3>> わたくしと婚約者と学園での事
─【 学園へ 】
あの後自室へと運ばれたララーシュは医師により回復魔法を掛けてもらって、無事に後頭部の傷は塞がって跡も残らなかったと聞きました。医師からは「興奮し過ぎたんだろう」と言われたようですが、ララーシュだけは「あいつにやられたんだ!」と騒いでいる様です。誰も信じませんけどね。
ですが長男に継母に義妹と、連続して三人が『ロンナと会っていた時に体の不調を起こした』という事で、わたくしは今まで以上に使用人たちから遠巻きにされるようになりました。嫌がらせや聞こえよがしの悪口が無くなって快適になったので少しホッとしています。
でもこのままだとララーシュのようにわたくしが道具か何かを使って三人に危害を加えたと言い出す人が出てくるかもしれません。あまりにも不自然ですから。ですからわたくしから皆の気を逸らす為に、わたくしは更に何度かお兄様たちに同じ魔法を飛ばしました。
湿度による水分を使った水サーチ魔法(勝手に命名)でそれぞれの位置を把握して、遠隔から空気中の水分を使って魔力を飛ばせば、兄や継母や義妹は、わたくしが居ない場所であの症状に見舞われます。そしたらお兄様たちの症状は『病からくる異変』ではないかと皆が思ってくれるでしょう。ララーシュだけはさすがにあれを繰り返すのは危険過ぎるので、だいぶ力を弱めて貧血でふらつくくらいに留めています。呪いだと騒ぐ人もいるかもしれませんが、それこそそんな『高等魔法』に、わたくしが関係しているなんて夢にも思わないでしょうね。
大変なのは毎回呼び出される医師様ですが……そこは大変申し訳ないと思います…………
さて、そんな事をしている内に、わたくしが通っている学園の長期休暇が終わりました。お兄様とわたくしはまた学園に通う日常が始まります。わたくしは2年、お兄様は最終学年の3年生となります。
同じ邸からの登校となりますが……お兄様はわたくしと同じ馬車に乗りたくないと仰ったので、わたくしたちは別々の馬車を使います。一人で乗る馬車は静かでとても快適で、わたくしは一人で馬車に乗れる登下校の時間が大好きでした。
しかし学園自体は好きではありません……だって学園では絶対にカッシム様とお会いしてしまうのですもの……
ワゼロン侯爵家の嫡男、カッシム様……
わたくしの8歳の時からの婚約者で……学園に入学して半年ほどして“最愛の人”と出会われた方……
男爵家の御令嬢であるソフィーナ・マバ様と人目も憚らずに体を密着させてわたくしに見せつけてくるので実のところ心底鬱陶しいのです……
どうもカッシム様はわたくしが御自分に好意を寄せていると思っている様で……『親から無理矢理婚約させられた嫌いな女から好かれている事が不快で仕方ないからその意趣返しに好きな女性と親密になって見せつけている』と考えているのがありありと窺い知れる表情をしていて、その顔が本当に気持ちが悪いのです。
前のわたくしは、“自分が本来ならば生きる価値さえない存在でそんな無価値で欠陥品の女を嫁に貰って下さるカッシム様に感謝こそすれ嫌だと思う事さえ烏滸がましい”のだと思っていたのですが、前世を思い出してしまえば、そんな風に思う事こそが馬鹿馬鹿しくて無意味だと思えるようになりました。
ここに生きているわたくしを否定できるのは神様だけでしょう。
もしわたくしが今もなお水魔法を少ししか使えなくとも、だからと言って『わたくしの存在を否定できる人』なんて、本来ならば存在しないのです。……国王だって、わたくしの『存在を処刑』する事はできても『生まれてきた事の否定』はできないのですから……
前世を思い出し生まれ変わったわたくしは、カッシム様に会ってももう前のようにただ虐げられるだけの人形にはなりません。
◇ ◇ ◇
─【 わたくしの婚約者 】
カッシム様はわたくしとは同い年です。カッシム様の最愛の人であるソフィーナ・マバ男爵令嬢も同じです。
カッシム様とソフィーナ様はこの学園で出会い、恋に落ちました。
侯爵家の嫡男であるカッシム様はその生まれだけで令嬢たちからの注目を集めていたのですが、そのお顔もそこそこ整っているので、カッシム様を見てトキメキを覚える令嬢も居た様です。そしてそんなカッシム様の婚約者がわたくしのような欠陥品だと皆が知ると下位貴族の御令嬢たちは更に色めき立ちました。わたくしがお飾りの妻になる事が目に見えていたからです。
侯爵家同士の政略結婚の為にわたくしを追い落とす事は侯爵家を敵に回す事と同意なので誰も目に見えてわたくしとカッシム様の仲を邪魔するという事はされませんでしたが、カッシム様を落とせば『侯爵当主の最愛の愛人』という立場が確定している事から、家から婚約者を付けられる事なく将来は侍女かメイドかの二択しかなかった下位貴族の御令嬢たちは──文官を目指すような賢い女性はそもそも“愛人”の立場など求めません──我先にとカッシム様に群がりました。そしてその中でカッシム様のお心を射止めたのがソフィーナ様なのです。
