漫画事変
「ねえ、ソウは部活入らないの? さっき先生が体験期間だとかなんとか言ってたけど」
──しない。ほぼ一人暮らしだと色々やらないといけないこともあるし。
両親がいない俺は、中学まで兄が面倒を見てくれていた。しかし兄は次第に仕事で忙しくなり、今では一人暮らしと言っても良いくらい帰ってこない。寂しくないといえばウソになるが、今はユウがいるから中学の頃よりはマシだった。
カバンを手にとって帰宅しようとしたところで、前の席の梅原がもう居ないことに気づく。いつの間に。全く気づかなかった。
──『梅原くんってあんま良い噂聞かないから気をつけてね』
先程聞いた女子の言葉がやけに気になった。
梅原の悪い噂とはなんだろうか。ピアスがどうとか言ってたし、暴力的な噂とかか?
「梅原くんね、入学早々に2つ上の先輩をのしたってクラスの子が言ってたよ」
──暴力的な噂で正解か。てかしれっと心を読むな。
ユウはごめんね、と舌を出して謝る。誠意の見られない態度にため息が出た。
梅原はたしかに怖い見た目をしている。俺も平均くらいの身長はあるが、彼はそれをゆうに超えて190くらいはある。身長が低い女子からすればその身長だけで怖いだろう。それに加えてあの見た目だ。髪の毛は黒色だが、瞳は切れ長の赤目。睨まれたら威圧感が強いことは俺も分かる。
でも、それは見た目の話だ。話してみれば良いやつだってことはあの短いキャッチボールの時間でわかった。初対面ではだるそうにしてたけど、意外によく笑う。俺からすれば、やっぱり女子が言うような理由もなく暴力をふるう奴には見えなかった。
上履きを脱いで外靴を履くと校舎を出る。春らしい温かい風が頬を撫でた。運動部が活動している声が雲ひとつない空に響いている。その声をなんとなく聞きたくなくて足早に家へと向かった。入部体験に参加しているのか、帰り道の生徒は少なく感じる。
「あ!」
ふとユウが声を上げて指を指す。指の先には梅原がいた。梅原は周りをキョロキョロと確認した後、本屋へと入っていく。
「ねえ。せっかくだし梅原くんと話してから帰ろうよ。ソウも気になってるんでしょ」
──まあ、そうだけどさ。
「ほらほら、はやく!」
ユウに背中を押されて本屋へと足を踏み入れる。店頭には普段俺が読んでいる作者の最新刊があった。
続編出たのか。本を手に取ろうとしたところで、静かな空間にユウの声が響く。
「いた! あそこだよ!」
ユウに引っ張られる形で店の奥へと足を進めると高身長の男がいた。たしかに梅原だ。本を前にしてなにやら眉を顰めている。買うかどうか悩んでいるのだろうか。
「梅原!」
声をかけると梅原の肩がビクリと飛び上がった。振り返った顔は真っ赤に染まっており、金魚のように口をパクパクさせている。だいぶ驚かせてしまったらしい。謝ろうと口を開くとユウの声が聞こえた。
「僕これ知ってるよ! 今度ドラマ化される少女漫画!」
「少女漫画……?」
梅原が先程まで見ていただろう本を見ると、かわいい女の子やイケメンが繊細なタッチのイラストが目に入った。本の帯にはユウが言ったように「ドラマ化決定!!」と大きな文字で書かれている。
「えっと、ちがうんだ。いや、」
梅原は先程までの赤面がウソのように青ざめた顔でおろおろしていた。
この感じ、知ってる。
『男なのに男好きになるとかやばくね?』
『まーじで気持ち悪いよなあ』
『って言ってもそんな奴うちのクラスにいないと思うけど。な、ソウ?』
かつてのクラスメイトは俺に笑顔でそう尋ねた。他のクラスメイトが採点するかのように俺を見つめる。息がうまくできない感覚に吐き気がした。頷きたくないのに、頷くことを強制するセリフと雰囲気。あのときのクラスメイトの笑い声は頭にこびりついて離れない。
きっと、今の梅原みたいに俺もバレバレだったのだろう。
そんな俺が今の梅原にどう接すれば良いというのだろうか。頭が真っ白になった。
「あーもう、ソウってば! 全然聞いてくんないし。勝手に体借りるからね!」
ユウの声が聞こえると同時に体が動かせなくなる。そこでハッとして抗議しようとするが、そんな暇もなくユウは口を開いた。
「梅原くん! じゃないや、梅原!」
「な、んだよ」
ユウは一体何を言い出す気なのだろうか。梅原はこわばった表情で俺を見下ろしていた。体の主導権が俺にあったなら、恐らく同じような表情になっていただろう。
ユウはゆっくりと口を開いた。
「オススメ教えて」
「え……?」
──は?
「ぼ……、おれドラマ好きでたまに少女漫画がドラマ化したやつ見るんだ。だから、漫画も興味あってさ」
「……わかった」
梅原は安心したかのようにため息をついた。そして、売り場にある漫画からいくつかオススメを伝えてくれる。それに対してユウも得意のドラマ知識で話題を広げていた。
梅原の表情はさっきと違って楽しそうに笑顔を浮かべている。キャッチボールのときよりもずっと楽しそうに見えた。
「じゃあ、また明日な」
「ああ。また明日」
暫く二人で話した後、本屋の前で梅原と別れるとようやく主導権が俺に戻る。同時に倦怠感に襲われて体がふらついた。
「突然体かりてごめんね。どうしても梅原くんと話したくてさ!」
ユウはそう言うが、たぶん理由はそれだけじゃない。主導権を奪う前に見えたユウの焦った表情を思い出した。
「ソウ、どうかした……?」
──なんでもない。ありがとう。
もしユウが俺の本当の部分に触れたときも、梅原のときと同じように笑いかけてくれるのだろうか。
くだらない妄想に思わず笑った。
♢♢♢♢♢
「あら、賢人。珍しく機嫌良さそうじゃない」
「……まあな」
母親に声をかけられて思わずにやけていたことに気づく。
俺は入学早々に先輩から喧嘩を売られて、正当防衛で殴り返したらいつの間にかクラスメイトからは”ヤンキー”というレッテルを貼られていた。別に俺は普段から喧嘩をするわけではない。喧嘩を売られて事態をおさめるために殴り返すくらいだ。だから、クラスメイトをはじめとする学校の奴らに暴力を振るうつもりはまったくない。
しかし、クラスメイトは俺を恐れて孤立させた。見た目が好青年ではないことは自覚していたので仕方がないと思っていた。それでも、クラスメイトが楽しそうに趣味について話したり、笑い合ったりするのが心底羨ましかった。
──『梅原ー! これ外したほうが良いんじゃね?』
月見はこんな初対面最悪の俺にも笑いかけてくれた。俺の見た目や噂を気にせずに声をかけてくれたことが正直に嬉しかった。
──『オススメ教えて』
少女漫画好きなことがバレたときは焦ったが、月見は気にすることなく会話を続けてくれた。
こんな俺に気遣う様子もなく接してくれて、顔が熱くなった気がした。
嬉しかった。俺の羨ましく思っていた光景の中に自分がいることが、堪らなく嬉しかったのだ。
──『また明日な』
明日も会える。それだけで面倒だった学校が楽しみになる。
月見が好きそうな少女漫画は何か考えながら、紙袋にオススメの少女漫画を詰めていった。