第三章 VSディシー
深夜と早朝の合間。
まだ日も昇らないそんな時、セイバーがいる町にディシーは来訪した。
目立つ装いをしている。紺色のドレスで見事な曲線美を掻くし、歩く度に揺れる青色の髪はまとめてもまだ地につくほどに長い。そして何より、とてつもなく美人だった。道を歩けば、十人に十人の異性が振り返るだろうほどに。
ディシーは町に入るや、休む事無く移動を開始した。軽い身のこなしで地を蹴るが、その軽快さとは裏腹に三階建ての建造物の屋上にまで到達してしまうほどの物だった。それだけで真っ当な人物ではない事は容易に窺い知れるが、この時間帯その超人的動きを見ている者は誰もいない。
静かに三階建ての建物の屋上に着地し、場で周囲を見渡す。全方位見渡し、ある一点に目を止め、再び地を蹴る。その身のこなしはやはり軽快であり、屋上から屋上、屋根から屋根、電柱の天辺から電柱の天辺へと様々な場所を足場にしつつ、目的地と定めた場所へと向かう。
ディシーが目的地と定めたのは、川原だった。橋の上に着地し、川を見る。深夜と早朝が作り出す静寂の中、下流へと流れていく水音が耳をつき、その音に耳を澄ませ、音楽でも聞いているかの様な穏やかな顔になる。
と、そんなディシーの耳に無粋な音が聞こえた。
ゆっくりと見れば、それは車の走行音だった。
遠方からやってくる車を不機嫌そうに一瞥し、おもむろに指を弾いた。
その瞬間、ヒュンと何かが風を切った音がした。
そんな音がしたかと思えば、遠くで急ブレーキを踏む音が突如上がり、車は二度三度蛇行しつつも路肩に停車した。少しして、運転手が車から降り、タイヤを確認して驚いた反応をした。前輪がパンクしていたからだ。
それをやったのは、川に視線を落としているディシーだ。指を弾いた瞬間に水滴と飛ばし、その水滴は銃弾の様にタイヤを打ち抜き、パンクさせた。そんな事をしたのは耳障りな音を止めるため。川が作り出す音楽に人工物の騒音が混ざる事が許せなかった。普段なら我慢する事もあるが、生憎と今は虫の居所が悪く、そんな些細な事も今日ばかりは無視出来なかったのだ。
しばらく水のせせらぎの音に浸った後、ディシーは深呼吸して顔を上げる。
「全く、情報収集も楽じゃないわね」
ディシーは川に向かって右手をかざした。少しして、黒い光の球体が現れる。
「行きなさい」
その声に呼応する様に黒き光は手を離れ、川に向かった。音を立てて川に沈む。すると、少ししてから突如としてまるで意思を持ったかの様に川の水が下から盛り上がる様に膨れ上がる。
ディシーはそれに一声かける。
「じゃ、よろしく。出来る限り長引かせて」
そう言って、踵を返し、空に向かって消えた。
「お手並み拝見させてもらうわよ、セイバー」
そんな呟きだけがその場に残った。
不吉な気配を感じ、アサは飛び起き、陽子を起こしにかかった。
「ヨウコ、起きてください! ヨウコ!」
「うーん……、後五分……」
「眠いのは分かりますが起きてください! 緊急事態なのです!」
そう言った瞬間、陽子は勢い良く起き上がり、即座に先を促した。
「何が起こったの?」
「何か出ました。敵が攻めてきたのだと思われます」
「分かった。急ごう、アサ」
陽子は納得するや、ジャージ姿のままで部屋を飛び出した。アサもその後に続く。その足取りはまもりを起こさない様に抜き足差し足忍び足だ。白浜家の朝は早いが流石に三時半は早過ぎる。陽子も普段ならまだ寝ている時間だ。
慎重かつ迅速に二人は外に出る。
「どっち?」
「ちょっと待ってください。……向こうから嫌な気配がします」
アサが指差した方を見て、陽子は眉根を寄せる。
「学校の方か。これは急が――ふぁあ……」
欠伸が出てしまい最後まで言い切る事が出来なかった陽子。
そんな陽子をアサは気遣わしげな目で見た。
「ヨウコ、大丈夫ですか?」
「あ、うん。平気、平気。脳に酸素が足りてないだけだから」
軽く答え、陽子は深呼吸し、学校がある方を見据える。
「行こう。急げば寝直せるからね」
「そうですね。それに急がないと学業に支障をきたしてしまいますから」
アサは右手を差し出す。が、陽子は頭を左右に振った。
「ここじゃまずい。色んな意味で近所迷惑になっちゃう」
そう言って、陽子は家に戻り、自転車を押して戻ってくる。道路まで出ると、陽子はサドルにまたがり、荷台に乗る様にアサに示した。アサは黙って頷き、荷台に座って陽子の腰に腕を回す。
「飛ばすからしっかり捕まっててね」
言うや、陽子はペダルを強く踏み締め、自転車を走らせた。
斜め横断に信号無視と交通規則違反全開で陽子は自転車を漕ぎ、程無くして学校が見えてくる。「あっ」と陽子の後ろでアサが声を出し、陽子は進行方向のずっと先を見てぎょっとした。
「うひゃー、これまたでかいね」
視界に飛び込んできたのは、巨大な水の化物だ。その全長は三階建ての校舎を見下ろしてしまえるほどだ。川が意思を持っている様にも見える。
「見た感じ、ディスガイアが木をおかしくした時と同じ?」
「ええ。でも、おかしいです」
「おかしい?」
「ええ。ディシーの姿――ヨウコ、来ます!」
切迫した声と陽子が本能的に危機感を覚えたのは全くの同時であり、陽子はすぐさまハンドルを右に切った。そこへ何処からか巨大な水滴がたった今し方まで陽子達がいた場所に飛来した。爆発音を立て、その場所は陥没し、陽子達はその衝撃波で自転車ごと吹き飛ばされそうになった。
「「サンパワー、インストレーション!」」
しかし、それよりも早く二人は相手に向かって右手を伸ばし、吹き飛ばされながらも変身のための合言葉を紡ぐ事に何とか成功する。光の爆発が起こり、二人を追撃しようとしていた巨大な水滴は掻き消され、光の中から変身を完了させた陽子が姿を現し、電柱の天辺に着地する。
「白き勇気、セイバー・アルブス! この勇気でどんな悪も挫いてみせる!」
名乗りを上げるや、陽子は水の化物に立ち向かった。
