届かない言葉
王城の玉座の間は、ひどく乾いた空気に満ちていた。
磨かれた床、金の装飾、厚い絨毯。
けれどそこには、ティーアの森で感じたような“息づく気配”はどこにもない。
真白は一人、玉座の前に立っていた。
黒い髪は背に流れ、服は荒野での労働ですっかり擦り切れている。
それでも、その背筋は真っ直ぐだった。
「もう一度、聞こう」
ガルドリア王は、指先で玉座の肘掛けを叩いた。
その目には苛立ちと、抑えきれない欲が浮かんでいる。
「貴様はどうやって、あの荒野を変えた?」
「……変えたのではありません」
真白は静かに答えた。
「大地の声を聞き、精霊と約束を交わしただけです」
玉座の間に、失笑が広がる。
重臣の一人が鼻で笑った。
「まだそんな戯言を言うのか。
精霊だの、約束だの……力があるなら、それを国のために使え」
王も頷いた。
「そうだ。
貴様の力があれば、国はもっと豊かになる。
飢えも、争いも、すべて終わらせられる」
真白は、ゆっくりと首を振った。
「終わりません」
その声は小さいが、はっきりしていた。
「奪って得た豊かさは、また奪われます。
信じることをやめた国は、いずれ何も応えてもらえなくなる」
王の表情が、険しくなる。
「ならば、どうしろと言う?」
「……動物や精霊を、道具として扱うのをやめてください。
約束を守り、共に生きてください」
一瞬、静寂が落ちた。
そして――王は、はっきりと笑った。
「馬鹿馬鹿しい」
その言葉は、刃のように冷たかった。
「見えぬものを信じろ?
約束だと?
国を治める者が、そんな曖昧なものに頼れるか」
玉座の間に、同意の声が広がる。
「力は支配するものだ」
「使えぬ力に意味はない」
真白は、その光景を静かに見つめていた。
怒りはなかった。
ただ、深い悲しみだけが胸に満ちていく。
「……わかりました」
その言葉に、王が眉を上げる。
「ようやく折れたか」
「いいえ」
真白は顔を上げ、まっすぐに王を見た。
「言葉では、もう届かないとわかっただけです」
空気が、微かに揺れた。
玉座の間の燭台の炎が、同時に揺らぐ。
誰かが息を呑んだ。
「私は、約束を守ります」
真白の声は、穏やかで、決して大きくない。
「今まで力を貸してくれた精霊たちとの約束を。
そして……信じて行動してくれた人たちとの約束を」
王が立ち上がる。
「何をするつもりだ」
真白は答えなかった。
ただ、胸元に手を当てる。
――その瞬間。
床に、細い亀裂が走った。
風が吹き込み、玉座の間を一周する。
誰にも触れられないはずの空間に、
確かに“何か”が立っていた。
「ば、馬鹿な……」
「精霊……?」
ざわめきが広がる。
真白の背後に、影が揺らいだ。
それは人の形をしていながら、人ではない。
森の気配、荒野の記憶、風と土と獣の重なり。
足元に、黒い影が寄り添う。
ノワールだった。
金の瞳が、静かに王を見据える。
「これが……私の答えです」
真白の声が、玉座の間に響いた。
「信じ、守り、願いに応えた先にある姿」
王は一歩後ずさった。
初めて、その顔に恐れが浮かぶ。
「化け物め……!」
真白は、ゆっくりと首を振った。
「私は、裁きません」
その言葉に、王が一瞬安堵したように見えた。
「ただ――選びます」
光と影が、静かに広がっていく。
「信じ、行動した者には、幸せを。
奪い、耳を塞いだ場所には……応えがなくなるだけ」
それは呪いではなく、結果だった。
真白の姿が、少しずつ揺らぎ始める。
人の輪郭が、霧のように溶けていく。
「覚えておいてください」
最後に、彼女はそう告げた。
「願いは、誰にでも届きます。
けれど……信じる心を失った場所には、何も残りません」
次の瞬間、
玉座の間にいたはずの真白の姿は、消えていた。
残されたのは、ざわめく人々と、
どこか冷たくなった空気だけ。
王は、震える手で玉座の肘掛けを掴んだ。
「……追え」
だが、どこにも気配はない。
風も、土も、もう答えなかった。




