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1>> わたくしと前世の記憶

   ◇ ◇ ◇

─【 叱責 】






「お前は何様だ!!」


 バシンッ、とお父様がわたくしの頬を力一杯に(はた)いた。わたくしはその衝撃に耐えられずに床に倒れた。

 (はた)かれた頬が熱い。痛い。

 倒れたわたくしを蔑んだ目で見下ろすお父様はフンッと小さく鼻を鳴らすと、もうわたくしには興味が無いかのようにわたくしに背を向けた。

 


「カッシム君はお前の様な女でも構わないと婚約してくれたのだ。それをなんだ。他の女性が居るから身を引きたい? お前は馬鹿か? お前のような女と婚約したからカッシム君は他に癒やしを求めて愛人となってくれる女性を見つけたのだろうが。

 それになんだ? お前はカッシム君が懇意にしている女性が居る事を私が知らないと思っていたのか? お前は私を馬鹿にしているのか?

 子供であるお前たちの管理は親の仕事の内だ。全部知っているに決まっているだろうが。私や、カッシム君の父であるワゼロン侯爵が許しているから、あの二人が仲睦まじくしているに決まっているだろう。当主二人が認可している事をお前如きが否定するだと? お前はいつから私達よりも偉くなったのだ?

 お前がもっと器量が良く愛される女であればカッシム君も要らぬ労力を使わずに済んだものを、お前のせいで女二人を相手にしなければいけなくなったのだ。頭を下げて感謝する立場に居ながら『婚約を解消したい』だと?

 はぁ〜…………、お前は本当に何様なのだろうなぁ…………


 まともな魔法も使えない、生まれ持った血にしかその価値の無いお前に選ぶ権利があると思う事が烏滸(おこ)がましいと何故理解できんのだ……


 馬鹿なお前にもう一度教えておこう。

 は〜……私はなんて甘い父親なのだろうなぁ……こんなのでも“親心は湧く”という事か…………


 ロンナ。

 水魔法しか使えない出来損ないの娘よ。

 カッシム君はそんな、本来ならば生きる価値もないお前を貰ってくれるという心優しい男なのだ。そんな優しい彼の負担になるような我が儘を考えるのは止めなさい。

 お前という重荷を背負ってくれる彼は、“愛する女性”が居る事で少しだけ“お前という重荷”から解放されるのだ。


 はっきりと言おう。

 カッシム君が愛人を作るのは“お前のせい”なんだよ。


 それを理解し、それでも“お前という血にしか価値の無い女”を貰ってくれる聖人のような彼の心の広さに感謝して、彼の愛人となってお前の尻拭いをしてくれる令嬢にも感謝して日々を生きなさい。 

 全ては『お前がまともではないから』こうなっているのだ。

 その事を忘れるな。


 感謝だよロンナ。

 お前は生きているだけで全ての人に感謝して頭を下げて生きなければいけないのだよ。

 不満など、()()()()が感じる事すら本来ならば許されない事なのだからね」 



 背中を向けて投げかけられるお父様の言葉を、わたくしはただ黙って聞いていました。

 こうなっては反論することは許されないからです。


「返事は? ロンナ」


 何も言えないわたくしを肩口に振り返った父が返事を促します。

 その目がわたくしの心を殺すことをよく知っているのです。


「……はい。お父様の仰る通りです。

 わたくしなどが愚考して言葉を発するべきではありませんでした。

 本当に申し訳ありません」


 そう言ってわたくしは深々と頭を下げました。

 それ以外は許されないからです。


「分かったのなら下がりなさい。


 はあ〜……、何故私達の愛情が理解できないのかねぇ……全てはお前の為だというのに………」


 そんなお父様の独り言にしては大きな呟きを聞きながら、わたくしはお父様の執務室を出ました。

 (はた)かれた頬が熱く、ジンジンと痛みます。それを水で冷やせば早く治るのですが、それをすればまたどこで何を言われるか分からないのでわたくしは腫れる頬をそのままに自室へ向かう廊下を歩きます。

