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訪問者

朝靄の中、黄金色の畑が静かに揺れていた。

 真白は手に鎌を持ち、麦の穂を刈り取っていく。

 ひと束ごとに風が流れ、まるで畑全体が呼吸しているようだった。


「……こんなに早く、収穫できるなんて」

「あの風の精霊の言った通りだな。森も、湖も、全部が味方してくれてる」

 ノワールが麦の穂の上を軽やかに歩く。

「でも、どうしよう。食べきれないくらい、たくさんある」

「干せば保存できる。あと、分けてやりゃいい」

「分けて……?」


 その言葉に、真白の胸の奥で何かが灯った。

 この土地の恵みを、自分ひとりで抱える必要はない。

 ――生き物も、人も、分け合ってこそ生きていける。


「うん、そうだね。分けよう。誰か、困ってる人がいるなら」

「どうせ、放っといても人間は噂を嗅ぎつける」

「噂?」

「“森の奥に、金色の畑ができた”ってな」


 ノワールの言葉が現実になるのは、それから三日後のことだった。



---


 その日、真白が湖のほとりで洗い物をしていると、遠くの林道から馬の足音とガラガラと木と石や土がぶつかりあう音が聞こえた。

 珍しい。ここに人の気配がすることなんて、滅多にないのに。


 木々の隙間から姿を現したのは、二人の若い旅人だった。

 一人は背の高い男で腰辺りまでの茶色のローブを、腰には短剣を携えていた。

もう一人は栗色の髪をした女性。こちらはふくらはぎあたりまであるグレーのローブをフードで顔がしっかりと隠れるほど深く被っている。粟色の髪はおへそあたりまでありそう。


1頭の赤毛の馬が荷車を引いているが、荷物は最小限しかなさそうで、 馬も人も旅の塵にまみれ、疲れ切った様子だ。


「……誰か、いるのか?」

 男が慎重に声をかけた。

 真白は布を絞りながら微笑んだ。

「はい。どうしました?」

「水を……少しだけ分けていただけませんか。王都からの帰りで、森に迷ってしまって……」

「もちろんです。ここの湖の水はきれいですよ」


 真白は桶に水を汲み、二人に差し出した。

馬には湖から直接飲んで貰ったほうが早い。

 彼らは感謝の言葉を述べ、喉を潤す。


「ありがとうございます。……まさか、本当にこんな森の奥に人が住んでいるとは」

「この館に暮らしています。真白といいます」

「私はリゼット、こちらは兄のユリウスです。旅の商人なんです」

フードを脱ぎながら水を受けとる。


 リゼットとユリウス――

 二人は旅の途中で、森に“奇跡の畑”があるという噂を聞き、確かめに来たのだという。



「金色に輝く麦が、一週間で実る。

 それを見た村人が『加護の土地』と呼んでいると」

 真白は少し驚いて、首をかしげた。

「……そんなに、もう噂になっているんですね」

「はい。王都の市場でも話題になっていました。

 “動物たちと暮らす黒い髪の娘が、枯れた土地を蘇らせた”って」


「ふぅん、黒い髪って、わかりやすいな」ノワールがぼそりとつぶやく。

 リゼットが目を丸くした。

「しゃ、喋った!?」

「驚かないで。ノワールは私の友達です」

「……ね、猫が……話す……!?」

「気にするな。俺は観光案内はやってねぇからな」


 ノワールの冷めた言葉に、ユリウスが苦笑いを浮かべた。

「どうやら本当に、不思議な場所に来てしまったようだ」


---


 真白は二人を館へ招き入れ、温かいハーブスープをふるまった。

 スープの中には、畑で採れたにんじんと豆がたっぷり入っている。


「これが……この森で採れた野菜なんですか?」

「はい。まだ小さな畑だけど、すぐに育ってくれるんです」

「味が……すごく濃い。懐かしい味だ」


 リゼットはスプーンを握ったまま、感動したように言った。

 真白は照れくさそうに笑った。

「風や土、それに水が助けてくれてるんです」

「助けてくれてる……?」

「うまく言えないけど、この土地の“命”が協力してくれてる気がするんです」


 その言葉に、ユリウスは静かに頷いた。

「……なるほど。噂の“加護”というのは、そういうことか」


「よければ畑を見ていかれますか?先日収穫をしたばかりなんですが、まだ全然採りきれてなくて…よかったら旅の帰りの分だけでもお裾分けさせてください」


---


 翌朝、二人は館の裏庭に案内された。

 そこには、金色に輝く麦畑と、色とりどりの作物が風に揺れていた。

 朝露がきらめき、葉の間を小鳥が飛び交う。


「これは……本当に、奇跡だ」

「まるで春と夏が一緒に来たみたい」


 リゼットが感嘆の声をあげる。

 ユリウスは膝をつき、土を手に取った。

「この土、まだ新しく見えるのに、長年耕した土地のように柔らかい……。

 真白殿、あなたはこの地をどうやって……?」

「特別なことは何も。ただ、感謝して水をあげて、話しかけただけです」

「話しかけた?」

「はい。……“育ってくれてありがとう”って」


 リゼットはその言葉を聞きながら、少し泣き笑いのような顔をした。

「きっと、その気持ちが届いたんですね」

 風が吹き、麦が一斉に揺れる。

 まるで、その言葉に答えるように。



---


 昼過ぎ、二人は帰り支度を始めた。

「王都に戻ったら、このことを報告します」

「報告?」

「はい。私たちの国、ガルドリアは今、飢えと不作に苦しんでいる村が多いのです。

 もし、この土地の力を分けられるなら、多くの人を救える」


 真白は少し考え込んだ。

 この土地は確かに恵みをもたらしてくれている。

 けれど、それをどう扱うかで、良くも悪くも変わってしまう。それにこの土地は国王にいただいたものだ。


「……伝えても構いません。でも、お願いがあります」

「どんなことでも」

「この畑が“奇跡”じゃなく、“共生”でできていることを忘れないでください。力じゃなく、思いが育ててくれたって」


 ユリウスとリゼットは深く頭を下げた。

「必ず伝えます」



---


 彼らが森を出るころ、真白は湖のほとりで手を振った。

 リゼットは馬上から笑顔を見せる。

「真白さん! また来ますね!」

「ええ。今度はお土産に、パンでも焼いて待ってます」


 風が吹き、金色の畑が波のように揺れた。

 その光景を見送りながら、ノワールが呟く。

「なぁ真白。これから、どんどん人が来るぞ」

「うん。きっと、そうなるね」

「怖くねぇのか?」

「少し。でも、来る人が“命を大切にする人”なら、歓迎したい」

「……おまえらしいや」


 その夜、真白は月明かりに照らされる畑を眺めながら、静かに祈った。


「風さん、水さん、土さん。どうか、この場所が争いのもとになりませんように。

 ここで生まれた命が、誰かの心を救えますように」


 その祈りに応えるように、風が優しく吹き抜けた。

 葉が揺れ、遠くでフクロウが鳴く。


 ――その声は、まるで約束の返事のように。

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