可愛らしい見た目と豊満な体を持つソフィーナ様は、わたくしから見ても魅力的だと思います。
彼女はわたくしを見るとその可愛らしい顔に優越感を浮かべてカッシム様にくっついてはわたくしを笑います。
前に言われました。
「わたくしは元々子供とか産みたくなかったの。だって体型が崩れるでしょ? どこかの正妻になったら絶対に子供を産まなくちゃいけなくなるからどうしようかと思っていたのよね〜。カッシム様の愛人になったら、ただ愛される生活が保証されるわ♡ 好きな物だっていくらでも買っていいんだって♡ だって正妻の貴女はなーんにも要らないんですものね。その分わたくしが着飾ってカッシム様を楽しませてあげるから安心して♡
貴女は頑張って、ま・と・も・な・子供を産んで、正妻の仕事を熟せばいいわ。カッシム様はわたくしが愛してあげるから♡」
その言葉にカッシム様は笑っていました。
「なんてソフィーナは心が広いんだろうな。欠陥品で無能な女の為に陰で俺たちを支えてくれると言うんだ。お前も心から感謝しろよ。
もしお前がまともな男児を産まなければ、その時はお前に生きる意味は無いと思えよ。直ぐにでも離婚してやるからな。
本来ならソフィーナの中に全部ぶちまけたいものを、仕方なく……仕方なく、貴族の義務としてお前にあげるんだからな。
……あぁ、今から憂鬱だ……こんな女を抱かなきゃいけないなんて…………ソフィーナならいくらでも相手に出来るだろうに、こんな女相手に俺はちゃんとデキるだろうか……いくら貴族の義務だとしてもこんなツラい事を俺はちゃんとできるだろうか………」
わたくしとの閨事の心配をするカッシム様は絶望に顔色を悪くされていました。そんなカッシム様にソフィーナ様が寄り添います。
「あぁ、カッシム様……本当におかわいそう……カッシム様が望むならお二人の初夜にわたくしもお手伝いに上がりますわ。
目を瞑って相手の体がわたくしであると想像すれば、カッシム様だってきっとお役目を果たせると思いますの」
「おぉ! それは良いな! ソフィーナの声を耳元で聞かされていれば、相手の体がこんな女だろうと頑張れそうな気がするよ!」
「えぇそうでしょう! そうしましょうね♡」
「あぁ!」
この話を目の前でされた時は本当に地獄でした。新婚初夜に愛人が同席する事が決まったのです。
自分の純潔が散らされる瞬間に他の女が自分の夫と愛を囁きあっているところを見せられるかもしれないなんて、誰が受け入れられるでしょうか。そこまでして何でわたくしはこの男に抱かれなければいけないのでしょうか。
その話を聞かされた日のわたくしは一人で泣きました。涙が溢れて止まらなかったのです。泣くことしか自分には許されなかったのです。
…………でも今は違います。
人知れず泣くことしか出来なかったわたくしはもう居ないのです。
わたくしを蔑ろにしてきたカッシム様。
わたくしも貴方が嫌いです。
だからわたくしも抗います。
貴方なんかと絶対に婚姻したくありませんから。
◇ ◇ ◇
─【 わたくしの婚約者と浮気女】
「ロンナ」
学園の昼休み。
わざわざ人気のない場所を選んで休んでいたわたくしの元にカッシム様とソフィーナ様が腕を組んで現れてわたくしを呼びました。
カッシム様は少し不機嫌そうです。ソフィーナ様はいつものように人を小馬鹿にした笑みを浮かべています。
わたくしは腰を下ろしていたベンチから立ち上がってカッシム様たちと向き合いました。
「……何の御用でしょうか、カッシム様」
「何故報告しない」
「はい?」
「は〜……これだから出来損ないは困る」
「そんな言い方はダメよカッシム♡ かわいそうじゃない」
カッシム様の言葉の意味が分からず小首を傾げてしまったわたくしにカッシム様は呆れた様な態度を取り、そんなカッシム様をソフィーナ様が宥めるというよくわからない事になっています。
わたくしは寄りそうになる眉間をなんとか留めてカッシム様に聞き返しました。
「何の……お話でしょうか?」
そんなわたくしにカッシム様は大袈裟に溜め息を吐いてから口を開きました。
「お前の家で問題が起こっているのだろう。何故それを婚約者の俺に報告しない。お前の家の問題は俺の問題でもあるのだから、知らせるのは義務だろうが」
そんな風に言われても困ります。
「問題と言われましても……家族の中に体調不良を訴える者がでましたが、まだ原因が分からず……お父様からも何も言われてもおりませんので……」
「父親から言われなければ動けないのか? 自分の判断で動けないとか猶々役立たずだな。先が思いやられるぞ」
「カッシムってばかわいそう……
貴女、申し訳ないと思わないの?」