 すれ違うメイドは誰もわたくしの心配をしません。この邸の当主の娘であってもです。


 わたくしの扱いは昔からこうなのです。







   ◇ ◇ ◇

─【 理由 】






 この世界には火・水・風・土・光の五属性の魔法があります。

 火を極めれば岩を溶かし、水を極めれば海をも凍らせ、光を極めれば昼間を暗闇にすることもできます。

 しかしそこまでの事が出来るのは貴族の血を持つ者だけ。平民が使える魔法はとても弱く、手のひらの上で使えれば良い方だそうです。


 ですが、全員が五属性を使えます。

 使えて当然の世界だと思われています。


 それなのに。

 そんな世界で……


 わたくしは『水の魔力だけ』を持って生まれてきました。



 パーシバル侯爵家の二番目の子として産声を上げたわたくしを、抱き上げた医師が魔力の流れからその異変に気付いて、その後の正式な鑑定を(もっ)

『この子には水属性の魔力しか宿っていません』

と断言されたと聞きます。その時の事は今でも地獄の始まりだったとお父様は言っていました。

 わたくしは“完璧を求める貴族の世界にあるまじき『欠陥品』”として生まれてきたのです。

 

 母はその事が心労となり、産後の体調不良と合わせて体を更に壊して、ほとんど赤子のわたくしを抱く事なく、二年後には亡くなったそうです。

 一歳上のお兄様は母が亡くなったのはわたくしの様な欠陥品が生まれてきたからだとわたくしを嫌い、お父様に『あんなのはさっさと捨ててくれ』と泣いて訴えたそうですが、お父様は『あんな出来損ないでも私とリンナ(母)の正式な血を引く子供に間違いないのだから勿体無い』と、わたくしを育ててくださいました。


 欠陥品でも出来損ないでも、わたくしには父であるガレリオ・パーシバル侯爵当主と元伯爵令嬢である母リンナの血が入っているのです。

 皆はわたくしではなく、わたくしの“血”から生まれる子、わたくしが産むであろう“子供”に期待しているのです。


 『血は問題ないのだから次はまともなものが生まれてくるはずだ』と。


 ですからわたくしはワゼロン侯爵家の嫡男・カッシム様の婚約者となりました。パーシバル侯爵家とワゼロン侯爵家を繋ぐ為の政略結婚です。わたくしが欠陥品だろうとカッシム様の血があればまともな子供が生まれてくるだろうと皆が信じているのです。

 ……信じているというよりも、『まともな子が産まれなければ()()は無かった事にすれば良い』と考えていると言った方が正しいですね……



 わたくしには、わたくしの体の中に『流れている血』と『子宮』にしか価値が無いのです。


 この体に流れる貴族の血にしか…………


 流れる…………


 あら? 流れるって言えば水ですわね?


 水も血も同じような……ような……


 あら? ……………あら……?







   ◇ ◇ ◇

─【 変化 】






 『流れる血』と『流れる水』の事を考えていたらなんだか頭の中がぐるぐるしてきて、わたくしは自室に戻ってベッドに腰を下ろした瞬間には目を回してベッドの上に倒れました。


 目が覚めたら既に日は落ちていて、勉強机にしているテーブルの上には夕食が置かれていました。

 時間になるとメイドが勝手に食事を運んで来て置いていくのでいつもの事なのですが、ベッドの上にはしたなく転がっている自分を見られた事が恥ずかしくなります。

 食事のスープの器を触ってみると既に冷たく、運ばれてからだいぶ経っていることがわかります。

 食べ終わった食器はわたくしが自分で台所まで運んで洗って置いておけばいいので夕飯を何時に食べようとわたくしの自由なのですが、お父様と話をしたのがまだ日も高く昼と夕方の間のような時間だったので、わたくしが倒れていた時間がそこそこ長かったのだと分かりました。

 眠ったせいなのか、それ以外のせいなのか、頭がいつもより冴えている気がします……



 わたくしはスープの入った器を持ち上げて逆さにしてみました。

 普通ならすべて零れるはずのスープは器に張り付いたかの様に零れません。


「スープは液体。液体は水も同じ。

 水しか操れないわたくしは、言い換えれば『液体であれば操れる』って事よね?

