第7話 生きるための音
日が傾き始めると、境界の街は急に冷えた。
昼間よりも人の動きが増えているはずなのに、
奏はその中に居場所を見つけられずにいた。
露店の前を通れば、視線だけが向けられる。
酒場の前では、無言で首を振られる。
追い払われることはない。
だが、迎え入れられることもない。
それが、この街のやり方だった。
腹が鳴った。
思った以上に、音が大きく響いた気がして、
奏は思わず周囲を見回した。
誰も気にしていない。
それが、逆に胸にきた。
息を吐くと、白くなる。
もらった防寒具はあるが、夜を越えるには心許ない。
――このままじゃ、もたない。
そう理解していても、足はすぐには動かなかった。
視線が、自然と街の一角へ向く。
演劇小屋。
昼間に見た場所だ。
そこから、音が漏れている。
弦を擦る音。
調子は合っていない。
旋律も、ただなぞっているだけだ。
誰も、真剣に聴いていない。
演者の声を邪魔しないための音。
ただそこにあるだけの、音。
――ここでは、音楽はそういうものらしい。
奏は、無意識に指を動かしていた。
空中に、見えない鍵盤を描く。
すぐに、手を止めた。
「……やめろ」
呟く。
音楽を使えば、生きられるかもしれない。
それは、分かっている。
でも同時に、分かってしまっている。
弾けば、また測られる。
価値を決められる。
あの玉座の間と、何が違う?
腹が、もう一度鳴った。
今度は、はっきりと。
奏は、目を閉じた。
選択肢は、最初から一つしかなかった。
生きるか。
誇りを守るか。
――違う。
誇りなんて、とうに擦り切れている。
奏は、ゆっくりと歩き出した。
演劇小屋の脇。
人通りの少ない場所。
そこに、古いヴァイオリンが置かれていた。
楽屋から持ち出されたのか、管理もされていない。
奏は、一瞬だけ迷い、
そして手に取った。
冷たい。
けれど、壊れてはいない。
深く息を吸う。
――期待しない。
――認められなくていい。
ただ、今日を越えるために。
奏は、弓を引いた。
音は、静かだった。
主張しない。
飾らない。
技巧を見せる必要もない。
ただ、音を整える。
旋律が、街の雑音に溶けていく。
誰も拍手しない。
誰も騒がない。
それでも、数人が足を止めた。
酒を飲んでいた男。
通り過ぎようとしていた女。
ほんの一瞬、耳を向けて、また去っていく。
奏は、それでいいと思った。
弾き終えると、弓を下ろした。
前に、小さな影が立っている。
少年だった。
無言で、硬貨を一枚、地面に置く。
それだけだ。
奏は、小さく頭を下げた。
その硬貨で、温かい飲み物を一つ買えた。
固いパンも、一切れ。
口に入れると、胸の奥まで染み渡る。
――生きている。
それだけで、今は十分だった。
夜の街に、また音が流れ始める。
演劇の声。
笑い声。
雑音。
その中で、誰かが、まだ同じ場所を見ていた。
最後まで。
ただ、静かに。
奏は気づかないまま、
冷めきらない飲み物を両手で包み込んでいた。