それを認めるや、水の化物は腕と思われる部分を大仰に振った。それは大小様々な水滴となり、機関銃の弾丸の如く陽子に向かって掃射される。
既に動き、翼を持たない陽子は空中では自由に動けない。が、避ける必要性を陽子は感じなかった。捌き切れる自信と技量があったから。
「だぁりゃぁあああっ!」
飛来する水滴を陽子は徒手格闘で霧散させながら水の化物との距離を詰めた。
「防御を! 高出力の攻撃が来ます!」
最後の水滴を霧散させた時、アサの警告が陽子の耳をつく。
見れば、水の化物は大きな口を開け、そこには水流が渦を巻いて留まっていた。
指示通りに陽子は両手を交差させて防御する。
そこへ警告通りの激流が陽子を襲い、陽子の華奢な体は派手に吹き飛んだ。
小さく呻きつつ、陽子は空中で体勢を立て直し、右手と両足を使い、川の水を弾き飛ばしながら吹き飛ばされた際の勢いを弱め、敵を見据える。
その時、陽子は背筋が凍る危機感を覚え、
「来ます!」
アサの警告が耳をつき、追撃の激流が陽子を襲った。陽子は即座に防御するも上からの攻撃は先ほどよりも重く鋭かったので受け止め切る事が出来ず、またも大きく吹き飛ばされる。そして今度は背中から思いっきり川へと落ちた。
「あ、ぐっ……」
「アルブス! しっかりしてください、アルブス!」
アサの呼びかけを聞き、陽子はよろめきながらもどうにか起き上がる。
「……かー、やっぱりちゃんと寝ないと駄目だね……」
「……ごめんなさい。私が巻き込んだ――」
アサは突然言葉を切った。
正確には切られた。
陽子が胸元の宝石を軽く小突いたからだ。
「――私は大丈夫。今のでしっかり目が覚めたから」
立ち上がった時、水の化物が三度激流の発射態勢に入った。
かぶりを振り、陽子は天に手を掲げ、力を招来する。
「……太陽の光よ、全てを照らし尽くせ」
白み始めた空に一条の光が駆け抜け、それが陽子の右手に降り注ぎ、その手を陽子は水の化物に向け、発射の言葉を紡ぐ。
「ブレイブ……バスタァアアアッ!」
陽子の攻撃と激流が放たれるのは全くの同時。
間合いの中央で光と水、二つの力は衝突し、激しくせめぎ合う。
その最中、陽子は水の化物に向かって言う。
「――ごめんね。あなたに恨みは無いけど、こっちも負けられないの」
謝り、陽子は全身に力を込め、掛け声と共にブレイブ・バスターに乗せる。
「はぁあああっ!」
それにより、均衡が崩れた。間合いの中央でせめぎ合っていたが、より大きく、より強く、より激しく、より輝き始めた光線は少しずつ、しかし確実に激流を押し返し、そのままの勢いで水の化物に到達し、包み込み、光の柱が立った。
光の中、水の化物から黒い光が抜け、それに伴い体が小さくなっていく。
光の柱の消失に伴い、川は元通りになった。
状況が終了しても陽子はすぐに緊張を解かなかった。アサが気にかかる様な事を言っていたし、敵の攻勢にどうにも違和感を覚えていたからだ。何か起こるかもしれない、そんな不安感からすぐに緊張を解く気にはなれなかった。
五分ほど待って、陽子は緊張を解く。途端、ドッと疲れが押し寄せ、へたり込んだ。水に濡れてしまうがそんな事を気にしている余裕は無い。心臓は早鐘を打っているし、汗がドッと吹き出し、呼吸が乱れる。
「はぁ、はぁ……。何とか、なった……みたいだね……」
呼吸を整えながら陽子はアサに言いながら立ち上がった。
その時、日が昇り、朝日が陽子を照らした。勝利を祝福してくれている気がしなくも無かったが、生憎と眠気と疲労で味わっている余裕は無い。
「ヨウコ、少し休でから戻りましょう。そうしないとヨウコが持ちません」
「それ賛成。何か疲れた……」
気だるげに答えながら川から上がり、芝生のところに腰を下ろす。すると、変身が解除され、アサが隣に現れた。
「仕方ありません。満足に休まずに連戦。疲れが出ない方がおかしいです」
「怪我は治るのに体力は回復しないんだね……」
「すみません。不便な仕様で……」
「いやー、アサが謝る必要無いよ。悪いのは首突っ込んだ私だからね」
言いつつ、陽子は寝そべってから続ける。
「アサ、悪いけど少し寝かせてもらっていい?」
「では、私はその間に吹っ飛んでしまった自転車を探してきます」
「それは駄目。襲撃されたらまずいからね。それに何事も一人より二人。だからアサもちょっと休んで、それから二人で探しに行こうよ。寝不足なのはアサだって同じなんだからさ」
「わ、私は――ふぁあ」
言いかけて、アサは欠伸をした。ハッとしてかみ殺すも時既に遅い。
「はは。ほらね。それにこうすると気持ちいいよ?」
ポンポン、と陽子は自分の隣をアサに勧めた。
しかし、アサはそれを拒み、陽子の上まで歩いて腰を下ろして言う。
「ヨウコ、芝生とは言え地面は硬いです。だから私の膝を使ってください」
「嬉しい申し出だけど、それだとアサが休めないじゃん」
「私は平気です。その気になれば三日程度なら寝ずに行動出来るので」
「それホント? 嘘だったらデコピンだからね?」
「嘘ではないのでご安心を。さ、早く、早く」
「……じゃ、遠慮無く」
陽子はいそいそと這い、アサの膝の上に自分の頭を置いた。
「……柔らかいね、アサの膝の上って」
「褒めてくれてありがとうございます。よろしければついでに子守唄でも――」
アサはそこで言葉を止め、微笑した。
気がつけば、陽子はもうまどろみに沈んでいたからだ。
アサは上着を脱ぎ、陽子の体にそっと乗せる。朝の冷たい風が吹いて寒気を感じたものの、我慢出来ないほどではなかったので無視する。
「――ごめんね」
と、陽子が不意に呟いた。
寒さに震えた事で起こしてしまったか、とアサは慌てたが、瞼は閉じたままだった。寝言だったのだろう。現に陽子は寝息を立てている。
「――ごめんね、私、弱くて……」
と、また陽子は呟いた。
そう呟いた陽子はとても悲しげで、目尻から一筋の涙が零れ落ちた。