キッとソフィーナ様に睨まれて体が萎縮します。心の中は変わっても、今まで教え込まれた習慣がいきなり抜ける事はないのです。
「も、申し訳ありませんっ!」
わたくしは咄嗟にお二人に対して頭を下げてしまいました。
そんなわたくしの頭の上からカッシム様のあからさまな溜め息が聞こえます。
「何が悪いかも理解してはいないのに頭を下げられてもな……」
「本当に……」
「あぁ……、こんな女と結婚しなきゃいけないなんて、俺はなんて不幸なんだ」
「カッシムかわいそうっ!」
「ソフィーナが居なきゃ心が押しつぶされていたよ」
「シム……♡わたくしがお支えいたしますわ……」
「フィーナ……」
下げた頭の向こうで始まった婚約者とその浮気相手のラブシーンに、わたくしは一体どうしたらいいのでしょうね。
わたくしは頭を上げることも出来ずにその場所に居るしかありません。
カッシム様はさも自分だけが被害者だと言わんばかりですが、同じ言葉をそっくりそのままお返ししたいです。
──こんな男と結婚しなきゃいけないなんて、わたくしはなんて不幸なんでしょう……──
◇ ◇ ◇
─【 婚約者への仕返し】
このままではわたくしはこの嫌悪感しか感じない男と結婚しなければなりません。お父様は何が何でもわたくしをこの男の元に嫁がせようとするでしょうし、浮気相手の女ですらわたくしがこの男と結婚することを反対していないのですから、わたくしには殆ど抵抗する術がありません。
ですが一つだけ思いついたのです。
わたくしがこの男と婚姻しないでいい方法を。
要は、この男が侯爵家の跡継ぎから外れればいいのです。
カッシム様のお家、ワゼロン侯爵家にはカッシム様の下に二人の男児が居られます。そして既にそのお二人共に婚約者が決まっています。嫡男のカッシム様に問題が起こっても跡取りには困らない上に、長男が駄目だったから次男に……などという、婚約者を次に回すなんて事も起こりません。既に弟君たちにも婚約者がいるのですから、そこを無かった事にすると別の家との問題が起こりますからね。ワゼロン侯爵家と我がパーシバル侯爵家の政略結婚は両当主ともが願った事ですが、ワゼロン侯爵は弟君たちの婚約者の家と揉めてまでパーシバル家を選ぶ程では無いでしょう。
ですから、カッシム様さえ跡取りから降りて下されば、無能なわたくしが無理矢理カッシム様の正妻になる必要はなくなるのです。カッシム様は侯爵家の次期当主ではなくなるのですから、それこそソフィーナ様と結婚されればいいのですから。
そこでわたくし、前世の知識を呼び起こしました。
わたくしの水魔法でも出来る事で、カッシム様が次期当主にはなれない状態にさせられる事……
お兄様や継母や義妹の様に一瞬の出来事ではなく、長期に渡り影響する事……
そこで思い出したのですわたくし。
前世で『肺に水が溜まる』という言葉があったことを。
もうそのまんま『水』です。
これこそ水魔法の出番ではないでしょうか?
さすがにここで言う“水”が真水の事ではないことはわたくしも分かります。
お兄様の時にやったように、お義母様の時に自分の腕を守る為にやったように……
カッシム様の肺の中に体液を集めて『水が溜まった状態』を作り出せば良いのです。
これがこの世界の回復魔法でどこまで治るのかは不明ですが、湧き水がゆっくりゆっくり溜まる様に……朝露がゆっくりゆっくり大きな水玉になる様に……そんな魔法を掛ければいいのではないでしょうか…………
わたくしは下げた頭を上げる事なくカッシム様とソフィーナ様のラブシーンが終わり、二人が立ち去るのを待ちます。
そしてその間に水の魔力を練って繋げて、カッシム様の体の中に魔法を飛ばしていきました。
砂時計の様な魔法を……
小さな小さな魔力の動きに、きっと誰も気付かないでしょう……
無能なわたくしが、水しか操れないわたくしの魔力が、そんな精密に動くなど誰も知ることはないでしょう……
肺に水が溜まるなど、この世界ではまだ知られていませんものね。
カッシム様のご病気が、長く長く続きますように……
わたくしも頑張りますわ。
◇ ◇ ◇
─【 浮気相手への仕返し 】
カッシム様に魔法を飛ばしてから数日が経ちました。
どうやらカッシム様の体調にも順調に兆しが起き始めたらしく、お顔の色が悪くなってダルそうにしているカッシム様が時々変な咳や変な息遣いをしているのが耳に入ります。
体調が悪いせいかカッシム様もわたくしに絡んでこようとはしません。カッシム様が絡んで来なければソフィーナ様も私には近づいては来ないので、わたくしはやっと平穏な学園生活を掴みました。
だけどやはり、“わたくしと会った後に体調不良を起こした”事に不信感がある様で、時々カッシム様から刺すような視線を飛ばされています。
ソフィーナ様も何かがおかしいと気づいているのか、わたくしを時々睨んできます。
ねぇソフィーナ様?
