江戸時代の日本人が当時の外国人をどう見ていたか?率直な意見が現在と180度違う件
江戸時代の白人の評価
「・・・といっても、あんなに理法にはずれたことばかりする者どものを、どうして野蛮人と思わずにいられようか。実際彼らは靴も脱がず、脛当もとらずに、お寺に上がり込んで、いや、そこでところ嫌わずやたらに唾は吐くし、痰は飛ばすし、我々の使っている畳、席を、遠慮会釈もなしに穢すし汚すし、その他、人としての教養をまったく欠くと思われるこの種のことをなして憚らないのである」
江戸時代の日本人の白人(+黒人)の評価
「・・・我々として怪訝に堪えないのは、商用で日本へ来るポルトガル人たちの生活の仕方や、処理の仕方が、どうも話とはずいぶん違うように見えることだ。事実、彼らはその食卓で清潔の規範を守っているようには思われない・・・・・中略・・・・いきなり手づかみに取り扱って何とも見にくいばかりか、その他にもこの種のことを常に行って一向意に介せず、我々の性質や習慣からは、とてもやりきれないことをする。そのうえ、彼らは、食卓の用に、エチオピア人らしい人間たちや、そのほかとても人間としての洗練にはまったく縁がなさそうな色の黒い人間を侍らせているのを我々は見ているのだ」
(要約 話で聞くより西洋人って不衛生すぎ。素手で直接つかんで飲食をする野蛮人じゃないか。清潔を大事にする我々日本人からは理解出来ねぇわ。あとあいつらが色が黒い未開人っぽい人連れまわしてるのも見てるわー)
この頃、実際、欧米ではフォークやスプーンも無い。手づかみで食べるのが当たり前。トイレも無いから(日傘なんて日本人はありがたがって日よけに使ってるが、)あれは2階から降って来る糞尿を避けるために使われた。窓からうんこを道端に投げるのだ!
だから、フランスのパリの道は凸の形に作られてる。両側に糞尿が流れて行くようになっている。とにかく道が臭くて堪らなかったそうです。
記述されている内容で、日本人は古くから西洋白人を粗野で無教養な野蛮な人種と見ていた様子がわかる。
なお、この話自体は江戸時代であるものの、某ロックリー氏が言う弥助という黒人が尊敬されていたみたいなのはまずあり得ないと思われる。
日本国特有の連続性から見て考えにくい。実際に本能寺の変の後、明智光秀が「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として弥助は南蛮寺に送られている。
「家臣は此黒奴を如何に虜分すべきか明智に尋ねた、黒奴は動物で何も知らず、又日本人でない故之を殺さず、印度のパードレの聖堂に置けと言つた。之に依つて我等は少しく安心した」1582年1月15日ルイスフロイスの報告
当時の日本人が如何に欧米人を見ていたか? 今に通じるものがないでしょうか?所謂、グローバリストと呼ばれる者たちが如何にして我々日本人の歴史観を捻じ曲げ、教育を変え思考停止状態にしてしまったか?
当時のGHQによって昭和22年に国史(歴史)、地理、修身を禁止させられた我々は間違った知識をひたすら学校で習わされてます。(社会科)歴史なんて嘘だらけです。6年8か月の占領を経て、ことごとく向こうに都合の悪い事実は隠蔽させられてます。
例えば、人種差別撤廃を叫んだのは自由の国アメリカだ!なんてイメージを我々は植え付けられてますが、人種差別撤廃を最初に叫んだ国は日本です。
1918年パリ講和会議の国際連盟にてそれを提案し(しっかり根回しもした)賛成多数で可決される予定でした。しかし、それを全会一致でないとダメだと拒否したのがアメリカです。撤廃に賛成するどころか、拒否したのがアメリカなのです。
日本が人種差別撤廃を叫んだ理由のひとつはチョコレートで有名なベルギー(レオポルド2世)のコンゴの植民地政策です。プランテーションを作り、奴隷労働をさせて納期に間に合わなければ手首をちょん切ってしまったんです。もっと酷いのは子供の手首をちょん切ってそれを通貨として使っていたという記録があります。ちなみに一万円の渋沢栄一は当時のベルギーに行って素晴らしい経済政策だと絶賛しています。(妾だけでも50人以上、認知されてる子供は20人以上です)こんな人間を一万円札にして大丈夫なんでしょうか?
こういうのは一切歴史の授業で習わないですよね?日本はひたすら悪いことをしたんだと教え込まれ自虐史観を植え付けられる。そうすると、一番の反日は日本人という図式が成り立つんです。そうして、政治に興味もない、選挙にも行かない、思考停止させられた日本人がどんどん量産されています。まさに植民地日本です。
我々日本人はもっと歴史を勉強しないといけないと思います。
参考文献:新異国業書