第1話 終わりの始まり 〜 The End is Only the Beginning
暗雲に覆われた空を、雷鳴が引き裂いた。
轟音が城を震わせる。
刹那、閃光。
白く弾けた光が玉座の間へと差し込み、石床を一瞬だけ照らす。
その光の中で――
倒れ伏した仲間たちの姿が、脳裏に焼き付く。
叡智の魔を探求するエルフの賢者の弟子、魔術師ゼルマ。
その指先はまだ焦げ、最後の詠唱の痕を残している。
聖霊王の加護を受けし聖杖の継承者、僧侶コルネリア。
祈りのまま崩れ落ちたその手は、今も誰かを守ろうとしていた。
歴代の英雄たちの英霊を宿す神霊鎧の使い手、神官戦士ネオ。
砕けた鎧の奥で、なお剣を離さぬまま倒れている。
そして聖剣エクスカリバーに導かれ、
この時代の勇者に選ばれた辺境の騎士エルン。
魔王を守る最後の砦、魔王軍四天王との死闘をくぐり抜け、ようやく一人玉座の間の前までたどり着いたエルンの脳裏に3人の仲間達の言葉が繰り返される。
力尽き動けない仲間たちを残し、必ず迎えに来るからと一人魔王の元へ向かったエルン。
「仲間が待っているんだ」
一歩、踏み出す。
「魔王を倒し――必ず戻る」
決意にあふれる瞳でエルンは、玉座の間の扉を押し開けた。
「よくぞここまで辿り着いたな、勇者よ」
玉座に腰かけた魔王が、ゆっくりと立ち上がる。
黒いマントが翻り、禍々しい魔力が大広間を震わせた。
勇者は聖剣を構え、まっすぐに魔王を睨み返す。
「お前の野望もここまでだ、魔王」
「野望、か。クク……」
魔王は笑う。
「人間とはいつもそうだ。己に都合の悪い願いを――そう呼ぶ」
「黙れ! お前を倒し、この戦いを終わらせる!」
次の瞬間、魔王の足元が爆ぜた。
黒い魔力が大地を侵食し、空間そのものが歪む。
勇者は踏み込む。
「はああああああっ!!」
聖剣が光を放ち、魔力を切り裂く。
斬撃と同時に、光が奔流となって魔王へと叩きつけられた。
魔王はそれを片手で受け止める。
「甘い」
衝撃が弾け、勇者の身体が吹き飛ぶが、
空中で体勢を立て直し、再び踏み込む。
「終わらせる!」
「来い」
聖剣の光と、魔王の魔力が――
正面から、激突した。
その激突は、ただの斬撃ではなかった。
空間が軋む。
聖剣の光と黒き魔力が激突し、境界が消える。
世界が白く弾け、一瞬だけ“ほどけた”。
「……ふん。貴様を倒すには至らなかったか」
「まだまだ聖剣の加護は尽きていないぞ、魔王」
互いに荒い息を吐きながら、二人は顔を上げた。
そして、固まる。
「……は?」
「……なんだ、その顔は」
沈黙。
数秒。
互いにゆっくりと顔を見合わせる。
「……俺の声だよな?」
「奇遇だな。貴様も余の声で喋っている」
さらに沈黙。
そして。
「「……」」
一拍。
「「俺たち、入れ替わってるーーーっ!?」」
◇
勇者――
いや、中身が魔王となった男は、自らの身体を見下ろした。
指を動かす。
軽い。
あまりにも軽い。
試しに聖剣を振るう。
空を切る音は鋭いが、どこか頼りない。
「……なんだ、この貧弱な腕は」
一方、魔王――
中身が勇者となった男は、拳を握る。
その瞬間。
大広間の床が、ミシリと軋んだ。
「……重い」
ゆっくりと拳を振るう。
空気が爆ぜる。
「いや、ちょっと待て。何だこの力は……!」
二人は同時に顔を上げた。
そして、互いを見据える。
勇者(中身:魔王)は、ゆっくりと指先に魔力を込めた。
黒い魔力が滲み、空間がわずかに歪む。
「……ほう」
続けて聖剣を握る。
今度は、淡い光が宿った。
「聖剣の加護も消えてはいないか」
魔王(中身:勇者)もまた、身体の内を探る。
渦巻く膨大な魔力。
だがその奥に、確かに感じる光。
「……こっちもだ。
魔王の力と……聖剣の加護、両方ある」
勇者(中身:魔王)は静かに口を開いた。
「恐らくはこうだ」
低く、冷静な声音。
「先の一撃――巨大な力の衝突が、一瞬互いの肉体を分解するに至った。
そして再構成の段階で、一部が混じり合い……魂が入れ替わった」
魔王(中身:勇者)は眉をひそめる。
「……つまり。
俺たちは“混ざった”ってことか」
「そういうことになるな」
魔王(中身:勇者)は顔をしかめる。
「……おかしいだろ。
なんでこんな状況で、そんなに冷静なんだよ」
勇者(中身:魔王)は一拍置く。
「冷静ではない、優先順位を定めただけだ。
ヌシも人族の命運を背負ってここまで来たのであろう?