何故ソフィーナ様は自分ばかりがわたくしを嫌っていると思うの?
カッシム様を貰ってくれた事には感謝していますけど、貴女がわたくしを馬鹿にしてくる事を、わたくしは許してはいないのですよ。
これでも女としてのプライドはあります。
女としての魅力が無かったとしても、それでも最低限の人としての尊厳は守られたいのです。そこを傷付けられて黙っていられる程、わたくしはお人好しではありません。
……という事で。
わたくし、ソフィーナ様にもやり返したいと思います。
というか試してみたい事があるので、こっそりソフィーナ様で試しちゃおうって感じです。
だって散々傷付けられたのですもの。ソフィーナ様にだってわたくしのこの痛みを少しでも感じて貰いたいですわ。
なんて色々理由を付けて、わたくしはやってみたかった水魔法をこっそりソフィーナ様に飛ばします。
それはこの世界では使われない水魔法の使い方。
水を『出す』のではなく『吸い取る』魔法です。
この世界では魔法は『無から有を生み出すもの』だと考えられていますが、前世を思い出したわたくしは『水魔法はそうでは無いのでは?』と思うようになりました。
水魔法だけは『有るものを使っている』のではないかと……
実際、わたくしが使っている水魔法の水は全て『そこに有るもの』です。空気中の水分や体液など……まだ無から水を作り出した事はありません。
水魔法しか使えないわたくしには他の魔法がどうなのかが分からないので全て推測でしかありませんが……水が『有る場所』から集めているのならば、逆に『有った場所に放つ』事も出来るのでは無いかと考えました。
水を、外へ、放出するのです。
わたくしは離れた場所に居るソフィーナ様を見つめます。
ソフィーナ様はわたくしがここに居ることには気付いていないでしょう。
こっそりこっそり、わたくしは魔法を使います。
水を外に……外に…………
水分……ソフィーナ様の水分を……皮膚にある瑞々しい潤いを……お肌の艷やかな保湿力を……外に外に………
これぞ、水の魔力の派生魔法……っ、
命名、『乾燥魔法』!!
お肌がカッサカサのパリッパリになったソフィーナ様が悲鳴を上げて駆け出してから……その後数日間ソフィーナ様は学園を休まれました……
復学されてからも常に下を向いていて、それ以外でも髪で自慢のお顔を隠すようになられました。その顔を隠している髪の毛もパッサパサなのですけどね。
ソフィーナ様の隠すことのできない手の甲がシワシワになっているのを見て、わたくしは自分が編み出した魔法が成功している事が分かりました。
新しい水魔法の使い方です。
機会があれば皆様にも教えて差し上げたいですね。
きっと喜ばれる事でしょう。
◇ ◇ ◇
─【 気付いた人 】
カッシム様が体調不良により学園を休学される事になりました。
わたくしも婚約者としてカッシム様のお見舞いに伺おうと思ったのですがお断りされてしまいましたわ。
お兄様、継母、義妹、婚約者とその浮気相手……と、わたくしに関わった方々が連続して体調に不調をきたした事で、さすがに周りも異変を感じ始めた様です。
ですがわたくしの事を生まれてからずっと『無能』だと蔑んできたので今更わたくしが『他者の体に干渉できるほどの魔法が使える』などと認めたくないのでしょう。誰も目に見えてわたくしに何かを言う人は居ません。継母と義妹だけはわたくしがやったと騒いでいる様ですが、それを認める人はいません。それだけ“一つの魔力しか持っていない”ということは蔑みの対象なのです。
ですがそのお陰で今はのんびりできるのですから、物は考えようですね。
わたくしは学園で初めて、気を張ることなくゆったりとした生活を送ることができています。
元々友人も一人も居ないので誰に気兼ねする事もありません。
いつもの昼休み。
わたくしは人気のない場所を選んで一人でゆっくりベンチで休んでいました。
そんなわたくしに珍しく近づいてくる人が居ます。
しっかりと私を見て歩いてくる男性に、わたくしもさすがに知らないふりをする訳にもいかず、相手の目を見てベンチから立ち上がりました。
そんなわたくしに近づいてきた方は片手を上げて微笑みました。
「やぁ、休んでいるところにゴメンね」
「いえ、お気になさらずに……」
「パーシバル侯爵令嬢と少し話がしたかったんだ」
「なんでしょうか、リットン侯爵令息」
話しかけてきたリットン侯爵家の次男ダリス・リットンはわたくしの同級生です。挨拶や社交辞令で言葉を交わしたことはありますが、こうやって二人だけで面と向かって話をするのは初めてでした。
……なんとなく、彼が言いそうな事が分かります。
