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第1話 終わりの始まり 〜 The End is Only the Beginning

 暗雲に覆われた空を、雷鳴が引き裂いた。

 轟音が城を震わせる。

 刹那、閃光。

 白く弾けた光が玉座の間へと差し込み、石床を一瞬だけ照らす。

 その光の中で――

 倒れ伏した仲間たちの姿が、脳裏に焼き付く。


 叡智の魔を探求するエルフの賢者の弟子、魔術師ゼルマ。

 その指先はまだ焦げ、最後の詠唱の痕を残している。


 聖霊王の加護を受けし聖杖の継承者、僧侶コルネリア。

 祈りのまま崩れ落ちたその手は、今も誰かを守ろうとしていた。


 歴代の英雄たちの英霊を宿す神霊鎧の使い手、神官戦士ネオ。

 砕けた鎧の奥で、なお剣を離さぬまま倒れている。


 そして聖剣エクスカリバーに導かれ、

 この時代の勇者に選ばれた辺境の騎士エルン。


 魔王を守る最後の砦、魔王軍四天王との死闘をくぐり抜け、ようやく一人玉座の間の前までたどり着いたエルンの脳裏に3人の仲間達の言葉が繰り返される。


 力尽き動けない仲間たちを残し、必ず迎えに来るからと一人魔王の元へ向かったエルン。


「仲間が待っているんだ」

 一歩、踏み出す。

「魔王を倒し――必ず戻る」


 決意にあふれる瞳でエルンは、玉座の間の扉を押し開けた。


「よくぞここまで辿り着いたな、勇者よ」

 玉座に腰かけた魔王が、ゆっくりと立ち上がる。


  黒いマントが翻り、禍々しい魔力が大広間を震わせた。


 勇者は聖剣を構え、まっすぐに魔王を睨み返す。

「お前の野望もここまでだ、魔王」


「野望、か。クク……」

 魔王は笑う。

「人間とはいつもそうだ。己に都合の悪い願いを――そう呼ぶ」


「黙れ! お前を倒し、この戦いを終わらせる!」


 次の瞬間、魔王の足元が爆ぜた。

 黒い魔力が大地を侵食し、空間そのものが歪む。


 勇者は踏み込む。

「はああああああっ!!」

 聖剣が光を放ち、魔力を切り裂く。


 斬撃と同時に、光が奔流となって魔王へと叩きつけられた。

 魔王はそれを片手で受け止める。


「甘い」


 衝撃が弾け、勇者の身体が吹き飛ぶが、

 空中で体勢を立て直し、再び踏み込む。


「終わらせる!」

「来い」


 聖剣の光と、魔王の魔力が――

 正面から、激突した。


 その激突は、ただの斬撃ではなかった。


 空間が軋む。


 聖剣の光と黒き魔力が激突し、境界が消える。

 世界が白く弾け、一瞬だけ“ほどけた”。


「……ふん。貴様を倒すには至らなかったか」

「まだまだ聖剣の加護は尽きていないぞ、魔王」


 互いに荒い息を吐きながら、二人は顔を上げた。


 そして、固まる。


「……は?」

「……なんだ、その顔は」


 沈黙。


 数秒。


 互いにゆっくりと顔を見合わせる。


「……俺の声だよな?」

「奇遇だな。貴様も余の声で喋っている」


 さらに沈黙。

 そして。


「「……」」


 一拍。


「「俺たち、入れ替わってるーーーっ!?」」


   ◇


 勇者――

 いや、中身が魔王となった男は、自らの身体を見下ろした。


 指を動かす。


 軽い。

 あまりにも軽い。


 試しに聖剣を振るう。

 空を切る音は鋭いが、どこか頼りない。


「……なんだ、この貧弱な腕は」


 一方、魔王――

 中身が勇者となった男は、拳を握る。


 その瞬間。

 大広間の床が、ミシリと軋んだ。


「……重い」


 ゆっくりと拳を振るう。

 空気が爆ぜる。


「いや、ちょっと待て。何だこの力は……!」


 二人は同時に顔を上げた。

 そして、互いを見据える。


 勇者(中身:魔王)は、ゆっくりと指先に魔力を込めた。

 黒い魔力が滲み、空間がわずかに歪む。


「……ほう」


 続けて聖剣を握る。

 今度は、淡い光が宿った。


「聖剣の加護も消えてはいないか」


 魔王(中身:勇者)もまた、身体の内を探る。

 渦巻く膨大な魔力。

 だがその奥に、確かに感じる光。


「……こっちもだ。

 魔王の力と……聖剣の加護、両方ある」


 勇者(中身:魔王)は静かに口を開いた。


「恐らくはこうだ」

 低く、冷静な声音。


「先の一撃――巨大な力の衝突が、一瞬互いの肉体を分解するに至った。

 そして再構成の段階で、一部が混じり合い……魂が入れ替わった」


 魔王(中身:勇者)は眉をひそめる。

「……つまり。

 俺たちは“混ざった”ってことか」


「そういうことになるな」


 魔王(中身:勇者)は顔をしかめる。

「……おかしいだろ。

 なんでこんな状況で、そんなに冷静なんだよ」


 勇者(中身:魔王)は一拍置く。

「冷静ではない、優先順位を定めただけだ。

 ヌシも人族の命運を背負ってここまで来たのであろう?