 無能無能って蔑まれてきたけど、水が操れたら十分じゃないのかしら?」


 わたくしはスッキリした頭でそう思いました。

 そりゃあ火・水・風・土・光の五属性全てを操れた方がいいに決まってるけど、水だけでも十分じゃないかしら?


 特に『対人間』に関しては?



 わたくしは倒れていた間に走馬灯の様に観た映像を思い出してそう思いました。

 走馬灯……夢……記憶……?


 わたくしはそれを『前世』だと漠然と理解していました。







   ◇ ◇ ◇

─【 前世 】






 わたくしの前世はこの世界とは別の世界に生きていました。

 年号は昭和に平成に令和……

 ラジオにテレビにネットにスマホ……


 あぁスマホ……わたくしのスマホはどこ……


 魔法が無いのに不自由がなく、むしろ今の世界よりも断然栄えていて自由。

 情報に(あふ)れ、その筋の専門家でなくても朧気(おぼろげ)な知識なら呆然と生きていても耳に入ってくるような世界だった。


 わたくしがどんな人物だったかまでは解らない。一人称で覚えている記憶には当然ながら『私』は居ない。鏡があまり好きではなかった? 読書が好きで、タブレット画面を見てる場面ばかりが残る少し残念な前世の記憶。


 それでも『今の私』にはとても有益な知識で……、生きる価値なしと思っていた自分の考えを変えるだけの威力は十分にあった。


 『水しか操れない?』

 『水』が操れれば十分じゃない。


 目が覚めたわたくしは突然そんな風に考えられるようになっていました。


 水魔法の『水』にこれと言って決まった縛りなどはありません。

 それなのにこの世界の人たちは水魔法を『水を生み出す』か『雨を降らせる』か『川を穏やかにする』か、そんな使い方しかしていないのです。


 水なんて、火よりも身近にある物なのに……


「人間は6割が水だって事は、この世界の人は知らないのよね…………」


 わたくしは手にした器の中でスープを色んな形に変化させながら、これからこの(ちから)をどうやって使おうかしらと考えを巡らせた。




 ……夕飯を食べて台所で使った食器を水魔法でパパッと流したら手も濡れなくて楽になったわ。洗剤も要らない食洗機とか最高じゃないかしら。







   ◇ ◇ ◇

─【 試みる 】






 わたくしの朝は『ガシャン!』という食器の音で起きます。


 朝食を持ってきたメイドが、自分たちがもう働き始めている時間なのにまだ寝ているわたくしに腹を立てて、嫌がらせの為に大きな音を立てて朝食を机の上に置くからです。

 一応わたくしは侯爵令嬢で、未来のワゼロン侯爵夫人なのですけどね。

 水の魔力しか持たないわたくしは召使いたちにとっても(さげす)みの対象なのです。平民たちからもどうやら陰で馬鹿にされて笑いの種にされているとカッシム様が教えて下さいました。


 みんなが侮蔑(ぶべつ)していても、わたくしはわたくしの血により守られ、高位貴族の娘としての生活ができているのですから、おかしなものです。



 わたくしは昨日から自由自在に使えるようになった魔力を使い、水を顔や体の表面に薄い膜のように張って汚れを取り、その汚れだけを手のひらに集めてゴミ箱へと捨てました。

 今までは部屋の隅に置きっぱなしにされている桶に、手のひらから出した水を溜めて顔や体を洗っていましたが、もうそんな事をする必要はありません。

 カサカサの髪も水魔法で保湿を意識しながら汚れを落とせばあら不思議。なんだか凄くサラサラキラキラしている気がします。


「使い方を変えただけで、こんなにも変わるなんて……」


 あら? もしかしてこれってチート?


 使い方を知らなかっただけで、元々こんな風に魔法を使えたはずだったのか、それとも前世の記憶を思い出した事で魔法の力が強化されたのか……

 どちらにしても、


「使えるわね……」


 わたくしはカサついていた肌に水分を持たせてしっとりとさせ、その手触りの良さに心奪われながらも他に何ができるかを考えていました。


 

 朝食を食べながら考えるのは魔法の使い方。

 いったいどこまで使えるのかしら?


