第2話 強さのかたち 〜 The Shape of Strength
四天王の一人が、謁見の間に姿を現した。
「魔王様。傷も癒えましたゆえ、シルフィドゥーエと交代を」
地魔将 ドグラ。四天王の一角。
(ドグラってキラーモグラって聞いたんだよな。
キラーモグラって雑魚の代名詞だと思ってたんだけど。
それが四天王まで上り詰めたんだから、その努力は一筋縄ではなかっただろう)
魔王はドグラの姿を見る。
確かに傷は癒えているように見える。
でも
「やせ我慢はよせ、それでは動くのがやっとではないか」
「やはり魔王様の目は誤魔化せませんか」
ドグラは笑う。
「しかし、虚勢をはるのは強者の特権ですゆえ」
「ドグラよ。戦が終わったとはいえ、力を振るうのは戦場だけではないのだぞ」
「わかっております。強者としての責任、肝に命じましょう」
魔王は軽く頷く。
「うむ。では任せる」
そのやり取りを、魔王の娘パニラが柱の影から見ていた。
(……まただ)
違和感。
言葉の端々。 視線の置き方。 部下との距離。
全部が、ほんの少しだけ違う。
(やっぱり……おかしい)
その時だった。
「魔王様」
どこからともなく、声がする。
ビルギットだ。
「お嬢様が、こちらを警戒しています」
「……そうか」
魔王は、小さく息を吐く。
「まあ、仕方あるまいな」
一拍。
ぽつりと呟く。
「……ぼくは“あれ”じゃないし」
「……?」
ビルギットが、わずかに首を傾げる。
魔王はそれ以上何も言わない。
ただ、面倒そうに玉座にもたれた。
柱の影。
パニラの瞳が、細くなる。
(今の、何……?)
最近、パパは何かがおかしい。
魔王の一人娘パニラは、柱の影から父を見つめていた。
「いつも苦労をかける。交代要員が来たら、少し休め」
「それではお前が潰れてしまう。他の者に任せよ」
――おかしい。
思わず、ぎゅっと柱を握る。
こんなの、パパじゃない。
前は、もっと、冷たくて、怖くて……
誰よりも“魔王”だったのに。
……最近のパパは、優しすぎる。
戦が終わったから?
だから、変わった?
違う。
そんな“理由”で変わる人じゃない。
パニラは、ゆっくりと目を細めた。
(……誰なの、あれ)
◇
「……最近の魔王様、ずいぶん変わられたな」
「戦が終わったからだろ。張り詰めてたもんが切れたんだよ」
「いや、そういうのじゃなくてだな…… なんというか……魔族らしくない」
一拍。
「そんなの、どうでもいいだろ」
低く、吐き捨てる声。
「俺たちにとって重要なのは“力”だ。 最も強い者が魔王。それだけでいい」
「……まあな」
肩をすくめる。
「強けりゃ、性格が変わろうが関係ねえ」
「むしろ今の方が、部下としては楽かもしれんぞ?」
「はは、それは言えてる」
短い笑い。
だが、すぐに消える。
「……だが」
ぽつりと、誰かが呟いた。
「それでもやっぱり、あの“魔王様”じゃない気がするんだよな」
沈黙。
「……気のせいだ」
誰かが、そう言い切った。
だが――
誰一人として、その言葉を信じてはいなかった。
そんな会話が交わされていることを、
玉座に座る“魔王”は、知る由もなかった。
◇
「シルフィドゥーエ、交代だ」
低く響く声とともに、階段を上がってくる足音。
やってきたのはドグラ。
そこは魔国と王国の国境付近に築かれた砦。
その最上部、物見台の上にシルフィドゥーエは立っていた。
吹き抜ける風が、彼女の髪を揺らす。
「そんなボロボロの状態で来たのですか」
振り返りもせず、淡々と告げる。
「傷を癒せというのが、魔王様の命だったはずですよ」
ドグラは肩をすくめる。
「それがわかるのは、魔王様とお前くらいなものよ」
一拍。
ゆっくりと、口元を歪めた。
「だからこそだ。
