第四章-1
第四章
平孫は自室の姿見の前で、自分の身なりを確認する。
短い髪の毛にはワックスをつけ、適度に立てている。半そでのポロシャツにダメージジーンズ。ちょっとしたアクセントして、手首に銀のブレスレットをつけ、鳥の羽根を模したネックレスを首からさげている。ナチュラルで歳相応の格好だった。
はじめてやよいに私服を見せるわけだが、これなら恐がられないだろう。
「――よしっ」
納得した平孫は財布とハンカチと折りたたみ式の携帯電話をポケットに入れ、部屋を出た。そして階段を降りて、玄関でスニーカーをはいていると、
「ずいぶんと早いな」
背後から声がした。ふりむくと、寝巻き姿の親父が立っていた。いつもならこの時間帯はスーツを着て仕事に行っているのだが、きょうは休日なので会社が休みなのだ。
「遊びに行くのか?」
「おう。友だちと水族館に行ってくる」
「水族館? おまえが?」
親父がおどろいたように言った。
「俺が」
平孫は苦笑する。
「……そうか」
親父は感慨深げに言った。
両親は、平孫が不良の格好をしていても、特になにもいわなかった。気にならなかったのか、それともあきらめていたのかは定かではないが、どちらにせよいい気分ではなかったはずだ。そんな息子が、こうして更生して、なにか思うところがあったのだろう。
「どんな友だちなんだ?」
「文香と、おなじクラスの純と、あと羊坂さん」
「いい人たちか?」
「俺にはもったいないくらい」
正直に言うと、親父はうれしそうにうなずいた。
「大切にしろよ」
「おう。――んじゃ、行ってくる」
靴紐をむすびおわり、平孫は外に出た。
六月に入ったばかりだが、陽ざしが強かった。天気予報では夜から雨が降るといっていたが、空は晴れわたり、白雲がゆらゆらとただよっている。
いい天気だ。
平孫は隣家の中村家に行き、インターホンを押した。
しばらく待つと、エプロンを着た文香の母親が出てきた。
「――平孫くん?」
文香の母はとまどったように言った。変身した姿を文香の母にみせるのは、これがはじめてだった。
「どうも」
「あらー。見ちがえたわね。文香から聞いてたけど、イイ男になったじゃない」
「おばさんもきれいだよ」
「あらー、おべっかなんてつかうようになっちゃって、もう!」
バシンと肩をたたかれて、平孫は苦笑する。
「文香いる?」
「ちょっとまってね。――文香、平孫くんよ!」
玄関近くの階段を見あげながら、文香の母は呼びかけた。だが、反応がなかった。
「ちょっと見てくるわね」
言って彼女は階段をのぼっていった。
――寝坊か?
そう思っていると、文香の母が一人でもどってきた。
「ごめんなさいね。文香ったらいないのよ」
「え?」
「いつ出ていったのかしら……まだ八時前だって言うのに」
いっしょに水族館に行くはずだったのだが、もしかして待ちきれずに先に行ったのかもしれない。マイペースな文香のことだからありえる。
文香の母にお礼を言ってからその場を去り、平孫は一人でバス亭にむかう。自宅から歩いて約一五分の距離にあるそのバス亭に、しかし文香はいなかった。
もう水族館についたのだろう。
ベンチにすわってしばらく待つと、バスがやってきた。
平孫はそれに乗りこみ、窓側の席にすわった。
バスが出発した。
窓の外で、風景が流れていく。
しばらくゆられていると、遠くのほうに水族館の姿が見えた。
期待と不安が、胸をよぎった。
平孫が昇降台を降りると、背後でドアがしまり、停車していたバスが発進した。水族館前のバスターミナルで降りた平孫の正面には、ドーム状の建造物があった。
水族館――愛真ウォーターランドだった。休日で、しかも開館前ということで、長蛇の列ができていた。いまからならんでも、三十分くらいは入れそうにない。
平孫は周囲を見まわす。バスターミナル前に集合ということだったが、他の三人が見当たらない。純とやよいはまだしも、文香までいないのはどういうことだろう。
しかたないので、バス亭のベンチにすわって待つことにした。