……いや、違うな、背負わされている側か」
魔王の目がわずかに揺れる。
「だが、それでもここまで来た。
余には魔国がある。
ヌシには聖剣と、それを信じる民の心がある。
――ならば同じことだ。お互い、ここで命を散らすわけにはいくまい」
再び、静寂が落ちる。
やがて魔王が口を開いた。
「……どうする、このまま戦うか?」
勇者は即答する。
「無意味だ、貴様も余も、今や互いの力を持っている。
⋯⋯決着はつかぬ」
一拍。
「休戦だ」
魔王は小さく息を吐いた。
「……だろうな。まずは元に戻る方法を探そう」
「ああ」
「だけど――」
魔王は言葉を切る。
「このまま戻るわけにもいかない」
勇者はわずかに口元を歪めた。
「都合の良いことに、ここには余とヌシしかおらぬ」
その瞬間。
空間に、ゆらりと魔法陣が浮かび上がる。
勇者は宙に指を走らせる。
そこから、黒い紙が一枚現れた。
「――闇の血判状」
魔王が目を細める。
「……なんだそれ」
「契約魔法だ」
勇者は淡々と告げる。
「ここに刻まれた誓いは絶対。
破れば、我ら魔族の守護神――暗黒神ハデスの神罰が下る」
「物騒だな」
「だからこそ信用できる」
勇者は紙に文字を刻んでいく。
相互不可侵。
休戦。
勇者と魔王による外交。
静かに書き終え、指先を切る。
血を垂らす。
魔王もまた、それに倣った。
血が紙に触れた瞬間――
世界が一瞬、闇に沈む。
どこか遠くで、何かが嗤ったような気がした。
やがて、血判状が淡く真紅の光を放ち始める。
「契約は成立した。
……これで、しばらくは殺し合わなくて済むな」
「その代わり、面倒なことになるぞ」
勇者は血判状を手に取り、踵を返す。
「余はこれを持ち、人の国へ戻る。
ヌシはその血判状をもって魔国に触れを出せ。
魔国は魔王の意思が絶対、それで戦は収まろう」
一拍。
「――出来るな?」
魔王は静かに頷いた。
「ああ、俺は魔王として命じる。
⋯⋯戦争は終わりだ」
魔王は腕を組む。
「……一応聞くけど、姿を変える魔法は?」
勇者は即答する。
「ある」
一拍。
「だが――
見破りの魔法、魔道具、聖結界。
いくらでも看破される。バレた後の方が厄介だ」
「なら使えないな」
「最後の手段だ」
その時だった。
勇者が軽く指を鳴らす。
空気が揺らぐ。
気づいた時には、そこに一人の女が立っていた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
魔王は思わず息を呑む。
「……いつからそこにいた?」
女は淡々と答えた。
「最初からです」
「怖いな」
勇者が言う。
「そいつの名はビルギット。
魔王軍には属さぬ、余個人に仕える数少ない忠臣の一人だ」
女は静かに一礼する。
「……承知のままに」
「クラウド――雲の魔族の亜種でな。
霧のように、どこにでも在ることができる」
確かにそこのいるはずの気配はない。
勇者はビルギットに向き直る。
「訳あって余はしばしここを離れる。
その間――」
わずかな間。
「そ奴を“余”として仕えよ」
迷いなく。
「承知のままに」
