3話 翳る屋敷
全員の食事がすむと、玄雅が机の上を右手で払うように振った。空になった4人分の食器と箸が一瞬でなくなった。
「ましろ。手を抜かずに、きちんと、食器を洗っておけ」
「あー、うん」
ましろの目が泳ぐ。後で確認をすると言い残し、玄雅は部屋を出て行った。閉められた障子に向かって、ましろはベーッと長い舌を出した。
「猫は水が苦手なんだから、仕方ないでしょ」
影丸が、筋骨隆々の腕を内側に寄せて、申し訳なさそうに肩を落とした。
「おいらが手伝ってあげられなくて、ごめんよ」
「影丸は力強すぎて、お皿割っちゃうもんね。気にしないで」
影丸は一層落ち込み、体がどんどん小さくなっていった。ましろは慌てて、明るい声で障子を開け放った。
「影丸にしかできないお役目があるでしょ。ほら、早く蔵に行って、お仕事しなきゃ」
豆粒の大きさになっていた影丸は、ぴょこんと飛び跳ね、瞬時に天井すれすれのところまで大きくなった。ましろにお礼を言うと、その大きさのまま、窮屈そうに腰をかがめながら、薄暗い廊下を大股で歩いていった。
「あたしもお仕事やらないと」
ましろは溜息交じりに呟くと、影丸とは反対方向へ歩いていった。ひとり取り残された雪月は、慌ててましろを追いかけ、声をかけた。
「あの、ましろさん」
ましろは振り向くと、両手をパチンと合わせて、あっと声を上げた。
「部屋の場所、分からないよね? この屋敷広いから。部屋まで送るね」
「それは有難いのですが、そうではなくて」
雪月の手を取って歩くましろは、足を止めずに首を傾げた。
「私も、ましろさんと一緒に、食器を洗ってもいいですか?」
ましろは足を止め、黄色の瞳を丸くして、雪月を見上げた。
「手伝ってくれるってこと?」
雪月が頷くと、ましろは満面の笑みを浮かべて、先ほどよりも強い力で腕を引っ張って行った。朝になっているはずなのに、昨夜よりも廊下が暗く感じ、足元がよく見えない。ましろは夜目が利くのか、平気で歩いている。
何故かこの屋敷は、廊下に窓がひとつもない。気のせいか、廊下を照らしていた行灯の数が減っている。ましろが手を放したら、暗がりの中、ひとりで立ち尽くしてしまいそうだ。繋いだ手に少しだけ力を入れ、置いて行かれないよう懸命に足を動かした。
どこをどう進んできたのか分からないまま、台所に辿り着いた。板間には食器棚や調理道具、小机があり、土間には竈や洗い場、食材が保管されている木箱などがある。雪月の生家の台所と、同程度の広さだ。洗い場には、食器が山積みにされているが、竈や調理器具は使われている形跡がほとんどない。食事は玄雅が不思議な力で出していたが、調理をしたわけではなさそうだ。それに、食器は洗わなければいけないというのは、何とも奇妙だ。
「ユヅキ、これで洗うんだよ」
洗い場の棚から、ましろが木綿の布を取って渡してきた。棚の中を覗くと、小壺がいくつかあり、米のとぎ汁や木灰、サイカチとムクロジの実が入っていた。これまでと同じ方法で洗えばいいことが分かり、雪月は胸を撫で下ろした。水瓶から運んできた水を、ムクロジの実を包んだ布にかけて揉むと、徐々に泡立ち始める。ましろは驚きつつも、興味津々で泡を覗き込んだ。鼻の頭についた泡をそっと指で触れると、音もなく弾けた。
「なにこれ、おもしろーい!」
もっと泡を欲しがるましろが、見た目と同様幼い子供のようで、雪月の頬は自然と緩んだ。ましろが泡で遊んでいる間に、雪月は手際よく食器洗いを済ませた。
「すごい、どれもピカピカ! ユヅキ、人間なのに妖力使えるの?」
「妖力って、何ですか?」
「えっとね、こんなのだよ」
ましろがその場で身軽に宙返りをすると、目の前に雪月とそっくりな人間が現れた。ただし、頭に生えている猫耳を除いて。
「あたしの妖力は、何にでも変身できるんだよ」
「すごいです!」
拍手を送る雪月に、ましろはえっへんと胸を逸らした。また宙返りをすると、元の少女の姿に戻った。
「ゲンガの妖力は、物を出すこと。だけど、無からは生み出せないんだって。食事を出すには、ゲンガの妖力が届く範囲に、食器も食材もないといけないの」
奇妙な点に納得がいった雪月は頷いて、妖力の便利さに関心した。
「この屋敷にあるものは、ほとんどゲンガの妖力で出したものなんだよ。ちなみに、屋敷全体は、夜叉様の妖力でできてるの」
「ここ全部、ですか?」
「そう。夜叉様の妖力は、とっても強いの。だけど、今はちょっと、妖力が弱っているみたい。屋敷の中も暗いし、私の部屋もいつもより狭くなってたの」
ましろは肩を落として、薄暗い台所を見渡した。雪月もつられて見渡すと、ひんやりとした空気が肌を撫でるような感覚がした。右手の人差し指にはめられた指輪が異様に冷たい。温めるように息を吐くが、変化はない。指輪を天井にかざすと、三日月と牙の紋様が、揺らいだように見えた。
食器洗いの他に掃除を任されているというましろに、手伝いを申し出たが断られ、部屋の前まで連れていかれた。
「お昼ごはんまで、休んでてね」
ましろはそう言うと、暗い廊下を駆けて行き、あっという間に姿が見えなくなった。
