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醜い五線譜 ~狙われた美少女ジャズ奏者~  作者: ウチダ勝晃
第一章 クラリネットと毒薬と ~美少女クラリネット奏者 鈴置千尋~
3/20

二、

 「シング・シング・シング」が終わって、バンドリーダーである原信常の挨拶のあとに行われたメンバー紹介でも、鈴置千尋は熱烈な拍手によって迎え入れられ、古参のファンたちからも歓迎されているようだった。その様子にひと安心したのか、益美はややリラックスした面持ちで、背もたれにゆったりとくつろぎながら演奏を楽しみだした。

 昔流行った映画の主題曲やスタンダード・ナンバーを挟みながら演奏が進み、バンドアレンジをした「死刑台のエレベーター」が終わると、どん帳が緩やかに降り、幕間を告げるアナウンスが流れ出した。

「――益美ィ、感謝するぜ。ジャズって面白えんだなあ……」

 入った時のけだるそうな表情が嘘のように、弘之は肌の下を駆け回る躍動感が抑えきれないような興奮を顔いっぱいに表現している。

「俺ァよお、てっきり学校の吹奏楽部みてえなもんかと思ってたんだけど、全然ちげえんだ。聞いてて身を乗り出したくなっちまう……ありゃあ、いったいなんなんだろうなあ」

「――少年、それがスイングの精神というものだぜ。わかってるじゃんか」

 いきなり割り込んできた声に驚いて振り向くと、喫煙室から出て来たらしく、煙草の香りを全身にまとったUさんが、右の手にピースの小箱を持ったまま、同志が見つかったことを嬉しく思っているのか、満足そうに笑っている。

「あら、ずいぶんなご高説なんですね。――最初は散々な口ぶりだったのに」

「ハハハ、その節は大変失礼をしました、えっと……」

 名前を呼ぼうとしたUさんに、益美はさらりと、白石です、と答えた。それに続いて、僕や弘之のことを益美から紹介されると、なるほど、と呟いてから、Uさんは背広の胸ポケットから三枚の名刺を取り出してみせた。

「――諸君、名乗り遅れましたが、あたしゃこういうモンです」

 受けった名刺へなんとなく視線を落とした僕は、おや、と目を見張った。


 探偵小説家 U・K


「へえ、おっさん小説家だったのか。売れてんの?」

 弘之の問いに、U先生はおっさんとは失敬な、と苦々しい顔をしながら、

「まあ、一人で暮らすにはちょうど良すぎる程度にはね。んで、さっき一緒にいたタコ坊主みたいなのは悪友の金沢鉄平って言って、これまたケチな作家さ。知らないかねえ、サンデー帝都に載ってる『トモエ御前のおでましじゃ』ってホームコメディ。今度帯ドラになるんだけど……」

 そういえば、プランタンで読んだ週刊誌にそんな小説が載っていたような記憶があったが、あれはサンデー帝都だったのか、と妙な納得が頭を駆けた。

「でもよお、ケチな作家ってのはひどいと思うぜ」

「しょうがないだろ、そうなんだから。トモエ御前で儲けてるんだ、たまにゃあハゲ天の天ぷらぐらいオゴリで食わせてもらいたいもんだが……」

「――お前の基準で『腹いっぱい』になるまで食べさせると、こちらがいくらあっても足りないんだよ」

 弘之と話し込んでいたところへ現れた金沢先生に、U先生はあら、いらっしゃったの……と、わざとらしい笑顔をしてみせる。

「ま、言うだけ自由だから好きにしな。――それより、幕のうちにサッサと昼飯にしようや。君たち、よかったらどこかで一緒に、腰を据えて食べないか」

 誘いに乗って、日比谷公園の日当たりがいいベンチで腰を下ろしながら弁当を開くと、さっきまでのやや険悪だったムードはどこかへ消えて、僕らはすっかり、U先生や金沢先生と仲良くなってしまった。それは一重に、幼少期から親御さんに連れられて先代の幸四郎などを堪能している金沢先生と新参の演劇ファンである益美が意気投合したためでもあったのだが、それはコンサートの終わった後の楽屋参りでも同じ様相を呈していた。