彼は、王宮魔法士団の団長の息子なのです。そして彼自身もとても強い魔力と優れた魔法操作能力を持った、将来を有望視されている人でもあります。そんな人がわたくしに声を掛けてきたのです……その理由なんて一つしかありません。
わたくしは緊張してきた事がバレないように平静を取り繕いました。
そんなわたくしの目をじっと見つめてリットン侯爵令息は口を開きます。
「パーシバル侯爵令嬢。
君、魔法、使ったよね?」
優しい笑みを浮かべながら彼は直球で聞いてきました。
そんな彼の言葉にわたくしは戸惑いの表情を浮かべます。
いつかは誰かにこんな風に指摘されるだろう事は予想していました。だからわたくしはその為に用意していた態度と言葉で、できるだけ不審に思われないように意識しながら、相手と向き合います。
「……え、な、んの事ですか?」
「魔法だよ、魔法。
僕、そういうの分かるんだよね。誰が魔力を使ってるか。
君、何度か魔法、飛ばしてるよね?」
「そ、そんな事は」
「僕に誤魔化しは利かないよ。分かるんだから」
「あ……」
「君の事は知ってる。水の魔力しか持ってないんでしょ? だから皆から“無能”って呼ばれてる事も。
でもさ、水の魔力を持ってるって事はさ、“水魔法は使える”って事でしょ?
僕はさ、水魔法が使えれば無能だとは思わないんだよね。むしろ水の魔力しか持って無いって事はさ、
“他の人より凄い水魔法が使える”
って事だよね」
「え?」
わたくしはリットン侯爵令息から出た予想もしていなかった言葉に驚きました。
水魔法しか使えないと蔑まれてきた人生で初めて“わたくしを認める”ような発言をされたからです。
驚いた顔をしたわたくしにリットン侯爵令息は我が意を得たりとばかりにニッコリと笑いました。
◇ ◇ ◇
─【 わたくしの水魔法 】
リットン侯爵令息は右手の人差し指を立てながら、わたくしに持論を語ってくれました。
「僕はね、全ての人が100の魔力を持っていると思ってるんだ。その100の魔力を5属性が均等に分けてて、全ての人はそれぞれの属性の魔力を20ずつ持ってる。
数字に誤差があるから得意な属性魔法や苦手な属性魔法が出るって考えたら、自然だろ?
でね、その考えで言うと、君は水の魔力を100も持ってる事になるんだ。他の人が20のところを100だよ。凄くない?
そんな君が無能だなんて、僕はどうしても思えないんだよね。君は希代の水魔法士になってもおかしくないはずだ。
そんな君が人知れず魔法を使ってる……さて。
一体何をしていたのかなぁ……?」
内心楽しそうに、窺う様にわたくしの目を覗き込んでくるリットン侯爵令息に、わたくしは直ぐには返事をする事ができずに息を呑みました。
彼は……目の前の彼は、人生で一度も認められる事の無かったわたくしを、とんでもなく過大評価してくれたのです。
“希代の水魔法士”??? わたくしが???
言われた言葉の衝撃で、わたくしは少しばかり口が開いてしまいました。
慌てて口を閉じたわたくしは、リットン侯爵令息に「とんでもない」と言って頭を振り、頭を少し下げると視線を下に落としました。
人生で初めて、自分を認めてくれるかもしれない人が目の前にいる緊張で我を忘れてしまいそうですが、わたくしは彼の期待には応えられないという現実がわたくしの胃を締め付けます。
この方と……もっと昔にちゃんと話ができていたら良かったのに……
「リットン侯爵令息。
わたくしはそんな風に言ってもらえるような者ではありません……」
「どうして?」
「わたくしが皆から無能と呼ばれるのは、水の魔力しか持っていないからだけでは無いからです……」
「え?」
「わたくしの使える水魔法がこの程度だからです……」
そう言ってわたくしは右手を彼の前に出して、その手のひらの上に水を溜めて見せました。
手のひらから溢れた水がポトリポトリと落ちていきます。
流れるように……ではありません。ポトリ、ポトリ、とです。
その程度の水魔法しか使えなかったのです。前世を思い出す前のわたくしは。
「えぇ〜……? え? これが全力……とか?」
わたくしの手のひらの水を見てリットン侯爵令息は少しだけ引いた様な気がします。そうでしょう。この程度の水なら、まだ平民の方がたくさん出せます。
わたくしが無能と言われる理由。その最たるものが『高位貴族の血を持ちながら、平民より劣る水魔法しか使えない』からなのです。
「……お恥ずかしながら……これが最大です……」
わたくしは手に力を入れて少しだけ水の量を増やしてみました。
手のひらから溢れる水がポトリポトリからボトリボトリに変わりました。水はサラサラとさえ流れません。その、程度なのです……前世を思い出す前のわたくしが使えた魔法は。
「えぇ〜……?