 ……いや、違うな、背負わされている側か」


 魔王の目がわずかに揺れる。


「だが、それでもここまで来た。

 余には魔国がある。

 ヌシには聖剣と、それを信じる民の心がある。

 ――ならば同じことだ。お互い、ここで命を散らすわけにはいくまい」


 再び、静寂が落ちる。

 やがて魔王が口を開いた。


「……どうする、このまま戦うか?」


 勇者は即答する。

「無意味だ、貴様も余も、今や互いの力を持っている。

 ⋯⋯決着はつかぬ」


 一拍。


「休戦だ」


 魔王は小さく息を吐いた。


「……だろうな。まずは元に戻る方法を探そう」


「ああ」


「だけど――」

 魔王は言葉を切る。

「このまま戻るわけにもいかない」


 勇者はわずかに口元を歪めた。

「都合の良いことに、ここには余とヌシしかおらぬ」


 その瞬間。

 空間に、ゆらりと魔法陣が浮かび上がる。


 勇者は宙に指を走らせる。

 そこから、黒い紙が一枚現れた。


「――闇の血判状」


 魔王が目を細める。

「……なんだそれ」


「契約魔法だ」

 勇者は淡々と告げる。


「ここに刻まれた誓いは絶対。

 破れば、我ら魔族の守護神――暗黒神ハデスの神罰が下る」


「物騒だな」


「だからこそ信用できる」

 勇者は紙に文字を刻んでいく。


 相互不可侵。

 休戦。

 勇者と魔王による外交。


 静かに書き終え、指先を切る。

 血を垂らす。


 魔王もまた、それに倣った。


 血が紙に触れた瞬間――

 世界が一瞬、闇に沈む。

 どこか遠くで、何かが嗤ったような気がした。


 やがて、血判状が淡く真紅の光を放ち始める。


「契約は成立した。

 ……これで、しばらくは殺し合わなくて済むな」


「その代わり、面倒なことになるぞ」


 勇者は血判状を手に取り、踵を返す。


「余はこれを持ち、人の国へ戻る。

 ヌシはその血判状をもって魔国に触れを出せ。

 魔国は魔王の意思が絶対、それで戦は収まろう」


 一拍。


「――出来るな?」


 魔王は静かに頷いた。

「ああ、俺は魔王として命じる。

 ⋯⋯戦争は終わりだ」


 魔王は腕を組む。

「……一応聞くけど、姿を変える魔法は?」


 勇者は即答する。

「ある」


 一拍。


「だが――

 見破りの魔法、魔道具、聖結界。

 いくらでも看破される。バレた後の方が厄介だ」


「なら使えないな」


「最後の手段だ」


 その時だった。


 勇者が軽く指を鳴らす。


 空気が揺らぐ。

 気づいた時には、そこに一人の女が立っていた。

 まるで、最初からそこにいたかのように。


 魔王は思わず息を呑む。

「……いつからそこにいた?」


 女は淡々と答えた。

「最初からです」


「怖いな」


 勇者が言う。

「そいつの名はビルギット。

 魔王軍には属さぬ、余個人に仕える数少ない忠臣の一人だ」


 女は静かに一礼する。

「……承知のままに」


「クラウド――雲の魔族の亜種でな。

 霧のように、どこにでも在ることができる」


 確かにそこのいるはずの気配はない。


 勇者はビルギットに向き直る。

「訳あって余はしばしここを離れる。

 その間――」


 わずかな間。


「そ奴を“余”として仕えよ」


 迷いなく。

「承知のままに」


 魔王は小さく呟く。

「……いいのか?」