「……謝るのは私の方です」
アサは無意識にそう言っていた。
もたげてきたのは、自責。
陽子が自分を不甲斐無く思う理由は無いはずだ。少なくとも、アサはそう思っている。むしろ目覚しい功績だ。回数こそ少ないものの、セイバーとしての素質は恐らく自分よりも高い。疲労困憊の中でも勝利を諦めないその精神ははっきり言って感服の一言に尽きる。
だからこそ、不甲斐無い自分がアサは許せなかった。
まだ少ししか時間を共有していないが、そんなアサでも陽子が心優しい人物である事は分かり、争いを嫌っている平和主義者である事も分かった。
そんな少女を巻き込み、謂れの無い責任を背負う事を強要させた。
どうしようも無かったとは言え、その行為は断じて許される事ではない。
それはひょっとしたら、マリスよりも――。
「――ごめんね、マリス」
「えっ……?」
アサは自分の耳を疑った。
「――ごめんね、マリス。私が弱いばっかりに……」
でも、それは聞き間違いではなかった。
今はっきりと陽子は「マリス」という名を口にした。
明らかに知っている風体だった。そして本当にその事を悔いている呟きだった。
どういう事だろう、アサは思考せずにはいられなかった。
その実、おかしいとは思っていた。陽子とマリスを守護する最強の盾であるブレイカー・アートルムはあまりにも似過ぎている。ディスガイアも見間違えたほどだからそれはまず間違いない。細部こそ違いはあるが、二人は一卵性双生児の姉妹の様に似ている。さらに言えば、セイバー・アルブスとなった陽子の姿も細部は違うが基本的にはブレイカー・アートルムと似通っている。セイバーの力は行使する者の心によって十人十色。セイバーを真似て作っただろうブレイカーの力もその仕組みだろう。でなければ、これほどまで似る事は無い。しかしそれ故に似る事などは断じて有り得ない。心の形はそれぞれ違うのだから。
また、陽子は過去に在り方に変化を与えるほどのトラウマを経験している。それは陽子本人の口からも聞けた事であり、まもりの口からは陽子が忘れている過去を知り、その上で忘れたままでいられるならそれで構わないと言っていた。それは額面通りに受け取る事も可能だが、別の受け取り方――この事象に何らかの関係があり、それを分かっているからこそ伏せている――とも考えられる。
それに陽子の戦闘技能。両親から教えられたとの事だが、そういう親を持っていたとして護身術を幼少から教わっていたとしても、あれだけの動きが出来る様になるにはそれこそ死に物狂いで特訓してはずだ。陽子の動きにはそれだけの鍛錬をしたという事が窺い知れるが、普通に暮らしている者がそこまで必死に鍛錬に取り組む都合は無く、そうするだけの理由が陽子にはあったのだろう。
「――ヨウコ、貴女は一体……」
「一体、何?」
ハッとしてアサは陽子を見下ろし、陽子の視線をぶつかった。
「ご、ごめんなさい。起こしてしまいましたか?」
「ううん、平気。言ったでしょ? 少しだけって」
反動をつけ、陽子は勢い良く起き上がり、アサを真正面から見つめて言う。
「そんな事よりどうしたの? 顔色物凄く悪いよ?」
「な、何でも……ありません……」
「そんな顔でそんな事言われても信じられないなー」
疑わしげに言う陽子。
止む無く、アサは誤魔化す事にした。
「……平気です。心配してくれてありがとうございます」
「ふぅん……」
陽子は尚も疑わしげに言ったが、ため息をついて表情を朗らかにする。
「――じゃ、言いたくなったら聞かせてね。今はそれで勘弁してあげる」
そう言って、陽子はうんと背伸びをして立ち上がり、右手を差し伸べてくる。
「それじゃ、自転車探しに行こうか」
「……ありがとうございます」
言及しなかった事をアサは感謝しつつ、どうにか平静を取り繕って握り返す。
「別にいいよ。誰だって秘密の一つや二つするもんだからね」
アサの心中を見抜く様に陽子は明るく言って歩き出した。
手を引かれ、アサもその後に続く。
前を歩く陽子の背中を見て、アサは悩む事を止めた。
辛かっただろう過去があってもそれでも前に進む事を止めず、敵に対話を求め、敵の未来を奪わない様に考え、行動し、敵のために涙出来る強く、優しい背中。
そんな背中はどんな不可能も可能に変えられそうなほど頼もしく見えた。
だから大丈夫、何も心配は要らない、そう思えたから。
「――急ぎますよ、ヨウコ!」
思い立ち、アサは陽子を引っ張る様に駆け出した。
「ちょ、いきなりどうしたの!?」
「寝る時間が無くなってしまいます! だから急ごうと思っただけです!」
「そ、それはそうだけど! こ、転ぶ、転ぶってば!」
「提案したのはヨウコなのですから、気合でどうにかしてください!」
「も、もう! 何なの、いきなりー!」
楽しげなアサの声と困りながらも嬉しそうな陽子の声が早朝の空に響いた。
その光景を遥か上空からディシーは覗き見ていた。
「――ディスガイアを倒したのはマグレじゃないみたいね」
微笑でそう言った後、顎に手を当てて考える仕草をする。
「それにしても本当にそっくりね……」
ディシーが着目するのは、黒髪の少女だ。
亡き仲間であるディスガイアの言葉には半信半疑だったが、実際に見てなるほどと思った。あれは似ている。というより、パッと見では見間違えても不思議ではない。前以って別人という事を知らなかったならば誤認しても致し方無い。
「でも、セイバーが誤認したのはどういう事なのかしら……?」
その一方でディシーはその事が気にかかっていた。
セイバーは救う者であり、民間人は守るべき対象である。
しかし、それにも関わらず、セイバーは黒髪の少女に危害を加えた。本来ならば有り得ない事である。例え余裕が無かったとしても、他人の空似と考える方が当然のはず。だが、セイバーは危害を加えた事を悔いていた、とディスガイアは言っていた。主であるマリスに報告した事からしてその信憑性は信用に値する。
