第4話 音楽しか残らなかった
城門の前で、しばらく立ち尽くしていた。
分厚い石の門は、微動だにしない。
ノックをしても、声を上げても、応じる者はいないだろう。
――追い出された。
その事実が、ようやく現実として胸に落ちてくる。
奏は背を向け、街道へと歩き出した。
城を離れた途端、風の質が変わった。
遮るもののない寒風が、容赦なく身体を打つ。
雪は降っていない。
だが、空気そのものが冷たく、骨の奥まで染み込んでくる。
石畳は冷え切っており、靴越しでも足裏の感覚が鈍る。
一歩踏み出すたび、体温が削られていくのが分かった。
街道には、人影がほとんどない。
たまにすれ違う者がいても、視線が合うことはなかった。
異邦人。
それだけで、関わる理由がないのだろう。
奏は歩きながら、小さな袋を取り出した。
中には、金貨が数枚。
指で数えて、すぐに戻す。
多くはない。
この世界でどれほどの価値があるのかも分からないが、
少なくとも、長く生き延びられるほどではない気がした。
水もない。
食料もない。
地図も、知識もない。
勇者として召喚されたはずの男は、
今や、寒風に晒されながら、わずかな金貨だけを頼りに歩く旅人だった。
不思議と、怒りは湧いてこなかった。
理不尽だとは思う。
納得もしていない。
それでも――。
「……またか」
小さく、呟いていた。
現代でも、そうだった。
音楽しかできない自分は、
期待され、消費され、壊れかけて。
音が怖くなった。
それでも、逃げられなかった。
歩いていると、指先が無意識に動く。
空中をなぞるように、鍵盤の形を探してしまう。
旋律が、頭の奥で立ち上がりかける。
奏は、ぎゅっと手を握りしめた。
「……やめろ」
誰に言うでもなく、そう言った。
音楽のせいで、ここにいる。
音楽のせいで、捨てられた。
今さら、縋るものではない。
しばらく歩いたところで、足が止まった。
喉が渇いている。
身体が、思った以上に冷えている。
奏は道端に腰を下ろした。
立っているだけでは分からなかった疲労が、一気に押し寄せる。
肩が重い。
脚が、言うことをきかない。
「音楽を……捨てられたら、楽なんだろうな」
ふと、そんな考えが浮かぶ。
音楽がなければ、期待もされない。
失望も、否定も、されずに済む。
だが、その先を想像しようとして――止まった。
音楽を捨てた自分に、何が残る?
答えは、出なかった。
奏は、ゆっくりと息を吐いた。
風が吹く。
枯れた草が擦れる音。
遠くで、何かが転がる音。
自分の心臓の鼓動が、はっきりと聞こえる。
――音は、ある。
音楽ではない。
楽しいわけでもない。
ただ、世界は鳴っている。
奏は立ち上がった。
街道は、一本だけ続いている。
どこへ向かうのかは分からない。
それでも、歩かなければならない。
「……生きるために」
音楽が、救いになるかは分からない。
楽しい音楽を、また弾けるかも分からない。
それでも。
今の自分に使えるものは、
それしか残っていなかった。
奏は、寒風の中を歩き出した。