これは強者の特権――虚勢くらい、はらせろ」
風が、一段強く吹き抜ける。
「……好きにしてください」
一拍。
「ただし――」
わずかに視線を逸らす。
「倒れるなら、ワタシの見ているところで」
その言葉に、ドグラは一瞬だけ目を細めた。
「交代だと言っただろ」
「立っているのがやっとの者に任せて行けるわけないでしょう」
ため息。
「しばらく付き合います。
怪我の具合も、あなたよりマシですから」
一拍。
「だから魔王様は、ワタシに任じられたのでしょう」
ドグラは小さく笑う。
「確かに、チャップルとフィルグランはしばらく動けんだろうな。
オレはまだマシな方だ」
「まあ四肢を失えば致命的なあなたと違って、彼らは――」
シルフィドゥーエは淡々と言う。
「水と火。
失った部位も、時間が経てば戻るでしょう」
ドグラは答えず、視線を遠くへ向けた。
砦の外。
夜の帳の向こうに、人の国の灯が点々と浮かんでいる。
ほんの数日前まで、あの灯りは“敵”だった。
「……本当に、終わったのかね」
誰にともなく、呟く。
風だけが、それに応えた。
◇
「しかし、まだ戦える者がこれほど残っていようとはな」
ドグラは砦の中庭を見下ろす。
集まる影は、ざっと二百。
包帯を巻いたまま武器を握る者、片腕を吊ったまま立つ者。
――それでも、立っている。
「最初は殺到したのよ」
シルフィドゥーエが呆れたように言う。
「でも大半は追い返したわ。
“動ける者”って募集したはずなのに」
一拍。
「動く気だけはある者、が随分とね」
視線を横に流す。
「なんで獣族って脳筋バカが多いのかしら。
あなたも含めて」
ドグラが豪快に笑う。
「ガハハ、褒め言葉として受け取っておくわ」
「……都合のいい頭してるわね」
だが、口調ほど冷たくはない。
一拍。
「まあ、終戦直後の初期防衛くらいなら、この程度で十分でしょう」
視線を中庭の隅へと向ける。
「昔のワタシの副官も呼んだしね。あとで紹介するわ」
その先。
中庭の隅で、完全に伏せている一人の女。
物見台から降りると、中庭にいる者達に声をかけながら女性の側に近づいていく。
近づくにつれて、酒の匂いが強くなる。
シルフィドゥーエは無言で歩み寄り――
軽く蹴った。
「紹介するわ。
この酔っ払いがワタシの副官」
一拍。
「叡智の魔を探求するエルフの賢者、ロヴィーサ」
「やめてください……うっ、吐きそう……」
顔も上げずに呻くロヴィーサ。
ドグラが腹を抱えて笑う。
「ガハハ! お前の副官なら、これくらいの方がバランスが取れるというものだ」
「魔法の腕は確かなのだけどね」
呆れたように言う。
「机にかじりついてる時以外は、見ての通りのダメエルフよ」
一つため息を吐き、
「ほんと、何で風の眷属はこうも自由でいい加減なのかしら」
ドグラは笑いながら肩をすくめた。
「風は自らの向かう先を知らん、というではないか」
一拍。
「お前さんは、風魔のくせに真面目すぎるのよ」
シルフィドゥーエは何も答えない。
ただ、ほんのわずかに――
視線を逸らした。
◇
馬車が、軋みながら街道を進む。
だがそれは、本来の街道ではない。
整備された本道を外れ、あえて選んだ旧道。
獣道に毛が生えた程度の悪路を、幌馬車は容赦なく揺られていた。
手綱を握るのはネオだ。
木の根を踏み、石を乗り越えるたびに、荷台が大きく跳ねる。
「きゃっ……!」
短く、だが確かに上品な悲鳴。
アリアナが座席を押さえ、顔をしかめる。
それを見て、エルンが苦笑した。
「さすがのおてんば姫様も、幌馬車の荷台は堪えると見えるな」
「……大丈夫、です」
強がるように言うアリアナに、コルネリアがすぐ声をかける。
「無理はなさらないでください。次の町に着いたら、馬車を変えるか、せめてクッションでも……」