水の魔力しか無いのならもっと水魔法に特化して、凄い水魔法が使える筈だけどな〜……?
僕の考えが間違ってるのかなぁ……」
リットン侯爵令息が腕を組んで悩み始めてしまったので、わたくしは手のひらの水を止めて手を下げました。その時、濡れた手を乾かす為に手に付いた水を全て集めて雫にして地面に落としたのですが、悩み始めたリットン侯爵令息はその魔力の動きには気付かなかったみたいです。
「じゃあ、あの魔力の流れはなんだったの?」
不意に顔を上げたリットン侯爵令息にドキリとしましたが、わたくしは改めて用意していたセリフを伝えました。
「……リットン侯爵令息はわたくしの婚約者がわたくし以外の女性と親しくしているのを知っていますか?」
「あ〜……、あれは、まぁ……有名だから……」
気まずそうに目を逸したリットン侯爵令息にわたくしは続けます。
「皆様は、わたくしが無能だから仕方がない、と言われますが……
だからわたくしが傷付かない……なんて事はないのです……」
「…………」
「だから……せめてもの仕返しに……二人に水でも頭から掛けてやりたいなって、そう……思っていたのです……」
「魔法を使おうとしたって事?」
「はい……魔法を使いたくて魔力を飛ばしていました……」
それを聞いてリットン侯爵令息は首を捻りました。
「魔力を飛ばしたけど、魔法は使ってない?」
「はい……わたくしは……昔からそうなのです……
わたくしは……まともに魔法が使えないのです」
◇ ◇ ◇
─【 もう……遅い 】
「魔力は使えるのです。
ですから“魔力を飛ばすこと”はできるのです。ですが何故かそこから先が形にならないのです。
手のひらに水は作れるのに、“空中に水の塊を生むことはできない”のです。雨を降らせることも、川の水を操ることもできません。
何故できないのか……
理由がわかるならわたくしの方が知りたいくらいです……」
わたくしの言葉にリットン侯爵令息は険しく眉間に眉を寄せました。
「にわかには信じられないな……
でも……君が嘘を吐いてまでみんなから無能と蔑まれる意味もないもんね……
できないものはできない……か。
やろうと思えば何でも出来ちゃう僕が一番理解できない事象なんだよな〜それ。困ったな〜……」
そう言ってリットン侯爵令息は遂に頭を抱え始めてしまいました。
小さい頃は『できない訳がない』と言われて折檻されました。『魔力はあるのだからできる筈だ』と叱られ続けました。でもわたくしにはできませんでした。できない事が理解されずに遂には無能と呼ばれだしました。
ただでさえ魔力を一種類しか持たない欠陥品なのに、その魔力さえ扱えない無能。
──なんで生まれてきたの?──
よく言われた言葉です。
そんな事は一番わたくしが知りたい事ですのにね……
リットン侯爵令息に嘘を吐いてしまいましたが『魔力を使っているのに魔法にならない』のは“前世を思い出す前のわたくしに実際に起こっていた事”なので、完全に嘘、という訳ではありません。ですが、“騙している”事には変わりはないので、リットン侯爵令息にはとても申し訳のない気持ちになります。
でも『今のわたくしにできる事』を伝えてしまうと、ここ最近わたくしの周りで起こった出来事が全てわたくしの所為だったとバレてしまうので絶対に言えません。だって絶対に捕まってしまいますもの。
わたくしは自分が酷いことをしているとわかっています。でもやり返さないと気が済まないのです。
これは復讐です。
わたくしが、わたくしとしての自尊心を取り戻す為に、絶対に必要な行為なのです。
これは他人に兎や角言われる事ではありません。わたくしの『心の問題』なのです。
「君は……、やっぱり特別なんだね」
「はい?」
リットン侯爵令息の言葉にわたくしは首を傾げました。またもや生きてきた人生でわたくしに向けて一度も言われたことのない言葉がリットン侯爵令息の口から飛び出しました。しかしこれは……