魔王は小さく呟く。
「……いいのか?」
勇者は答える。
「そいつが仕える者が“余”だ、これ以上ない証明になる。
⋯⋯案ずるな、何かあれば、ビルギットを通じて余に伝えよ」
ビルギットは淡々と告げる。
「距離、空間、障害――すべて無視して伝達可能です」
魔王は苦笑する。
「便利すぎるだろ」
「便利だから使うのだ」
わずかに、空気が揺れる。
「さて、そろそろ行くとしよう」
「……待て」
去ろうとする勇者を魔王が呼び止める。
勇者は足を止める。
振り返らない。
「なんだ」
魔王は、少しだけ言葉を探す。
「……あいつらのこと、頼む」
一瞬の沈黙。
勇者は小さく息を吐いた。
「言われずとも、そのつもりだ」
「ああ……そうか」
魔王は、それだけ言って黙る。
それ以上は何も言わない。
この姿では、もう――
あいつらと、くだらない話をすることもできないのだから。
ゼルマの無駄に長い講義も。
コルネリアの説教も。
ネオのくだらない武勇伝も。
もう、聞けない。
そして、勇者は、その場から姿を消した。
玉座の間に残されたのは、
魔王の姿をした勇者と、
静かに佇む“雲”の化身。
そして――
終わったはずの戦いの、その先に続く。
新しい物語だった。
◇
瓦礫と血の匂いが残る通路の先。
勇者――中身が魔王となった男は、足を止めた。
視線の先。
倒れたまま動けない仲間たち。
「……」
一瞬だけ、何かが胸をよぎる。
知らないはずの光景。
だが、確かに“知っている”。
勇者はゆっくりと歩み寄り、膝をつき、手をかざした。
淡い光が広がり、仲間たちの傷を包み込む。
「……すごい」
かすれた声。
僧侶コルネリアが目を開ける。
「回復は……私の役目なのに……すいません……」
勇者は首を振る。
「大丈夫、気にしないで」
その声音は落ち着いている。
だが。
どこか、いつもと違う。
コルネリアが周囲を見渡す。
「……魔王は?」
勇者は一瞬だけ言葉を選ぶ。
「勝ったよ」
静かに答える。
「ただ……魔王の力は強大でね。
とどめを刺すには至らなかった」
一拍。
「もうしばらくは動けないはずだよ」
そして。
「それに――」
懐から一枚の黒い紙を取り出し、血のように赤く脈打つそれを、仲間たちに見せる。
魔術師ゼルマの目が細くなる。
「……それ」
ゆっくりと身を起こす。
「闇の血判状、ね」
勇者は何も言わない。
ゼルマは紙を受け取り、目を通すと、その表情がわずかに変わる。
「なるほど。
絶対強制の契約魔法。
あんた、これを魔王に書かせたの?」
勇者は短く答える。
「まあね」
「やるじゃない」
ゼルマはくすりと笑う。
「これで――」
紙を軽く掲げる。
「あなたが生きてる限り、魔王の進軍は止まるってわけね」
一拍。
「せいぜい長生きしなさいよ、勇者様」
その時だった。
コルネリアが、ふと勇者の顔を見つめる。
「……あの」
勇者が視線を向ける。
「どうした」
「いえ……」
ほんの一瞬の沈黙。
「……なんでもありません」
だが、その目にはわずかな違和感が残る。
神官戦士ネオが立ち上がる。
「さすがだな、勇者!
