第四章-3
「ぬっふっふー」
文香はにやつきながら、北校舎の階段をのぼっていた。
その足取りはかるく、いまにも飛びあがりそうだった。
昨日、平孫とやよいのデートがあったわけだが、それがどうなったのか、彼女は知らない。電話や平孫が家に帰ってきたときに聞いてもよかったのだが、あえて聞かずに、二人でいるとこに直撃取材をかけようと考えていた。
「はずかしいこといっぱいきいちゃるでー」
そういって、教室のとびらを開けた。
「おはよう諸君!」
元気にあいさつをすると、クラスメートたちが返事を返してくる。文香は入室して、通学鞄を自分の机においてから教室を見まわすが、平孫もやよいの姿も見当たらなかった。
文香は机に突っ伏して寝ている純のそばにいき、その肩をゆさぶった。
「ジュンジュンおきてー」
ダルそうに純が顔をあげた。
「……中村か。なに?」
「平孫ちゃんとやよいっち知らない?」
「まだ登校してきてないんだろ」
そっか、と文香はつぶやく。
「ジュンジュンは昨日のデートの結果、どうなったか聞いた?」
「いや……。どうせ学校についたら不動が自慢してくると思ったから、聞いてない」
「そっかー。いやー、早く聞きたいね!」
「……別に」
純はあくびをする。
文香は彼と世間話をして時間をつぶすが、しかし朝礼五分前になっても、二人は登校してこない。
「おそいなー、二人とも」
「不動はまだしも、羊坂がこの時間までこないのはめずらしいね」
いつもとちがうということに、文香はなにか不安を覚えた。
――なにも、ないよね? くるよね?
そう思って待つが、しかしついに予鈴は鳴ってしまった。
仕方ないので文香は自分の席についた。
水無星百合子が教室にやってきて、出欠の確認をはじめた。
文香は手を挙げる。
「先生、平孫ちゃんとやよいっちがきてませーん」
「ああ、その二人だったらどっちもきょうは風邪らしいから、休みだぞ」
猛烈に嫌な予感がして、文香は純のほうを見た。彼も、こちらを見ていた。
朝礼がおわり、文香はすぐさま純のところへ移動した。
「二人とも休みって、これけっこう、まずいっぽくない?」
「……電話してみようか」
純の言葉に、文香はうなずいた。
「平孫ちゃんにおねがい。ウチはやよいっちにするから」
スカートのポケットからスマフォをとりだし、平孫の電話番号を短縮発信。なんどもコールするが、出る気配はなかった。十回以上コールしたところで、あきらめて切った。
「ダメ。でないよ」
文香が首を振ると、純もおなじ動作をした。
「こっちもだ」
「もしかしたらさ、ほんとうに二人とも風邪をひいて、寝ているだけじゃない? おきたらほら、きっと折り返しの電話をかけてくるにきまってるよ」
「……かもな」
だが、折り返しの電話は、放課後になってもこなかった。
クラスメートたちが教室を出て行くなか、文香は通学鞄を持って、純のそばに行く。
「ウチ、いまから二人の様子を見にいこうと思うんだけど、ジュンジュンも行く?」
「ああ、僕もそのつもりだった」
純も通学鞄を片手に、椅子から立ちあがった。
「二人で行っても効率が悪いから、僕は不動のところに行く。そっちは羊坂をたのむ。もしもなにかあって休んでいるんだとしたら、同性のほうが言いやすいだろうし」
「だね。平孫ちゃんの家はウチのとなりだから。場所は――」
二人は情報を交換して、それぞれの家にむかった。
※
自室のベッドに寝転んで、平孫は天井をながめていた。
前はポスターが貼りつけられていたのだが、はがされたいま、そこにあるのは木目だけだった。その木目を、ただひたすらに、無心で見つめていた。
――いや、無心なんかじゃない。
どこでまちがえてしまったのか。どうすればやよいを泣かさずにすんだのか。自分はどう立ちまわるべきだったのか。なんどもなんども、昨日の出来事を脳内でシミュレーションをしていた。しかし最後にはいつも、おびえたやよいの泣き顔がうかぶのだった。
わかっていた。あの時間にはもうもどれない。おこってしまったことを変えることはできない。やよいの前でケンカをして、彼女をまた恐がらせた事実は、変えられない。
なにもやる気がおきなかった。死のうという気さえおきなかった。
ただずっと、頭の中でなんども『昨日』をやり直すだけだった。
と、部屋のふすまが開かれた。
両親かと思ってそちらを見たら、学ラン姿の純が立っていた。
「ひどい顔をしているね。風邪ってきいたけど」
純はそういって畳の上にすわった。
「……」
心配して見舞いにきてくれたのだろう。しかし平孫は声をかけずに、純にむけていた視線を天井にもどした。そしてまた、頭の中で『昨日』をやり直しはじめた。
「無視か」
純はため息をついた。
「で、羊坂となにがあった」
「……」
「あの子も学校を休んだんだよ」
シミュレーションを中断し、平孫は思考する。やよいが学校を休んだのは、自分を恐がっていて会いたくないからだと、平孫は判断した。
「なにかあったんでしょ? 言えよ。その……僕に原因があるかもしれないし」
純の声には重いひびきがあった。自分が仕組んだ計画が原因でなにかおきたのではないか、と責任を感じているのかもしれない。
「……ねえよ」
平孫は声をしぼりだした。