 勇者は答える。

「そいつが仕える者が“余”だ、これ以上ない証明になる。

 ⋯⋯案ずるな、何かあれば、ビルギットを通じて余に伝えよ」


 ビルギットは淡々と告げる。

「距離、空間、障害――すべて無視して伝達可能です」


 魔王は苦笑する。


「便利すぎるだろ」

「便利だから使うのだ」


 わずかに、空気が揺れる。


「さて、そろそろ行くとしよう」 


「……待て」

 去ろうとする勇者を魔王が呼び止める。


 勇者は足を止める。

 振り返らない。


「なんだ」


 魔王は、少しだけ言葉を探す。


「……あいつらのこと、頼む」


 一瞬の沈黙。

 勇者は小さく息を吐いた。


「言われずとも、そのつもりだ」


「ああ……そうか」


 魔王は、それだけ言って黙る。

 それ以上は何も言わない。


 この姿では、もう――

 あいつらと、くだらない話をすることもできないのだから。


 ゼルマの無駄に長い講義も。

 コルネリアの説教も。

 ネオのくだらない武勇伝も。

 もう、聞けない。


 そして、勇者は、その場から姿を消した。


 玉座の間に残されたのは、

 魔王の姿をした勇者と、

 静かに佇む“雲”の化身。


 そして――

 終わったはずの戦いの、その先に続く。

 新しい物語だった。


   ◇


 瓦礫と血の匂いが残る通路の先。

 勇者――中身が魔王となった男は、足を止めた。


 視線の先。

 倒れたまま動けない仲間たち。


「……」

 一瞬だけ、何かが胸をよぎる。


 知らないはずの光景。

 だが、確かに“知っている”。

 勇者はゆっくりと歩み寄り、膝をつき、手をかざした。


 淡い光が広がり、仲間たちの傷を包み込む。


「……すごい」


 かすれた声。

 僧侶コルネリアが目を開ける。


「回復は……私の役目なのに……すいません……」


 勇者は首を振る。


「大丈夫、気にしないで」


 その声音は落ち着いている。


 だが。

 どこか、いつもと違う。


 コルネリアが周囲を見渡す。


「……魔王は?」


 勇者は一瞬だけ言葉を選ぶ。


「勝ったよ」

 静かに答える。

「ただ……魔王の力は強大でね。

 とどめを刺すには至らなかった」


 一拍。


「もうしばらくは動けないはずだよ」


 そして。

「それに――」


 懐から一枚の黒い紙を取り出し、血のように赤く脈打つそれを、仲間たちに見せる。


 魔術師ゼルマの目が細くなる。


「……それ」

 ゆっくりと身を起こす。

「闇の血判状、ね」


 勇者は何も言わない。


 ゼルマは紙を受け取り、目を通すと、その表情がわずかに変わる。


「なるほど。

 絶対強制の契約魔法。

 あんた、これを魔王に書かせたの?」


 勇者は短く答える。

「まあね」


「やるじゃない」

 ゼルマはくすりと笑う。

「これで――」

紙を軽く掲げる。

「あなたが生きてる限り、魔王の進軍は止まるってわけね」


 一拍。


「せいぜい長生きしなさいよ、勇者様」


 その時だった。

 コルネリアが、ふと勇者の顔を見つめる。


「……あの」


 勇者が視線を向ける。


「どうした」

「いえ……」


 ほんの一瞬の沈黙。


「……なんでもありません」


 だが、その目にはわずかな違和感が残る。


 神官戦士ネオが立ち上がる。

「さすがだな、勇者!

