焦燥
ティーアの森に、ざわり、と重い風が流れた。
いつもの朝露も乾いた空気もそこにはなかった。
ガルドリア兵たちが畑のそばに陣を敷き、真白たちへ詰め寄っている。
「私は争うつもりはありません。森の恵みを奪わず、共に使う道を探せませんか?」
真白は丁寧に、何度も頭を下げながら言った。
だが、隊長の男は眉をひそめたままだった。
「森が助けた? 聖霊が手を貸した? そんな馬鹿げた話が信じられるか」
「ですが、本当です。森は――」
「我々は王の命で来ている。この豊かな土地の“理由”を持ち帰らねばならない」
隊長は鋭く手を振り下ろした。
「畑の土を採取しろ。作物もだ。全部調べる」
「待ってください! 勝手に触らないで!」
真白が前へと出る。
だが兵士たちは彼女を押しのけ、畑へと踏み込んだ。
農具の柄が踏みつけられ、育ちかけの葉がちぎれる。
その瞬間、森がざわめいた。
小さな動物たちが飛び出し、兵士の足元へ噛みつくように走り寄る。
風の聖霊が砂埃を巻き上げ、視界を遮る。
「やめて!! 彼らを傷つけないで!」
真白の叫びが響くが、兵士たちは怯むどころか怒気を帯びた。
「なんだこの邪魔は! 獣が群れてきたぞ!」
「森が動いている……? いや、そんなはずがあるものか!」
兵士たちは動物たちを払いのけ、強引に袋へ作物を詰め込んでいく。
昨日の怒りとはさらに強い憤りを森から感じた。しかし、武装した彼らの前では、風の力など無力にすぎなかった。
「真白さん、下がって!」
ユリウスとリゼットが駆け寄り、兵士の前に立ちはだかる。
「何をしているんですか!」
「ここはあなたたちが荒らしていい場所ではありません!穏便に済ますとおっしゃったではないですか」
しかし兵士は冷ややかに言い返した。
「国のためだ。我々は正当な任務を遂行しているだけだ。聖霊だの森の声だの……そんな子供じみた昔話は信じられん」
「でも――」
「黙れ。今この国に必要なのは結果だ。可哀想だとか、理屈だとか、そんなことではない。
いいか、どの領土を見てもこのように食べるものに困らず、明日の心配をせず生活をしているものがいるものか!我々は自国のために王命を聞いているのだ」
その言葉に、ユリウスもリゼットも言い返せなくなる。二人は真白を守ろうと前に出るが、兵士たちは迷いもなく手を伸ばした。
「放して……放してください!」
真白は必死に抵抗するが、腕を強く掴まれ、引きずられる。
「真白さん!」
「やめて、どこへ連れていくんですか!」
ユリウスの叫びも空しく、兵士たちは二人を突き飛ばした。
「連れて行け。こいつが本当に“豊穣を呼ぶ者”なら、王の前で証明させればいい」
森の奥で木々が揺れ、小さな動物たちが悲鳴のように泣く。風が何度も何度も吹きつけるが、真白を奪われるのを止められなかった。
ノワールが必死に走る。
「ましろ! 手を伸ばせ!」
真白は振り返り、涙のにじんだ目で叫ぶ。
「ノワール……ごめん……!」
馬に押し込まれ、真白は森から連れ去られていった。
ティーアの森は、その背を追うようにざわざわと揺れ続けた。
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豪奢な謁見の間で、真白は王の前へ引き据えられた。
王は半ば疑い、半ば期待するような目で彼女を見る。
「お前が作物を豊かに育てると聞いた。どういう仕組みだ」
真白は正直に答えた。
「森の聖霊たちが助けてくれたんです。他の方がやられているように、畑を耕し、水を与え、私は祈りを――」
王は鼻で笑った。
「祈り? 聖霊? そのような夢物語が国家の役に立つと思うのか」
「本当です。ティーアの森は――」
「黙れ。ティーアだと?動物たちの楽園なぞ、昔々のお伽噺にすぎん。それを証明するならば、お前の力とやらを実際に見せてみろ」
王は冷たい声で命じた。
「最も荒れ果てた土地に送れ。
そこで作物を育てられたら夢物語も信じてやる」
真白は拘束され、連れて行かれた。
「おい、逃げ出さぬよう監視も怠るなよ」
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馬車に揺られて何時間たっただろう。
恐怖や心配や焦りで真白の心はぐちゃぐちゃだった。
人に信じてもらえなかったという感嘆と、セイランの館のこと、助けようとしてくれた森の生き物や聖霊たち。守られるだけで何もできない自分に腹が立っていた。
「降りろ」
はっと顔をあげると、檻のように感じられた馬車は動きを止めていた。
「その橋をわたって、その先に行け。おまえの仕事場がそこにある」
「あの、ここは…」
川があるが、水は濁り、鼻をつく臭いがする。
生き物の影は一つもない。
風も乾き、空気は砂の味がした。
周囲には壊れた木材、錆びた金属、古い壺の破片――
人が捨てたゴミが散らばっている。
野営小屋には数人の住人らしき人がいたが、彼らは真白を見ると視線を避けた。
この地に期待など誰も抱いていない。
そこは“コピア”と呼ばれる場所だった。
かつては様々な植物が育ち、水も土も豊かで、人の往来も多く賑わっていたという。
真白は膝をつき、乾いた大地をすくった。
土はばらばらで、指の間から崩れ落ちる。
耕しても耕しても、土は粘つき、黒く腐っているように重い。 撒いた種は、翌日にはカビの匂いを放ち、地面に沈んでいた。
そっと語りかける。
「……聞こえますか。誰か……」
けれど
森のざわめきも
動物たちの息遣いも
風の聖霊の優しい囁きも
――何も返ってこなかった。
真白は両手を胸に抱きしめ、静かに震えた。
「どうすればいいの……?」
この地には、祈るべき相手すらいない。
信じてきた“声”が、消えてしまったかのようだった。