やっぱりあんたは別格だ!」
その言葉に、勇者はわずかに目を伏せる。
「……そうか」
ゼルマが杖をつきながら立ち上がる。
「とにかく、ここにいても仕方ないわ。
帰りましょう」
コルネリアも頷く。
ネオが拳を握る。
そして。
勇者を見て、笑う。
「さあ帰ろう」
勇者が言う。
「ボクたちの国へ」
勇者は、ほんの一瞬だけ空を見上げた。
その目に映るのは“自分のものではない記憶”。
そして、もう戻れない場所。
「……ああ、帰るんだ」
短く呟き、勇者は歩き出した。
◇
玉座の間へと続く回廊。
その奥に、重い足音が響く。
魔王――中身が勇者となった男は、玉座に腰を下ろしていた。
その前に、膝をつく四つの影。
地魔将ドグラ。
水魔将チャップル。
火魔将フィルグラン。
そして――風魔将シルフィドゥーエ。
いずれも満身創痍。
腕を失い、身体を裂かれ、それでもなお立つ者たち。
「……ご無事でしたか、魔王様」
シルフィドゥーエが静かに問う。
魔王はわずかに笑う。
「無事ではないがな」
喉の奥で、低く笑う。
「クク……勇者……いや、人間というものも、なかなかやる」
その言葉に、四天王たちの表情が引き締まる。
「魔王様に手傷を……」
「申し訳ございません。我らの力が及ばなかったばかりに」
魔王は手を上げて制した。
「よい」
短く。
だが重く。
「お前たちは、よくやった」
その一言に、空気がわずかに緩む。
(……合ってるのか、これで)
一瞬だけ、思考がよぎる。
だが顔には出さない。
「それに、ただ負けたわけではない」
懐から、黒い紙を取り出す。
「見よ」
血判状。
真紅の魔力を帯びたそれを掲げる。
シルフィドゥーエの目が細くなる。
「……それは」
チャップルがぽつりと呟く。
「契約、ですか……?」
「うむ」
魔王は頷く。
「確かに、しばらくは満足に動けぬほどの傷を負わされた」
一拍。
「だが、やつも余を討つほどの力は残しておるまい。
これがある限り、勇者はもう魔国に進軍できぬ。
例え盟約を違え、人の軍勢が再び来ようとも――」
ゆっくりと見下ろす。
「勇者なき有象無象など、恐れるに足らぬ」
「……さすが、魔王様にございます」
ドグラが頭を垂れる。
「我らでは、そこまで至らなかったでしょう」
魔王が立ち上がると、マントが翻る。
「戦は終わった」
その一言で、空気が変わる。
「国中に触れを出せ。傷ついた者は、治癒に専念せよ」
「ハッ!」
四天王が声を揃える。
「それと――」
魔王は視線を向ける。
「シルフィドゥーエ」
「はっ」
風の魔将が、深く頭を垂れる。
「念のためだ。無事な戦力を集め、防衛線を再編せよ。
すぐに攻めてくるとは思えぬが……」
ほんの一瞬、言葉が止まる。
「……ヌシには、苦労ばかりかけるな」
その一言に。
シルフィドゥーエの目が、わずかに揺れた。
「……いえ」
静かに答える。
「ワタシのような者に、気を使っていただき――
感謝の念に堪えません」
一拍。
「この身、いかようにもお使いください」
「うむ、頼む」
魔王は頷く。
「他の四天王の傷が癒え次第、交代させよう。
それまで、踏ん張ってくれ」
「はっ」
四天王たちは去っていく。
だが。
最後に、シルフィドゥーエだけが、ほんの一瞬だけ振り返った。
(……今の言葉。魔王様が、“労う”…?)
だが、何も言わない。
そのまま、静かに姿を消した。
玉座の間に残る魔王は、深く息を吐く。
「……疲れるな、これ」
◇
王都の門が開く。
勇者一行は、ゆっくりと中へ足を踏み入れた。
だが――
誰もいない。
歓声も。 旗も。 出迎えすら。
ネオが眉をひそめる。
「……あれ?
兵士に頼んで、伝令は飛ばしたよな?」
ゼルマが肩をすくめる。
「凱旋パレードは後日ってやつじゃない?