アリアナは小さく頷いた。
御者台からネオが振り返る。
「姫様、すいませんね。こんなボロ馬車で」
「いえ、気にしないでください」
一拍。
そして、少しだけ表情を引き締める。
「それと――姫様、というのもやめてください。 今のワタシは王女ではなく、“ただの冒険者アリアナ”です」
その言葉に、ネオが軽く笑った。
「へいへい、冒険者様」
王都を離れて三日。
急ぎすぎたツケは、すでに来ていた。
食料は心もとない。
本来なら途中の町で補給したいところだが――
旧道では、それも難しい。
「……素直に正面から行った方が良かったんじゃないの?」
ゼルマがぼやく。
「仕方ありません」
コルネリアが静かに答える。
「万が一の時、無関係な人々を巻き込むわけにはいきませんから」
その時だった。
「――ほら、噂をすれば、だな」
ネオの声。
勇者――中身が魔王の男は、ゆっくりと顔を上げる。
気配は複数、前方だけではない。
「右の林にもいるな……結構いる」
淡々と告げる。
幌の隙間から顔を出した瞬間――
見えた。
黒装束。
顔を隠した影。明らかに、ただの追跡者ではない。
「やはり来ましたか……」
コルネリアが聖杖に手をかける。
その直後。
ガタン、と荷台の扉が開いた。
アリアナが飛び出す。
「――うわー、お尻が限界!!」
一瞬、空気が止まる。
次の瞬間、大地が爆ぜた。
アリアナの身体が、弾丸のように加速する。
――速い。
誰もがそう思った時には、すでに一人。
男の顔面に拳がめり込んでいた。
鈍い音とともに、身体が宙を舞う。
その瞬間――
拳から放たれた魔力が遅れて炸裂する。
空気が歪み、衝撃波が周囲を叩きつけた。
巻き込まれた数人が、まとめて吹き飛ぶ。
「早っ!?」
ゼルマが思わず声を上げる。
「ヒュー、やるねぇ」
ネオも感嘆する。
アリアナは振り返りもせず、拳を軽く振るった。
その拳には、まだ微かに魔力の残滓が揺れている。
「ちょっとだけ運動に付き合ってもらうよ」
その背後から、さらに影が飛び出す。
左右の林から、複数。
馬車へと一斉に襲いかかる。
「……面倒くさい」
ゼルマが杖を持ち上げる。
「ミニマムサンダー」
空気が弾けた。
青白い電撃が走り、男たちを次々と貫く。
悲鳴すら上げられず、数人が崩れ落ちた。
「もう……しつこいのよ」
ため息混じりに言う。
一歩、踏み出し。
杖を、王都の方角へと向ける。
「――星落とし」
静かな詠唱。
数拍遅れて――
空が、鳴った。
遠く、雲を裂くような閃光。
そして。
ドォン――と、遅れて響く轟音。
地面が、わずかに震えた。
その音に、暗殺者たちの動きが止まる。
ゼルマが、ゆっくりと振り返る。
「今のはね、ちょっとサイズアップして……五十センチくらい」
一拍。
笑う。
「次に手を出したら―― 今度は城ごと吹き飛ばすサイズ、落とすから」
沈黙。
「……ちっ、引け!」
男たちが一斉に散開する。
気配が、消えていく。
戦闘は――終わった。
アリアナが不満げに肩を回す。
「えー、もう終わり? まだ全然殴り足りないんだけど」
ネオが笑う。
「物騒な姫様だな」
「だから姫じゃないってば」
ゼルマが倒れた暗殺者たちを見下ろしながら、ぽつりと呟く。
「……ねえ、これ」
一拍。
「身ぐるみ剥いどいた方がよくない?」
ネオが苦笑する。
「おいおい」
「いやだってさ」
ゼルマは肩をすくめる。
「こっちは金欠なんだよ? 武器とか装備とか、売ればそれなりになるでしょ」
コルネリアが少しだけ困った顔をする。
「それは……あまり褒められた行為ではありませんが……」
「襲ってきたのは向こうなんだから、戦利品ってことでいいでしょ」
あっさりと言い切るゼルマ。
ネオが肩をすくめる。