だとすれば、黒髪の少女には何かあるのだろう。
「……優位に立てる情報は得られたけど、気がかりも増えてしまったわね」
弱点は分かった。どういう仕組みでああなっているのかは分からないが、此度のセイバーは二人が揃っている事が大前提。しかも握手という物理的接触を用いる必要性もある。つまるところ、分断すれば戦力の大幅低下は見込めるのだ。
でも、戦力的な事は別として気がかりも増えたのも事実。ブレイカー・アートルムことルナにそっくりなのは勿論の事、よくよく考えればセイバーが他人の空似という当然の考えを捨てて危害を加えた事、それにあれだけ似ているとなれば力の回収と合わせて連れて帰り、主に対面させる必要性がある。あれだけ似ているとなれば、マリスや自分達よりも古株であるルナと何らかの関係があると見てまず間違いなく、またあの戦闘能力を失うのはあまりにも惜しい。
ディシーはボリボリと髪を掻きつつ、面倒臭そうにため息をつく。
「とりあえず引き続き調査ね。さて、次はどんな嫌がらせをしようかしら」
悪戯っぽく笑い、ディシーは水と化して忽然と姿を消した。
「陽子が後悔したくないからって口にする様になったのが何時からか?」
昼休み。アサは小日向理香にそんな質問をしていた。
気にしないと思ったものの、やっぱり気になってしまい、そのせいで午前中の授業はまるで集中出来なかった。陽子が横からフォローしてくれたからどうにかなったものの、一度気になってしまった事は中々抜けてくれなかった。
なので、昼休みになり、数回に渡る買い出しジャンケンの結果、陽子と朝日奈明実が列に並ぶ事になり、アサは理香と二人が戻ってくる事を待つ事になったので駄目元で質問したのだ。明実と理香が陽子と幼馴染である事は転入初日に陽子から既に聞き及んでおり、陽子と一つ屋根の下で暮らす間柄なため、アサも仲良し三人組に入れてもらっている感じだ。
「はい。ご存じないですか?」
「知らないわ。陽子、そこには触れて欲しくないみたいだから」
しまった、とアサは内心で自分の失態を悔いた。まもりも知っていたから周知の事情なのだと勝手に思っていたのが裏目に出てしまった。
どうするべきか、そう考えていると理香は合点がいったとばかりに呟いた。
「でも、なるほど。そう思える事があったなら、ああなるのも無理ないわね。ありがと。おかげで長年の疑問が解けたわ。あっちんにも教えてあげよ」
「長年の疑問……という事は心当たりがあるのですか?」
「無い事も無いわね。と言っても私やあっちん視点で感覚的な事だけどね。それでもいいなら教えるけど?」
「よ、よろしくお願いします」
「素直でよろしい。……えーっと、あれは確か……十年前かしらね。その頃から陽子が何だか遠く感じる様になって、笑顔がぎこちなくなったのよ。――あ、陽子の顔見るなら平静を装うのよ。陽子、そういうのに凄く敏感だから」
それはアサも承知していた。陽子の危機察知能力ははっきり言って異常と呼べるほど鋭敏であり、頭の回転の速さも相成ってか、昼休みに至るまで不定期に襲ってきた敵に対しても『ひょっとしたら観察されてるかも』というアサが感じていた事と全く同じ結論に至っていた事からして敏感過ぎるの一言に尽きる。
案の定、アサが盗み見ると明実と会話していた陽子はこちらの視線に気付き、微苦笑を浮かべて軽く手を振ってきた。アサも手を振り返して会話に戻る。
「当然の様に気付かれました」
「でしょ? あんなだからかくれんぼの鬼やらせたら完勝で、陽子は隠れる方しかやっちゃいけないという特別ルールが私達の間では決まっていたのよ」
「……まあ、あの調子では隠れる方はつまらないでしょうね」
「そういう事。で、話を戻すけど、アサから見て何か分かった?」
「さ、さあ……。あ、でも、遠くに感じるというのは何と無く分かります」
優しく、強く、勇ましいあの姿。
側にいるだけで、手を握られるだけで、声を聞くだけで得られる安心感。
それを凄いとは思う。
でも、同時に遠くに感じた。
側にいるのに、近くにいるのに、目の前にいるのに、そんな少女の姿は、背中はどうしてか遠い。ああいう在り方でああなりたいと思っているからこそ、アサにはより一層そう感じるのかもしれない。
「――それ、本気で言ってる?」
理香は神妙な面持ちで言った。
至って真面目。今まであった親愛感はその言葉からは一切感じられない。
「え、ええ……。あくまで感覚的な事ですけど」
「そう。……だとしたら、ちょっとまずいかも」
「えっ……? な、何――」
「何がまずいの?」
アサの言葉を遮ったのは、戻ってきた陽子の声。隣にいる明実共々その両手には購入してきた料理が乗せられているお盆を持っている。
「あ、あの、その……」
「――食生活の事よ」
戸惑うアサの言葉を理香は遮り、そのまま続ける。
「ちょっと聞いたんだけど、アサってろくな物食べてないらしいのよ。携帯食料ってやつ? そういうのしか食べてないらしいのよ。それってまずいでしょ?」
言いつつ、理香は立ち上がり、明実の手を引く。
「悪いけど、先に食べててくれる?」
「何処行くのー?」
「トイレ。水飲み過ぎちゃって。あっちん、悪いけど付き合ってくれる?」
「あ、うん。いいよー」
「そっか。料理が冷めちゃうから早くね」
「分かってるって」
そう言って、理香と明実は席を立ち、食堂を後にした。
「食べよ。折角の料理が美味しく無くなっちゃうからね」
「あ、はい」
二人はいただきますをして昼食に取り掛かる。
「――理香ちゃんと本当は何話してたの?」
そう聞かれ、アサは咽る。そこへスッと水が差し出された。アサは一礼しつつ受け取り、一気に飲み干して一息つく。
「私に聞けなくて言えない話、か……。あっちんにも気遣われちゃうし……。はあー、周りに心配される様じゃ私もまだまだだなー」
ため息交じりに言い、陽子はカレーを食べ進める。
「優しいご友人じゃないですか」