 やっぱりあんたは別格だ!」


 その言葉に、勇者はわずかに目を伏せる。


「……そうか」


 ゼルマが杖をつきながら立ち上がる。


「とにかく、ここにいても仕方ないわ。

 帰りましょう」


 コルネリアも頷く。

 ネオが拳を握る。


 そして。


 勇者を見て、笑う。


「さあ帰ろう」

 勇者が言う。

「ボクたちの国へ」


 勇者は、ほんの一瞬だけ空を見上げた。


 その目に映るのは“自分のものではない記憶”。


 そして、もう戻れない場所。


「……ああ、帰るんだ」


 短く呟き、勇者は歩き出した。


   ◇


 玉座の間へと続く回廊。


 その奥に、重い足音が響く。

 魔王――中身が勇者となった男は、玉座に腰を下ろしていた。


 その前に、膝をつく四つの影。


 地魔将ドグラ。

 水魔将チャップル。

 火魔将フィルグラン。

 そして――風魔将シルフィドゥーエ。


 いずれも満身創痍。

 腕を失い、身体を裂かれ、それでもなお立つ者たち。


「……ご無事でしたか、魔王様」


 シルフィドゥーエが静かに問う。


 魔王はわずかに笑う。


「無事ではないがな」

 喉の奥で、低く笑う。

「クク……勇者……いや、人間というものも、なかなかやる」


 その言葉に、四天王たちの表情が引き締まる。


「魔王様に手傷を……」

「申し訳ございません。我らの力が及ばなかったばかりに」


 魔王は手を上げて制した。


「よい」


 短く。

 だが重く。


「お前たちは、よくやった」


 その一言に、空気がわずかに緩む。


(……合ってるのか、これで)


 一瞬だけ、思考がよぎる。

 だが顔には出さない。


「それに、ただ負けたわけではない」


 懐から、黒い紙を取り出す。


「見よ」


 血判状。

 真紅の魔力を帯びたそれを掲げる。


 シルフィドゥーエの目が細くなる。

「……それは」


 チャップルがぽつりと呟く。

「契約、ですか……?」


「うむ」

 魔王は頷く。

「確かに、しばらくは満足に動けぬほどの傷を負わされた」


 一拍。


「だが、やつも余を討つほどの力は残しておるまい。

 これがある限り、勇者はもう魔国に進軍できぬ。

 例え盟約を違え、人の軍勢が再び来ようとも――」


 ゆっくりと見下ろす。


「勇者なき有象無象など、恐れるに足らぬ」


「……さすが、魔王様にございます」

 ドグラが頭を垂れる。

「我らでは、そこまで至らなかったでしょう」


 魔王が立ち上がると、マントが翻る。


「戦は終わった」


 その一言で、空気が変わる。


「国中に触れを出せ。傷ついた者は、治癒に専念せよ」


「ハッ!」

 四天王が声を揃える。


「それと――」


 魔王は視線を向ける。


「シルフィドゥーエ」


「はっ」

 風の魔将が、深く頭を垂れる。


「念のためだ。無事な戦力を集め、防衛線を再編せよ。

 すぐに攻めてくるとは思えぬが……」


 ほんの一瞬、言葉が止まる。


「……ヌシには、苦労ばかりかけるな」


 その一言に。

 シルフィドゥーエの目が、わずかに揺れた。


「……いえ」

 静かに答える。

「ワタシのような者に、気を使っていただき――

 感謝の念に堪えません」


 一拍。


「この身、いかようにもお使いください」


「うむ、頼む」

 魔王は頷く。


「他の四天王の傷が癒え次第、交代させよう。

 それまで、踏ん張ってくれ」


「はっ」


 四天王たちは去っていく。


 だが。

 最後に、シルフィドゥーエだけが、ほんの一瞬だけ振り返った。


(……今の言葉。魔王様が、“労う”…?)


 だが、何も言わない。

 そのまま、静かに姿を消した。


 玉座の間に残る魔王は、深く息を吐く。


「……疲れるな、これ」


   ◇


 王都の門が開く。


 勇者一行は、ゆっくりと中へ足を踏み入れた。

 だが――

 誰もいない。


 歓声も。 旗も。 出迎えすら。


 ネオが眉をひそめる。

「……あれ?

 兵士に頼んで、伝令は飛ばしたよな?」


 ゼルマが肩をすくめる。

「凱旋パレードは後日ってやつじゃない?