準備とかあるだろうし」
その横で、コルネリアだけが、小さく息を吐いた。
「……はぁ」
ゼルマが振り向く。
「なによ、その顔」
「いえ」
コルネリアは静かに言う。
「城に行けば……分かりますよ」
その言葉の意味は、すぐに知ることになる。
城門をくぐった瞬間、兵士たちが動いた。
剣を抜き、槍を構え、一行を取り囲む。
「……なに?」
ゼルマの声が鋭くなる。
「ちょっと、魔王を倒したワタシたちに――」
勇者が手を上げる。
「……やめろ」
低い声。
「ここは、大人しくしていよう」
ゼルマは一瞬だけ睨みつけるが、
「……分かったわよ」
小さく舌打ちし、力を抜いた。
そのまま一行は拘束され、謁見の間へと連れていかれる。
玉座。
王が座していた。
「貴公らが……魔王を倒したと?」
勇者は一歩前へ出る。
「はい、間違いございません。
魔王より休戦の盟約も取り付けました」
懐から血判状を取り出す。
「魔法による誓約の証も、ここにございます」
一瞬の沈黙。
「……信じられぬな」
空気が凍る。
ネオが思わず声を上げる。
「なっ……!我らは確かに――」
「黙れ」
王の一声が、それを遮る。
「ヌシのその姿、それで真に英雄になり得るとでも思っているのか?」
勇者は、黙っている。
「みすぼらしい革鎧。
名も知らぬ辺境の村出身の騎士」
王は鼻で笑う。
「英雄というのはな、“英雄なり得る器”というものが必要なのだよ」
ゆっくりと視線を横へ流す。
「なあ――騎士団長よ」
「はっ」
一歩、前に出る。
黄金の装飾を纏った騎士。
ミスリルの剣が、光を反射する。
「魔王を屈服させたのは、実は貴公ではないのか?」
騎士団長は、口元を歪めた。
「……バレてしまいましたか。実は、その通りにございます」
「どういうことよ!!」
ゼルマが叫ぶ。
「この国から、何人の“勇者”が魔王討伐に向かったと思っている?」
王の声が響く。
「貴族の嫡男。爵位を持つ者。
数多の“英雄候補”が、魔王城へと向かったのだ」
一拍。
「……意味が分からぬわけではあるまい?」
コルネリアが静かに言う。
「貴族の権力を維持するために、“目に見える形の栄誉”が必要、ということですね」
王は満足げに頷く。
「その通りだ」
そして、勇者を見る。
「だから――
ヌシのような田舎騎士が英雄では、困るのだよ」
静かに、革袋が投げられる。
それは床に落ち、鈍い音を立てた。
「それを持って消えろ。
ヌシが一生かかっても稼げぬ金だ」
沈黙。
(……なるほど)
勇者――中身が魔王の男は、思う。
(人とは、かくも醜いものなのか。
同族で争い、功を奪い、価値を“見た目”で決める。
これでは――
我ら魔族の方が、よほど理にかなっているではないか)
ほんの一瞬、視線を落とす。
(……あの男は、こんな世界のために、命を懸けていたのか)
静かに、革袋を拾う。
「……ご配慮、感謝いたします」
深く一礼。
それだけを残し、勇者は背を向けた。
ネオが歯を食いしばる。
ゼルマは怒りを押し殺し。
コルネリアは目を伏せる。
三人は、何も言わずに続いた。
扉が閉まる。
沈黙。
大臣が一歩前に出る。
「……いかがなさいますか」
王は、興味なさげに言った。
「始末しろ。余計なことを言いふらされても困る」
一拍。
「金貨も、勿体ないしな」
「……御意のままに」
◇
夜。
安酒と油の匂いが混ざる酒場。
喧騒の中、一角だけ、空気が重い。
ゼルマがジョッキを叩きつけた。
「信じられない!」
酒が少しこぼれる。
「なんの為に命張ったと思ってるのよ!!」
ネオが苦い顔で笑う。
「……まあ、ああいう連中だってのは分かってたけどな」
コルネリアは静かに杯を置いた。
「私は……ある程度、察していました」
ゼルマが睨む。
「はぁ?」
「貴族や王族というのは……昔から、ああいうものですから」
静かな言葉。
だが、否定はしない。
勇者は、少しだけ視線を落とす。
(……なるほどな)
「早いうちに、この国は離れた方がいいかもしれない」