「まあ、理屈は通ってるな」
アリアナが首をかしげる。
「え、そういうのって普通やるものなの?」
「普通はもっと余裕あるときにやるな」
ネオが笑う。
「今はさっさと離れた方がいい」
勇者は、何も言わずにそのやり取りを聞いていた。
(……奪うか、見逃すか)
一瞬だけ、視線を落とす。
ゼルマがしゃがみ込み、倒れた男の腰袋を漁る。
「でもさ――」
一拍。
「今日の晩ごはんくらいは、拝借してもいいでしょ?」
慣れた手つきで袋をひっくり返す。
「あったあった。干し肉に……固形スープ」
軽く放り上げて、満足げに頷く。
「ほら、やっぱり無駄じゃなかった」
「お前なあ……」
ネオが苦笑する。
コルネリアがため息をつく。
「……ほどほどにしてくださいね」
(どちらも、“選択”か)
だが――
結論は出さない。
ただ。
遠くの空を見上げる。
(……甘いな)
ぽつりと、心の中で呟く。
だがそれを、口に出すことはなかった。
◇
謁見の間。
静まり返った空間に、まだ焦げた石の匂いが残っている。
天井には――大穴。
突き破られた石材の縁から、蒼天がのぞいていた。
王は、その穴を見上げていた。
歯を食いしばり、拳を震わせる。
「……おのれ……あの魔法使い……!」
怒声が、虚しく響く。
大臣が一歩、進み出た。
「――その魔法使いより、伝言にございます」
一拍。
「次に手を出せば、城ごと破壊すると」
沈黙。
王の肩が、ぴくりと震える。
その言葉は、脅しではない。
“実証済み”の警告だった。
先ほどの――あの一撃。
あれが“本気ではない”と理解しているからこそ、 誰もが口をつぐむ。
「……陛下」
別の重臣が、恐る恐る口を開いた。
「並の暗殺者では、もはや歯が立ちませぬ。 何か、別の手を――」
王は、苛立たしげに玉座の肘掛けを叩く。
「分かっておる!!」
怒鳴り声。
だが――
その直後、ぴたりと、動きが止まった。
静寂。
そして、ゆっくりと、王の口元が歪む。
「……そうか」
何かを思いついたように、呟く。
「勇者だ」
顔を上げる。
「勇者を呼べ」
大臣が、困惑の表情を浮かべる。
「……しかし陛下。勇者はすでに魔国へ向かい――」
「違う!」
即座に遮る。
「その田舎騎士のことを言っているのではない」
一拍。
低く、ねっとりとした声。
「“他の勇者”だ」
場の空気が変わる。
王は、ゆっくりと指を折りながら言った。
「光の聖剣は……あの田舎者が持ち出した」
忌々しげに吐き捨てる。
「大地の聖剣は……あのじゃじゃ馬娘が奪った」
アリアナの顔が脳裏をよぎる。
だが、王は続ける。
「だが――」
一拍。
「我が国には、まだ三本ある」
重々しく告げる。
「風の聖剣」 「氷の聖剣」 「炎の聖剣」
その名を口にするだけで、空気が張り詰める。
「それらの担い手を、すぐに呼び戻せ」
王の目が、ぎらりと光る。
「田舎騎士の討伐に向かわせる」
口元が歪む。
「――聖剣には、聖剣よ」
重臣たちの間に、ざわめきが広がる。
だが、誰も異を唱えない。
大臣が深く頭を垂れた。
「……さすが、陛下にございます」
王は満足げに頷く。
「次は、失敗は許されん」
ゆっくりと立ち上がる。
その背に、焦りと恐怖が滲んでいる。
「次に失敗すれば――」
一拍。
天井の穴を見上げる。
「この城が、なくなる」
重い沈黙。
「騎士団長を呼べ」
低く命じる。
「即座に部隊を編成しろ」
振り向きもせず、言い放つ。
「総力で叩き潰せ」
「……御意のままに」
大臣は深く頭を下げた。
だが。
その顔を上げた時――
わずかに、怯えの色が残っていた。
◇
二日後。
旧道と本道が交わる合流地点の町で、ようやく補給を済ませた一行は、再び馬車を走らせていた。
「クッション最高……」
