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目喰  作者: sato.
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孤独な男

皆さん、外出はなるべく控えてください。こちらは下北沢ですが……ちらほら、若者が遊びに来ている様子がうかがえますね……人の多い場所を「彼ら」は好みます、人混みでは十分に注意をし、もしも彼らを目撃した場合は、こちらの電話番号まで通報してください。あなたの通報が何かを変えるかもしれません、皆さんの安全な生活が一刻も早く戻るように、ご協力お願いいたします……次に、明日の天気予報です……東京では、一日中雨が降るでしょう……「彼ら」は湿気も好みますので、明日は特に警戒心を持ってお過ごしください……それでは、またあした!


毎日、同じようなニュースの繰り返し。

気をつけろ、警戒しろと言うけれど、それが毎日続けばすっかり慣れてしまって、危機感は薄まってゆく一方だ。全くくだらない。松本は苛立つままにテレビを消した。

部屋から音が消えて、ああ、孤独だ、と気づかされる。お別れの瞬間そのものよりも、こういう静寂の方がはるかにつらい。堪えきれずにまたリモコンを手に取り、今度は録画しておいたバラエティー番組を観た。

名前も知らない芸人が、偉そうなことばかり話している。馬鹿じゃん、と横を見てしまう、そんな自分が一番馬鹿だ。もういないのに。なにも面白くない。結局世の中のバラエティー番組は、二人以上を対象に作られていて、お互いに文句を言いながら、それでも笑かされてしまう悔しさを分かち合うものなのだから。

松本はいちばんいいところでテレビを消した。今度の静寂は、少々心地よかった。



いちばん幸せだったときはいつだろう。

結婚してから生活は180°変わって、それは確かにやわらかくあたたかな時間だったけれど、本心から幸せを噛み締めていたのなんてほんの3か月くらいで、それから先は、家に自分以外の人がいる違和感を我慢するほうが大きかった。

妻のことは、嫌いではない。

まったく会わなくなった今だって、いや、だからこそかもしれないけれど嫌いになれないし、妻との間の子のことを思うと、何度でも心に穴が開く。連絡先は知らない。知っていたら、別れて1か月くらいで復縁を試みたかもしれない。なくなってから存在の大きさを知る、なんて安っぽい邦楽の歌詞みたいだが、ほんとうにそうだった。


「圭くんは、優しいよ。優しいから、私に不満も言えずに、他の人のところへ行ったんでしょう。わたしにはわかるよ」

頭の中で、硝子細工を床に叩きつけたような音がした。松本は何も言わなかった。それっぽいことが言えたとして、もう戻れないだろうな、というのが分かった。彼女の言う自分の「優しさ」が、彼女をここまで追い詰めていたのだから、もう「優しさ」で巻き返すことは、できない。

「ねえ、一緒に過ごした時間は、圭くんにとって何だったの」

まるでもともとひとつだったみたいに彼女がそばにいたから、分からなかった。そういえば、出会ってから今まで、自分と彼女は、何を積み上げてきたのだろう。形に残ったのは子供くらいか。愛情というのはほんとうに難しい。確かにそこにあったはずなのに、目に見えないせいで、いまどのくらいなのか、それは前と比べてどうなのか、そもそもあったのかなかったのか、なにも教えてくれないのだから。それなのに人間は愚かだ、そんな曖昧なものを結婚の理由にしてしまう。そもそも結婚なんてしたのが馬鹿だったのかもしれない、と思って、松本はそんな自分を恥じた。子供の顔が浮かんだ。

愚かなのは人間全体ではなくて、この自分だ。


離婚の件に関して、子供は何も言わなかった。

「パパはしばらく会えなくなるんだから、ばいばいしなさい」

妻がそう言って背中を押したときも、子は軽く手を振っただけで、とうとう言葉はなかった。

ほんとうは、少しは泣いてほしかった。寂しいと言ってほしかった。そうして、自分にたしかに愛情があったことを、証明してほしかった。



松本の浮気相手は、めぐみと言った。

大学生の時に一時期付き合っていたことがある人だ。久しぶりに連絡を取り合ったのをきっかけに、なんとなくそういう関係になった。

松本は彼女をめぐと呼んだ。普通の成り行きでそうなっただけだが、奇しくもそれは、最近東京都で話題の怪物の名前と一致していた。


ベッドのスプリングが軋む。白いシーツの上のめぐみは背に羽が生えたようで、妖艶な天使は自由に松本に絡みつき誘惑する。松本は全身で白旗を上げた。めぐみの傲慢な笑い方が、男のことなどぜんぶわかっているというようにくねらせる身体が、そのすべてが、堪らなかった。

「俺は、めぐにすべて奪われたみたいだ。目も心も」

「それじゃまるで本物の目喰(メグ)じゃない、気持ち悪い」

めぐみがけらけらと笑って、シーツの皺は一層深く濃くなる。松本は力を抜いて、夜にすべてを委ねた。閉じた瞼の裏で、星が一つ流れて消えてゆく。


見た目は人に酷似しているが、左上の奥歯が真っ黒で鮫のように鋭く、目の下に大きな隈のある虚ろな生き物。

目喰(メグ)だ。

最近突如として東京に現れ、手当たり次第に人を襲う。

彼らについて分かっていることは少なく、謎に包まれた存在だが、それでも熱心に研究がすすめられたおかげで、少しずつ生態が明らかになってきている。

人混みを好む。

人の眼球を好んで食べる。

人を襲ったあとの行動は様々で、食すものもいれば甚振って楽しむものも、服従させて手下のように扱うものもいる。

襲われた人は、目喰の歯に噛まれると心を失う。

など。


ただ、これらの情報の中には迷信も多いと聞くから、どこまで本当なのか定かでない。

お昼のテレビショーで連日、大袈裟なジェスチャーと深刻な表情をつくってみせる白衣の医者のいうことも、結局憶測にすぎないのだ。目喰に襲われた人に直接話を聞けばいいじゃないか、と思っても、多くの被害者が心を失った状態にあるせいで、正常な受け答えが出来ないらしい。



松本は時計を見てジャケットを羽織り、軽く身支度を整えて家を出る。

この頃、目喰の出没が頻繁に報告されて被害者数も急増し、外出注意令まで出ている程なのに、会社に出勤する毎日は変わりない。日本は、こんな緊急事態の最中でさえ働き続けないといけないくらい仕事が溢れているんだろうか。もうおわりだろ、と思う。不謹慎だが、もう少し、もうちょっと激しく、目喰が活動してくれたなら、家でゆっくりできるのに。まあ、どうせやることなんて仕事しかないし、寂しいだけだろうが。未練を断ち切るようにわざと大きな音を立てて、松本は部屋の鍵を閉めた。

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