表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/21

荒野に沈む声

コピアの風は冷たかった。

 昼は夏のように熱く、夜は凍える。その差が大きく、真白の体力は削られていく。誰も使っていない住居にいるが、とても古く雨風を凌げるだけでマシというような場所だ。


 与えられた食料は最低限。 水瓶に入った水は濁り、飲むたびに鉄のような味がした。それでも飲まなければ倒れてしまう。


 真白は毎日、大地に向かって祈り続けていた。


「どうか……誰かの声を聞かせてください。

 私はここにいます。あなたたちが望むなら、手を貸します」


 けれど返ってくるのは沈黙だけだった。

 荒野はあまりにも静かで、生き物の気配どころか、風の語りかけすらなかった。


 その日も真白は、何度目か分からない耕作に取りかかっていた。手のひらは硬くなり、爪の間には泥が入り込んでいる。鍬を持つ腕が震え、足もとがふらついた。


 ――ざら、ざら……


 土を動かす音だけが響く。汗が目に入り、視界が滲む。乾いた風が頬を刺すたび、ティーアの森の優しい香りを思い出し、胸が痛む。


「ノワール……ユリウスさん、リゼットさん……」


 彼らの顔を思い浮かべながら、真白は鍬を持つ手を止めない。止めてしまえば、心まで折れてしまう気がした。


 だがその時――

 足元の土が、ざく、と不自然に沈んだ。


「……え?」


 鍬で軽く掘ると、金属の固い音がした。

 真白は膝をつき、指で土を払いのける。


 やがて姿を現したのは、錆びた小さな箱だった。

 古い鍵がかかったまま、誰にも開けられずに埋まっていたらしい。


「……何、これ」


 恐る恐る蓋をこじ開ける。

 鍵は錆びていたのか、すぐに壊れた。


 中から出てきたのは――

 ひび割れて黒くくすんだガラス玉だった。


 ただの……古い飾りにしか見えない。

 でも、手に取ると胸の奥がざわりと揺れた。


「……?」


 ガラス玉の奥に、黒い靄のようなものが渦巻いている。まるで何かの“声”が閉じ込められているような――


 その時だった。


 ぴしり。


 ガラス玉にひびが広がった。


「え……、ちょっ……!」


 真白が慌てて手を放そうとした瞬間――

 ぱんっ、と乾いた音を立て、ガラスは砕け散った。


 黒い靄が一気に解き放たれ、真白の周囲に広がる。

 空気が重くなり、呼吸が苦しくなる。


「――ッ!」


 靄は渦を巻き、地面へ吸い込まれていく。

 沈んで、沈んで――


 そして。


 地面が震えた。

 ひび割れた土の奥から、低い唸り声のようなものが響く。


 まるでずっと封じられていた何かが、

 ようやく目を覚ましたかのように。


「…………そこに、誰かいるの?」

 震える声で問いかけると、


 ――………………


 かすかだが、確かに“声”のようなものが返ってきた。


 しかしそれは、ティーアの森のように優しい響きではない。もっと荒れていて、痛みを抱えていて、怒りにも似た何かだった。


「ちがう……あなたは……聖霊じゃ、ない……?」


 荒野の“声”は、重く、黒く、苦しんでいた。


 この地に生き物がいない理由。

 何も育たない理由。

 水が濁り、風が死んでいた理由。


 ――それは、この“声”が長い間閉じ込められていたためだ。


 真白は両手を胸に当て、息を整えた。

 どれほど怖くても、怯えている場合ではない。


「……大丈夫。私は、あなたを助けたい。

 もう苦しまなくていいように……」


 しかしその瞬間、

 荒野の“声”が激しく揺れ、地面が跳ねるように震えた。


 どん、と真白の体は後ろに弾かれ、尻もちをつく。


「……っ!」


 土塊が弾け、黒い風が巻き上がった。


 それはまるで真白を拒絶するようだった。


 ――来るな

 ――近づくな

 ――人間なんて信じない


 そんな想いが、痛いほどに伝わってくる。

 真白は震えながらも、必死に声を絞り出した。


「お願い……聞いて……」

「私は、あなたを傷つけたりしない……!」

「あなたを閉じ込めたのも、壊したのも、私じゃない……!」


 黒い風は止まらない。

 砂が舞い上がり、肌に当たって痛い。

 息をするたび胸が締めつけられ、涙が滲む。


(どうすれば……どうすれば、この子に届く?)