「うん。だから心配させたくないの。自分がやりたい事だから尚更、ね……」
またため息を漏らす陽子。
アサは何も言う事が出来ず、寡黙にカレーを食べ進めた。
「――それはー、とんでもなくまずいねー」
食堂から最寄りのトイレで理香は先ほどの話を明実にしていた。
「とんでもなく? そこまでじゃなくない?」
「こういう時はー、最悪を想定して置いた方がー、気持ち的に楽だからー」
「あ、なるほど。リアルにリセットボタンはないものね」
「りっちん、今はセーブ&ロードの時代だよー?」
「一々細かいわね。リセットボタンだってあるでしょ?」
「まあねー。でー、どうしようかー?」
「あっちんは相変わらずマイペースね……。でも、そうね。今考えるべきはそっちだもんね。何せ、新参者のアサでも分かるくらいらしいからね……」
「でもでもー、私達が出来る事は一つだけだよー?」
「分かってる。無事に帰る事をこっちで待ってるしか無いって事くらい……」
そう、一つだけ。今までだってそうだったし、これから先もずっとそうだろう。
白浜陽子は住む世界が違う、二人はそう思っている。
白浜陽子という少女は初めから特別だった。何でも出来たし、何でも知っていたし、何が起きても動揺せず、それでいて誰にでも優しく、側にいるだけで、声を聞くだけで安心感を無条件で与えてくれた。でも、そんな自分を普通だと思っていた。周りから見れば特別なのに全くそんな風に思っていなかった。
そんな少女のおかげで二人は変われた。明実は我慢する事を止め、嫌な事を――いじめられている事を嫌と言える様になった。理香は自制する事を覚え、我が侭な振る舞いをする事――いじめをする事を止められた。幼心に間違った事はいけない事だとはっきり言える勇気を持ち、皆が笑っていられる様に努め、暗い気持ちを明るくした太陽の様な心を持った少女のおかげで。
だからこそ、二人はそんな少女のために何かをしてあげたかった。
でも、二人に出来たのは心を支え、無事に帰ってくる事を祈る事だけだった。
それが精一杯。所詮凡人である自分達の限界。大多数の一であるが故の限界。
それは喜ばれた。その実、陽子も二人が普段通り、自分と普通に接してくれる事を心の支えとし、そんな二人がいるからどんな無茶も乗り切れる、と。
それを聞いた時、二人は嬉しくて泣き、今後もそうしようと固く誓った。
しかし今、そんな少女がこれまでに無いほど遠く感じる。
「でも、やっぱり考えちゃうわ。何か力になれないかなって……」
「――なら、私に協力してみる気は無い?」
突然声がした。
二人は反射的に振り返り、声の主を見る。
とてつもなく美人な女だった。同性の二人もあまりの美貌に一瞬見惚れた。同じ制服でも着用している人が違うだけでこうも違って見えてくるのか、とどうでもいい事を考えられるくらいに。
「却下」
「お断りしますー」
しかし一瞬。まとっている雰囲気は敵意しかない。素人でも分かるほどに。だからこそ二人は冷静になれた。そうならなければまずいと本能的に思ったから。
「つれないわね。悪い話じゃないわよ?」
「冗談きついよー。美味しい話には裏があるって相場が決まってるからねー」
「大体、そういう話持ちかけるならまず敵意をどうにかしなさいよ」
「あら、貴女達、そういうの分かる人?」
「伊達や酔狂でよっちんの親友をやってないよー」
「そんなわけだから、じゃあね、おばさん!」
言うや、二人は踵を返し、窓を突き破って外に飛び出した。
不意打ち紛いの行動に女は虚をつかれ、反応が遅れる。女が行動に移した時、明実と理香は地面に向かって落下していた。舌打ちして女は後を追う。
一方、飛び出した二人は着地するや、脱兎の如く逃げ出す。
「りっちん、どうするー?」
「何が何でも逃げるわ。そうしないと陽子を悲しませちゃうもの!」
「だねー。じゃ、本気出して逃げようかー!」
方針を決め、二人は力強く地を蹴った。それだけで矢の如く二人は加速する。
そして命がけの鬼ごっこが始まった。
カレーを食べ終え、二人は一服している。
前に並んだきつねうどんと和食定食を見つつ、アサは何となしに呟く。
「二人とも遅いですね……」
「ま、話し合ってるから当然だろうけどね」
軽く答え、陽子はオレンジジュースをすする。
「話し合い、ですか?」
「さあね。私に関する事なのは間違い無いだろうけど」
「ヨウコに関する事?」
「うん。二人とも優しいから」
そう言う陽子は嬉しさ半分、悲しさ半分といった感じだ。
「昔からああなんだよね。ま、だから居心地いいんだけどさ」
「……素晴らしいご友人なのですね」
「まあね。ホント、私には勿体無いくらい……」
そこで会話が途切れた。
陽子は何も言わず、アサは言うべき言葉を見つけられない。
気まずくは無いものの、何とも言えない空気が二人に降りる。
その時、二人の耳に一際大きい声が聞こえた。
「た、大変、大変! ガラスが割れてたんだけど、誰もいないの!」
気になったので二人は何となしに耳を澄ませる。
「だから、誰もいなかったの!」
「いやいや、それじゃ分からないって言ってるの」
「あー、そっか。えーっと、さっきトイレに行ったらガラスが割れる音がしたのね? で、何かなっと思って覗いたんだけど中には誰もいなくて、割れてるガラスだけあったの。でもでも、話し声は聞こえてたの! 怖くない?」
「はあ? 何それ? 白昼夢でも見た?」
「ち、違うよ! 信じてよ!」
「そう言われてもねー。見間違いじゃないの?」
「ほ、ホントだってば! それじゃあ見に行こうよ!」
「あー、はいはい。分かったから引っ張らないでよ」
話し合っていた女子生徒二人は会話を終わらせて食堂を後にしていく。その話を聞いていたのは他にもいたらしく、一人、また一人と野次馬根性丸出しで食堂から出て行った。向かう先は誰しもトイレだろう。
「トイレ――」
「アサ、今朝みたいな事は?」
「感じません。出れば分かるはずですから。でも……」