ゼルマが顔を上げる。
「なんでよ」
「口封じ」
短く答える。
「それに――」
革袋を軽く持ち上げる。
「これだって、“黙って俺達のものになる保証”はない」
ネオが舌打ちする。
「……ああ、やりそうだな」
「じゃあどうすんのよ」
ネオが腕を組む。
「他国に逃げるか?北の帝国か、東の皇国か……」
その時、勇者がぽつりと言った。
「魔国、という選択肢もある」
空気が一瞬止まる。
ゼルマが顔をしかめる。
「は?」
ネオも眉をひそめる。
「……また、あそこに戻るのか?」
勇者は静かに言う。
「案外――この国より平和かもしれないぞ」
その言葉に、コルネリアの視線が、わずかに揺れた。
(今の言い方……)
ゼルマは肩をすくめる。
「ワタシは魔道の研究ができれば、どこでもいいけどね。
まあ師匠はエルフで魔国出身だから、正直抵抗はないわ」
そして、にやりと笑う。
「なんか癪だからさ、逃げる前に、この国ごと滅ぼしちゃう?」
ネオが吹き出す。
「おいおい」
「伝説の大魔法とかさ。
そうね⋯⋯星落とし、とかどう?」
軽い口調。
だが、その目は笑っていない。
コルネリアが首を振る。
「……それでは意味がありません、罪もない人々も巻き込んでしまう」
静かに、だがはっきりと。
「それでは――」
一拍。
「何のために戦ったのか、分からなくなってしまいます」
沈黙。
勇者は、コルネリアを見た。
(……優しいな。だからこそ――
壊れやすい)
ジョッキを傾ける。
「……難しいものだな」
誰に言うでもなく、呟く。
その時だった。
酒場の扉が静かに開き、冷たい夜気が流れ込む。
喧騒がわずかに揺れ、一人の女が、そこに立っていた。
場違いなほど整った衣服。
隠しきれない気品。
そして――
まっすぐに、こちらを見る目。
コルネリアが、息を呑む。
「……まさか」
女は、ゆっくりと歩み寄る。
そして。
「――ごめんなさい」
いきなり、頭を下げた。
「……誰だ?」
勇者が低く問う。
「とにかく――ごめんなさい!」
「だから、何だと言っている」
コルネリアが静かに口を開く。
「王女殿下。
こんな時間に、供も連れず一人で来るものではありませんよ」
ゼルマが目を丸くする。
「……王女?」
「はい」
コルネリアが一礼する。
「この国の第二王女であらせられる、アリアナ様です」
勇者はわずかに目を細める。
「……噂で聞いたことがあるな。
とんだじゃじゃ馬だとか。
城に大工が出入りしない日が無いらしいじゃないか」
「そこまでひどくないから!」
アリアナがむっとする。
「……でも」
すぐに表情を曇らせる。
「本当に、ごめんなさい。
今日のこと、どうしても……謝りたかったの」
勇者は淡々と答える。
「別に、お前が謝ることではないだろう」
「そうだけど」
アリアナは拳を握る。
「同じ王族として、どうしても許せなかったの」
一拍。
「だから安心して。
出がけに、お父様のことは――しっかり殴ってきたから」
「そのどこに安心する要素がある」
ネオが吹き出す。
ゼルマが頭を抱える。
「でもまあ……」
勇者は小さく呟く。
「王族にも、まともな奴がいるんだな」
「いや絶対にまともじゃないから」
ゼルマが即座に突っ込む。
アリアナは少しだけ困ったように笑い、そして真剣な顔になる。
「……でも、気をつけて」
空気が変わる。
「お父様は、あなたたちを“生きて”国から出すことは――
絶対にしないと思います」
沈黙。
ネオが肩をすくめる。
「大丈夫だって。
俺たちは、魔王軍四天王より強いんだぜ?」
アリアナは一瞬だけ、勇者を見た。
何かを確かめるように。
そして。
「……そう」
小さく頷く。
「ご武運を」
深く一礼し、静かに酒場を後にした。
扉が閉まる。
少しだけ、冷たい空気が残った。
ゼルマがジョッキを置く。
「……で?
どうするのよ」
コルネリアが答える。
「襲撃があるとすれば――
今夜でしょうね」
ネオが頷く。
「だろうな」
ゼルマがにやりと笑う。
「じゃあどうする?