「益美ちゃん、やっぱりこういう時は女の子の方が知恵が回るもんだね。客の側で花屋に配達を頼むなんて、この年になっても思いつかないもんだ」

 テイルズのコンサートのアンコール曲となっている「キッス・オブ・ファイア」の興奮冷めやらぬまま、楽屋へと向かう道中、金沢先生はしきりに益美の行動を感心していた。数日前、この日のためにと学校帰りに花屋で注文をしていた益美は、持ってゆくのが邪魔になるだろうからとコンサート会場へ花束を直接運んでもらうことにしたのだ。

「小さいのにしようかとも思ったんだけど、楽屋に飾るんだったらこの方が景気がいいと思ったんです。いいでしょう?」

「大いに結構! お姐ェさん、江戸っ子だねえ」

 歌舞伎の大見得の真似をしながら、金沢先生が益美をほめちぎる。その様を、U先生はどこか冷ややかな目で見ていた。

「ったく、わしんぼうのタコがノボせやがって。婦女淫行罪でタレ込んでやる」

「てめえがモテないのを人のせいにしてたら苦労しないぜ。せいぜい枕でも抱いてろ、この田舎文士」

 本気か冗談かよくわからないやり取りを半笑いになりながら見ていると、いつの間にか「鈴置千尋様」と書かれた名札のぶら下がっている楽屋の前へと着いていた。

「チー姉ェ、あたし、益美よ。大丈夫?」

 ノックしながら益美が尋ねると、中からはあい、という上品な声が返ってくる。そっとドアを開くと、舞台上にいたのと寸分変わらない、クラリネット奏者の鈴置千尋が使い終えたばかりの油紙を始末しているところへと出くわした。

「あら、ずいぶん大勢で来てくれたのね。嬉しいわ――」

 すらりとした背丈に、負けじと伸びた黒い髪。そこへ加えて、どことなく物憂げな眼差しの瞳で彼女がこちらを見てくるのだから、弘之はかなり緊張しているようで、

「ど、どうも。白石さんの級友の曾野辺です……」

「そうなのね。いつも従妹がお世話になってます」

 クラリネットとは対照的な穏やかな物腰であいさつされると、弘之は照れくさそうにハハハ、そんなァ……と、のぼせたように笑うばかりだった。

 そんな弘之へ軽く肘鉄を入れると、益美は後ろに隠していた花束を千尋さんへ渡して、お疲れさまでした、と軽く頭を下げた。それに続いて、自然と湧きあがった拍手に、千尋さんは少し驚いた様子だった。

「みんな、ありがとう。――大きな場所での公演は今日が初めてだったから、すごく緊張してたの。頑張った甲斐があったわ……」

 うっすらと涙ぐむ千尋さんに、U先生が開演前とは手のひらを返したような口ぶりで、

「いやあ、よかったですよ鈴置さん。あなたのスイングに、公会堂の観衆がみんな聞きほれておりました。かくいう私もその一人です……」

 と、顔に似合わない粋な科白を言って見せると、脇でその様子を見ていた金沢先生が、

「ケッ、今度はてめえをブタバコへぶち込んでやる。覚悟しとけ」

「バーカ、オアイコだよ、オアイコ」

「二人とも!」

 益美に制されて二人が仲良く悲鳴を上げると、今度はその場を割れんばかりの笑い声が支配した。それからしばらく、今日の感想を話し合ったり――抜け目なく、U・金沢の小説家ご両人は千尋さんへ名刺を渡したりしていた――差し入れの品々を眺めていると、機関銃のようなノックに続いて、ドアが勢いよく開いた。