 準備とかあるだろうし」


 その横で、コルネリアだけが、小さく息を吐いた。

「……はぁ」


 ゼルマが振り向く。

「なによ、その顔」


「いえ」

 コルネリアは静かに言う。

「城に行けば……分かりますよ」


 その言葉の意味は、すぐに知ることになる。


 城門をくぐった瞬間、兵士たちが動いた。

 剣を抜き、槍を構え、一行を取り囲む。


「……なに?」

 ゼルマの声が鋭くなる。

「ちょっと、魔王を倒したワタシたちに――」


 勇者が手を上げる。

「……やめろ」


 低い声。


「ここは、大人しくしていよう」


 ゼルマは一瞬だけ睨みつけるが、

「……分かったわよ」

 小さく舌打ちし、力を抜いた。


 そのまま一行は拘束され、謁見の間へと連れていかれる。


 玉座。

 王が座していた。


「貴公らが……魔王を倒したと?」


 勇者は一歩前へ出る。

「はい、間違いございません。

 魔王より休戦の盟約も取り付けました」


 懐から血判状を取り出す。


「魔法による誓約の証も、ここにございます」


 一瞬の沈黙。


「……信じられぬな」


 空気が凍る。


 ネオが思わず声を上げる。

「なっ……!我らは確かに――」


「黙れ」

 王の一声が、それを遮る。


「ヌシのその姿、それで真に英雄になり得るとでも思っているのか?」


 勇者は、黙っている。


「みすぼらしい革鎧。

 名も知らぬ辺境の村出身の騎士」


 王は鼻で笑う。


「英雄というのはな、“英雄なり得る器”というものが必要なのだよ」


 ゆっくりと視線を横へ流す。

「なあ――騎士団長よ」


「はっ」

 一歩、前に出る。


 黄金の装飾を纏った騎士。

 ミスリルの剣が、光を反射する。


「魔王を屈服させたのは、実は貴公ではないのか?」


 騎士団長は、口元を歪めた。

「……バレてしまいましたか。実は、その通りにございます」


「どういうことよ!!」

 ゼルマが叫ぶ。


「この国から、何人の“勇者”が魔王討伐に向かったと思っている?」


 王の声が響く。


「貴族の嫡男。爵位を持つ者。

 数多の“英雄候補”が、魔王城へと向かったのだ」


一拍。


「……意味が分からぬわけではあるまい?」


 コルネリアが静かに言う。

「貴族の権力を維持するために、“目に見える形の栄誉”が必要、ということですね」


 王は満足げに頷く。

「その通りだ」


 そして、勇者を見る。


「だから――

 ヌシのような田舎騎士が英雄では、困るのだよ」


 静かに、革袋が投げられる。

 それは床に落ち、鈍い音を立てた。


「それを持って消えろ。

 ヌシが一生かかっても稼げぬ金だ」


 沈黙。


(……なるほど)


 勇者――中身が魔王の男は、思う。


(人とは、かくも醜いものなのか。

 同族で争い、功を奪い、価値を“見た目”で決める。

 これでは――

 我ら魔族の方が、よほど理にかなっているではないか)


 ほんの一瞬、視線を落とす。


(……あの男は、こんな世界のために、命を懸けていたのか)


 静かに、革袋を拾う。


「……ご配慮、感謝いたします」

 深く一礼。


 それだけを残し、勇者は背を向けた。


 ネオが歯を食いしばる。

 ゼルマは怒りを押し殺し。

 コルネリアは目を伏せる。


 三人は、何も言わずに続いた。


 扉が閉まる。


 沈黙。


 大臣が一歩前に出る。

「……いかがなさいますか」


 王は、興味なさげに言った。

「始末しろ。余計なことを言いふらされても困る」


 一拍。


「金貨も、勿体ないしな」

「……御意のままに」


   ◇


 夜。


 安酒と油の匂いが混ざる酒場。


 喧騒の中、一角だけ、空気が重い。


 ゼルマがジョッキを叩きつけた。

「信じられない!」


 酒が少しこぼれる。


「なんの為に命張ったと思ってるのよ!!」


 ネオが苦い顔で笑う。

「……まあ、ああいう連中だってのは分かってたけどな」


 コルネリアは静かに杯を置いた。

「私は……ある程度、察していました」


 ゼルマが睨む。

「はぁ?」


「貴族や王族というのは……昔から、ああいうものですから」


 静かな言葉。

 だが、否定はしない。


 勇者は、少しだけ視線を落とす。

(……なるほどな)