野宿の時みたいに、みんなで固まって寝る?」
「勘弁してくれ」
ネオが即答する。
「個室でいい」
「ただ――」
勇者が静かに言う。
「何かあったら、すぐ起こせ」
「了解」
その一言で、全員の意識が揃う。
酒盛りは自然と終わりを迎えた。
軋む階段を上り、それぞれの部屋へと戻っていく。
廊下は静かだ。
だがその静けさは、嵐の前のものだった。
勇者は部屋の扉を閉め、鍵をかける。
そして――
「……来るな」
誰に言うでもなく、呟いた。
◇
「魔王様」
どこからともなく、声がする。
「暗殺者と思われる者が数名。
宿屋の周囲を囲みつつあります」
勇者の姿をした魔王は、窓の外を見ずに答える。
「分かっている。可能であれば、無力化せよ」
一拍。
「……命を奪わなくても、よろしいのですか」
「ここは魔国ではない」
静かに言う。
「人の世の“法”というものがある」
「……承知いたしました」
気配が、消える。
(法、か)
自分で口にしておきながら、どこか引っかかる。
その時。
コン、コン。
扉が叩かれた。
「……入れ」
「失礼します」
入ってきたのは、コルネリアだった。
「どうしたんだい、コルネリア」
静かな沈黙。
コルネリアは、まっすぐにこちらを見る。
「……あなたは、一体誰ですか。
エルンは、どこへ行ったのですか」
「何を言っている、目の前にいるではないか」
コルネリアは、首を振る。
「いいえ、違います。
ワタシは僧侶です。肉体ではなく、“魂”を見ます」
一歩、踏み込む。
「今、ワタシの目の前にいるあなたは――
エルンではありません」
沈黙。
魔王は、わずかに笑った。
「……案外、すぐにバレるものだな。
安心せよ、勇者は無事だ」
コルネリアの瞳が揺れる。
「……あなたは、魔王、ですね」
「いかにも」
静かに、告げる。
「余は魔王である」
少しの沈黙、そして――
「訳あって、勇者と余の魂が入れ替わった。
今は、元に戻る方法を探している」
「それを……信じろと?」
「そのための血判状だ。
ヌシも神に仕える者なら、分かるであろう、あれの強制力を。
あれがある限り、余は人に危害を加えぬ。
勇者もまた、魔族を害さぬ」
コルネリアは、ゆっくりと目を閉じる。
「……分かりました。ひとまず、信用いたします」
だが、すぐに目を開く。
「ですが、監視はさせていただきます」
「構わん」
むしろ当然だ、とでも言うように。
外で、わずかに気配が動く。
(来るか)
魔王は、窓の外に意識を向けたまま言う。
「しかし……
人とは、かくも酷いものだな」
「……」
「命を懸けて挑んだ相手が、守る価値すらないと知る。
……滑稽な話だ」
コルネリアは、静かに答える。
「それでも⋯⋯守るべきものは、あります。
王でも、貴族でもない。
そこに生きる人々です」
魔王は、わずかに目を細める。
「では問おう。魔族はどうだと思う?」
「……分かりません」
「我らはシンプルだ。
弱肉強食。弱い者は、強い者に従う。
ただ、それだけだ」
「……恐怖による支配では?」
「否」
即答。
「強い者には、強くある義務がある。
それは――弱き者を守るためのものだ」
「⋯⋯」
コルネリアの表情が変わる。
「だがな、どんな者も、絶対的弱者ではあるまい。
必ず、自分より弱い者は存在する」
一歩、近づく。
「そうである限り、
我ら魔族は――すべてが“強者”だ」
静寂。
「……その意味が分かるか?」
コルネリアは、ゆっくりと頷く。
「……なるほど、シンプルですね」
一拍。
「……少し、うらやましいです」
その時、外で、風が鳴る。
同時に、ドンと何かが落ちる音。
「……始まったな」
魔王が呟く。
コルネリアが振り向く。
「襲撃……!」
「行くぞ、話は後だ」
扉に手をかける。
「ヌシの“守るべきもの”とやら――
試してみるがいい」
扉が開く。
その向こうには、
夜が、牙を剥いていた。
◇
「ビルギットか」