荷台でぐったりしながら、アリアナが呟く。
「それでもまだ揺れるけどな」
ネオが笑う。
最低限の食料と水。
そして少しの快適さを手に入れた代わりに、彼らは再び人目を避け、旧道へと戻っていた。
やがて――
馬車の揺れが、ようやく落ち着きを取り戻した頃。
手綱を握るネオが、前を見たまま口を開いた。
「なあエルン」
一拍。
「魔国に行くのは構わないけどさ―― どこか、当てはあるのか?」
問いは軽いが、その実、重い。
ただ逃げるだけならいい。 だが“行き先”となれば話は別だ。
エルン――中身が魔王の男は、わずかに視線を上げた。
「……行けばどうとでもなるだろ」
淡々とした口調。
「一度踏み入れた土地だ。まったくの未知というわけでもない」
一拍。
「前線の小部隊くらいは、まだ各地に残っているはずだ」
ネオが肩をすくめる。
「その“前線の小部隊”に顔出すのは、さすがに危なくねえか?」
コルネリアが静かに口を挟む。
「できれば……王国関係者とも、魔族の軍勢とも、極力顔は合わせたくありませんね」
その言葉に、ゼルマがふっと笑った。
「だったらさ」
軽く杖を肩に担ぐ。
「一回、師匠のところに転がり込むってのはどう?」
コルネリアが首を傾げる。
「師匠……以前お話に出ていた、エルフの方ですか?」
「そうそう」
ゼルマはあっさり頷く。
「世捨て人みたいな人でね。 エルフの集落からも離れてるし、山奥に一人で住んでる」
一拍。
「屋敷も無駄に広いし、ワタシ達が何人押しかけても全然問題ないよ」
ネオが苦笑する。
「無駄に広いって……」
「研究馬鹿だからね」
ゼルマは肩をすくめた。
「実験用の設備ばっかり増やして、住むスペースはオマケみたいな感じ」
コルネリアが、少し驚いたように言う。
「魔国に住んでいたことがあるんですか?」
「まあね」
ゼルマは軽く頷く。
「修行時代は、ほぼ魔国だったよ」
一拍。
「買い出しに行く近くの町なんか、普通に顔なじみいたしね。
店のおばちゃんとか、よくオマケしてくれたし」
ネオが目を丸くする。
「……それでよく魔王討伐なんて受けたな」
ゼルマは、あっさりと答えた。
「戦争って、そんなもんじゃないの?」
軽い口調。
だが、その中身は軽くない。
ネオが苦笑する。
「ずいぶん割り切ってんな」
「そうでもないよ」
ゼルマは少しだけ視線を落とした。
「ワタシなりに、線は引いてたつもり」
一拍。
「軍の連中以外――
明らかに戦えない魔族には、致命傷になる魔法は使わなかった」
コルネリアが静かに頷く。
「……そういえば、そうでしたね」
戦場の記憶が、よぎる。
ゼルマの魔法は苛烈だった。
だが――確かに“選んでいた”。
ゼルマは小さく息を吐く。
「いくら戦争だってさ、民兵とか志願兵までまとめて焼くのは、さすがに後味悪いでしょ」
ネオが鼻で笑う。
「十分えげつねえこと言ってるけどな、それ」
「うるさい」
軽く睨み返す。
だが、その目はほんの少しだけ柔らかい。
コルネリアは、静かに言った。
「……優しいのですね」
「違うって」
即答。
「合理的なだけ」
一拍。
「無駄に恨み買うと、あとで面倒でしょ?」
ネオが笑う。
「はいはい、合理的合理的」
軽口が交わされる中、エルンは、黙ってそれを聞いていた。
(……なるほどな)
心の中で呟く。
(人は、“敵”であっても線を引くか)
一拍。
(甘い……が)
ほんのわずかに、目を細める。
(嫌いではない)
風が吹く。
馬車は、なおも旧道を進む。
その先にあるのは―― 魔国。
そして。
まだ誰も知らない、“再会”だった。
◇
物見台の下。
砦の中庭に、慌ただしい足音が響いた。
「報告!!」
駆け込んできた兵が、息を切らしながら叫ぶ。
「国境付近の鉱山にて落盤事故発生!