「早いうちに、この国は離れた方がいいかもしれない」


 ゼルマが顔を上げる。

「なんでよ」


「口封じ」

 短く答える。

「それに――」


 革袋を軽く持ち上げる。


「これだって、“黙って俺達のものになる保証”はない」


 ネオが舌打ちする。

「……ああ、やりそうだな」


「じゃあどうすんのよ」


 ネオが腕を組む。

「他国に逃げるか?北の帝国か、東の皇国か……」


 その時、勇者がぽつりと言った。

「魔国、という選択肢もある」


 空気が一瞬止まる。


 ゼルマが顔をしかめる。

「は?」


 ネオも眉をひそめる。

「……また、あそこに戻るのか?」


 勇者は静かに言う。

「案外――この国より平和かもしれないぞ」


 その言葉に、コルネリアの視線が、わずかに揺れた。

(今の言い方……)


 ゼルマは肩をすくめる。

「ワタシは魔道の研究ができれば、どこでもいいけどね。

 まあ師匠はエルフで魔国出身だから、正直抵抗はないわ」


 そして、にやりと笑う。

「なんか癪だからさ、逃げる前に、この国ごと滅ぼしちゃう?」


 ネオが吹き出す。

「おいおい」


「伝説の大魔法とかさ。

 そうね⋯⋯星落とし、とかどう?」


 軽い口調。

 だが、その目は笑っていない。


 コルネリアが首を振る。

「……それでは意味がありません、罪もない人々も巻き込んでしまう」


 静かに、だがはっきりと。


「それでは――」

 一拍。

「何のために戦ったのか、分からなくなってしまいます」


 沈黙。


 勇者は、コルネリアを見た。

(……優しいな。だからこそ――

 壊れやすい)


 ジョッキを傾ける。


「……難しいものだな」

 誰に言うでもなく、呟く。


 その時だった。


 酒場の扉が静かに開き、冷たい夜気が流れ込む。


 喧騒がわずかに揺れ、一人の女が、そこに立っていた。


 場違いなほど整った衣服。

 隠しきれない気品。


 そして――


 まっすぐに、こちらを見る目。


 コルネリアが、息を呑む。

「……まさか」


 女は、ゆっくりと歩み寄る。


 そして。

「――ごめんなさい」


 いきなり、頭を下げた。


「……誰だ?」

 勇者が低く問う。


「とにかく――ごめんなさい!」


「だから、何だと言っている」


 コルネリアが静かに口を開く。

「王女殿下。

 こんな時間に、供も連れず一人で来るものではありませんよ」


 ゼルマが目を丸くする。

「……王女?」


「はい」


 コルネリアが一礼する。


「この国の第二王女であらせられる、アリアナ様です」


 勇者はわずかに目を細める。

「……噂で聞いたことがあるな。

 とんだじゃじゃ馬だとか。

 城に大工が出入りしない日が無いらしいじゃないか」


「そこまでひどくないから!」

 アリアナがむっとする。

「……でも」


 すぐに表情を曇らせる。


「本当に、ごめんなさい。

 今日のこと、どうしても……謝りたかったの」


 勇者は淡々と答える。

「別に、お前が謝ることではないだろう」


「そうだけど」

 アリアナは拳を握る。

「同じ王族として、どうしても許せなかったの」


 一拍。


「だから安心して。

 出がけに、お父様のことは――しっかり殴ってきたから」


「そのどこに安心する要素がある」


 ネオが吹き出す。

 ゼルマが頭を抱える。


「でもまあ……」

 勇者は小さく呟く。

「王族にも、まともな奴がいるんだな」


「いや絶対にまともじゃないから」

 ゼルマが即座に突っ込む。


 アリアナは少しだけ困ったように笑い、そして真剣な顔になる。

「……でも、気をつけて」


 空気が変わる。


「お父様は、あなたたちを“生きて”国から出すことは――

 絶対にしないと思います」


 沈黙。


 ネオが肩をすくめる。

「大丈夫だって。

 俺たちは、魔王軍四天王より強いんだぜ?」


 アリアナは一瞬だけ、勇者を見た。


 何かを確かめるように。

 そして。


「……そう」


 小さく頷く。


「ご武運を」


 深く一礼し、静かに酒場を後にした。


 扉が閉まる。

 少しだけ、冷たい空気が残った。


 ゼルマがジョッキを置く。

「……で?

 どうするのよ」


 コルネリアが答える。

「襲撃があるとすれば――

 今夜でしょうね」


 ネオが頷く。

「だろうな」


 ゼルマがにやりと笑う。

「じゃあどうする?