部屋に入ると、四隅に火の灯った行灯が1つず置いてあった。行灯だけでなく、家具や調度品も増えている。ましろが部屋を間違えたのではと思ったが、今朝見たのと同じ鏡台が、同じ場所に置かれてある。自分に与えられた部屋で間違いない。
3棹横に並んでいる和箪笥の引き出しを開けてみると、上質な着物やそれに合わせた帯、小物が入っている。全ての引き出しに、異なる色や柄の着物がしまわれている。雪月は目を瞬かせて、ゆっくりと引き出しを閉じた。
これ全部、誰の? ここにあるということは、私の? まさか……。
父と姉の代わりに、命を差し出したはずなのに、こんな上等な着物を与えられるはずがない。
鏡台の横には背の低い飾り棚があり、中には化粧箱、簪や櫛など色とりどりの髪飾りがきれいに並べられている。部屋の中央にある小机の周りには、西洋風の置時計や、陶磁器の花瓶など、高価な代物が置かれている。華やかで煌びやかだが、触れたら壊してしまいそうで怖い。
以前、陽凪の部屋を掃除中に、誤って陶器できたうさぎの置物を、落として壊してしまったことがある。気に入っていただけに、陽凪の怒りは物凄く、折檻された上に、数日食事抜きで部屋に閉じ込められた。その時の記憶が生々しく蘇ってくる。
ここは自分の居ていい場所ではない。
雪月は部屋に背を向けて、廊下に出た。その途端、冷気が全身を包み込み、一瞬息が止まった。
「どこに行く」
耳元で低い声がして、雪月はビクッと体を震わせた。声の方を向くと、青白い顔で冷たい目をした夜叉王が、腕組をして見下ろしている。雪月が夜叉王から目を逸らすと、夜叉王の背後から姿を現した玄雅が睨みつけた。
「答えろ」
言い淀む雪月に、玄雅が声を上げようとしたが、夜叉王に止められて押し黙った。夜叉王は障子を開けて、部屋を見回した。
「夜叉様の、仰せのままに致しました」
頭を垂れる玄雅に、夜叉王は頷く。雪月は顔を上げて、恐る恐る尋ねた。
「なぜ、こんな高価な物を、用意してくださるのですか?」
頭を上げた玄雅が、こめかみに青筋を立てて、目を吊り上げた。
「夜叉様の命に、疑問を持つな。無礼者」
夜叉王は玄雅の頭を掴んで、自身の背後に押しやった。そして、雪月の目線に合わせて、じっと焔色の瞳で見つめてきた。
「豪華絢爛な物を与えられて、喜ばないとは。やはり異質だ」
雪月は無意識に着物の上からお守りを握りしめ、夜叉王に向き合った。
「理由がありません」
「飼うと言っただろ。人間が犬を飼うのと同じだ」
夜叉王は、雪月の右手を掴み、指輪の紋様を見せつけてきた。
「犬は飼い主が与える物に、疑問など持たない。おまえはただ、何もせず、飼われていればいい」
夜叉王が口角を持ち上げると、鋭利な牙がちらりと覗いた。雪月は震える足を踏ん張って、逃げ出したい衝動を抑え込んだ。
「それが、私の役目なのですか?」
夜叉王は雪月の手を放すと、露わになっているおでこを軽く指で押した。倒れ込みそうになったが、寸でのところで耐えた。玄雅が雪月を睨みつけ、呟いた。
「おまえのせいだ」
「え?」
雪月が聞き返すと、玄雅は膝の上で震える拳を握りしめた。
「供物を得られなかったばかりに、夜叉様の妖力は」
夜叉王に頭を叩かれ、玄雅は深く頭を垂れた。雪月は、はっとして、夜叉王を見上げた。
「……私は」
声が震える。恐怖で身がすくむ。それでも目を逸らさず、言葉を続けた。
「命を捧げる覚悟で来ました。私を食べてください」
夜叉王は呆れ顔で、首を左右に振った。
「供物でないものを、喰らうことはできない。それが理だ。鬼神といえど、理には逆らえぬ」
「理、ですか」
「数日後には、供物が手に入る。それを喰らえばいいだけのこと。それまでは玄雅の出す飯で、事足りる」
玄雅は何か言いたそうに口を開く。だが、すぐに口を閉じて、雪月に恨みがましい目線を向けてきた。そして、重たい足取りで廊下の奥へ歩いていく夜叉王の後を、急いでついていった。
雪月は、力が抜けたように畳の上にしゃがみ込んだ。全身が氷漬けにされたように冷たく、震える。お守りを着物から出して握りしめた。ほんのりとした温もりに、少しずつ震えがおさまっていく。
自分のせいで、夜叉王の妖力は弱まってしまった。なぜ父と姉を喰らわず、自分をここへ連れて来たのだろうか。異形の考えることは、人間の理解の範疇を超えるのだろう。考えても分かるはずがない。
「今、私にできることをしないと」
雪月は、立ち上がって廊下へ出た。暗がりの中、壁に指をはわせながら、台所だと思しき方へ進む。指輪の冷たさが、壁に触れた指先にまで滲んできた。静まり返った空間に、床板がきしむ音がやけに響く。。
何度も左右に曲がるが、いつまで経っても辿り着かない。辿り着けるのだろうか。不安に押しつぶされそうになる。
その時、どこからか陽気な鼻歌が聞こえてきた。足を止めて耳を澄ませていると、廊下の角から箒を持ったましろが現れた。
「ニャッ! ユ、ユヅキ?!」
飛び上がった拍子に、箒が床に転がり落ちた。雪月がそれを拾って手渡すと、ましろは胸を撫で下ろした。
「ましろさん、台所まで連れて行ってもらえませんか?」
首を傾げるましろに事情を説明すると、意気揚々と手を繋いで台所まで連れていってくれた。ましろの柔らかい手が、冷えた指先を温めてくれる。もう床板のきしむ音は、気にならなかった。