坑道の奥で多数の鉱夫が生き埋めとなっています!」
一瞬で、空気が変わる。
ざわめき。
だが次の瞬間――
「場所は」
ドグラの声が、それを断ち切った。
兵が思わず姿勢を正す。
「はっ!この砦より南東、三キロ地点の鉱山です!」
「規模は」
「不明!ですが坑道の大半が崩落しているとの報告が――」
「分かった」
それだけ言って、ドグラは踵を返した。
迷いは、ない。
「おい、待ちなさい」
シルフィドゥーエの声。
「あなた、その状態で行くつもり?」
ドグラは振り返らない。
「行くに決まっているだろう」
一拍。
「まだ中にいる」
短い言葉。
それだけで、十分だった。
「……他の者に任せなさい」
「任せて間に合うなら、最初からそうしている」
足を止める。
ほんのわずかに、横顔だけを見せる。
「地の中は、オレの領分だ」
シルフィドゥーエは、わずかに眉をひそめる。
「……強がりね」
「強者の特権だ」
即答。
「虚勢くらい、はらせろ」
その言葉に、シルフィドゥーエは一瞬だけ目を細めた。
だが――
「……分かった」
短く息を吐く。
「ならせめて、これだけは持っていきなさい」
指を軽く振る。
風が渦を巻き、小さな結晶となってドグラの前に浮かんだ。
「応急の風護符よ。崩落の二次被害くらいは防げる」
ドグラはそれを一瞥し――
無言で受け取った。
「借りる」
「返さなくていいわ。どうせ壊れるから」
「ガハハ、それもそうだ」
笑う。
そして。
「行ってくる」
次の瞬間、大地を蹴る。
その巨体が、一瞬で砦の外へと消えた。
残された風だけが、静かに揺れる。
「……まったく」
シルフィドゥーエは小さく呟く。
「本当に、馬鹿ばっかりね」
だがその声は――
どこか、わずかに柔らかかった。
◇
砦からほど近い鉱山。
轟音とともに崩れた岩盤は、坑道の奥を完全に塞いでいた。
粉塵がまだ収まらぬ中、怒号と悲鳴が飛び交う。
「奥だ! まだ取り残されてるぞ!」
「道がねえ! 全部埋まっちまってる!」
その中心へ――
ドグラは迷いなく踏み込んだ。
崩落した岩盤は、数百メートル先までびっしりと詰まっている。
掘るしかない。
「どいていろ」
低く言い放つ。
両腕を構えた瞬間――
鋼鉄すら引き裂く、異形の爪が展開された。
「パーフォレイト・クラッシャー!!」
地を蹴る。
その身体が、まるで一本のドリルのように岩盤へと突き刺さった。
砕ける岩。
弾ける火花。
順調――に見えた。
だが。
「――グアッ!」
鈍い衝撃にドグラの動きが止まる。
その先にあったのは――
異質な硬度を持つ、黒く鈍い塊。
魔鋼。
天然のそれは、通常の岩盤とは比べ物にならない強度を誇る。
「この程度の岩……貫いてくれるわ!!」
唸る。
キラーモグラとしての誇り。
地を穿つことこそが存在意義。
ましてや、四天王。
――掘れぬなど、あってはならない。
爪に力を込める。
だが――
ガギィン!!
鈍い破砕音。
爪が、砕けた。
「――っ!」
同時に、閉じかけていた傷が裂け、血が噴き出した。
膝が揺れる。
(……掘れ、ない……だと……?)
脳裏に、声がよぎる。
『ドグラよ。戦が終わったとはいえ、力を振るうのは戦場だけではないのだぞ』
魔王の言葉。
(万全であれば、この程度――)
歯を食いしばる。
(オレは……虚勢すら、張れぬのか……!)