「あら、佐々木さん――」

「お嬢、ちょっといいかい」

 綺麗な白髪をポマードで七三に分けた、ウッドベースの佐々木次郎という奏者が深刻そうな顔で部屋へ入ってきた。

「どうかしたんですか、そんな顔して……」

「いやあ、その……」

 それまでの和やかなムードが一転して、通夜のようになってしまった。いったい、何が起こったのか困惑していると、佐々木さんは割れんばかりの声で、

「――お疲れさまでしたあ!」

 隠し持っていたクラッカーが割れ、後ろに控えていた大勢のメンバーたちがドッと楽屋へなだれ込んできた。

「な、なんだいこりゃあ。どうなってるんだい」

 驚くU先生に、佐々木さんはびっくりしたでしょう、と得意げに語って見せながら、

「なあに、ちょっとしたサプライズってわけさ。なんたって、我らがバンドの可愛いメンバーの大舞台初登板なんだからな、これくらいのことはしねえとバチがあたるってもんさ。ほれ、あんたも食べていきな」

 佐々木さんが指を鳴らすと、年に似合わず真っ黒な、長い後ろ髪を結わえたテナーサックス奏者の瀬尾さんが、ワゴンに乗ったホールケーキを運びこんできた。

「諸君!」

 驚きへ驚きを上塗りしたせいで理解が追い付かない所へ、瀬尾さんの後ろからヒョイと顔をのぞかせたバンドリーダー・原さんが甲高い声でその場の注目を呼ぶ。

「我々テイルズ&フラッツに新しき風を呼び込んでくれた麗しき姫騎士の初陣を祝して、大いに飲もうじゃありませんか! 異議は?」

 異議なし! という満場一致の叫び声とともに、いつの間にか支度されていたグラスが僕の手元へと回ってくる。

「君たち、お嬢の友達だろう。いつもお嬢に世話になってるモンです、さ、グイとひとつ……」

 父さんよりも年上の人たちに頭を下げられながらお酌をされるせいで妙な気分になりながらも、僕や益美、U先生はへりまでたっぷりと飲み物の入ったグラスを高らかにあげて、

「鈴置千尋くんのさらなる活躍を祈って――乾杯!」

 涼しげに鳴るグラス同士のこすれる音を合図に、祝宴が始まった。

「なあるほど、きみ、お嬢の従妹だったのか。どうりで、目元が似てると思った」

 はたから見ていると、本気なのか冗談なのかよくわからないバンドメンバーの言葉に、益美はすっかり上機嫌になっている。その横では金沢さんが千尋さん、原さんと一緒になって、オードブルをつつきながら今日の演奏の感想を語り合っている。

「――この盛り上がりを肴に飲むのが一番うまいんだが、君らはわかってくれるようだね」

 場の喧騒からあぶれて、隅っこでジュースを飲んでいた僕と弘之の間へ、U先生がビール瓶を持ったまま座り込んだ。いちどきにかなりの量を摂ったのか、顔色はなんともないのに、耳たぶだけが異常に赤くなっている。

「センセイ、中途半端に女がいると、話が盛り上がりづらいと思うんスけど、どう思います?」

 そばにあったバャリースの瓶を手繰り寄せながら弘之が聞く。

「それは真理だと思うぜ曾野辺くん。合コンならばいざしらず、こうも男女比がイビツでは、どちらに寄せてよいやら……」

 根っこが似ている者同士なのか、二人が意気投合してしまったせいでとうとう僕だけが一人残されてしまった。仕方なく、その場を離れてそっと部屋の中を廻っていると、ビールケースほどの大きさの籠に、いろんなものが詰め込んであった。パッと見たところでは、デパートの包装紙でくるんだチョコレートに文房具、変わったところではまっさらな譜面紙まで入っていたりする。

