噂のあの子
梅原と出会って1ヶ月過ぎた頃、俺の周りではある変化が起きていた。
その変化が何かは、前の席を見れば一目瞭然だ。
「梅原くん。あの、ノートかしてもらえないかな?」
「あ? 別にいいけど」
「えー、私も!」
梅原の周りには数人の女子が集まっている。どこかで見たことがあると思えば、以前俺に忠告してきた奴らだった。
「ねえ、梅原くん。お昼一緒に食べよ!」
「え! 私も一緒に食べたい!」
「昼は月見と約束してるからむり」
「……そっかあ」
女子は俺を邪魔そうにちらりと俺を見た。1ヶ月前の態度との差に悲しさを通り越して呆れる。
気持ちはわからないこともない。
梅原は怖い見た目をしているが、勉強はできるし運動神経も抜群だ。その上、顔も整っている。ちょっと怖いという特徴もこの整った顔だとイケメンのかっこいい人として認識されるだろう。むしろ、このかっこよさに気づくのが遅かったくらいだ。
それに対して俺は平凡。平均的な身長に「眠いの?」と聞かれるようなはっきりとしない顔立ちである。少女漫画ならモブとしてストーリーすら描かれない存在だろう。
「ソウもかっこいいのになんでみんな気づかないかな?」
──お世辞はやめてくれ。惨めな気持ちになる。
お世辞じゃないよ、とユウは言うが勘違いするほどバカじゃない。先程の女子の反応を思い出して少し悲しくなった。
「くそっ。女子に話しかけられるなんて羨ましい……」
「でも梅原の雰囲気柔らかくなったよな。なんていうか、前は話しかけたら殺されるって感じだったじゃん」
「わかる。意外と笑うし接しやすくなったっていうか」
クラスの男子も梅原の様子を見て思うことがあるようだが、悪い印象はないらしい。梅原と話す男子も何人か見たことがあるので、性別関係なく梅原と仲良くなりたいと思っているのだろう。
──梅原と一緒にいたのは俺なのに。
なんだかその光景を見ていられなくて、教室の外へと足を運んだ。
ふと教室のドアの前に誰かが立っていることに気づく。
「あの」
ふわりと石鹸の香りがした。
声の主に目を向けると、艶やかな黒い髪にぱっちりとした瞳が目に入る。白いユリの花のような美しさだ。
「え! ユリちゃんがどうしてこのクラスまで?」
男子の一言でクラス中がざわつく。
ユリちゃん。……白雪百合だ。学年一の美女で、高嶺の花のような存在。毎日のように芸能界からスカウトされて断ってるとかなんとか。
一体誰に用があるのだろうか。
彼女は髪を耳にかけ、ニコリと笑って言った。
「梅原賢人くん、いますか?」
みんなの視線が梅原に突き刺さる。当の本人の表情は遠くてよく見えなかった。
♢♢♢♢♢
放課後。体育館裏でなぜか俺と梅原は白雪百合を待っていた。
白雪さんとは全く接点がなく、会う約束をするような間柄ではない。理由として挙げられるなら、梅原関係だろう。
「なあ、梅原。白雪さんと知り合いなのか?」
「……」
「ん? ……梅原?」
反応がない梅原を見るとしゃがみこんで頭を抱えていた。
「ちょ、どうしたんだよ!」
「もう無理だ。俺、アイツには逆らえねえんだよ」
俺の問いかけに反応して顔を上げる。目は珍しく潤んでいた。
「アイツって……。やっぱり知り合いなんだな」
「俺の従姉妹だ。昔、一緒に遊ぶときは散々おもちゃにされた」
何を思い出しているのか目にハイライトがない。何をされたか気になるところだが、何も聞かないことにした。
「呼び出された理由は?」
「わかんねえ。でも禄でもねえ理由だろうな、アイツのことだし」
ますます白雪さんが何をしたか気になるね、と言うユウの声に心のなかで頷く。
そのとき、こちらにゆっくりと近づく足音が聞こえた。
「へえ。アイツ呼ばわりするなんてだいぶ偉くなったんやな、けんちゃん」
「ひっ」
梅原は突然現れた人物に小さな悲鳴を上げた。
白雪百合だ。教室で会ったときとは違う雰囲気に少し違和感を覚える。
「けんちゃんって呼ぶんじゃねえ! 大体、なんで月見まで呼んでんだよ!」
「だって、けんちゃんと仲良い子と話してみたかってんもん。違うクラスでもけんちゃんのこと話題になってるから気になって」
どうやら梅原の人気は他クラスにまで及んでいるらしい。
「初めまして、月見くん。白雪百合です」
よろしく、と白雪さんに手を差し出される。
俺の知ってる白雪さんと全く違う。でも、豪快に笑う姿は白雪さんに合っているような気がした。
「初めまして、月見爽です。白雪さんって関西出身?」
「うん。高校からこっち引っ越してきてん。普段は標準語」
差し出された手に右手でこたえると、力強く握られた。
その後、白雪さんから梅原について根掘り葉掘り聞かれる。
「え、月見くんから話しかけたん?」
「まあ、体育の授業でペアになった成り行きで」
「へえ! けんちゃん、月見くんめっちゃ良い子やん」
「うっせえ」
「口わっる」
「お前に言われたくねえよ」
先程までしゃがみこんでいた梅原が立ち上がって、白雪さんと言い合いを始めてしまった。
二人だけで繰り出される会話に俺が入る隙はなさそうだ。
俺、帰っても良いかな。
2人から少し離れたところに避難しようと後ずさったところで人とぶつかって咄嗟に謝る。
「あ。すみません…」
「え、ソウ?」
懐かしい声に顔を上げた。
ふんわりとした黒髪に優しく俺を見つめるその瞳は昔と変わっていない。
「トキ……?」
俺が名前を呼ぶと、トキは嬉しそうに口角を上げて俺の頭を撫でた。撫でられる感覚が心地よくて閉じ込めたはずの気持ちが溢れそうになる。
「あー、ごめん忘れてた」
白雪さんがこちらに近づいてきてトキを指差す。
「小門時臣。あたしのクラスメイト。今回2人を呼んだ本当の目的は小門くんへのサプライズのため!」
月見くんに会いたかったんやろ、と笑う白雪さんの声は俺の耳には届かなかった。
ただひとつ、俺に聞こえたのはユウの小さく呟かれた言葉。
「ねえ、なんでここにコイツがいるの?」
ユウの冷たい一言と共に視界の端でユウレイが怯えるように逃げるのが見えた。