その時だった。
「――どけ」
静かな声に振り返る。
そこに立っていたのは――
「……魔王様」
黒衣を揺らし、ゆっくりと歩み寄る。
「ドグラよ、よくやった」
一拍。
「あとは余に任せよ」
◇
「魔王様」
ビルギットの声。
どこからともなく、しかし確かにそこにある。
「なんだい、ビルギット」
「国境付近の鉱山で落盤事故。
多数の鉱夫が閉じ込められています」
一拍。
「ドグラが救出を行っていますが――苦戦しているようです」
「……そうか」
短く息を吐く。
「行こう」
「よろしいのですか。他の者に任せても――」
「戦争が終わったばかりだ」
淡々とした声。
「動ける者は少ない」
一拍。
「それに――」
わずかに、口元が緩む。
「彼ならきっと言うだろう。“それが強者の義務だ”と」
「……承知しました」
空気が揺らぐ。
「現地までお送りいたします」
「頼む」
その瞳は――
もはや“勇者”のものではなかった。
覚悟を決めた、強者のそれ。
◇
「下がれ」
短い一言にその場の空気が変わる。
ドグラがよろめきながら退く。
魔王は、崩落した岩盤の前に立った。
ゆっくりと目を閉じる。
(――広域探査)
闇の中に、世界が浮かび上がる。
地形。
亀裂。
空洞。
そして――
生きている者。
すでに息絶えた者。
(……奥行き、三百五十メートル。
生存者……複数。
……間に合うな)
だが。
(単純に掘れば、再崩落の危険がある。
それでは意味がない)
魔力が、静かに集まり始める。
(まず、支える)
岩盤の内部へ、魔力が浸透していく。
目に見えぬ柱が、等間隔に形成される。
(次に、保護)
トンネル状に魔力を展開。
崩落を、完全に封じる。
(最後に――排除)
目を開く。
「ゆくぞ」
右手を掲げる。
収束した魔力が、細く鋭く――
鋼糸のように放たれた。
――裂ける。
魔鋼すら、例外ではない。
粉砕された岩盤が、霧のように崩れ落ちる。
「開け」
低く、命じる。
魔力が渦を巻く。
砕かれた土砂が、まるで意思を持つかのように吸い上げられ――
坑道の外へと吐き出されていく。
轟音。
だが、崩れない。
魔力の柱が、すべてを支えている。
やがて、完全に塞がれていた坑道の奥に――
紫に光る、安全な通路が姿を現した。
静寂。
そして。
「……通ったぞ!」
歓声が上がる。
魔王は振り返らない。
「負傷者の救助を急げ」
一拍。
「そして――犠牲となった者は、丁重に弔え」
「はっ!!」
駆け出す鉱夫たち。
その中から、一人のドワーフが進み出る。
「この鉱山の責任者は?」
「は、はい……わしでございます、魔王様」
「余の魔力でしばらくは持つ」
淡々と告げる。
「だが永続ではない。
弱まる前に、壁と天井を補強せよ」
「かしこまりました!」
振り返る。
「聞いたか野郎ども! けが人運び出したらすぐ作業だ!」
「おう!!」
怒号が響く。
その中を、ドグラが歩み寄る。
血に濡れた腕。
砕けた爪。
だが、その目は――折れていない。
「……申し訳ございません」
頭を下げる。
魔王は一瞥する。
「虚勢を張るのもよい」
一拍。
「だが――万全であることもまた、強者の務めだ」
ドグラは、深く頷いた。
「……身に沁みました」
「よい」
踵を返す。
「では余は戻る。あとのことは任せたぞ」
誰もが道を開ける。
その背を見送りながら――
ドグラは、静かに呟いた。
「……ああ」
その声は、誰にも届かない。
だが、その胸には確かに刻まれていた。
――強者とは、何か。
◇
魔王が変わった――
そんな噂は、消えることはなかった。
だが同時に、こうも囁かれるようになる。
――力は、いささかも衰えてはいない。
鉱山での一件は、瞬く間に国中へと広がった。
崩落した坑道を、一人で切り開いた魔王。
生存者を救い、犠牲者には弔いを命じた魔王。
その姿は、紛れもなく――
“魔王”だった。
「さすが魔王様だ」
「やはり最強はあのお方よ」
賞賛の声は、次第に疑念を押し流していく。
変わったかどうかなど、些細なこと。
強い――それで十分。
それが、魔族という種の答えだった。
だが、その中でただ一人。
柱の影から、静かにその姿を見つめる少女がいた。
(……違う)
魔王の娘、パニラ。
細められた瞳。
(あれは、パパじゃない)
確信にも似た違和感が、胸の奥に沈んでいる。
どれだけ周囲が納得しようと。
どれだけ“魔王らしさ”を見せつけられようと。
それでも。
(……誰なの、あれ)
その疑いだけは――
消えることはなかった。