「水の魔力しか持たず。その魔力もまともに扱えず。貴族としての血は間違いがないのに、その血が機能していない。
こんな特殊なケースは見たことも聞いたこともない。
ねぇ、魔法士団に来る気ない?」
これは褒められている訳ではなさそうです。わたくしは咄嗟に思った事を口にしてしまいました。
「え? それって実験動物としてですよね?」
リットン侯爵令息は優しく微笑みます。
「動物扱いはしないよ」
なんでそんな当然の事をこんなに優しく言われなければいけないのでしょうか……
わたくしはさすがに呆れて半眼になってしまいました。
スッとリットン侯爵令息に向けて小さく頭を下げます。
「申し訳ありません。これでもわたくし、侯爵家の娘なので魔法の実験の被験者になるのはちょっと……」
お金を積まれればお父様は王宮魔法士団にわたくしを売りそうですが、一応わたくしはワゼロン侯爵家嫡男の婚約者でもあるので、お父様だけが得をする取り引きが行われる事はないでしょう……
わたくしの言葉にリットン侯爵令息は困った様に笑いました。
「やだなぁ、被験者だなんて。
魔法士団に来れば、君も魔法の使い方の勉強ができて、魔法が使えない理由も分かるかもしれないよ?」
「そうですね……
ですが…………」
わたくしは一度そこで言葉を切り目を閉じると、改めて目を開けてリットン侯爵令息を見て笑いました。
きっと情けない笑顔になってしまった事でしょう……
「今更魔法が使えても、わたくしが“無能”と呼ばれ続けた過去は変わりません。
そして後2年もすれば侯爵家に嫁ぐことが決まっている身で、今更魔法が使えるようになったとしても……あまり意味があるようには思えませんので……」
「あ〜……そうか……」
わたくしの言葉を聞いてリットン侯爵令息は申し訳無さそうに眉尻を下げて頭を掻きました。
このお誘いを……遅くても学園に入って直ぐにでも貰えていたらわたくしの今も変わっていたかもしれません……
王宮魔法士団は皆の憧れです。そこと繋ぎを取れるだけでももしかしたらお父様は喜んだかもしれません。
最高と名高い魔法士の方々に魔法の扱い方を教えてもらい、前世を思い出す前のわたくしが凄い水魔法を使えるようになっていたら、もしかしたらカッシム様もわたくしを認めてくれたかもしれません。
ですがもう……今更です……
わたくしは前世を思い出して魔力の使い方に気付き、そしてそれを“人に向けて”使いました。今更教わることも無ければ、逆に今は『わたくしができる事』を知られる訳にはいきません。
だって……わたくしの魔法はいつでも人を殺せるのです。
お兄様を窒息させたように、お義母様の腕の血を止めたように、ララーシュから意識を奪ったように……
この魔法の使い方を、知られる訳にはいかないのです……
「……申し訳ありません、リットン侯爵令息。
あまり長くこんな場所に二人でいるところを人に見られると良からぬ噂になるかもしれません……一応婚約者の居る身ですので、わたくしはもう教室に戻りたいと思います」
一度頭を軽く下げてからわたくしはリットン侯爵令息に背を向けて歩き出しました。令嬢としては少し失礼な態度ですが、今の言葉を聞いてリットン侯爵令息もわたくしを無理に引き留めようとはしないでしょう。
思った通り、リットン侯爵令息はわたくしを追いかけては来ませんでした。
背中から届いた声にわたくしは振り返りませんでした。
「……君が!
君が来たいと思ったら、いつでも僕に相談して! 人の為に、が、魔法士団の行動理念だから!」
実験動物にされそうなのにそんな事を言われてもにわかには信じられませんが、そんな風に声を掛けてもらえる事がくすぐったくて、なんだか少し笑ってしまいました。
『人の為に』……小さな子供だったわたくしが、もし王宮魔法士団の方に助けを求めていたら何か変わっていたでしょうか?