「はい」
どこからともなく、声。
「すでに十四、行動不能に。残り五十七」
「……随分といるな」
勇者の姿をした魔王は、静かに呟く。
「一般人の巻き添えも、お構いなしか」
「排除しますか?」
「一般人への被害は極力避け、敵のみを無力化せよ」
「承知」
気配が、霧のように広がる。
コルネリアが小さく息を呑む。
「……そちらの方は?」
「余個人に仕える者だ。
心配するな、敵以外には手を出させん」
「……安心しました」
一歩前へ。
「では、ワタシも」
杖を掲げる。
「ホーリーバインド」
光の輪が現れ、次々に暗殺者を絡め取る。
その背後から、刃が襲おうとするが、
瞬間、動きが止まった。
「残り四十八」
「……見事だな。余の配下は有能であろう」
コルネリアが即座に振り返る。
「その口調、ゼルマさんとネオさんの前では絶対にやめてくださいね」
「無論だ」
「それと、時々口調がおかしいです」
「……うむ、気をつけよう」
「残り四十一」
雷が弾ける。
「超ミニマム・サンダーアロー!」
青い雷の矢が、連続して暗殺者を撃ち抜く。
「“超ミニマム”だってさ⋯」
ゼルマが鼻を鳴らす。
「ワタシの電撃を食らったら、一日は動けないわよ」
「残り二十三」
「なんか言った?」
「何も言ってはいないぞ」
(声を出さずに頼む)
(承知しました。残り十九)
「……まあいいわ、このまま制圧するわよ」
それからほどなくして、すべての暗殺者は、地に伏した。
「……終わったな」
ネオが息を吐く。
「で、これからどうすんだ?」
勇者が、静かに言う。
「一つ、考えがある。乗るか?」
三人は、互いに顔を見合わせる。
「……いいわよ」
「付き合うぜ」
「ええ」
◇
翌朝。
四人は、再び城へと向かった。
立ちはだかる兵。
だが。
「ホーリーバインド」
「サンダーアロー」
「……邪魔だ」
無力化され、次々に倒れていく。
謁見の間。
王が、座していた。
「……貴様ら」
勇者が歩み出る。
「昨日の夜は、随分と“歓迎”してくれて感謝するよ」
一歩。
「そのお礼がしたくてね」
ゼルマを見る。
「ゼルマ」
「はいはーい」
軽く杖を振る。
その瞬間、天井が、裂けた。
轟音。
落ちてきたのは――
人の頭ほどの、小さな隕石。
それが、王の目の前の床に突き刺さり、
石床がひび割れる。
沈黙。
勇者が口を開く。
「俺たちは何も言わない、すべて忘れてやる」
一拍。
「だが――
これ以上、俺たちに手を出すなら、
パーティーの偉大なる魔法使いが」
隕石を軽く蹴る。
「これより“大きい星”を、城に落とすことになる」
ゼルマがにやりと笑う。
「次は“ミニマム”じゃ済まないわよ?」
完全な沈黙。
誰も、動かない。
勇者は背を向ける。
「行くぞ」
四人は、そのまま謁見の間を後にした。
「待て! 追え!!」
王の怒号が響く。
だが。
誰も動けない。
騎士団長ですら、バインドを受けて床に転がり、
電撃を受けて泡を吹いている。
城を出た後、ゼルマが伸びをする。
「はー、スッキリした。
星落とし、やらせてくれてありがと。
まあ“超ミニマム”だったけどね」
ネオが笑う。
「で、これからどうする?」
勇者は迷わず答える。
「魔国へ行こう」
その時。
「――ワタシも連れて行ってください」
振り返る。
アリアナが立っていた。
「……は?」
「それはダメだって」
「安心してください。
家出するって置き手紙、書いてきましたから」
「だからそれのどこに安心できる要素があるって」
ゼルマが即ツッコミ。
アリアナはにっこり笑う。
「大丈夫です。もう、戻るつもりはありませんから」
沈黙。
勇者は、少しだけ彼女を見る。
(……覚悟は、あるか)
小さく息を吐く。
「……好きにしろ」
ネオが笑う。
「決まりだな」
こうして。
四人に、一人が加わる。
行き先は一つ。
魔王城。
それぞれの思惑を抱えながら、
新たな旅が、始まった。




