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祝福

 風の中に、真白はいた。

 足元の感覚はもう曖昧で、地を踏んでいるのか、宙に立っているのかもわからない。


 けれど恐怖はなかった。

 ただ、静かな納得だけが胸の奥に広がっていた。

 ――約束は、果たされた。

 そう、誰かが囁いた気がした。

 真白の周囲には、形の定まらない光と影が漂っている。


 森の気配、荒野の記憶、風のささやき、水の重み。

 それらは言葉を持たないまま、確かに“意思”を宿していた。

「……みんな」

 声を出したつもりだったが、音にはならなかった。

 それでも、応えは返ってくる。

 ――聞いている

 ――見ている

 ――忘れていない


 ティーアの森。

 あの緑の匂いと、木漏れ日と、優しいざわめき。

 荒野。

 クレハの、痛みと孤独と、それでも失われなかった願い。

 真白の中で、それらが一つに重なっていく。

「私……ちゃんと、守れたかな」

 ――守った

 ――選んだ

 ――逃げなかった

 その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。

 守れなかったものも、救えなかった人も、確かにいる。


 それでも――。

「……後悔は、していない」

 その瞬間、真白の輪郭が静かに変わった。

 黒い髪は夜のように深く、光を映さなくなる。

 瞳は空の色を失い、森と荒野の境のような色を宿す。


 人であった名残が、少しずつ遠ざかっていく。

 その足元に、黒い影が寄り添った。

 ノワールだった。

 以前と変わらぬ姿。

 けれど、その存在は今や、世界と真白をつなぐ“最後の糸”だった。


「……一緒に、来てくれる?」

 問いかけに、ノワールはただ静かに尾を揺らす。

 それが答えだった。


 ――この先、人の声は届きにくくなる

 ――願いだけが、道標になる


「うん。わかってる」

 真白は、ゆっくりと目を閉じた。

 そして――世界は、変わった。

 


 最初に変化が訪れたのは、レイン村だった。

 朝、家々の軒先に、見慣れない小鳥が止まった。

 逃げることなく、人の営みを眺めている。

「……戻ってきた?」

 村人の誰かが呟く。


 畑の土は柔らかく、種は素直に芽を出す。

 雨は必要な分だけ降り、風は作物を倒さない。

 誰かが祈ったわけではない。

 ただ、以前と同じように――

 動物を追い払わず、森を敬い、約束を守り続けただけだった。


 王都セリアスでも同じことが起こる。

 市場に食べ物が溢れ、争いが減り、

 人々は理由もなく「穏やかだ」と感じるようになった。

「最近、夜が静かだな」

「悪い夢を見なくなった」

 それは祝福とは呼ばれなかった。

 けれど確かに、幸せだった。

 


 一方、ガルドリアの王都では――

 何も起こらなかった。

 それが、最大の異変だった。

 祈っても、反応はない。

 儀式をしても、空は沈黙したまま。


 土に水を染み込ませても、種を撒いても、何も答えない。


「なぜだ……!」

 王は叫ぶ。

 だが、誰も応えない。


 動物は減り、作物は育たず、

 土地は少しずつ、音を失っていく。

 呪いではない。

 罰でもない。

 ただ――

 応えてくれる存在が、いなくなっただけだった。



 真白は、森と荒野の境に立っていた。

 もう人の姿ではない。

 それでも、自分が何者かはわかる。

「……これで、よかったんだよね」

 問いに、答えは返らない。


 けれど、風がそっと髪を揺らした。

 ノワールが一歩前に出て、振り返る。

 その先には、まだ小さな道が続いている。

 願いが消えきらない限り、途切れない道。


 真白は、静かに歩き出した。

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