いえ、それはないですね…………
わたくしが……パーシバル侯爵家のロンナが無能と呼ばれていた事は、皆が知っていた事でしょう。それなのに一度も魔法士の方から話を聞かれたことはありません。
今更、『何かあったら魔法士団へ』なんて言われても、相談することは何もないです。
本当に……今更です…………
◇ ◇ ◇
─【 あれから 】
わたくしにとっては人生で一番穏やかな日々を過ごすことになりましたが、わたくしの周りではなんだか慌ただしく暗い日々となっていた様です。
まずお兄様ですが……
わたくしが定期的に魔法で窒息させていたのでどうやら脳への酸素供給が減ってしまい、活発だったお兄様がぼうっとする事が多くなった様です。
物忘れが酷くなり、物覚えも悪くなり、反応も鈍くなってきたとメイドたちが話しているのを聞きました。
そういえば、盗聴魔法など出来ないものかと試行錯誤したのですが、さすがにそこまで万能な使い方は出来ませんでした。できて人の位置を把握するぐらいなので、わたくしは忍者のように邸の中で盗み聞きをしています。
優秀な嫡男が居てパーシバル侯爵家は安泰だな、なんて言われていたのに今のお兄様には将来を心配する声が上がっているとか……
この世界の回復魔法が万能ではないと思っていましたが、案の定継続して起こる体内の不調には対処が難しいようで、お兄様の死んだ脳細胞は回復していないみたいですね。
その内お兄様もわたくしと同じ様に『無能』だと誰かに罵倒されるかもしれません。
次はお義母様ですが……
定期的に腕の太い血管の血を止めた結果、遂に腕が壊死して近い内に腕を切断する事が決まったそうです。
医師を呼んでその都度回復魔法は掛けていた様ですが、常に邸に医師が居る訳ではないので──いくら侯爵家といっても貴重な医師を専属で邸に囲うことはできません──ダメージが蓄積していった様ですね。
お義母様はわたくしだけでなく、使用人たちにも手を上げていたので、その『上げる手』が無くなり、今後の被害者が居なくなるのですから……わたくしは良いことをしたんじゃないでしょうか?
お義母様が付けたわたくしの腕の傷はもう消えることはありませんが、もう絶対にそんなことをされることはないのだと思うと、やっとホッとできる気がします……
さて、義妹ララーシュですが……
彼女に掛けた魔法は『頭に血が上ったら下げる』だけの簡単なものです。
実のところ、同じ魔法をわたくしが掛けられたとしても全く生活に影響がないと思える魔法なのですが、ララーシュにはそうではなかったみたいです。何をそんなに毎日興奮する事があるのかと思うほどにララーシュはほぼ毎日魔法が発動して貧血の様な症状に見舞われた様です。
クラッと目眩がして体のバランスが崩れて壁に手が突きたくなるとか、少ししゃがんでしまうくらいのものですが、ララーシュは毎日そんな症状に襲われた事に恐怖して、最近では部屋に閉じ籠もり侍女ともあまり会わないようにしているとか……
彼女が何にそんなに気持ちを高ぶらせることがあるのかとさっぱり理解できませんが、部屋で一人で居れば心穏やかにできているかと思いきや、彼女は一人でも何かに腹を立てて頭に血を上らせて倒れては、うめき声で部屋の外に待機している侍女を呼んで、駆けつけた侍女の所為にしては責め立ててまた興奮しては倒れるを繰り返しているとか……
血が多いのも考えものですね。
最後にカッシム様ですが……
遂に跡継ぎを外されたようです。
回復魔法を掛けてすぐは元気になるのに時間が経てばまた体調が悪くなりまた医師を呼ぶ……、そんなことを繰り返す長男にワゼロン侯爵は遂に決断したのでしょう。
カッシム様は婚約者であるわたくしとも仲が悪いですしね。飛び抜けてカッシム様が優秀であったのならばワゼロン侯爵ももっとギリギリまで決断を渋ったでしょうけれど、カッシム様の弟君たちも優秀だと聞いています。優秀で、婚約者との関係も良好で、婚約者の実家も悪くないとなれば、わざわざお荷物になる欠陥品のパーシバル侯爵令嬢を家に入れて周りから嘲笑される種を抱え込む必要もないですものね。カッシム様はその点でも次期当主候補としては不利となっていたのです。
婚約者は欠陥品で本人は病気持ち、ということでカッシム様は晴れて次期当主候補から外されました。ワゼロン侯爵家の後継者には次男様が選ばれたそうですわ。カッシム様は学園に戻ることなく領地に戻されて療養人生となるそうです。
わたくしの魔法が切れたら、きっと直ぐに元気になられるでしょうね。その時にワゼロン侯爵家の後継争いがどうなるか……ちょっと気になります……
あ、序にカッシム様の最愛のソフィーナ様ですが。
彼女は若さの新陳代謝により徐々に体の潤いを取り戻してきているみたいです。回復魔法は乾燥肌には効かないんですよね。それが効くのでしたらこの国の女性は死ぬまでお肌がピッチピチのはずですものね。そうではないのでイケるだろうなって思ってました。体の代謝で治ることも。
彼女には凄く嫌な気持ちにさせられましたが、そんな状態になったのも、全て“カッシム様が彼女を愛人に選んだから”だと分かっていますので、ソフィーナ様への仕返しはこんなものでいいかなって思います。だってカッシム様が愛人なんか作ろうと思わなければ、ソフィーナ様だって格上の侯爵令嬢に面と向かって暴言を吐くなんてことはしなかったでしょうから。
だから……いいのです……
あ、もう一回くらいは魔法掛けとこ。
そして…………