「水族館は、うまくいった」
「だったらどうして」
「水族館の帰りに、あの子を家まで送ろうとした。そしたらそのとちゅうで不良にからまれた。前に俺が喧嘩をしてボコった奴だ。運がわるかったんだよな」
「……まさかおまえ、その顔は」
「ケンカした。羊坂さんの目の前で」
淡々と事実をつげると、
「彼女を守ろうとしたんだな」
純は断言した。平孫がそれ以外の理由でケンカをするわけがない、という風に。
「……あの子を恐がらせたのには、変わりねえよ」
平孫は手で顔をおおう。
「脱皮しない蛇は死ぬかもしれねえけど――脱皮したところで、蛇は蛇のままなんだ」
「なにを言っているの?」
「……別に」
つぶやいた平孫を、純はじっと見つめていた。
※
自室のベッドに寝転がるやよいは、クマのぬいぐるみをだきしめて、ぼーっと真っ白な天井をながめていた。彼女の容姿と同様にその部屋は洗練されていて、無駄な調度品が一切なく、それでいてよくそうじされていた。壁にはシミひとつなく、フローリングはかがやいている。だが部屋の美麗さとは逆に、やよいの心には暗澹たる思いが渦巻いていた。
――わたしが余計な真似をしなければ。平孫はにげろといった。それなのに、自分は心配になってもどってきて、そのあげく、なにもできなかった。あまつさえ――
そのとき、頭の中で平孫が暴力を振るう瞬間の映像が流れた。
やよいはくちびるをかみしめて、腕の中のクマをぎゅっと強くだきしめた。
部屋のドアが開いた。
ママかと思ってやよいがそちらを見ると、意外なことに文香が立っていた。
「やよいっち、おっす」
「ふ、文香さん」
やよいは急いで身体をおこし、そして自分が真っ白なパジャマ姿だと気づいて、
「ご、ごめんなさい。いますぐ着がえますから」
「いやいやそのままでいいよ。それより、入ってもいい?」
そういわれてはうなずくしかなく、やよいはクマのぬいぐるみを枕元においた。
その間に部屋に入ってきた文香は、通学鞄をおいて、床にあぐらをかいた。
「やよいっちの家さ、大きくてわかりやすいね」
「マ、マンションですからね」
「はじめて行くから迷うかと思ったけど、意外とあっさり見つかってよかったよ」
文香は頭をかいた。
「風邪をひいたんだって?」
「…………はい」
ほんとうは仮病だが。文香のいらぬ心配をかけてしまった、とやよいの胸が痛んだ。
すると文香が言った。
「で、ほんとうはどうしたの?」
「え?」
「風邪じゃないっしょ? 平孫ちゃんとなんかあった?」
昨日の出来事を平孫から聞いたのだろうか、と思ったら、
「平孫ちゃんも学校休んだから、なんかあったのかなーって」
「…………っ!」
やよいは言葉をうしなう。なぜ彼が休んだのか。それはきっとやよいに会いたくないからだ。どうして会いたくないのか。前に平孫はやよいに恐がられたことを気にして、自分を変えた。メンタルが弱いと言っていた。だからおそらく今回も、おなじ理由で、彼は傷ついてしまったのだろう。そうだ。やよいが恐がったせいで、彼は――
ぐっ、とやよいは自分の左胸をおさえて身体を丸める。
「やよいっち? どうした」
そういって、文香が背中をさすってくれた。
「……なんでもない、です」
やよいは首を振った。
「なんでもないことないっしょ」
「これは、わたしの、せいだから」
「やっぱり昨日、なにかあったんだね」
文香がとなりに腰かける。二人分の体重をうけて、ベッドがぎしっときしんだ。
「……話してくれる? 昨日、なにがあったのか」
やよいは深呼吸をして、それから言った。
「昨日、わたしは不動さんといっしょに水族館で遊びました」
「そのときなんかあった?」
「ううん。水族館はとっても楽しかった。不動さんも、とってもやさしくて」
「じゃあ、どうして?」
「……家に帰るとき、不動さんに送ってもらったんです。そしたらそのとき、不動さんが不良さんに襲われて。それで、不動さんに言われて、わたしはにげたんです」
「……それで?」
「でも心配になってもどったんです。そしたら、不動さんが不良さんにいっぱい殴られていて……それで、わたし、止めようとしたんです。そしたら、その、わたしはふ、不良さんになぐられて……それで、あの、ふ、不動さんが…………」
また頭の中で平孫が暴力を振るう映像が流れ、やよいはそれ以上口にだすことができなくなった。すると文香がさっしたようで、
「平孫ちゃんが、暴れたんだね」
といって、背中をさすってくれた。
「で、やよいっちは平孫ちゃんが暴れた姿を見て、平孫ちゃんのことが恐くなってしまって、学校に行きたくなかったと」
「……ちがうんです」
やよいは首を振って否定する。
「ちがうって?」
「たしかに不動さんが怖いと思いました。でも、不動さんはわたしのことを、助けようと思ってそうしてくれたんです。それなのにわたしは……不動さんを拒絶してしまった」
「…………」
「そしたら不動さん、とても悲しそうな顔をして……わたしは、不動さんを傷つけてしまった。あんなにやさしくて、助けてくれたのに……わ、わたしが余計なことをしなきゃよかったのに……に、にげておけば……全部わたしが悪いの。だから……わたしは……」
自分を責め続けるやよいを、文香はじっと見つめた。




