第18話 視線の正体
朝の境界の街は、いつもと同じように動いていた。
店が開き、人が行き交い、荷車が通る。
音だけを聞けば、何も変わっていない。
それでも、奏は落ち着かなかった。
理由は、はっきりしない。
ただ、胸の奥に小さな引っかかりが残っている。
通りを歩いていると、視線を感じた。
誰かが見ている。
そう思って顔を上げる。
だが、目が合うことはない。
人々はそれぞれの用事に戻っていく。
――気のせいか。
そう思おうとして、やめた。
昨日まで、こんなことはなかった。
少なくとも、こんな形では。
顔なじみの店の前を通る。
いつもなら声をかけてくる店主が、今日は何も言わない。
無視されているわけではない。
ただ、様子を見ている。
そんな距離だった。
奏は、足を止めずに歩き続ける。
角を曲がった先で、また同じ感覚があった。
少し離れた場所に立つ男。
昨日も見た気がする。
確信はない。
服も、顔も、よく覚えていない。
それでも、胸がざわつく。
この感じを、奏は知っていた。
帝国にいた頃。
召喚された直後。
言葉を向けられる前から、
値踏みされていると分かる空気。
奏は、無意識に歩調を早めた。
宿に戻り、部屋に入る。
扉を閉めて、息を吐いた。
ヴァイオリンは、部屋の隅に置いてある。
手を伸ばせば、すぐに触れられる。
弾くかどうか、迷った。
音を出せば、気が晴れるかもしれない。
だが、今は違う気がした。
怖いからではない。
聞かれたくないからでもない。
ただ、今は状況が分からない。
奏は、ヴァイオリンから手を離した。
窓の外を見る。
通りの向こうで、人が立ち止まった。
一瞬だけ、目が合った。
すぐに、その人物は視線を逸らし、人の流れに混じる。
逃げる様子はない。
隠れる様子もない。
――やっぱり、見られている。
はっきりと、そう思った。
奏は、椅子に腰を下ろす。
この街に、留まっていていいのか。
それとも、離れた方がいいのか。
答えは、まだ出ない。
だが、何も考えずに過ごすことは、
もうできなくなっていた。
「……確かめる、か」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、自分に言い聞かせるように呟く。
街の音は、今日も変わらない。
それでも、その中に混じる視線の存在を、
奏は、もう無視できなくなっていた。




