第22話 王女の判断
人の流れが落ち着いた通りの向こうで、音が止んだ。
短い演奏だった。
誰かを集める音ではない。
ただ、日常の隙間に差し込むような、控えめな音。
アリアは、ローブの奥からその様子を見ていた。
演奏の終わりに、拍手はなかった。
歓声もない。
それでも、通りの空気は少しだけ変わっていた。
言い争っていた二人が、同じ方向を向く。
逃げていた一人が、戻る。
アリアは、そこを見逃さなかった。
――人を操っていない。
それが、最初に浮かんだ言葉だった。
音楽は禁忌だ。
感情を揺らし、判断を鈍らせ、集団を誤った方向へ導く。
そう教えられてきた。
そういう例も、確かにあった。
だが、今見た音は違う。
命じていない。
煽っていない。
管理もしていない。
ただ、戻る“きっかけ”を置いただけだ。
「……関わらない方がよろしいかと」
少し離れた位置から、低い声がした。
護衛の女性――リディアだ。
人混みに紛れながらも、周囲への警戒を崩していない。
「危険である可能性は否定できません」
「音楽は、過去に何度も問題を起こしています」
アリアは、否定しなかった。
その通りだ。
王女として、その事実は知っている。
だからこそ、軽い判断はできない。
アリアは、もう一度、奏の方を見た。
演奏を終えた彼は、誰かに囲まれることもなく、
淡々と楽器を片付けていた。
称賛に応える様子もない。
得意げな表情もない。
まるで、やるべきことを一つ終えただけ、という顔だ。
「……危険かどうかではありません」
アリアは、静かに言った。
リディアが視線を向ける。
「必要かどうかです」
その言葉は、王女としての判断だった。
音楽は禁忌だ。
それでも、すべてを拒むべきものではない。
もし、あの音が――
人を黙らせるためではなく、
人を戻すために使われるのだとしたら。
アリアは、ローブの下で手を握りしめた。
彼に声をかければ、もう後戻りはできない。
国の事情に巻き込むことになる。
安全な距離は、失われる。
それでも。
何もしないまま、この音を手放す選択は、
アリアにはできなかった。
奏が歩き出す。
通りを離れ、人の少ない方へ。
誰にも追われず、
誰にも期待されず。
その背中は、不思議と孤独に見えなかった。
――この人は、力に溺れない。
その確信が、胸の奥で静かに形になる。
アリアは、踵を返した。
今は、まだ声をかけない。
だが、決めたことは変わらない。
この音を、
この判断を、
国として聴く必要がある。
それは、感情ではない。
衝動でもない。
王女としての判断だ。
「……明日」
誰にも聞こえない声で、そう呟き、
アリアは人の流れに紛れて姿を消した。
――話すべき言葉は、もう決まっていた。




