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追放された勇者は音楽家だったので、音楽で世界を変えることにします。  作者: 三門
第2章

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第34話 増える視線

工房の扉が閉まる。


中の匂いが、すぐ鼻の中から離れた。


通りに戻ると、朝の往来で人が押し寄せている。


奏は楽器を持ち直し、歩幅を崩さずに進んだ。

背中に視線が当たっているのが分かる。


アリアは少し離れて並ぶ。

近づきすぎない距離だ。


「奏」

アリアが小さく呼ぶ。

「さっきの作業。私には十分に見えた。あなたはどう思う?」


奏は歩きながら答えた。

「直すべき場所は直しました。紙に残したので、工房でも直せます」


「直せるのね」

アリアの声が少しだけ低くなる。


奏は横を見ずに言う。

「直せます。手順さえ分かれば簡単です」


護衛の女性が、アリアの半歩後ろを守る。

通りの端の人間まで見ている。


工房の前に、さっきの弟子が立っていた。

紙を抱えたまま、目を落としている。


弟子の横に、別の男が近寄る。

あきらかに職人ではない。身なりが違う。


男は弟子に、口だけ動かして何か言う。

弟子は首を振り、紙を胸に引き寄せた。


アリアの目が一瞬だけ止まる。


「殿下」

護衛の女性が、声を落として言う。

「見張りのような者がいます。通りにいる人間です」


「分かった」

アリアの返事は短い。


「ガイウス」

アリアは前を行く騎士団長に呼びかける。


「工房の周り。明日は人を増やさないで。目立つから」


ガイウスは振り返らずに答えた。

「わかりました」


曲がり角を抜けると、路地の幅が狭くなった。


ここは商人の通りではない。

木箱が積まれ、布が干されている。


狭い場所は、視線が分散する。


その路地の端に、少女が立っていた。


年は若い。

服は飾りが少なく、シンプルだ。


少女の目はとても落ち着いている。


少女の視線は、奏の楽器ではなく、奏の手に向いていた。

握り直す指。

紐を締める指。

肩に掛ける角度。


少女は一歩も動かない。


代わりに、胸元の布袋から紙を少しだけ覗かせた。

紙の端に、細い線がある。


文字ではない。

線だ。


奏は気づいて、視線を戻した。


護衛の女性が、路地の端に視線を置く。

目が合う前に、少女は視線を下げた。


アリアが小さく息を吐く。

「……早いわね」


「何がですか?」

奏が聞く。


アリアは言い切らずに、視線だけを路地の端へ向けた。


「あの子みたいに、見ている人が増える」


奏は一度だけ頷いた。

「そうですね」


路地を抜け、また広い通りに出る。


人の流れが増えた。

その中に、他の人と歩き方が違う男が混じっている。


文官の服ではない。

だが、紙を持っている。


紙にメモを書いている様子はない。

何かを覚えるつもりだろうか。


奏は足を止めない。


アリアは声を落として言う。

「あなたを縛る気はない。昨日も言ったけど」


奏は短く返す。

「わかっています」


「わかっているなら、ひとつだけ聞かせて。今の王都は、あなたにとって動きやすい?」


奏は少しだけ間を置いた。

「工房はまだ動きやすいです。通りは色々な人に見られます。」

「王宮は、まだ分かりません」


アリアの口元がわずかに動く。


「分かった。もう少し動ける場所を増やします」


奏は横目で見る。


「動ける場所を増やす?」


アリアは言い淀む。


「……静かな場所。人が多く集まらない場所」


護衛の女性が小さく頷く。

合図だけで話が進む。


奏はそれ以上は聞かない。


王宮の門が見え始める。


兵が立っている。

視線が一段強くなる。


奏は楽器の紐をもう一度握り直した。


アリアが小さく言う。

「音を出さなくても、あなたは形跡を残せる」


奏は答えない。

否定もしない。


アリアは続けた。

「形跡を残せば、人は勝手に意味を付ける。そこが厄介ね」


護衛の女性が、アリアの横に少しだけ寄る。

「殿下。今夜、私室で確認しますか?」


「うん。確認する」


門の前で足が揃う。


王宮の空気は変わっていない。

視線の温度も変わっていない。


アリアは門をくぐる前に、奏へ言う。


「明日も音は要らない。あなたが動ける範囲を先に作るつもり」


「分かりました」

奏は頷いた。


アリアは前を向いた。


今夜、私室でこれからの事を確認する。


明日は、静かな場所に机を一つ用意しよう。


奏が楽に動ける範囲を、もっと広げないと。


様々な考えを巡らせるアリアだった。

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