二度目の電話
《松本くんは電話きました?今日、出勤なくなりましたね。あそこの教会に目喰が出たそうです。顔の損傷が激しくて、被害者の特定には至っていないらしいんですけど》
二度目の着信は携帯で、送信元は同僚の志村だ。松本は素早く返信を打つ。
《このまましばらく休みになるといいけど》
志村は同い年の同期で、松本にとって気の置けない存在だ。松本が新人でほんとうにポンコツだった頃を知っている相手なので、色々さらけ出して話せるし、その逆もしかり、
《何言ってるんですか。相変わらず不真面目ですね》
志村は気兼ねなく松本を叱る。
《松本くんはそうやっていつも、仕事をサボる口実を探していますね》
彼女は松本と違ってとても真面目だから、松本の為を思ってきついことを言う。それを松本はよく分かっているし、だからこそ嫌な気持ちはしない。年の近い兄弟がいたらこんな感じなのかな、と一人っ子の松本は思う。
画面をスクロールさせていくと、《それと、ちょっと話しにくいことなのですが実は》と、メールには続きがあった。
《朝から岡沢くんと連絡が取れません。無駄な心配かもしれませんが、昨日は岡沢くんが一番最後まで残っていたし、少し気になっています》
松本は妙なざわめきを覚えた。携帯を閉じて深呼吸をしても、心拍数は上がったまま戻らず、とうとう松本は携帯の電源を切った。
それから一時間経つか経たないかといううちに、志村から再び連絡が来たが、
《どうしよう。本当にそうだったんです、岡沢くんだったんです》
松本の携帯は、電源が切れたままだった。
・・・・・・
松本はそれから、することもなくうとうとしていた。
12時になって自分の腹の音で目が覚め、仕方なくカップラーメンを作ってすすった。いくら豪快に音を立てても注意する人がいない代わりに、最近のインスタントはなかなか美味いと、感想を言い合える相手もない。物を口元へ淡々と運ぶだけの食事は、まるで何かの作業だ。半分まで口に入れたところで、スープの油っぽさがいやになって残してしまった。ジャンクフードが大好きだった彼だが、それは妻の作る手作りの料理の合間に、たまに摘むのが美味しかったのだと、今なら分かる。
食後の眠気に再びうつらうつらしていると、固定電話がなった。
朝から二度目だ。松本の体に緊張が走り、眠気が吹き飛んでいく。
「……松本さんのお宅で宜しいでしょうか」
電話口から聞こえてきたのは、松本に覚えの無い男の声だ。
会社関連の人がかけてきたのかと思ったがそうではない。アナウンサーのような滑舌良い男の喋り方が、不気味で仕方ない。
はい、と松本が小さく返事をすると、男は躊躇いなく本題に入った。
「あなたと同じ会社に勤めていらっしゃった岡沢洋一さんが亡くなりました」
「はい?」
男の喋り方は気持ち悪いほどに分かり易いのだが、松本は話についていくことが出来ない。
「亡くなったのが仕事場から近い教会とのこと、そして昨晩は、松本さんも岡沢さんと一緒に残業をされていたとのことで、あなたに事情を伺いたく電話しました。お話を聞くのが電話越しというのはいろいろと難しいところがあるので、出来れば、我々が坂本さんのお宅へ参上するか、坂本さんにこちらまで来て頂くかしたいです。如何しましょう」
「いや、あの、ちょっと待ってください」
松本は震える手で携帯の電源を入れた。携帯が起動してすぐに軽快な音がなり、松本は志村からのメールを開く。
《どうしよう。本当にそうだったんです、岡沢くんだったんです》
「え、あ、岡沢が、」
松本の視線が携帯の画面を通り越し、食卓へと向かう。
カップラーメンの容器の中でスープが揺れている。使い古したソファーに寝転んでいた跡が残っている。飲みかけのビールの缶も、やりかけのまま諦めた新聞のクロスワードも、結局1000円しか入っていない貯金箱も、全て松本のものに違いない。
松本はここにいる。
しかし、松本が昨日最後にあった相手は、彼が一番懇意にしていた同僚は、この世を去ってしまったというのだ。
「岡沢が?」
「そうですよ」
早く受け入れろ、と言わんばかりの冷たい返事だった。
松本はもう一度携帯の画面に視線を戻す。
《どうしよう。本当にそうだったんです、岡沢くんだったんです》
焦りながらメールを打つ志村が、松本の目に浮かぶ。メールの文面からは、志村の心の叫びまで聞こえてくるようだし、気付けば志村からは10件も不在着信が入っている。
「ああ、本当、なんですね」
箸から滴ったスープが、ぽちゃん、と落ちていくのを見た。
「そういえば、あなたはどこの方なんですか?」
男は、自分が誰なのか名乗らなかった。松本は今更ながらにそのことを思い出す。
男が言っていることは真実らしいが、誰か分からなければ会うわけにはいかないし、事情を話してもどうしようもない。このまま電話を切ってしまっても良かったけれど、一応聞いてみることにした。
男はすぐに謝った。
「すみません。私が何者か、お伝えし忘れていました」
単調な言い方で、反省の色は薄い。
「私はSOMの者です。畑中、といいます。岡沢さんの件に関して担当を任されましたので、松本さんとは長い付き合いになるかと思いますから、以後、お見知りおきを」
「SOM、って、何ですか」
「あぁ、The Suppression Of Meg、の略です」
聞けば一応答えてくれる畑中だが、あまり感じの良い言い方ではなかった。
「だからそれは何なんですか」
「目喰の関する事件に特化した、警察の特殊部隊のようなものですね。正確には警察とは違いますが、そこはどうでもいいです。話を戻します。松本さんはどうされます?我々がお伺いした方が良いか、来て頂いた方が良いか」
電話で、しかも初対面の相手に対して態度が大きい。松本はこれ以上畑中と話しているのが嫌で、
「じゃあ明日、伺いますよ。会社あるか分からないんで、何時になるかしりませんけど」
と乱暴に言った。
「分かりました。ではいつでもお待ちしています」
その後、畑中は松本に本部の住所を書き取らせ、「では」と乱雑に電話を切った。始まりと同じように、とても唐突な終わり方だった。
・・・・・・
松本は電話を切った後もしばらく、頭がぐるぐるとしてその場から動くことができなかった。受話器を置いた手も、かなりの間、震えていた。何も考えられなかった。
強張りが溶けてきた頃、ふと松本の頭の中に思い浮かんだのは、
――圭くんは、お仕事大好きだから、なかなか帰って来られないんだよ。
と、抱き上げた息子に愚痴る妻の姿だった。
職場の同僚を失った松本は今、こんなにも困惑し動揺している。
それは至極当たり前のようだけれど、彼が仕事にのめり込みすぎているから、もっと言うなら、仕事くらいしか生きている意味が無いからかも知れない。その仕事でさえ、松本は休みになればいいと思っている。
そんな自分はやはり孤独だと思って、松本はソファーに重い腰を下ろした。