 野宿の時みたいに、みんなで固まって寝る?」


「勘弁してくれ」

 ネオが即答する。

「個室でいい」


「ただ――」

 勇者が静かに言う。

「何かあったら、すぐ起こせ」


「了解」


 その一言で、全員の意識が揃う。


 酒盛りは自然と終わりを迎えた。


 軋む階段を上り、それぞれの部屋へと戻っていく。


 廊下は静かだ。

 だがその静けさは、嵐の前のものだった。


 勇者は部屋の扉を閉め、鍵をかける。

 そして――


「……来るな」


 誰に言うでもなく、呟いた。


   ◇


「魔王様」

 どこからともなく、声がする。

「暗殺者と思われる者が数名。

 宿屋の周囲を囲みつつあります」


 勇者の姿をした魔王は、窓の外を見ずに答える。


「分かっている。可能であれば、無力化せよ」


 一拍。


「……命を奪わなくても、よろしいのですか」


「ここは魔国ではない」

 静かに言う。

「人の世の“法”というものがある」


「……承知いたしました」


 気配が、消える。


(法、か)

 自分で口にしておきながら、どこか引っかかる。


 その時。


 コン、コン。


 扉が叩かれた。


「……入れ」

「失礼します」


 入ってきたのは、コルネリアだった。


「どうしたんだい、コルネリア」


 静かな沈黙。

 コルネリアは、まっすぐにこちらを見る。


「……あなたは、一体誰ですか。

 エルンは、どこへ行ったのですか」


「何を言っている、目の前にいるではないか」


 コルネリアは、首を振る。

「いいえ、違います。

 ワタシは僧侶です。肉体ではなく、“魂”を見ます」


 一歩、踏み込む。


「今、ワタシの目の前にいるあなたは――

 エルンではありません」


 沈黙。


 魔王は、わずかに笑った。


「……案外、すぐにバレるものだな。

 安心せよ、勇者は無事だ」


 コルネリアの瞳が揺れる。


「……あなたは、魔王、ですね」


「いかにも」

 静かに、告げる。

「余は魔王である」


 少しの沈黙、そして――


「訳あって、勇者と余の魂が入れ替わった。

 今は、元に戻る方法を探している」


「それを……信じろと?」


「そのための血判状だ。

 ヌシも神に仕える者なら、分かるであろう、あれの強制力を。

 あれがある限り、余は人に危害を加えぬ。

 勇者もまた、魔族を害さぬ」


 コルネリアは、ゆっくりと目を閉じる。

「……分かりました。ひとまず、信用いたします」


 だが、すぐに目を開く。

「ですが、監視はさせていただきます」


「構わん」

 むしろ当然だ、とでも言うように。


 外で、わずかに気配が動く。

(来るか)