「うん。この唐突さ――これは本腰入れたのかな? しかしまあ、今度の人は変化球だね。ま、敵としては当然の策だけど」
困った様に呟くと陽子は立ち上がり、隣にいる男子に声をかける。
「これ、よかったら食べちゃってください。勿体無いので」
「ん? あ、おう。分かった。お前らも行くのか?」
「ええ、まあ。そんなところです」
「そうか。ま、気をつけてな」
「お気遣いありがとうございます」
男子生徒とのやり取りを済ませ、アサに目配せしてから食堂を一緒に後にする。
食堂を出るとトイレに向かう生徒達とすれ違った。陽子は一度トイレの方を見てから下駄箱に向かうために駆け出す。アサもその後に続いた。
「ヨウコ、二人の場所が分かるのですか?」
「ううん。さっぱり」
「さ、さっぱりって……」
「でも、二人のところだから――」
その時、足元に揺れを感じた。震度三くらいだろうか。走っていても分かる程度の震度だ。遅れて窓が振動し、外からとてつもなく重い物が落ちた様な音がした。それに伴い、騒ぎが大きくなった。
「何、今の音!?」
「嘘、これ、現実……?」
「おいおい、冗談じゃねぇぞ!」
皆の視線がトイレから校庭へと移る。陽子達もそちらを見た。
そこでは出鱈目な事が起こっていた。巨大な水滴や激流がまるで意思を持っているかの様に動き、それらは何かを狙っている。巻き上がった土煙と突如発生した濃霧によって何を狙っているかまでは傍目には分からないが、シルエットから二人の女子生徒である、という事だけは見て取れる。
「アサ!」
「分かってます!」
それを見た二人はいち早く動いた。陽子先導の下、二人は階段を一段飛ばしで駆け上っていく。時折生徒とぶつかりそうになるが、どうにか避け、転びそうになる人を助けつつ、二人は上へ上へと尚も駆け上がる。
「ヨウコ、何処へ!? 早く――」
「喋ってる暇があるなら走って! はぁあああっ!」
叫びながら陽子は屋上へ通じる扉を蹴破った。ガン! と激しい音が鳴り、凹んだ金属の扉は屋上に吹っ飛び、何度か回転して動きを止める。
扉に遅れて陽子も屋上に飛び込む様に入り、両足でブレーキングして飛び込んだ勢いを殺し尽くしてからアサに右手を差し出す。
「アサ、行くよ!」
「ええ!」
さらに遅れてアサが屋上に飛び込む。その右手は陽子が差し出した右手を掴むために既に伸ばされている。
掴み、二人は合言葉を紡ぐ。
「「サンパワー、インストレーション!」」
その瞬間、光が爆発して昼をより一層明るくし、そんな光は空に駆け上がったかと思えば、急激に方向転換して校庭に振り落ちた。
「りっちんー……、無事―?」
「何とか、ね……。あっちんは元気そうね……」
「りっちんが、守ってくれたからねー」
呼びかけ合う明美と理香の声が気丈に振る舞っているだけというのは誰が聞いても窺い知れる。息も絶え絶えで弱々しく、どう聞いても喋る事ですら辛い、というのが痛々しいほどに分かってしまうそんな声なのだから。
「中々やるわね。伊達や酔狂で化物と友達ではないという事かしら」
「化物……?」
「……誰の事よ?」
「黒髪の女の子。あの子と貴女達――」
「「違う!」」
女の声を二人は遮った。
「元気ね。体に響くわよ? でも、事実でしょう?」
「違う! あの子は私達の友達よ!」
「そうなの! だから、取り消して! さっき言った事!」
「あらそう。でも、貴女達がこうなっているのはあの子のせいよ。あの子が首を突っ込まなきゃ貴女達はそんな目に合う事は――」
「「うるさい!」」
二人の少女はよろめきながら、それでも立ち上がり、叫ぶ。
「あの子はそういう奴で私達はそんな奴の友達だし、ずっと友達でいたいと思ってる! それはこんな目にあっても、例え死んだって変わらないわ!」
「損得勘定とかじゃないの……。一緒にいたいからいるの! それって友達として当然の考えで、私達はそれをやってるだけ! それだけで十分なの!」
そして、二人の少女は声高に叫んだ。
「「だから取り消して! あの子を化物って言った事!」」
その時、場は静まり返った。悲鳴も止み、破壊音も収まる。
「――美しい友情ね」
沈黙を破ったのは馬鹿にした様な女の声。
途端、水が渦巻く音が突如として上がる。
悲鳴や制止の声が聞こえた。それは全て女の行動に向けられた物だ。
明実と理香は見た。女が天へと掲げた手の上で水が激しく渦巻くのを。
まずい、と思ったが体は動いてくれない。
そんな二人に向かって、女は容赦無く宣告する。
「でも、これが――」
女は言葉を止めた。
正確には止めざるを得ない事が起きた。
空がより一層明るくなった。
それの意味を女は悟り、激流を明実と理香に向けて放った。
が、その瞬間、その場に光が振り落ちた。直後、光の爆発が巻き起こり、見ていたもの全ての視覚を一時的に眩ませる。
その光の中に全員が人影を見た。
一瞬の光の爆発が終わり、その人影の全容が明らかとなる。
二人を庇う様な形で登場したのは、黒髪の少女。均整の取れた肢体を隠すのは特注品だろう防護服。白を基調として金の刺繍や装飾があしらわれている。その胸元には煌々と光り輝く太陽をモチーフにしているだろう装飾品。
皆の視線が集中する中、少女は自らの名を名乗る。
「白き勇気、セイバー・アルブス!」
そして女を指差してから続けた。
「この勇気でどんな悪も挫いてみせる!」
正直、陽子は状況を正しく理解して突っ込んだわけではない。
助けなければ、それだけを考えて突っ込んだらどうにかなっていた。
前には紺色のドレスを来た青髪碧眼の美女。
後ろには呆然とこちらを見ている朝日奈明実と小日向理香。
後ろの二人を一瞥し、陽子は女に言った。
「――場所を変えましょう。ここでは少々戦い難いですから」
言うや、陽子は地を蹴り、女を蹴り飛ばした。女は咄嗟に防御するが、陽子の蹴りはそれを貫き、女の痩身を遥か彼方へと吹っ飛ばす。