しばらく待つと、次のバスがやってきて、平孫の前で停車。開いたドアから、小柄な女の子――やよいが降りてきた。
彼女は平孫を見つけると、
「お、おはようございます」
と、やや顔をうつむかせて言った。
しかし平孫は返事をしなかった。いや、できなかった。
やよいに魅入られていたからだ。
彼女は麦わら帽子をかぶり、白いワンピースを着て、肩にポシェットをひっかけていた。セーラー服姿でもかわいいというのに、私服姿のこの透明感はどういうことだろうか。
天使という言葉が、ぴったりだった。
「あ、あの。不動さん?」
もういちどよびかけられて、平孫は我に返った。
「――あ、お、はよう」
「……もしかして、わたしの格好、へ、変ですか?」
彼女は不安げに自分の服装を見おろす。
「ぜ、ぜんぜん! 最高にかわいいよ!」
思わず正直な感想が口からこぼれた。
やよいの顔が見る見るうちに赤くなっていく。それは正直な気持ちを言った平孫もおなじで、二人してまるで太陽に熱せられたように肌を火照らせていた。
「あ、ありがとうござぃまぅ……」
「こ、こちらこそ……」
二人はそう言って、意味もなく会釈をかわす。
このままでは遊ぶどころではない、と平孫は話題を変えることにした。
「そ、そういえば純と文香がまだきてないみたいなんだよね」
「そ、そうなんですか……」
「俺、純に電話するから、羊坂さんは文香に連絡してくれない?」
「わ、わかりました」
平孫はポケットから携帯電話をとりだし、アドレス帳から純の電話番号をひきだし、短縮発信。四コール後、純の声が耳にとどいた。
『不動か』
「不動かじゃねえよ。おまえいまどこいんの?」
『家』
「は? いやいや、待ち合わせの時間すぎてるんだぞ。おまえな――」
『不動。いま近くに羊坂はいるか?』
正面の、スマートフォンを耳元にそえてこちらに背をむけるやよいを見てから、
「ああ。いるけど」
『じゃあちょっと距離をとれ。彼女に聞かれたらまずい話をするから』
言われたとおり、平孫はベンチから立ちあがり、バス亭からある程度はなれた。
「はなれたぞ」
『よし。じゃあ怒らずに聞けよ。僕は水族館にいかない』
「……は?」
『中村もだ』
「ど、どういうことだよ!」
予想外の言葉に平孫が語気を荒げると、
『怒るなって。キミと羊坂を二人っきりにさせるためだ』
「――え」
平孫は言葉につまる。
「い、いやまて。おい、あの、前もって言えよ。俺に秘密にする必要がねえだろ」
『それじゃ意味がない。準備もなく、僕や中村の助けもなく、キミ一人でやることが大切なんだ。自分の恋だろ? そろそろ自分でなんとかしてみろ』
「…………」
『大丈夫。お前ならできる』
「……おう」
『気負わず、二人で楽しめ。じゃあな』
と、電話が切れた。
しばらく携帯電話の画面をながめていたら、
「あの、文香さん風邪をひいてこられないって……」
うしろから声をかけられてふりむくと、両手でスマートフォンをにぎりしめるやよいがいた。平孫は自分の携帯電話の画面を指さし、
「純も風邪をひいたってさ」
「そ、そんな……二人とも、大丈夫ですかね」
心配そうな声色の彼女に対して、平孫はやさしく声をかける。
「大丈夫だと思うよ。電話に出るくらいだし」
「そう、ですね……」
いまいち納得できていないようすで彼女はつぶやき、
「そ、それでその……どう、します?」
不安そうな目でこちらを見あげてきた。
本来なら四人で遊ぶ予定だったのに、いきなり二人きりという状態になって、とまどっているのだろう。しかもしゃべるようになったとはいえ、それは四人のときであって、二人きりとなると話は別だし、誤解が解けて日が浅く、まだお互いに気まずさはあった。
だが――きょうでその気まずさをとりのぞく。
そのためのチャンスを、純と文香がつくってくれたのだ。だったら、やるしかない。
答えをまっているやよいにむかって、平孫ははっきりとつげた。
「せっかくだから入ろう」
「そ、そうです、ね」
そして二人は、列の最後尾にならんだ。
絶対に彼女を楽しませてみせる。
平孫の眉間に、縦しわがよった。




