新しい生活
朝露の光る庭に、ほうきの音が響いていた。
カサ、カサ……と木の枝が床を擦る音が、静かな空気に混ざる。
真白は、森で拾った木の枝を束ねて作った簡素なほうきを手に、館の廊下を掃いていた。
最初は埃のにおいでむせそうになったが、今ではそれもどこか懐かしい香りに思える。
陽の光が窓から差し込み、舞い上がる塵がきらきらと輝いていた。
「……ノワール、そこ、足跡だらけ」
「俺のせいじゃねぇ。風の仕業だ」
黒猫は棚の上で尻尾をゆらしながら、とぼけた顔をしている。
「風は歩かないよ」
「まぁ、動いてるもんはみんな生き物だ」
「……そんな理屈ある?」
それでも真白は笑って、再びほうきを動かした。
木で作ったほうきの先端が床を撫でるたびに、乾いた音が鳴る。
窓を開けると、森の風がふわりと入り込み、埃を優しく運び去っていった。
「ありがとう、風さん」
そう呟いた瞬間、どこからか鳥の声がひときわ明るく響いた。
まるで、返事をしてくれたように。
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館の掃除は、想像以上に骨の折れる仕事だった。
二階の客間には古いシーツが積まれ、窓枠は苔で緑がかっている。
真白は袖をまくり、濡らした布で木枠を拭いた。
「使う部屋だけって思ってたけど、ここまでくると全部掃除したくなっちゃうね」
拭き上げるたび、木の表面に隠れていた模様が少しずつ蘇っていく。
古い館は不思議なもので、磨けば磨くほど命を吹き返していくようだった。
「ねぇ、ノワール。こういうの、好きだな」
「掃除が?」
「うん。ここにあった“時間”を戻してるみたいで」
「へぇ。俺は寝てた方が好きだ」
「はいはい。ノワールは寝てていいよ」
窓を開けると、心地よい風が吹き込み、カーテンを揺らした。
その風が真白の髪を撫で、部屋の埃を外へ運んでいく。
館の中に、ようやく“空気の道”が通った。
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昼過ぎ。
掃除をひと区切りつけた真白は、裏庭に出た。
そこには広い空き地があり、陽当たりも申し分ない。
「……ここ、畑にできるかも」
「悪くねぇ場所だな。水も近ぇし、風通しもいい」
「そうだね。貰った食べ物もなくなりそうだから、早めに準備しないと。あ、でも道具がないや」
「じゃ、買い出しだな」
真白は頷き、館に戻って古びた箱を開いた。
中には、王から授けられた金貨が入っている。
必要なものを揃えるには十分すぎる額だった。
翌朝、真白とノワールは王都へ向かった。
セイランの館から王都までは馬車で半日。
来るときは馬で送ってもらったけど、再び王都へ向かうには徒歩で向かうしかなかった。1日はかかるだろう。
セイラン森を抜け、丘を越えるたびに、道の両脇には色とりどりの花が咲いていた。
「……この国、やっぱりきれい」
「人が減った分、自然が元気なんだろうな」
「人と自然、どっちかだけが元気じゃダメなんだよ」
「おまえ、ほんと理想家だな」
「理想でも、叶えるためにいるんだから」
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王都の市場は活気にあふれていた。王様との謁見の日は忙しくて町まで見る暇なんてなかったのだ。
果物、パン、香草、木製の食器、そして旅人たちの笑い声。真白はその中を歩きながら、久しぶりに“人の温度”を感じた。
「おや、嬢ちゃん。旅人さんかい?」
声をかけてきたのは道具屋の老夫婦だった。
「あ、えと、そんなところです。畑を作ろうと思ってるんです。鍬とじょうろ、それと苗を植える道具を探してます」
「おお、畑かい。いいねぇ。こっちのは軽くて丈夫だよ」
老主人が差し出したのは、丁寧に削られた木の鍬。
持ち手の部分には小さな鳥の刻印があった。
「かわいい……」
「うちの孫の印だよ。森で鳥を助けたらしい」
「そうなんですね。……なら、この鍬をいただきます」
鍬とじょうろ、あと手押し車も買った。
王都までの道のりは長いけど、何度も頻繁に来れるような距離でもない。
なんとか一度でたくさん買い込んでおかないと後々手間なのだ。
次に立ち寄ったのは、種屋だ。
真白は麦、豆、にんじん、芋、ハーブ、それに果樹の苗を少しずつ選んだ。
どの種も、見た目は小さいけれど、手の中で不思議な温もりがあった。
最後に干し肉を買う。
狩りができない真白にとって、保存できる食材は欠かせない。
肉を扱う店主が言った。
「嬢ちゃん、これ、旅人に人気だよ。干し肉に香草を混ぜてあって、湯にいれるとスープにもなる」
「いいですね。それもください」
ノワールは袋の中を覗き込み、尻尾を立てた。
「食い物は完璧だな。これで腹は減らねぇ」
「でも、またすぐ畑を育てないとね」
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館に戻ったのは、日が真っ暗になった頃だった。
森の中を歩くと、どこからか動物たちが姿を見せる。
うさぎ、リス、小鳥たち――昨日出会った顔もちらほら見える。
「ただいま」
真白が微笑むと、風が草を揺らした。
夜、館の台所でランプを灯し、初めての食事を作った。
鍋に湯を沸かし、干し肉と香草を入れる。
じわじわと香ばしい香りが立ちのぼり、室内を満たす。
ノワールがテーブルの端に座って、鼻をひくひくさせる。
「うまそうな匂いだな」
「うん、ちょっと味見してみる?」
「俺は肉しか興味ねぇ」
「だと思った。猫は肉食だからね」
スープを一口飲むと、体の芯が温まる。
人も自然も、少しずつ調和していくような、そんな味だった。
買ってきたパンにチーズをのせて、口に頬張りながらノワールに話しかける。
「この館、最初は寂しかったけど……今はもう、居場所になってきたね」
「おまえがそう思うなら、もうこの家は生きてるよ」
外では、風が窓を揺らし、遠くの湖が月を映していた。
真白はその音を聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。
風の音、草の香り、そして命の鼓動。
それらが重なり合って、確かに“暮らし”が始まっていた。