吹っ飛ぶ女を一瞥し、陽子は足に力を込めた。
踏み込む前に振り返らぬまま、後ろの二人に言った。
「――ごめんなさい。怖い思いをさせて」
そう言って、陽子は地を蹴ろうとした。
「気にしなくていいわよ、正義の味方さん」
その時、理香が言い、
「そうそう。私達は友達のために動いただけだからね」
明実がその後を引き継ぐ。
それを聞き、陽子は嬉しさと不甲斐無さで複雑な気持ちになった。が、かぶりを振って改めて足に力を込める。今は喜んでいる時でも罪悪感に苛まれている時でもなく、戦うべき時だ。そう自分に言い聞かせて陽子は地を蹴った。
屋上から屋上、屋根から屋根、電柱の天辺から天辺を足場とし、陽子は吹っ飛ばした女の後を追う。相手はすぐに見つかった。吹っ飛ばされた衝撃からは回復していたが、その勢いに乗ったまま陽子が来るのを待っていた様だ。
陽子の姿を認めると、女は楽しげに微笑んだ。
「――見事な蹴りね。ディスガイアを負かしただけの事はあるわ」
「不意打ちだったのは勘弁してね。あそこじゃ満足に戦えないから」
「あら、非難しないのね?」
「しないよ。ああなったのは私が首を突っ込んだからだからね」
「ふぅん……。意外ね。それに何処かの誰かさんより戦う心構えが出来てるし、何よりあの子にそっくり。……貴女、本当に一般人?」
「物好きではあるかな。こんな事に首突っ込んでるしね」
「違いないわね。――この辺でいいわよね?」
言うや、女は降りた。陽子もその後を追う。
女が降りると決めたのは川辺だった。周りに人気は無く、深さも浅いため流れる水の勢いで足を取られるという心配は無いだろう。
「水、水、水――。貴女、水が好きなの?」
「ええ。一応名乗っておこうかしら。初めまして、今のセイバー。私の名前はディシー。特技は水を自在に操れる事。そして大海の力の管理を任される者よ」
「ご丁寧にどうも。でも、意外。色々を調べていたみたいだからもっと慎重派な人かなって思ってたけど、戦いに関しては好戦的?」
「手間なのが嫌いなだけよ。あの子達に目をつけたのも手っ取り早く貴女達が所持してる二つの力を頂戴するため。貴女なら乗ってくれる気がしたからね」
「穏便な申し出だけど却下かな。譲れない気持ちがあるのは分かるけど、私は貴女達がしてる事はいけない事だと思うから」
「……ディスガイアから聞いたの?」
「うん。で、止まる気は無いから止めたきゃ力ずくで止めなって言われた」
「そう。……あの馬鹿なら確かに言いそうね」
「実際言ったよ。……と、そうだ。貴女に言っておきたい事があるの」
「言っておきたい事?」
陽子は頷き、頭を下げた。
「ごめん。私の力じゃあの人を守る事が出来なかった」
ディシーはきょとんとし、それから困惑した様に頭を掻いた。
「やり難いわね……。敵に謝るとか、貴女、何処までお人好しなの?」
「そうでもないよ。最終的には力に訴えるからね」
陽子は自嘲気味に言った。
穏便には済ませたい。でも、それがどうしても出来ない場合があるのは分かる。陽子にしてもそれが分かっていて、負けるわけには、屈するわけにはいかないからこそそれを貫き通せるだけの力を得るために特訓した。だが、それはそれで結局のところ最終的には力で解決するしかない、という事を認めてしまっているのと同じ。これまでだってそうだし、ディスガイアの時もそうだった。
それでも陽子は穏便に済む様に努力する事を止めない。
「でも、私は止めないし、諦めない。それが私は正しいと思うから」
「甘いわね。歴史を紡ぐ権利は勝者にしかないのよ?」
ディシーは嘲る口調で言った。
だが、陽子は引かず、構える。
「だから、私は戦う。自分の思いを貫くために」
「それ同感。譲れないなら後はぶつかり合うしかないものね」
ディシーも構えた。
静寂が両者の間に降りる。川の流れる音だけが優しく耳をつく。
「行くよ、ディシーさん」
「行くわよ、セイバー・アルブス」
申し合わせたわけでもなく、二人の宣戦布告は重なり、陽子は地を蹴り、ディシーは両手を横に大きく振った。その瞬間、ディシーの頭上にソフトボールほどの大きさである水球が出現し、それらは一定の間隔で陽子に発射された。
飛来するそれを陽子は直撃コースの物だけど捌き、それ以外は無視して前へ、前へと進む。髪や頬、防護服に水球がかすめて傷を作り、衣服を破る。
雨の如く飛来する水球を捌きつつ、陽子はついに自分の間合いに入り、即座に右ストレートを放った。直撃――そう思われた瞬間、ディシーの体は液状と化して背後に回った。危機感を覚え、陽子は即座に体勢を立て直そうとしたが苔で足を滑らせてしまい、派手に転んでしまった。
「あらあら。不運ね」
軽快な声に反し、陽子には雨の様な水球の大群が一斉に降り注いだ。陽子はすぐさま体勢を立て直し、バク転しながら距離を取る。
距離が空いたところで攻撃が止み、陽子は一息ついた。
「離れたら水球の雨、近づいたら液状化による回避……。ディスガイアさんとは違ってやり難い事この上ないね……」
「そうでしょうね。どんなに早かろうが、卓越していようが攻撃は当たらなければ意味が無い。さて、セイバー・アルブス。私の戦術を崩せるかしら?」
「そう思ってくれるならこっちに付き合ってよ」
「それは無理な相談ね。私、近接戦闘あまり得意じゃないのよ」
「だろうね。というか、出来たら隙無しでお手上げだよ」
「なら、ここで負けてしまっても安心ね。仮に私を倒しても残る三人――特に貴女によく似たあの子は単純にどの距離でも強いから」
「うわーお、その情報は聞きたくなかったなー」
「太陽の力と大地の力、そして貴女が投降するのなら命だけは助けてあげるわ」
「それ、ディスガイアさんにも言われた。負けたら俺と一緒に来てもらうって」
「そうなの? 考える事は一緒ね。ま、興味が湧くのは当然だけど。時に貴女、双子の姉妹もしくは生き別れた姉妹がいないかしら?」