 ティーアの森とは違う。

 ここには恵みも、優しさも、育む力もない。


 あるのは“怨嗟”と“孤独”――

 そして、長い間忘れられ、捨てられた土地の悲鳴。


「……あなたは、一人だったんだね」


 真白の呟きに、黒い風が少しだけ揺れる。


「ずっと誰にも気づいてもらえなくて……苦しかったんだね」


 荒野がふるえる。

 その震えは怒りではなく、悲しみのようだった。


 真白は胸に手を当て、そっと目を閉じた。

 泣きながら、それでも笑おうとする。


「大丈夫。あなたが誰であっても……私はあなたの味方だよ」


 その瞬間、黒い風が止まった。

 静寂が戻ってくる。

 荒野の声が、深い底からかすかに響いた。


 ――…………たすけて


 その言葉に、真白の心がぱっと灯った。


「うん。絶対に助けるから」


 その声は弱く、折れそうで、

 それでも紛れもなく“救いを求める声”だった。黒い風が止まり、荒野に沈む気配が静かに震えている。

 真白は両手を膝におき、深く息を吸った。胸の奥に残る痛みはまだ引かない。

 それでも、目の前の“声”はもっと苦しんでいるとわかった。


「ずっと閉じ込められて……、苦しかったんだよね」

 真白がそっと語りかけると、

 荒野の土がひくりと震えた。


 ――……くるしい

 ――……こわい

 ――……たすけて


 断片的な声が大地からにじむようにして響く。

 まるで誰かが泣きながら、言葉を探しているようだった。


「大丈夫。私はあなたを置いていかないから」


 真白は、震えながらも笑おうとした。

 森で聞いていたような、柔らかい風の声も、動物の足音もない。

 孤独の底のような場所で、自分だけが頼りだ。


 その気配を察してか、荒野の声は揺れた。

 ――……ほんとうに?


「うん。本当だよ」


 真白はそっと地面に手を添えた。

 冷たい。硬い。生き物の気配の欠片もない。

 それでも、ゆっくりと撫でる。


「あなたを怖がらせないよ。痛いこともしない。

 だから……少しだけ、話してみない?」


 しばらく沈黙が落ちた。

 風すら動かない。


 長い長い空白のあと――

 ようやく、土の底から声がにじんだ。


 ひとがいたんだ。たくさんのひと。みんなでわらって、たのしくて。


 ひとががんばるから、おれもがんばった。

 ありがとうっていわれると、うれしいから、もっとがんばった。


 でもいつのひか、ありがとうがなくなって、がんばるがたりなかったっておもった。だからもっともっとがんばった。


 ひとはたくさんいたけど、たのしいがわからなくなった。ひとはおれをとじこめて、ひとりにした。

なんかいもこえをだしたけど、だれもだしてくれなかった。


 ――……おまえも、すてられたのの?


 真白の指がぴくりと止まる。


「……うん。連れ去られたよ。森からも、仲間からも……」

 自分が言葉を口にした瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。

 ノワール、ユリウス、リゼット――

 みんなが今どうしているか、不安が押し寄せる。


「でもね、私は、捨てられたとは思ってないよ。

 きっと、みんな私を探してくれてる」


 荒野の声がふるえた。 



 ――……そんなの、しらない

 ――……おれは、すてられた

 ――……わすれられた

 ――……ここに、ひとりで


 その想いが、涙のように伝わってくる。

 どれほど長い間、誰にも気づかれず、暗い地の底にいたのだろう。


「あなた……名前は?」

 真白が尋ねると、黒い気配が少し縮こまった。


 ――……ない

――……もう、ない

――だれも、よばない


「じゃあ、私が呼んであげる」

 真白は静かに目を閉じた。

 どんな言葉がふさわしいのか考えながら、そっと呟く。


「『クレハ』……どうかな?」


 黒い気配が揺れる。

 拒絶でも怒りでもない、小さな驚きのような震えだった。


 ――……くれは?

――……おれの、なまえ……?


「うん。“枯れ葉”のクレハ。

 枯れてしまった葉っぱも、風に触れるとまた土の栄養になって、新しい芽が出るの。

 あなたも……きっともう一度、立ち上がれるよ」


 その瞬間、荒野の気配がふっと緩んだ。

 まるで幼い子が泣き疲れたあとに呼吸を整えるような静けさだった。


 ――……なまえ……

――……ほしかった……

――……ありが、とう……


 真白の胸に温かいものが広がった。


「クレハ。私はあなたと約束をしたいの」

 手をそっと地面に押し当てる。


「私はあなたを一人にしない。

 あなたが抱えてきた苦しみを、少しずつでいいから話してほしい。

 あなたが、この土地が、また息をできるように」


 しばらく、また静寂が落ちた。

 その沈黙は、先ほどの絶望の沈黙ではない。

 迷いと、希望の狭間のようだった。


 そして――


 ――……やく、そく

――……して、くれる?


「うん。必ず」


 荒野の気配が柔らかく揺れた。

 真白の手の下の土が、ほんの少しだけ温かくなる。


 クレハが、真白の手をとるように応えてくれている。


(やっと……届いた)


 涙がにじむが、真白は笑った。

 荒れ果てた土地に灯ったわずかな希望は、確かにそこにあった。



 荒れ果てた地に、ようやく――

 わずかな希望の光が生まれたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