 魔王は、窓の外に意識を向けたまま言う。

「しかし……

 人とは、かくも酷いものだな」


「……」


「命を懸けて挑んだ相手が、守る価値すらないと知る。

 ……滑稽な話だ」


 コルネリアは、静かに答える。

「それでも⋯⋯守るべきものは、あります。

 王でも、貴族でもない。

 そこに生きる人々です」


 魔王は、わずかに目を細める。


「では問おう。魔族はどうだと思う?」


「……分かりません」


「我らはシンプルだ。

 弱肉強食。弱い者は、強い者に従う。

 ただ、それだけだ」


「……恐怖による支配では?」


「否」


 即答。


「強い者には、強くある義務がある。

 それは――弱き者を守るためのものだ」


「⋯⋯」

 コルネリアの表情が変わる。


「だがな、どんな者も、絶対的弱者ではあるまい。

 必ず、自分より弱い者は存在する」


 一歩、近づく。


「そうである限り、

 我ら魔族は――すべてが“強者”だ」


 静寂。


「……その意味が分かるか?」


 コルネリアは、ゆっくりと頷く。

「……なるほど、シンプルですね」


 一拍。


「……少し、うらやましいです」


 その時、外で、風が鳴る。

 同時に、ドンと何かが落ちる音。


「……始まったな」


 魔王が呟く。


 コルネリアが振り向く。

「襲撃……!」


「行くぞ、話は後だ」


 扉に手をかける。

「ヌシの“守るべきもの”とやら――

 試してみるがいい」


 扉が開く。


 その向こうには、

 夜が、牙を剥いていた。


   ◇


「ビルギットか」

「はい」


 どこからともなく、声。


「すでに十四、行動不能に。残り五十七」

「……随分といるな」


 勇者の姿をした魔王は、静かに呟く。


「一般人の巻き添えも、お構いなしか」


「排除しますか?」


「一般人への被害は極力避け、敵のみを無力化せよ」


「承知」

 気配が、霧のように広がる。


 コルネリアが小さく息を呑む。

「……そちらの方は?」


「余個人に仕える者だ。

 心配するな、敵以外には手を出させん」


「……安心しました」

 一歩前へ。

「では、ワタシも」


 杖を掲げる。

「ホーリーバインド」


 光の輪が現れ、次々に暗殺者を絡め取る。


 その背後から、刃が襲おうとするが、

 瞬間、動きが止まった。


「残り四十八」


「……見事だな。余の配下は有能であろう」


 コルネリアが即座に振り返る。

「その口調、ゼルマさんとネオさんの前では絶対にやめてくださいね」


「無論だ」


「それと、時々口調がおかしいです」


「……うむ、気をつけよう」


「残り四十一」


 雷が弾ける。

「超ミニマム・サンダーアロー!」


 青い雷の矢が、連続して暗殺者を撃ち抜く。


「“超ミニマム”だってさ⋯」

 ゼルマが鼻を鳴らす。

「ワタシの電撃を食らったら、一日は動けないわよ」


「残り二十三」


「なんか言った?」


「何も言ってはいないぞ」

(声を出さずに頼む)

(承知しました。残り十九)


「……まあいいわ、このまま制圧するわよ」


 それからほどなくして、すべての暗殺者は、地に伏した。


「……終わったな」

 ネオが息を吐く。

「で、これからどうすんだ?」


 勇者が、静かに言う。

「一つ、考えがある。乗るか?」


 三人は、互いに顔を見合わせる。

「……いいわよ」

「付き合うぜ」

「ええ」


   ◇


 翌朝。


 四人は、再び城へと向かった。


 立ちはだかる兵。


 だが。

「ホーリーバインド」

「サンダーアロー」

「……邪魔だ」


 無力化され、次々に倒れていく。


 謁見の間。


 王が、座していた。

「……貴様ら」


 勇者が歩み出る。

「昨日の夜は、随分と“歓迎”してくれて感謝するよ」


 一歩。


「そのお礼がしたくてね」


 ゼルマを見る。


「ゼルマ」

「はいはーい」


 軽く杖を振る。


 その瞬間、天井が、裂けた。


 轟音。


 落ちてきたのは――

 人の頭ほどの、小さな隕石。


 それが、王の目の前の床に突き刺さり、

 石床がひび割れる。


 沈黙。


 勇者が口を開く。

「俺たちは何も言わない、すべて忘れてやる」


 一拍。


「だが――

 これ以上、俺たちに手を出すなら、

 パーティーの偉大なる魔法使いが」


 隕石を軽く蹴る。


「これより“大きい星”を、城に落とすことになる」


 ゼルマがにやりと笑う。

「次は“ミニマム”じゃ済まないわよ?」


 完全な沈黙。

 誰も、動かない。


 勇者は背を向ける。

「行くぞ」


 四人は、そのまま謁見の間を後にした。


「待て! 追え!!」

 王の怒号が響く。


 だが。


 誰も動けない。


 騎士団長ですら、バインドを受けて床に転がり、

電撃を受けて泡を吹いている。


 城を出た後、ゼルマが伸びをする。


「はー、スッキリした。

 星落とし、やらせてくれてありがと。

 まあ“超ミニマム”だったけどね」


 ネオが笑う。

「で、これからどうする?」


 勇者は迷わず答える。

「魔国へ行こう」


 その時。


「――ワタシも連れて行ってください」


 振り返る。

 アリアナが立っていた。


「……は?」

「それはダメだって」


「安心してください。

 家出するって置き手紙、書いてきましたから」


「だからそれのどこに安心できる要素があるって」

 ゼルマが即ツッコミ。


 アリアナはにっこり笑う。

「大丈夫です。もう、戻るつもりはありませんから」


 沈黙。


 勇者は、少しだけ彼女を見る。

(……覚悟は、あるか)


 小さく息を吐く。

「……好きにしろ」


 ネオが笑う。

「決まりだな」


 こうして。

 四人に、一人が加わる。


 行き先は一つ。


 魔王城。


 それぞれの思惑を抱えながら、

 新たな旅が、始まった。

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