「――この頃流行りのプレゼントボックスってやつを導入してみたんだが、お嬢のところがたっぷりでねぇ。羨ましい限りだ」

 振り返ると、テナーサックスの瀬尾さんが箱の中身を僕の肩越しに覗き込んでいる。

「きみ、お嬢のご学友かい」

「いえ、違います。益美が従姉の晴れ舞台だからって言うんで、くっついてきて……」

「ほう、となるとジャズは初めてだったりするのかな?」

 子供のように無邪気でシンプルな問いに、力なくはい……と返す。すると、瀬尾さんは嬉しそうな笑みを浮かべて、

「どうだったね、聞いてみて」

「……良し悪しはよくわからないけれど、すごく心が躍りました」

 思ったところを正直に伝えると、瀬尾さんはますます嬉しそうに、

「それはよかった! ジャズメン冥利に尽きます、もしよければ、これからも聞いてやってください」

「は、はい!」

 大の大人に頭を下げられるというのはどうにも慣れない。そんな照れくささを隠そうとその場を離れると、瀬尾さんが箱に入っていた緑の包みを高々と上げて、

「お嬢! またモロトフが来てるけど、どうしようか?」

 高級品で有名なモロトフのチョコレートセットの箱を一べつすると、千尋さんはどうぞ、差し上げます、と、慣れた調子で瀬尾さんへ返した。

「そっか、チー姉ェ、あんまり好きじゃないもんね」

 益美の言葉に、どういうこと? と疑問をぶつける。

「わかんない? お高いチョコって、くどい感じがするの……」

 言われてみればそんな気もする。お土産でもらったチョコレートボンボンは、中身のブランデーも相まってちょっと苦すぎた。

「贅沢な好き嫌いなのかもしれないけれど、どうしても好きになれないんですよね。だから、そういうときは他の人にあげることにしてるんです」

 千尋さんの言葉に、僕はどうやら、瀬尾さんがそれを目当てにしてあの箱の前にいたらしいことに気付いた。子供っぽいのは笑顔だけではないようだ。

「ほら、健壱くん、カナッペが余ってるぜ。食べなきゃ損損、だぞ」

 金沢先生にすすめられて、佐々木さんがボーイよろしく抱えている洋銀の皿へ手を伸ばした時だった。いきなり咳き込む声に続いて、床に力なく何かの落ちる音が耳を打つ。つられて、カナッペへ出した指が引っ込み、反射的に頭を後ろへ向ける。

「――瀬尾やん、どうしたんだ!」

 誰かの叫び声で、足元へ目が向く。そこには、さっきまで愉快に笑っていた瀬尾さんが、チョコレートの箱を抱えたまま、口元から泡を吹いてもがき苦しんでいる。

「おい、どうしたんだ!」

 ビールでほろ酔いになっていたU先生と金沢先生が慌てて近寄ってきて、しばらく様子を伺っていたが、唐突に、

「金沢、どっかから水差しを持って来てくれ!」

「あいよ!」

 横たわる瀬尾さんを介抱していたU先生に頼まれ、金沢先生は部屋を飛び出していった。やがて、代わりに大量の水のボトルを抱えて戻ってくると、金沢先生は封を切りながら、それを瀬尾さんの口へ当てがった。

「瀬尾さん、いいですか、飲んだらすぐに戻してください! いいですね!」

 金沢先生へ処置を任せると、U先生は部屋の隅へ原さんを招き寄せ、何かを話しだした。そしてしばらく経ってから、U先生は部屋の真ん中へ歩み出た。

「――みなさん、これは殺人未遂です。口元からオレンジの匂いがしたので、おそらく毒物はチョコに仕込まれた青酸系の毒物と見て間違いないと思われます」

「さ、殺人未遂だあ!?」

 誰かが辺りはばからずに叫んだところへ、被さるように瀬尾さんの戻す音がこだました。あまり気持ちのいいものではないが、この際贅沢は言っていられない。

「よしよし、だいぶ吐いたな。誰か、すぐに警察と救急へ電話してください。別々の方がいいだろうから、二人がかりでお願いします!」

 瀬尾さんの背中をさすりながら、金沢先生が命じると、事態を飲み込めずに困惑していたトランペットの二人が、慌ててポケットから携帯電話を取りだした。

「――先生、いったい、なにがどうなってるんですか」

 恐る恐る尋ねる僕に、U先生は一拍置いてから、

「わからん。作りごとなら専門だが、現実で起こってるのは専門外だ……」

 先生の顔を、粘っこい汗がひと筋、そっと流れ落ちて行った。


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