とまっすぐな気持ちをもっているようだ。
純は、こういう男がきらいではなかった。
ふう、と一息ついてから、気だるげに純はつげる。
「コーチ、やってもいいよ」
平孫が目をかがやかせる。
「ほんとうか!」
「言っておくけど、僕がおしえたとしても絶対に羊坂に好かれるってわけじゃないから」
「わかってるって!」
といってはいるが、どうみても平孫は有頂天になっていた。
――ほんとうにわかっているのか?
純が首をひねったとき、屋上とびらが開いた。
「いやー、うまくいったようでようござんしたな」
とびらの陰から、中村文香がひょっこりとでてきた。
――どうして彼女がここに?
純が疑問をいだくと、平孫が彼女にむかって叫んだ。
「文香! やったぞ!」
「そうみたいね」
「よっしゃ! 希望が見えてきたぜ!」
興奮がおさえられないのか、平孫はなんどもなんどもガッツポーズをする。
そんな彼を横目に、純のそばにやってきた文香が言った。
「実はウチも平孫ちゃんに協力してたんだけど、一人じゃ手に負えなくて」
よろこぶ平孫の姿をみながら、そうだろうな、と純は思った。