「そんなに似てるの? アートルムって人と私。ちなみにいないよ。少なくとも、私は知らない。でも、そういう事がもしも事実だったとしたらパパとママなら何か知ってるかもしれないけどね」
「そう。ま、貴女に勝って連れて帰れば済む話だから別にいいわ。で、どうかしら? 悪い話では無いと思うのだけれど?」
「穏便な申し出だけどお断り。私は貴女達全員を止めるってもう決めたから」
「あら残念。じゃ、続けましょうか」
宣言と共にディシーは水球を無数に作り出して一斉に掃射した。
対し、陽子は地を蹴り、最初と同じくディシーに向かって直進する。
「あら、大口叩いた割にさっきと何も変わらないわよ?」
馬鹿にした発言が飛ぶも、陽子は取り合わずに接近し、間合いに入り込むやまた右ストレートを放った。が、それは当然の様に空をかすめる。ディシーは液状となり、陽子の背後を取っていた。そこへ陽子は右腕を引きつつ、身を翻し、背後に回ったディシーに目がけて肘打ちを放った。しかし、それも空を切るだけに終わる。その後も手足を使って攻撃を繰り出すが、ディシーには一度として当たる事無く、七度目の攻撃を放ったところで陽子は後退して距離を取る。
そこへ水球の雨が降り注いだ。防ぎ、捌き、避け、それを陽子はやり過ごす。
弾幕が途切れるや、陽子は三度突っ込んだ。
「馬鹿の一つ覚え? 何度やっても無駄よ」
ディシーも水球の雨を見舞った。
陽子は相変わらず捌きながら近づき、三度間合いに入り、またも右ストレートを放った。だが、ディシーは当然の様に液状化する。
それを見て、陽子は招来の言葉を紡ぐ。
「太陽の光よ、全てを照らし尽くせ!」
呼びかけに答え、陽子の右手に光が集まり、その手を前方に向けた。
その時、陽子の目の間に人の姿に戻ったディシーが現れた。その美貌は驚愕に染まり、一方陽子は不敵に微笑みながら力を解き放つ。
「ブレイブ……バスタァアアアッ!」
その光線は見事にディシーを捉える事に成功し、ディシーは光に包まれる。
光の鉄槌を受け、ディシーはそれでも立っていたが、程無くして糸が切れた操り人形の様に膝から崩れ落ちた。陽子は慌てて駆け寄り、どうにか倒れる前に体を滑り込ませる事に成功する。
「……貴女、戦闘センスの塊ね。本当に何者なのよ?」
弱々しい声でディシーは言った。それに伴い、足元から液状化が始まる。ディスガイアの時と全く同じに見えた。ならば、この後の結果も同じなのだろう。
「後悔したくないだけの女子高生。それ以上でもそれ以下でも無いよ。それに勝てたのはディシーさんが何だかんだ言いながら私の真っ向勝負に付き合ってくれたからだよ。だけど、どうして付き合ってくれたの?」
「……単なる気まぐれよ。深い意味は無いわ」
ディシーは懐に手をやった。出てきた手には青色の宝石が握られている。
「あげる。私にはもう必要の無いものだからね」
陽子はしっかりと受け取り、その重みをしっかりと握り締める。
「……貴女みたいのがいるから、恨み切れないのよ……」
ポツリとディシーは呟いた。
要領を得られず陽子は直球に尋ね返す。
「恨み……?」
「……独り言よ。忘れなさい」
「それはちょっと無理だよ」
「……ふふ。なら、精々悩みなさい。……じゃあね、お人好しなセイバー」
それを最後にディシーの体は液状化し、川と一体化して下流へと流れていってしまう。陽子はすぐにその後を追うが、もう区別は付かない。
陽子は物悲しげな視線で見送り、左手に握る宝石を両手でしっかりと握り締め、祈る様に、懺悔する様に俯いた。
「……違う形で出会いたかった……」
「ごめんなさい。私が巻き込んだばかりに……」
胸元から聞こえてきた気遣いの声に、陽子は立ち上がりながら否定する。
「謝らないで。私が自分で歩くって決めた事なんだから」
「でも――」
「そうやってすぐに悲観しないの」
陽子は胸元の宝石を小突き、アサを力ずくで黙らせてから続ける。
「――それより、これから大変だね。学校は……まあ、あの分じゃ今日は臨時休校になるだろうけど、思いっきり姿晒しちゃったからなー……」
ぼやく陽子に、アサは気持ちを切り替えてから進言した。
「それならご心配無く。セイバーのあの姿には装着した対象の身体能力を飛躍的に強化すると共に認識阻害という機能が備わっており、よってヨウコ=セイバーという図式にはならないので」
「あ、そうなんだ。よかったー。言い訳とか割と本気で考えてたんだよね」
答えながら陽子は川から上がる。
アサは説明を続けた。と同時に変身を解除する。
「それと壊れた場所も状況が終了すると自動的に元通りになり、またそれに伴って記憶置換が行われ、つまるところある場合を除き、あの出来事は別の何か――今回の場合ですと地震が連続的に起こった――という風になります」
「至れり尽くせりとはまさにこの事――と言いたいところだけど、ある場合ってどういう場合? ……まあ、何と無く聞かなくても分かるけどね」
「お察しの通り、強くないし深く関わった場合です。ですから――」
「あっちんと理香ちゃんに関しては記憶置換が行われない、か……。アサとしてはどうするのが最善だと考えてる?」
「私は全てが終わってから報告するのがベストだと考えています」
「うん。私もそう思う。楽になるのはこっちだけだからね」
「ええ。この方が精神的にはまだ軽いと思われるので」
「まだ、か……。……まあ、どっちにしろ心配させるなら少し軽くする方を選ぶしかないよね……。はあー、気が重い……」
ボリボリと頭を掻きながらため息をつく陽子。
しかし、かぶりを振ると暗い顔を止めた。
「何はともあれ、とりあえずは帰ろうか」
提案し、陽子は右手を差し出した。
アサはその手を握り返し、二人は仲良く学校を目指した。
その後、明美と理香に説明をするために話を振ったが、
「終わったら聞かせてくれればいいわ」
「聞いたところで何か出来るわけじゃないからねー」
と、あっさり返されてその話は終わった。