 わたくしはなんとなく魔法を遠くへ飛ばす気持ちで魔力を広げました。







   ◇ ◇ ◇

─【 事故って(使用人へ仕返し) 】






 広く広く伸ばした魔力は思っていたよりも遠くまで届きました。約100ロー。前世の単位だとどれくらいになるかしら? わたくしの魔力は侯爵家の邸をスッポリと覆えるほどには広がりましたわ。

 この世界の魔法がもっとレアなものであれば、こんなに大きく広げた魔力に誰かが気付いて騒ぎ出したかもしれませんが、この世界ではそこかしこで皆が小さい事から大きな事まで魔法を使って生きています。だからわたくしが今広げた魔力も皆の魔力の中に紛れて誰かに気付かれる事もないでしょう。それに、そんな事ができる人はきっと王宮魔法士団に所属するような人でしょうし……

 と、いう訳で、わたくしは気にせずに魔法の力を試します。


 わたくしには水の魔力しかありませんから、広がっている魔力は当然『水分』を使っています。この国が乾燥地帯でなくて良かったと心底思いましたわ。

 空気の中に含まれる水分、湿気を伝って広がった魔力を、脳の中で前世の知識を使って可視化してみました。思い出すのは魚群探知機やゲームの索敵センサーなどです。それと同時に楽しそうにゲームを楽しむ男性たちの色んな声が思い起こされます……

 あら? 前世のわたくしは誰ともお付き合いをした事がないと思いましたが、意外と男性たちと楽しく遊んでいたのですね……それにしては男性たちの声が前から……というか画面の中から響いて来るような気がしますが…………

 まぁそんな事はいいでしょう。要は『人の位置』が分かれば良いのです。

 頭の中に広がった、何重にも重なった円の中にたくさんの点が浮かび上がります。これが全て『人』なのでしょう。わたくしの魔力がこの邸全体を囲っているので今見えている点は邸の中に居る人と言う事になりますね……

 ではこの中から使用人だけを見分けることはできるでしょうか?


 ………あ、できました。


 頭の中の円の中で点が二種類の色に分かれましたわ。数が少ないのがきっとお父様たちや邸に来ている業者などの人たちでしょう。そして数が多い方がこの家の使用人たちということになりますね。

 水魔法でこんな事ができると知っているのはきっとこの世界でわたくしだけでしょうね。

 今まで散々無能だ欠陥品だと言われて育ってきたので『自分だけができる』という事になんだか凄く嬉しさを感じます。きっとこれを人々に教えれば大絶賛されることでしょう。その機会があれば誰かに教えてあげたいと思います。


 さて、せっかく使用人たちを全員把握しているのです。何かもっと試してみたいですね。



 ……………………。


 悩んだわたくしはある事に気付きました。

 尿意です。

 そういえばわたくしまだおトイレに行っていませんわ。

 折角魔法があるのですから、こう、ザァッと、魔法で尿だけをどうにかおトイレに流せないものでしょうか?




 なんて事を一瞬『魔法を使用しながら』考えてしまったからでしょうか。

 わたくしの意識を引き戻すかのように部屋の外というか邸全体から悲鳴や叫び声が聞こえてきました。


 わたくしは慌てて部屋の扉を開けて外を見ました。

 目に入ったのは……


 一番近くに居たメイドが()()()()をしている姿でした。


 メイドは「なんで?!」「どうして?!?」とパニックになって叫んでいます。よくよく耳を澄ましてみると騒ぎ声の殆どが同じような言葉でした。


 ………まさかわたくしが使用人たちを魔法で認識したまま『尿を排出するイメージ』をしてしまったのがそのまま使用人たちに伝わってしまったのでしょうか。尿も言わば『水分』、ですものね……


 まさか……


 まさかねぇ…………



 無能なわたくしがそんな事できる訳がありませんもの。

 わたくしは関係ありませんわね。


 そう思ってわたくしは自室の扉を閉めました。




 その日。

 我がパーシバル侯爵家に仕える多くの使用人が失禁して服や床や絨毯を尿で汚した大事件が起こり、その話は瞬く間に国中へと広がってしまいました。

 使用人の中には嫁入り前の娘さんたちも居ますのに……そんな話が人様に知られてしまっては今後どうなるのでしょうか……


 無能で欠陥品のわたくしにはとんと見当もつきませんわ…………






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